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余録

 一九九五年という年は僕にとって感情の起伏が激しい年だったように思う。前年の一一月から僕は服薬を止めていた。薬の副作用で頭がぼうっとなって、勉強に集中出来ない。だから薬は一〇ヶ月ほど飲んでいなかった。けれど、どっちにしろ調理師専門学校は駄目だった。統合失調症の顕著な症状が九五年初頭から出始めたのである。振り返ってみればそういう風に客観的に分析出来るのだが、当座は無理だった。その頃ひどい事件があって、僕は年末年始をインフルエンザで一週間寝込み、四〇℃の高熱にうなされていた。こんな病気になったのも、忘年会に傘を忘れ、さらに奴らに置いてきぼりを食ったからで、ずぶ濡れになって帰った僕は、年末年始の一年で一番重要な飲食店のバイトに穴を開けてしまった。ばかやろう。僕は調理師学校を電撃退学した。辞めて正解だった。

 なんて言ったらいいのかわからないが、九五年の初夏の頃から、何とも言えず怖くなってきた。ちゃんとした理由がないのに怖くて堪らないのである。何が怖いのかわからないが、死ぬほど怖い。

 それとつまらぬことで腹を立てた。何故そんな事をしたのか、わからないが、大鍋の蓋をフリスビーのように県道へ向かって投げてしまったこともあった。冗談のつもりだったのである。こういうおふざけは誰にもあると思っていた。実際にはこれはほとんど犯罪であって、もしそのために事故でも起きたら、僕は刑事事件の犯人である。心配した両親が信之先生に話を持ち掛けたのも無理のない話であった。

 火曜日がいつもの僕の診察日だったが、その時だけスケジュールが合わず、水曜日に行くことになった。その日は当時、中林先生という女の先生であった。この診察で僕は鍋の蓋の事を話した。先生は驚きのあまり口も利けずにいた。結果、僕の薬は変更されることになった。

 その翌日の事である。飲食店のバイトで休憩時間に昼食を食べ終えて僕はお茶を飲んでいた。そしたら急に頭の中が風船のように膨れてくる感じになってきた。何か頭に圧迫感があるのである。脳が破裂する? そんな馬鹿な。そして身体がふらふらして立っていられなくなってきた。お茶が悪かったのだろうか。気持ちが悪いので、病院へ電話をかけた。僕は仕事を早退し、医師の診察を受けることになった。

 信之先生はこの状態が続くと危険だから、入院した方がいいと言った。どのくらい? 一週間くらい。わかりました。という事で僕の入院が決まった。四度目の入院である。

 今回は日数が短いから、気楽だと思っていたが、どうもおかしい。一週間経っても十日経っても、退院のことを言って来ない。ちょうどロビーにいた看護婦さんに事情を聞いた。それによると、先生の言うには最低一ヶ月は休んで、入院加療が必要であるというのである。それは話が違う。僕は一週間というから入院したんであって、そうでなければ承諾なんぞしなかった。第一店の人に迷惑がかかる。僕は退院させてもらうといってロビーで暴れているところを、複数の看護師に取り押さえられた。看護師詰め所で血圧と脈を測られた。血圧は、上が二〇〇を超えていた。脈も異常な数値であって、看護師さんたちは僕の突然の変わりように驚いていた。僕に逆上癖があるところを初めて知ったのだから無理はなかろうと思う。

 飲食店の方は、長く休むことを了承してくれたらしく、ゆっくり休みなさいと言ってきた。雰囲気が素晴らしく、僕の今まで勤めてきた中で一番充実していた職場だっただけに、休むだけでも後ろ髪を引かれる思いはあった。

 仕方がないと観念した僕は、両親に広辞苑と筆記用具を持って来てもらい、詩を書くことにした。前回の入院で、僕が異常に早く寝ることを記したが、今回もそれは同じで、六時には寝てしまう。そして二時か三時には目を醒まし、筆記用具を持ってロビーの椅子に座り、テーブルに向かって詩を書くのである。薄暗くて最初は文字がよく見えなかったが、しばらくすると目が慣れて来て、すらすらと書けるようになった。一月で約二〇篇の詩を書いた。その時に書いたのは詩の原形であって、朝の薬と掃除が終わった後、大部屋の折り畳み式のテーブルを起こし、詩の推敲をする。この頃はまだ晴美さんが第三病棟にいたので、自作の詩の添削をして欲しいと、彼女はレポート用紙につづった詩を持って来た。当時、詩の推敲に熱中していた僕は、この詩の原形を残さぬほど書き換えてしまって、結末と輪郭だけ同じの、表現も細かい内容も異なる詩にしてしまった。彼女は拍子抜けしたのか、がっかりしたのか、何だか片付かない顔をしていた。

 入院して一週間くらいで、僕は胸やけがひどくなって来た。今ならわかるが、逆流性食道炎の発症である。薬も効かないので、僕は堪え難い胸やけを抱えて、毎日水ばかり飲んでいた。

 退院は一二月一日であった。退院直後、激しい胸やけで救急車に運ばれたが、父に根性がないからだと、頭ごなしに罵られた。

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