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「おじさん、大人気ない」

「なるほど……記憶喪失で、気付いたらその竹刀を持っていて、何となく刃物ヶ峰に行きたいと。お嬢ちゃん、まずは診療所に行くべきなんじゃないか?

……それはまあ冗談としても、刃物ヶ峰はやめた方がいい。おじさんは行ったことがあるが、観光には適してないぞ。あの刃物の墓場は物騒なだけで何もない」


「駄目。行かないと、駄目」


「……そうか。ならもうこのことに関しては何も言わんよ。

でも、それならどうしておじさんに着いてきたんだ? おじさんにあそこに行く予定はないぞ」


「その刀に用がある。言わないといけないこと」


 パチパチと音を立てて、二人の間でゆらゆら揺れる焚き火が赤く燃えている。もう時間は朝のあの出会いからしばらくたち、こうしてか細い炎の光に頼らなければお互いの顔もわからないような闇に閉ざされている。空から悠然と人々を見下ろす貴婦人も、今夜は姿を隠しているようだ。

 柄松灯次と明日香の二人組は、あの場所から少し北の林の中で夜を過ごすことに決めた。決めたといっても、明日香はただ着いてきただけなのだが。

 もちろん、明日香のことを邪険にできなかった灯次にも原因の一端はある。彼女の独特のリズムはどうにも灯次と噛み合わない。それでも、ここまでの動向を許してしまったのは──


(俺は、まだ可能性を追っているのか?

夢物語よりも有り得ない展開に期待しているのか?

……朝草がまだどこかにいる、それは確かだといっても)


 灯次は頭を振り払って馬鹿な考えを振り払う。二十年は昔のことを、どうしてこんなにも思い出すのか。


「言わないといけないこと、なあ。でも今は思い出せないんだろ?

いつまで一緒に来るつもりなんだ?」


「思い出すまで」


「……そう言うと思ったよ!

だがなお嬢ちゃん、俺は君の同行を認めていないぞ。

大の男と、お嬢ちゃんくらいの年頃の女の子。どんな噂を立てられるかわかったもんじゃない。

というか、俺がお嬢ちゃんを襲うとは思わないのか?」


「襲ってきたら、斬る」


「おいおい斬るって……。それはただの竹刀じゃ──イっ!?」


「……それ、危ない」


 明日香のすぐ隣の木に立てかけられた何の変哲もない竹刀。それの、本物の刀でいえば刃に当たる部分を掴んで、灯次は自分の方に引き寄せた。──否、引き寄せようとした。

 灯次の竹刀を掴んだ右の手のひらに、真っ直ぐと赤い線が引かれている。切り傷だ。彼は長年のカンからそう判断した。それも、異様に切れ味のいい刃物で付く傷だ。

 戦争に参加していた頃の経験に従い、灯次は左手でとりあえずは傷口を圧迫する。切れすぎる刃物の傷は意外とくっつきやすい。


「大丈夫?」


「……なッ、それは何だっ!? 仕込み刀か!?

おい、答えろッ!!」


「知らない。でも、この刀はよく斬れる。だから危ない。

……ねぇおじさん、その手、大丈夫?」


 心配しているのかしていないのか。それすらわからなくなりそうな平坦な口調だった。それでも、灯次の手を見つめる視線の真剣さは本物のようだ。

 灯次は未だに警戒心がありありと見て取れる目つきだったが、驚きが痛みに置き換わるにつれ頭が冷えてきた。その痛みも焼け付くような熱をはらんだものから、慣れ親しんだ鈍痛に変わっていく。

 はあはあという浅い呼吸の音が、木々の間を通って徐々に静まっていった。それに併せて、灯次の目も穏やかな物に変化した。


(そうだ……お嬢ちゃんは記憶喪失で……様子が変なのも最初からで……。

そもそも、アレに触ろうとしたのは俺の方だ)


「……大丈夫だ。悪いな、驚かせて」


「平気。……その手」


 八つ当たり気味に怒鳴ってしまったことを悔やむ灯次に、明日香は少しも気にする様子を見せずに、再度手の傷について問いかける。

 傷からはまだ血が滴っていたが、その量は大分少なくなっていた。灯次の傷を圧迫するという対処が功をそうしたようだ。竹刀を掴んだだけだったので、傷自体がそう深いものではなかったのかもしれない。

 灯次は左手で、自分の刀に巻いた布を引きちぎりつつ答えた。


「心配しなくて良いさ。おじさん、刀傷には慣れてるから」


「慣れてる?」


「ああ。おじさんは昔は、それはそれは立派な武士様だったからな……気になるか?」


 引きちぎった布を片手で器用に巻いていく。明日香の方を向いて会話しながらも、その作業の正確さは変わらない。

 しかし、灯次は布を巻いた後に僅かに滲んだ赤い血の色を見て、目を細めた。あまりにも治りが早過ぎる。切れ味が良すぎることが原因としても、灯次はこれほどの切れ味を持つ刀を一本しか知らない。

 もちろんその刀は、立派な鋼の刀身を持つ、本物の刀だった筈だ。


(……あるいは、俺の捜し物はこれなのか?

全く、わけがわからない──なあ、朝草?)


 灯次の脳裏に浮かぶのは、懐かしい面影だ。幼い頃から共にあり、そして今は失われたその姿。

 二度とあえないと思っていたそれに、再会することができるのか──?

 また二十年前に思いを馳せようとしていた灯次の脳に、静かで最大級の硬度を持った声色が突き刺さる。


「興味ない」


「は?」


「だから、おじさんの過去は、話さなくていい」


 明日香の想定外の台詞に、いや本来なら想定内でなければならないのだが、灯次は言葉を詰まらせた。自分の思考の海に落ちてしまっていたのだ。

 慌てて取り繕うように、灯次はおどけた様子を見せる。


「おっとぉ、おじさんの過去なんざどうでもいいって顔だな?

ちぇっ、そこらの御伽草子よりよっぽど面白いってのによ」


「……」


「なんだその無言は! 痛い奴を見るような目は!

……明日の朝メシは自分でなんとかしろよ」


「おじさん、大人気ない」

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