[短編] The world is break.
「誇れ。自分の成し遂げた偉業を誇りに思え」
「僕は何も成し遂げてなんかいない。ただ結果があるだけです」
■ ■
この世界がもしも創作上の世界だったとしたら、それはもう、とてもとても面白い、奇想天外で奇天烈な、ハチャメチャで笑いあり涙ありの物語が展開されるのであろうけれども、しかしこの世界
は勿論創作上の世界でも何でもない、ただのつまらない、平平凡凡な現実であるのだから、そんな面白い展開も何もあることはなく、ただひたすらにつまらない、何時も通りの日常が、淡々と、延
々と、長々と引き延ばされながら、それでもたまに、ごくごくまれに、小さなドラマを挿入しながら、永遠に続いていくのである。
ああ、そうか。
僕は今の現状に満足をしていないらしい。
自分について深く知るということはいいことだ。
自分の本心に気付かされるというのは、なんともまあ形容しがたい、妙な感慨を僕に与えてくれるから。
僕はどうやら、自分のことについて、ほとんどまったくと言っていいほどに、知識をつけていないらしい。
いや、実際のところ。
自分のことを理解している人間なんていないのだろう。自分の本心なんて、ましてや自分の本質なんてものを理解することは、至極難しいことなのであろう。
だったら。
だったら、他人のことなんてもってのほかだ。
人の気持ちを考えられる人間になれ、なんて小学校の道徳の授業で言われた覚えがあるけれども。なんてことはない。
無理だ。
絶対に無理だ。
自分のことすらも分からないのに、他人のことを把握するなんて無理に決まっている。
当たり前。
無理無理無理無理絶対無理。
馬鹿馬鹿しい。
馬鹿馬鹿しくて、笑ってしまう。
笑ってしまうし、嗤ってしまう。
ハッ、自分のことも分からないような人間は他人のことを把握しようだなんて、おこがましいにもほどがある。
第一、本人にも分からないことが、他人に分かってしまってたまるものか。
なんて。
なんて、馬鹿なことを長々と連ねて来たけれども。述べ連ねてきたけれども。
結局、こんなことはどうでもいいことで。
では、一体どうでもいいことなのだとしたら、いったい僕は何を語ろうかとしているのかと言うと。
そんなこと、なんでもない。
なんてことはない、ただの虚言。
馬鹿馬鹿しい、子供じみた虚言。
言葉を換えるなら、それは妄言と置き換えてしまっても支障はないだろう。
ああ、そうさ。
僕が語ろうとしていることは、ただの戯言、世迷言の過去話。
さて、じゃあはじめよう。
どうか皆さん、短い間ではありますが、どうか、お付き合いを。
◇
午前二時。
古臭く言うなら丑三つ時。
ありていに言うなら真夜中。
でも、午前なんて言うんだから、それは真夜中と言うよりも早朝と言っても別に良いんではないだろうか? とか、思っちゃう。
空にはまん丸お月さま。
黄色い満月が雲に隠れることもなく、その裸体を惜しげもなく晒している。
その満月の光が、地面を明るく照らしてくれているので僕は特に何不自由なく道を歩くことができた。
外灯は、灯っていたり灯っていなかったり。
結構、管理がずぼらなのか、灯っていてもカチカチと点滅していて、逆にそれ、灯ってないほうがいいんじゃないの? なんて思ったりもする。
季節は、まあ初夏と言うには暑いけれど、かといって真夏と呼ぶにはまだ少し涼しいような、七月初旬。
二日だ。いや、ごめん、二時だからもう三日。
この辺は、結構曖昧。
零時を過ぎた後に使う今日って、基本的には前日のことだったりするしね。
月曜の午前零時に「明日からまた一週間が始まるよ」なんて嘆く奴に僕は言いたい。
明日じゃない!! もう今日だ!!
いや、マジでどうでもいいけれど。
僕は半袖の少しサイズの大きいシャツを着て、下にはジャージを履いた姿で夜道を歩いていた。いや、朝道? うん、どっちでもいいや。とりあえず、一般的に考えて夜ってことにしよう。
かといって、別に深夜徘徊とかそういうわけじゃないんだけれどね。非行とかじゃないよ。品行方正、とは言い難いけれども、それでも僕は、出来る限り悪目立ちしないように心がけて生活して
いるんだから。
だから、周りに友達なんてものはいないけれど。
コミュニティに属するのが苦手なんだ。
苦手と言うよりは、もう一種の、嫌悪感すら覚えてしまう。
なんで好き好んで他人とつるまなきゃいけないんだよ!! 僕はひとりが好きなんだ。
一匹狼。
ロンリーウルフ。
カッコつけてみたところで、何も変わらないけれど。
結局単に、人付き合いと言うのがうまく出来ない僕は、結果、人付き合いを放棄するという選択肢を選んだという、ただそれだけの話。
何のドラマもない、つまらない理由。
それでいいのだ。
人生、そんなものだ。
そんな人生を、そんな現実を、それでいいのだと割り切りながら、しかし心の奥底では、そんな人生を、そんな現実をつまらないものだと考え、一蹴し、退屈している自分がいるから、もう、何
が自分の本心で、自分の本心がなんなのかが分からない。
結局、僕は自分が分からないし、自分が分からないから、自然、他人のことも分からない。
分かりたいとも、思わないけれど。
思わないし、多分これからも思うことはないんだろう。
と、それがはたして自分の本心なのかどうなのか、それすらも僕には、分からない。
分からなくても、いい。
分からなかったところで、それは既にもう、どうでもいいことなのだから。
今日、終わる。
今、終わる。
いや、終わるんじゃない。
終わらせるんだ。
◇
──、場面転換。
僕は今、この世界を壊そうと思っている。
破壊しようと思っている。
粉々に、跡形もなく、ぶっ壊す。
なんて、馬鹿馬鹿しい、荒唐無稽な中二的発想を、本気で実用させようとしている辺り、模試化しなくとも僕は、なんだかおかしな人間なのかもしれない。
と言っても今語っている話は先述したとおりの過去の話。
過去の話で、終わった話。
だから僕はこれから何が起きるのかも知っているし、把握している。
自分が失敗するのかも成功するのかも、すべて分かっているし、把握している。
僕は今、終わった話を語っているだけだ。
主題に戻ろう。
主題と言うか、まあ、主軸。
話の軸。
僕はこの世界を、壊そうと思っていた。
理由は至極簡単な話。
退屈だからだ。
何て言うのは嘘で、本当は単に、面倒くさいから。
この世界と言う概念の中で縛られているのが、とても面倒くさいから。
面倒くさすぎて、やってられなくなったから。
人付き合いだとか、勉強だとか、仕事だとか、食事だとか、排便だとか、呼吸だとか、もう、そんな何もかもが面倒くさくなって、だから僕はこの世界を嫌いになった。
何より最初に語った通り、僕は自分自身が分からないし、自分自身が分からないから当然、他人のことも分からない。
そして他人とはつまり、人間だ。
人間とはつまり、僕自身も含めて、僕と他人を含めて、ひっくるめて、まとめて、そう呼ぶのであって、そして人間と言うのはこの世界を形作っている、いや、そんな大仰なものではないけれど
、この世界の大半を占めて、支配している者なのだから、つまり人間とは世界と同義なんじゃないかな? なんて、益体もない、荒唐無稽で支離滅裂な、そんな結論を僕は出してしまったわけで、
つまり人間が分からなくて世界が分からなくて世界が面倒で人間が面倒な僕は、結局結論極論的に、もうこれは世界を壊すしかないんじゃないだろうかなんた意味不明なことを、あろうことか思い
ついてしまったのだ。
そして、思いついてしまったのならば──、
──実行するしかないだろう?
そんなわけで、僕は急遽、世界を壊すことにした。
でもまあ、勿論のことながら、僕にはそんな力はない。
方法もない。
なす術がないというのは、まさにこういう事を云うのだろうか? なんて馬鹿なことを考えながら、世界を壊す方法を考えてみた。
考えて考えて考えて考えて考えに考え抜いた結果、僕はふと思い当る。
世界の概念。
世界の定義。
それは、なんなんだろうか?
曖昧だ。
あまりにも曖昧で不明瞭で不確かで、漠然としたその、名ばかりの存在の、定義とはなんだろうかと疑問に思う。
そうだ、僕は今、いわば『見えない敵』と戦っているようなものなのだと、思いついて、愕然とする。
なんなんだなんなんだなんなんだなんなんだなんなんだなんなんだ─────!!!!
キレる。
憤怒する。
キレる若者の姿が、そこにはあった。
しかも、無意味に、だ。
逆切れ、ともいえるのか。
憤怒し、激怒し、激高し、そして僕は思い当った。
ああ、簡単だと。
簡単なことじゃないかと。
簡単すぎて、笑ってしまった。
世界の範囲を、指定してしまえばいいのだ。
何も、世界中、それこそ地球すべて、宇宙のすべてを破壊しなくたって、『僕の世界』は簡単に破壊してしまうことができるではないか。
そう、僕の世界。
たとえば今、僕がいるこの日本の反対側で、何が起きていようが、僕にはそんなことまったくもって無関係だ。
影響がいないのだ。
だがしかし、今僕の横で、後ろで、何かが起こったら、それは少なからず僕に関係があることになってしまう。関係がなくたって、接点ができてしまう。
僕の認識の中だけを『僕の世界』と仮定しよう。
そうだ、それこそ他人の思考のような、僕の認識出来ない部分を世界の外と仮定してしまおう。
僕はともかく、自分の認識の通ずる『僕の世界』の範囲内を、破壊してやればいいのだ。
それで、僕は世界を壊したことになる。
僕は、『僕の世界』を壊したことになる。
何も、難しいことではない。
僕の世界を壊すということは、言いかえれば僕の常、すなわち日常を破壊すればいいのだから、とりあえず僕は、五、六人程、人を殺してみるとしよう。
◇
人を殺す。
それは良いだろう。
簡単で、実に分かりやすい日常の変化だ。
日常の破壊だ。
僕の世界の破壊だ。
でも、一体誰を殺す?
無差別殺人、というのには意味がない。僕は、まずは僕に近しい──、というよりも、何らかの、稀薄ながらも何らかの、関わり、接点がある人間を殺さなければならない。
やはり、家族か。
いや、それは後でだ。
そうだな、まずは、同じクラスの人間を殺してみよう。
◇
ということで、場面は再び戻る。
夜道を歩き続けて、僕は一軒家の前に到着した。
きわめて一般的な一軒家。
これといって特筆すべきこともないような、普通の、ありふれた、言ってしまえばどこにでもある一軒家。
そんな言い方をすれば、わりとそれが当たり前みたいに思えるかもしれないけれど、しかし普通、一軒家を手にするというのはそれで結構難しいものがある。主に、資金的な意味で。
独り暮らしを始めたばかりの人間が、そうやすやすと手に入れられるような物ではないのだ。
真面目に働いて、お金をためて、ローンを組んで、それから何年もかけてお金を払い続けるという意思がなければ、とてもではないが手に入れることなどできないのだ。
まあ、別に僕個人の意見としては、少なくとも独り暮らしの間は一軒家なんか必要ないと思うけれども。
まあ、そんなことはどうでもいいけれど。
誰も、僕の意見なんかに興味はないだろう。
興味があったとしても、しかし、この今のタイミングで語るようなことではないだろう。
僕は今、過去の話を語っているのだから。
物語を、語っているのだから。
そこに、いちいち僕の意見なんかを介入させる必要などないだろう。
完全に、蛇足だ。
さて、と言っても今は真夜中。|(もしくは早朝)である。
とてもではないが、玄関のチャイムなど押せようはずもない。
いや、これから人を殺そうとしている奴が何を言っているのかと言われたらそれまでなのだが、しかし今の|(この時の)僕の目的はあくまでも世界、『僕の世界』の破壊であって、決して他人
の睡眠の妨害ではないのである。
ということで結果、僕は窓から侵入することにした。
時期的には、もうずいぶんと気温も高くなってきているので、二回のほうなら窓が開けられているだろうと思ったのだ。
そして、その予想は正しかった。
二階を見上げたら、窓が少しあけられている。
一応虫の進入を拒むための網戸は閉じられていたけれども、そんなものはあくまで虫の侵入を防ぐためのもので人間の侵入を防ぐにはいささかというか、もう完全に無意味である。
さて、では一つ。
僕は近くを見渡して、手頃な大きさの|(性格にはブロック塀なんかで使われているブロック一個の約半分ほどの大きさの)レンガを拾い上げると、一度それを電柱にたたき付けた。
ガン、と鈍い音が響くが、それでレンガや電柱が砕けるようなことは、勿論ない。
及第点だ。口の中で呟いて、僕はレンガを片手に、電柱を登る。
電柱には、ねじのような突起が、ある一定の高さから付けられているので、それを使えば、案外よじ登るのは苦ではない。実際、たまに小さな、小学生くらいの子供たちがよじ登って、大人たち
に怒られている光景を見ることがある。
っと、さてではそんな風に簡単に登れますよと言うことを伝えたかったわけだけれども、いかんせん、レンガを片手に上るというのはつらいものがある。一応、両手を使ってはいるのだけれども
、しかしどうしても、片手──つまりはレンガを手にした左手はほとんど使えないといってもいいから、実際に左手で突起をつかむのは至難の業なのだ。
いや、というか何故この時の僕が、レンガをジャージのポケットに突っ込むという行動をとらなかったのか、今にして思えば甚だ疑問ではあるのだけれども。
この時の僕は、生まれて初めて人を殺すというその行為自体に、無意識のうちにおびえていたのかもしれない。いや、そこまではいかなくとも、少なくとも、少なからず、多少なりとも、多かれ
少なかれ、動揺していたのではないだろうか? なんて、まあそんなわけはないだろうけれど。実際、僕はこの後に、実に無駄なく。実にスマートに、特に喋ったことはないクラスメイトを撲殺す
るのだから。
勿論、家族も含めて。
だからまあ、レンガをポケットに突っ込むという行動が頭に浮かばなかったのも、単に僕が抜けていただけなのだろう。
間抜けだったとも言えるが。
ともかく、僕は電柱をよじ登り|(いや、もうまさしく言って這い上ったといってもいいかもしれない。)、腕を伸ばして網戸をあける。
が、ぎりぎり、もう少しで届きそうだというところで手が届かない。
身を乗り出せば届いたのであろうが、しかしそんなことをして墜落してしまってはまた登りなおしだ。
そんな時間のロスをしたくはない。
そこで、僕は左手を伸ばすことにしてみた。
利き腕のほうがあけやすいと考えて、右腕を伸ばしていたのだが、それが届かないのだったらレンガを持った左手を伸ばしたほうが良いだろうという判断だ。
ついでに言うならばこの時、僕は右手にレンガを持ち替えようという判断はしなかった。
しなかったのではなく、思いつかなかっただけなのだが。
やはり、この時の僕は抜けていたのだろう。
レンガをひっかけるようにして網戸をあけると、僕は片方|(突起は左右についている)の突起に立ち、危なげによろけながら、片足を目いっぱい伸ばした。
腕が届かなかったといっても、足は届いた。
ついでに僕の身長は平均よりは高めだ。
足も、自慢ではないが短くはない。
というよりも、この家の窓が電柱と近いのだ。
もしも体制を変えていたら、普通に伸ばした腕でも届いたんじゃないかと思う。
僕はそのまま電柱から窓枠に侵入すると、眼下を見る。
どうやらベッドは使っていないようで、普通に敷かれた布団の上に、男と女──、おそらくはクラスメイトの両親であろう二人が寝入っていた。
別段、僕の存在に気付いた様子はない。
さて、どうするか。
僕は考えた。
いや嘘だ、それは単に、少しでも自分の記憶を美化したいがための嘘だ。
現実はこう。
僕はまず、クラスメイトの母親であろう女性の顔面に、飛び降りた。
そして着地。
勿論、体重をかけて。
靴をはいた男が、自分の顔の上に落下してくるのだ。
無傷でいられるはずがない。
その時に、女性は悲鳴を上げたのか、それとも呻きをあげたのか、いまいち覚えていないのは、おそらくその時に、僕の意識は既に女性のほうにはなかったからだろう。
もう一人、クラスメイトの父親らしき男性も隣に眠っているのだ。そちらに目を覚まされたら大変だと、僕はただそんなことを考えただけ。
ただ、確かに言えるとするならば、おそらく女性の鼻の骨は、折れていただろうということ。
僕は何も言わず、何もはっさず、静かに、女性の顔を、もう一度踏みつけて、未だ寝息を立てている男性の顔も、踏んだ。
出来る限り重く。
体重をかけて。
おそらく、男は目を覚ましただろう。
目を覚まして、僕に襲いかかろうとしているのかもしれないと、そう思ったから。
レンガでも殴った。
頭をたたきつけるように。
ガンガンと、何度となく殴り続けた。
後ろで、音が聞こえる。
女性が後ろに下がった音だった。
だから、僕は殴るのをやめて立ち上がると、倒れて身動き一つせず、鼻血を流し、頭からも血を流す男の顔を蹴ると、そのまま女性にレンガを投げつけた。
それは、女性の顔面に当たる。
呻く。
それを、蹴る。
悲鳴をあげられてはならないのだ。
クラスメイトが起きてきたら面倒くさいし、警察を呼ばれても面倒くさい。
僕は女性の顔をけると、頭を踏みつけた。
男性にした時と同じように、頭を踏みつけ、顔をけり、そしてレンガで殴る。
一方的な。
あまりにも一方的な暴力。
つい先ほどまで眠っていた女性が、それに抗うことができなくても、不思議なことではないだろう。
殴り続けて、いずれ女性も男性と同じように動かなくなったところで、僕は行為を中断した。
布団にはベットリとした血がこびりついているが、そんなものはどうでもいい。
ジャージも汚れてしまったし、クラスメイトの服で、何か代わりになるような服はないだろうか? なんてことを考えながら、僕は部屋の戸の部分を見た。
この部屋が両親の寝室であったことは間違いないだろう。
どうせ、もう放っておいても死ぬだろうし──、というか、下手をすればもう死んでいるだろうから、僕は一応念のため、指紋が付かないようにシャツの裾をノブと手の間に挟んで、戸をゆっく
りと、音が立たないように開いた。
廊下に出ると、階段のほかにもう二つ部屋があった。
普通に考えて、どちらかの部屋がクラスメイトの部屋である。
だとすると、それはどっちだ?
なんて、考える必要もない。
部屋の戸に、表札|(と言えばいいのだろうか?)がぶら下がっていた。
『啓太の部屋』。
ふむ、なるほど。クラスメイトの名前は啓太と言うのか。
なんて考えて、ならもう一つの部屋はなんなんだろうという、小さな興味を抱いてしまい、僕は先にもう一つの部屋をのぞいてみた。
といっても、何もない、つまらない部屋だったけれど。
本棚が壁に沿って左右に置かれていて、奥のほうにはカーテンの閉じられた窓。そして、他には小さな作業机にデスクトップパソコンが置かれていた。
なんだろう、先ほどの男性は小説家か何かなのだろうか? だとしたら、男性のファンの読者には申し訳ないことをした。なんて、思ってみたりもする。まあ、確実に死んだのかもわからないし
、生きている可能性のほうが高いだろうから、じゃあまあもし生きてたら、この経験を作品に生かしてもらおう。
そんな風に、勝手に男性を小説家だと決めつけてから、僕は部屋を出た。
本来の目的を果たすためである。
クラスメイトを殺害するのだ。
しかし、最悪の事態と言うものは結構現実になったりするものである。
僕が部屋を出て、クラスメイトの部屋の戸を開けようとした時。
戸が、開かれた──。
◇
さて、語り忘れていたことがあるのでここで補足を加えよう。
僕は、このクラスメイトがすんでいる場所こそ知っていたものの、実はそのクラスメイトの名前を知らなかった。
というのはまあ、分かったと思うけれども。
じゃあ、何で、どうしてクラスメイトの名前を知らないのに、家を知っているのかということである。
簡単な話だ。
近所なのだ。
割かし、近所。
僕の家を出て、まっすぐ歩くと左右に開いたT字路がある。そこを左に曲がって、一本向こうの右から三番目の家が、この名も知らぬクラスメイト。『啓太』の家だというわけだ。
彼は、四月に引っ越してきたばかりである。だから、たまたま僕の記憶に残っていたのだ。
それも、ただ引っ越してきただけでなく、本当にたまたま、偶然、同じクラスに転入までしてきたものだから、必然的に、「ああ、そういえばここの家に引っ越してきた人がクラスメイトだった
な」なんて言う風に記憶していただけなのだ。
まあ、本人からしたら記憶されていたことが不幸以外の何物でもないのだろうけれど。
それは、僕のはかり知るところではない。
僕は自分のことも、他人のことも、人間のことも、世界のことも、何もかもが分からない人間なのだから。
さて、ではこの僕の語りにもうんざりしてきたところだろうから宣言させていただこう。
この語りは、もうすぐ終わる。
◇
これは僕の個人的憶測であり、確たる証拠なんて存在しないのだが、おそらく、僕はこの時、本当に間抜けな、鳩が豆鉄砲でも食らったかのような表情を浮かべていたのではないだろうかと思う
。
目の前で、戸は開かれた。
そしてそれは、この部屋の主が、目を覚ましていたことを証明するには十分な証拠であるだろう。
「──?」
記憶も曖昧で、おぼろげではあるのだけれども、この部屋の主、つまりは僕のクラスメイト──表札の名前通りだとするならば、『啓太』も、僕のように間の抜けた顔をしていたはずだと思われ
る。
しかし、しかし僕にとって、そんなことはどうでもいいことであった。
見られた。
見られてしまった。
それは、誤算だ。
失敗だ。
失敗──、絶対に犯してはならない失敗。
「なんっ──!?」
クラスメイト、『啓太』が驚きの声をあげた時には、僕は既に動いていた。
右足を、腰のあたりの高さで直線に、まっすぐ突き出す。
狙うは、腹。
クラスメイトのむき出しの腹だった。
それはしかし、浅い。
辺りはしたものの、クラスメイトはぎりぎりで後ろに跳び、僕の蹴りを回避していた。いや、当たってはいるのだから、回避というよりは、流した。
だが、僕はそこで動きを止めない。
踏み込んで、拳を顔面にたたき付けた。
人を殴った時の、独特の痛いような、鈍い感触が伝わってくる。
やったか?
「て、めぇ──ッ!!」
しかし帰って来たのは、クラスメイトのうめき声ではなく、クラスメイトの拳だった。
それは、僕の顔をまっすぐ打ち抜いて、それに僕はよろめき、後ろに下がる。
目がくらむ。
じんじんと鈍い痛みが、僕の顔を中心に広がる。
痛かった。
もともと僕は運動なんてほとんどしない、どちらかと言うとインドア派の人間だ。
だからもちろん、殴り合いになれば、僕に勝ちの目はない。
「な、なんなんだよ、お前……」
今更ではあるのだけれど、クラスメイトの口から怯えたような言葉が出た。
無理もない。
同じ年頃の男が、夜中に、返り血に服を濡らした状態で部屋の前に立っていたのだ。
漬け込むとしたら、その隙。
怯えという名の隙こそが、付け込む、付け入れる隙。
「お、おぉぉぉぉぉぉ──」
久々に声を出したからというのもあるけれども。
極度の緊張状態で、のどがからっからに乾いていたというのもあるけれども。
僕の口から、僕の喉から、かすれた呻きが漏れ出る。
そのまま、拳を振りかぶって、僕はクラスメイトに、殴りかかる。
それでも──、拳がクラスメイトの顔を殴りつける前に、僕の顔にもう一度、鈍い痛みが襲いかかった。
それで、僕の体は崩れる。
暑い。
鼻血が垂れているのだろう、生温かい感覚が、顔を伝う。
膝をついて、僕は起き上がろうとするけれども、そこに今度は何かが襲いかかった。
おそらくは、クラスメイトの足だろう。
それで、否、それに、か。僕の体は後ろにのけぞった。
いや、もうのけぞったなんて言うレベルではないだろう。
もう、文字通り、吹っ飛んだ。
今度は、僕の口から呻きが漏れた。
そこで、僕の意識が飛ぶ。
意識が暗転する。
意識が消えさる。
目の前が真っ暗になり、痛みすらもが消失した。
僕の初めての殺人は、結局目標を殺せないまま、失敗した。
◇
病院を出ると新鮮な空気が肺を通る。
深呼吸をして、僕は大きく伸びをした。
あの頃のことを思い出すと、僕は今でも自分の滑稽さ加減に苦笑を禁じ得ない。
まあ、それも若気の至りだと、笑い話にするほかないというか、なんというか。
成人してから幾年。僕は、月に何度かの通院を余儀なくされたものの、一応、社会復帰することは出来ていた。
社会復帰と言っても、あくまで僕の仕事と言うのは独りで、家でやるような簡単な内職程度のものなのだけれども・
しかしそれでも、社会復帰には違いない。
右手に持った手提げかばんを左手に持ち替えると、僕は空を見上げる。
懐かしい話をしたせいで、妙に脳にもやがかかったような、妙な気分になる。
結果だけ言うなら、クラスメイトの両親は死んでいたらしい。
そして、どうやらクラスメイトにのされて気絶していたらしい僕は、駆けつけた警察官に無事──というのは捕まった僕のセリフではないけれども──、保護されて、病院に搬送された。と言っ
ても怪我は大したことはないので|(第一、普通の人ならあの程度で気を失ったりしないだろう)送られた先は精神病院なのだが兎角、そこにしばらく入院してから家庭裁判所で裁判を受け、数年
間、少年院に囚役されていた。
まあ、結論的にいえば、壊すまではいかなくとも、僕は自分の世界。つまり、僕の世界それ自体を、変えることには成功したといって良いのだろう。
まあ、もちろん、思惑とはずいぶんずれたことではあったし、最後に殺そうと思っていた両親が、精神的過労から鬱病を発症し、自殺してしまったことからも、僕の思惑と言うか、計画のような
ものは、完全に崩落してしまったことになる。
少年院に入って、そして精神病院に通って、大きく変わったことと言えば、やはりそれは、世界を壊したいというような、そんな、やはり今思ってもよくわからない、荒唐無稽な考えが、自然と
、消滅したということだろう。
それでも、今の僕には、未だ自分のことも、他人のことも、世界のことも、何もかもが分からないのではあるけれども。
しかしそれでも、世界を壊そうなんていう考えが焼失したということは、違いない。
違いなく、そして過去の僕と今の僕との、違いだ。
──、場面転換。
僕は一度、今の僕の住居であるボロアパートの一室に引き返すと、鞄の中の財布やら処方薬やらを床にぶちまけて、代わりに果物ナイフやらハサミ何かを無造作に突っ込んだ。
勿論、念のために果物ナイフの保護カバーのようなものはとってある。
あれから、僕は一人も人を殺してはいない。なぜなら、もう二度とあんな馬鹿げたところに戻りたくはなかったからだ。
だから僕は、考えて考えて考え抜いた末に、遠くの見知らぬ街、見知らぬ土地で、まったく関係のない人間を殺そうと考えた。
そうすれば、足はつかないだろうという、まあ、そんな単純で、浅はかな考え。
僕はその考えに従って、行動する。
その姿は、過去の僕と同じだ。
僕は床にぶちまけた荷物の中から財布だけ拾い上げると、それをポケットに突っ込んだ。
もう一度、深呼吸。
吸って。
吐いて──。
気分を落ち着かせると、時計で時間確認。
昼の、二時を少し回った時間。
はからずしも、あの時の似たような時間になってしまった。
それでも、夜|(朝?)と昼と言う違いはあるのだけれども。
僕は鞄を左手で持つと、右手で戸をあけた。
初夏の日差しは、少し暑くて、まぶしくて、僕は目を細める。
どうやら、今この時、僕は自分のことが、少しだけ、分かったような気がした。
一歩、踏み出す。
ゆっくりと、歩き出す。
目的地は、とりあえず電車に乗って終電まで行ってみようと思う。
今の僕は、過去の僕のように、誰かを殺すために、歩み始めた。
|(了)
この小説の主人公であり語り部でもある『僕』は、いわば壊れた人間です。
壊れた人間、と言っても、それは別に決しておかしなことではないのだということを、まず初めに言っておきます。というのも、人間なんて言うのは結局、自分の主観でしかこの世界を認識することができないのだから、たとえば今見えているものが青色だったとしても、ほかの人の目にはおれは赤色に移っているのかもしれませんし、同じ青色だとしても、実際にその青色という概念、色彩自体が両者の間では別々になっているのかもしれません。
なんて、言ってみたところでそんなこともないですし、あったとしても自分の認識しかわからない自分たちからしてみたら、相手にとっての青色がどのようなものかなど関係ありませんしね。
と、どこかで聞いたことがあるような話を書かせてもらいましたが、結局筆者である私が言いたいことはただ一つ。
認識は個人特有のものなのだから、周りの人間とは違う考えを持つ人は決しておかしな人間なんかではなくて、確たる自分という存在を持った一人の人間なのだということです。
さて、では「The world is broke」でした。タイトルは何も思いつかなかったから仮名のまま流用しちゃいましたけど、内容とはあまり関係ないですよね。
では、また別の作品も読んでいただけたら嬉しいです。