その二
末田さんというお爺さんがいた。
末田さんは昔、熊本の方で小学校の校長先生をなさっていたことがあるというのを小耳に挟んだ事がある。本当かどうかは判らない。将棋がべらぼうに強かった。その頃は僕もアマチュアの強豪の方に弟子入りして、有段者の方と幾度も対戦した経験があった為、いちばん自信を持って指していた時分だから、全力でぶつかっていったけれど、勝った記憶がほとんどない。一度くらい勝った事があるとは思ったのだけれど、それっきりだった気がする。
それはいいのだが、この人の生活習慣はいただけないものがあった。いつもぼろぼろのポロシャツを着ていたのだけれど、胸のところが妙に膨らんでいる。一度看護婦さんが中を見た事があったのだが、空の菓子袋やら、飴玉の包みやら、何だかよく判らないごみまで入っていた。
そう言えば末田さんと将棋を指していておかしな事があった。対局中に、盤上の歩がなくなってしまったのである。病院の将棋の駒は失くす人が多くて、スペアの歩などなかったから、みんなで周囲を捜した。ない。何処を捜してもない。だけれど妙である。そう言えば末田さんの様子もおかしい。捜そうとしないし、何やら口をもごもごさせている。何しゃぶっているの。実は末田さんのしゃぶっている物は、将棋の駒の、「歩」だったのである。
この憎みきれないご老人は後に大病を患ってきれいに痩せてしまい、最後には朝食のパンを喉に詰まらせ、そのまま亡くなってしまった。末田さんのご家族は末田さんの入院後、行方をくらましてしまい、身寄りのない彼は、葬儀さえ行われる事なく共同墓地に葬られたと言う。
甘木病院には名物男がいた。菅井一道という奴で、この患者はよく判らない。何の病気か、医師と看護師以外は誰も知らないに違いない。よく人のところへ来て、わけの判らない事を言うのである。日本語になっている時とそうでない時とがあり、どっちにしろ意味がまるで理解できない。どうも忍者が好きらしく、向こうから凄い勢いで爪先立ってやって来る。そして手裏剣を投げる真似をする。新顔がいると、そばへ来て「お前は誰だ」などと言う。別に返答を期待しているわけではないらしく、言い終えるとまた走って行ってしまう。あんまり傍若無人に振る舞うので、時々看護婦さんに叱られる。ところが彼には叱られているという自覚がないらしく、「このバカ女!」などと叫んで走り去って行ってしまう。誰の言うなりにもならない。走りながら、「わだぐらげごげききー」などと叫ぶ。何の事だか判らない。この病院には年中行事があって、盆踊り大会、運動会、バーベキュー大会、文化祭、クリスマスのお食事会、その他色んなイベントがあるのだけれど、一道には関係のない事である。つまり集団行動が出来ない。運動会の入場行進などやったためしがないし、いつでもそこいらを好き勝手に走り廻るだけである。院長先生も知っていて敢えて止めない。ただにこにこと見ている。
残飯のバケツの中に手を突っ込んで、豚カツをむさぼり食っていた彼も、ある時食べものを喉に詰まらせて死んだと言う。僕は現場を見ていないので知らない。いつ死んだのかも判らない。その頃には僕はすでに退院していた。けれど、同じ釜の飯を食べ、一つ屋根の下で暮らした仲である。誰であれ亡くなるというのは、淋しいし、悲しい。