その一
最初に断っておくけれど、この作品に登場する固有名詞はすべて仮名です。
その頃僕は仕事をずっと休み、家に閉じこもり、昼夜逆転した生活を長いこと続けていた。両親も妹も家から追い出して、玄関や縁側などの雨戸を閉められるものはすべて閉めた。だから家の中は昼間でも夜のような暗さだった。ここで僕は賭けをしていた。家の外へは一歩も出ない。家中全部鍵をかけて、何処からも誰も這入って来られないようにした。両親を追い出す前に少し怒って暴れたので、冷蔵庫と洗濯機が一台ずつ横に転がっていた。冷蔵庫はドアが開けっ放しになっていて、そこから食べものが溢れ異臭を放っていた。電話に出るのも嫌なのでラジオペンチで電話線を切っておいた。これで誰からも邪魔されずに自分の生活が出来ると思い、少しほっとした。
当時お粥に凝っていたので、三度の食事はお粥だった。もう一つの冷蔵庫に入っている物を一品ずつ出しておかずにした。それで僕は満足だった。いつまで続くのかは判らないけれど、いざとなったら餓死すればいいんだし、あんまりそういう事は深く考えなかった。
そんな生活が始まったのが一九八六年の四月の下旬。だからその生き残りを懸けた生活は三週間ほど続いた。何故かは判らないけれど一人暮らしの経験のなかった僕は、この生活を楽しんでいた。
その翌月、五月一七日の、確か午前九時の事だった。見ず知らずの人が四人、父と一緒に僕の部屋の枕元に来た。昼夜逆転した生活をしていたので、その日は朝の七時に就寝したばかりだった。父は勝手口の合い鍵を持っていたから、そこから這入って来たのだと言う。知らない人たちは甘木病院の看護士さんたちだった。父が言った。
「入院しよう」
僕はパジャマ姿で人前に出るのは恥ずかしかったが、そのまま車に乗れ、と言う。僕はどうしても着替えると言って、着替え部屋で着替えた。その間も看護師は僕の行動を監視していた。看護師としては当たり前の事をしているのだが、僕には腹立たしかった。
車の後部席中央に坐らされた。まるで容疑者護送の扱いである。僕は一生懸命自分の置かれている状況を正確に把握しようとした。それが何なのか判らなかったが、何か恐ろしい事が僕の行く手に待ち受けているような気がした。
病院に着き、医師の診察を受けたはずなのだがよく思い出せない。二階の隅の大部屋が僕にあてがわれた。畳敷きで、一五畳か一八畳ほどの部屋だったように思う。保護室に入れるほどの重症患者だとは思われていなかったようだ。看護師詰所でお尻に注射を受けた。
部屋のリーダー的存在、仕切り役は臼井さんという人だった。すぐに昼食になった。献立がすき焼き風煮物だったことを覚えている。この食事の後、僕は猛烈な睡魔に襲われた。薬が効いてきたのである。とにかく、坐っていられないほど眠かった。蒲団は昼間、部屋の隅に片付けておかなくてはならないのだが、僕は特別に許しをもらって蒲団を敷かせてもらい眠りに就いた。
僕は昏々と眠りつづけた。夕方になり薬の時間になっても起きられないのである。臼井さんに強引に起こされた。起きてみて、驚いた。歩けないのである。それどころか、立つことも出来ない。それと、自分のスリッパが上がりはなのところにあったはずなのに、何処にもない。仕方がないから僕はコップを手に握りしめ、両手をついて、ロビーまで四つん這いに這っていった。立てない、歩けないのだから仕方がない。
スリッパは盗まれたことがはっきりした。ここでは自分の持ち物に名前を書いておかないと、たちまち盗まれてしまうことが判った。少しして、僕のスリッパと同じデザインの物が一つ見つかったが、すでに別の名前が書き込まれており、自分の物だと主張するにも証拠がなかった。
それより眠い。ただひたすら眠い。僕は昼も夜もなく眠りつづけた。目覚めてみると今が夕方かはたまた朝か、その違いすら判らなかった。夢もやたらと見た。それも現実と区別が出来ないほどの生々しい夢だった。僕はどれが現実でどれが夢なのか区別がつかなかった。ある時眼が醒めて僕は呟いた。
「なんだ、もう朝か」
「何言ってんだ。いま午後四時だよ」
もっとひどいこともあった。
信じがたい事に、寝小便、寝糞を毎日のようにやったのである。しかも自分でそれをどうする事も出来ずにおろおろしていると、同じ部屋の阪田さんが嫌な顔もせず我慢して処理してくれた。申し訳なかったが、これ以上やったら紙おむつにしますよと、看護婦さんに火のように怒られた。
ある晩寝ていると、夜中突然起こされた。阪田さんともう一人、暗くてよく顔が判らない。二人は怖いような真剣な眼で僕を見ている。そして言った。
「もってる?」
最初何の事か判らなかった。
「もってる?」
僕は水道が漏っているのかと思い、漏っているとしたら洗面所だと思って、洗面所へ行った。
洗面所は何ともなかった。変だなと思い、訊き直した。
「もってるって何が」
「シャブもってる?」
阪田さんたちは、僕の状態があまりにひどいので、覚醒剤中毒だと思ったらしいのである。覚醒剤を何処に隠し持っているか、訊きただそうとしたのである。
さすがに二週間ほど経つと、ひどい病状から脱して、昼夜逆転した生活習慣も直り、ここの生活にも少しは慣れてきた。けれど、一つだけ我慢できない事があった。
煙草である。週に一回、買い物の注文を取ることを聞いて僕も品物を注文した。つまり患者の注文をまとめて取って、看護師が代表として買いに行く。
注文には定番があって、飴、袋菓子、バナナ、週二回のジュース、煙草はショートホープを頼みたかった。けれどセブンスターとマイルドセブン、ハイライトのうちのどれか一つしか頼めないと言う。セブンスターとマイルドセブンは喫った事があったので、重い方のセブンスターにした。でも、軽すぎて喫った気がしなかった。不思議に思うのは何故ハイライトを頼まなかったかと言うこと。
煙草は週四箱まで頼めた。四箱一度に支給されて、まとめて全部喫われては健康上良くないので(この病院ではそういうことをする人が非常に多いのだ)、人によっては一箱ずつ支給される。残りの煙草は看護師詰め所にあり、それに好きな時に喫えない。時間と場所が決められている。その場所で背中を丸めてしゃがみ、かたまって喫っている。僕はこんなところでみんなでいやらしく集まり身体をくっつけ合って喫うのは厭だったけれど、何も喫わないよりはマシだと思い直して喫いはじめた。先を2㎝ほど残して灰皿に捨てる。すると向かいに坐っている名前も知らぬ男がにやっと笑う。前歯が二本抜けている。そしておもむろに僕の喫いさしをつまみ、火をつけて喫いはじめた。間接キッス。ぞっとして鳥肌が立った。僕の喫う煙草喫う煙草一本残らず、拾って喫うのである。元まで喫えばそんな事をされずに済むのだが、大嫌いなセブンスターを根元まで喫う気にはとてもなれない。いやいや嫌いな煙草を喫わされ、喫いさしは人に喫われ、何もかも厭になってしまった。煙草もその場所も嫌いになった。それっきり僕は煙草を喫うのをやめてしまった。
菓子や飴の支給日はまるで戦争である。それも配るのが戦争なのではなく、食べるのが戦争なのである。配られた菓子は配られて一時間もしないうちに全部食べてしまう。飴はもっと凄い。嘗めるのではなく全部噛み砕いてしまうのだ。僕はそんな食べ方は出来ないから、食べたい時嘗めたい時に少しずつ食する。すると、全部食べてしまい噛み砕いてしまった連中が、僕のをねだりに来る。それが異常に執拗なのだ。のべつ幕なしで僕の後を付きまとい、飴ちょー飴ちょーと言っている。二三個あげると喜んで帰ってゆく。それだって嘗めているかどうか怪しいものである。