追憶
この物語は鉄道擬人化小説です。静岡県にあります「大井川鐵道」の路線を人にして物語を作っています。そう言うのが苦手な方はごめんなさい。
彼のことはよく覚えていた。何時もオレの列車に乗っていたから。
初めて会ったのはいつだったか、それは覚えていない。それでも、顔を覚えるほどには乗っていた。
彼はいつも二人で行動していた。もう一人はたしか、上流のダムの工事現場のお兄さん。いつもニコニコと楽しそうに乗っていた。
だから、覚えている。
すごく、幸せそうだったから。
その彼が。その日は一人で乗っていた。
街へと向かっていた。
何故か、不安そうな表情をしていた。けれど、瞳はキラキラとしていた。
彼は、金谷駅から東海道線に乗って行った。
次の日の最終千頭行。
彼は乗っていた。
乗客は彼一人。ガタンゴトンという枕木の音が響く中、彼はボックスシートの隅っこで小さく丸まっていた。
声をかけようか。
そう思ったが、そんな勇気はなかった。
そして、終点の千頭駅に着いた。もう、すべての列車もバスも終わっている。ここからはどこへもいけない。
のろのろと列車から降りた彼は、ホームのベンチに腰をおろすと、そのまま動かなくなった。
―――どうしましたか?
オレは、声をかけた。初めて声をかけた。
彼はゆっくり頭をもたげると、大切な人が亡くなったんです、と小さな声で告げた。
その瞳は真っ赤だった。ずっとずっと泣いていたのだろう。
―――この後、どうされるのですか?
オレの問いに、彼は首をうなだれる。
オレは少し考えた。考えて考えて。
オレはこう言った。
―――よかったら、今夜、オレの家で呑みませんか?
彼は目を丸くした。そして、ふっと顔を曇らせる。
まずいことを言ってしまったか? そう思った次の瞬間、彼は突然走りだしたのだ。
え? と思った。が、すぐに彼のあとを追った。
彼は客車の陰に回りこんだ。急いで駆け込むと。
そこに、彼の姿はなかった。
代わりにいたのは、一匹のたぬき。
ゼーハーと息を切らせたたぬきは、オレの姿を見つけて、ビクリと体をこわばらせた。一歩、また一歩とオレが近づくにつれ、身体を丸くし、大きな尻尾を抱え込み、小さく小さくなっていく。
オレは立ち止まった。
不思議な気持ちだった。怒りとか呆れとかといった感情は一切なかった。何故か、奇妙な嬉しさを感じていた。
だからなのだろうか。
―――ね、一緒に呑もうよ。
怯える彼の頭を、ごくごく自然に撫でていた。
「……ああ、あれから五十年も経つのか……」
大井川は縁側で星空を眺めていた。
そのひざには、いかわが丸くなって眠っていた。
少年のような小さな身体。
すうすうという寝息。
大井川は、眠るいかわの頭を撫でる。
それに反応するかのごとく、身体に似合わず大きないかわの尻尾が、ゆうらりゆらりとご機嫌そうに揺れていた。