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濡れ衣と女の嫉妬で会社を追い出されました。私はいいですけど、後で困っても知らないですよ? ~戻って来て? いやいやご冗談を。メンタル小学生レベルの人たちと一緒に働くのはお断りです~

作者: 遠野九重
掲載日:2026/03/08

「——瀬川さんの業務姿勢について、いくつか問題が報告されています」


 宮園(みやぞの)美咲(みさき)部長は、手元の書類に目を落としながら言った。


 丁寧な声だった。

 丁寧すぎて芝居がかっている。

 学芸会で裁判長をやる小学生みたいだ。


「システム障害への対応速度について、複数の部署から改善要望が出ています。また——」


 宮園さんは一度言葉を切り、私——瀬川(せがわ)(みお)の顔を見た。


「特定の社員との私的な交流が、業務に支障をきたしているという報告もあります」


 はいはい。そっちが本題ね。


 特定の社員。

 東出(ひがしで)悠真(ゆうま)のことだろう。


 プロジェクトリーダーで、社内の人気者。

 他の女性社員によると、若手で一番のイケメンで優秀らしい。


 優秀?

 毎週システムトラブルを起こして私のデスクに駆け込んでくる人が?

「優秀」の定義、辞書で確認した方がいい。


 確かに東出さんとの接触回数は多い。

 全件、向こうからの一方的な接近だ。

 トラブルを持ち込み、ついでに雑談を始める。

 私は毎回、速やかに追い返そうとしている。


 迷惑しているのは、こっちだ。


 けれど宮園さんは東出さんではなく、私を睨んで続けた。


「部署横断的なIT管理体制の見直しが必要という判断もあり、現行の一人体制は今期をもって廃止する方向で検討しています」


 翻訳→東出くんに近づくな。消えろ。


 宮園さんは自称「東出さんの推し」。

 だがあれは推しではない。ガチ恋の暴走だ。

 その嫉妬で人を切るとは。


 精神年齢が小学校で止まっている。


「瀬川さんには自己都合退職という形でお願いできればと」


「もちろん、退職金の上乗せと有給の完全消化は保証します。ご心配なく」


 声が弾んでいた。

 隠す気もない勝利宣言。


 私は黙って出席者を見渡した。


 経理部の課長は手元の資料を凝視。

 営業の若手二人は目を伏せたまま。

 他の面々も一様に「我関せず」。


 日常的にシステムトラブルで私を頼っていた人たちだ。

 まあ、火中の栗を拾えとは言わない。


「……正直に言っていいですか」


 東出悠真が口を開いた。


 庇ってくれるのか。


「俺としても……ちょっと思うところがあって」


 違った。


「トラブルを解決してくれるのは助かるんだけど、そのあと引き留められることが多くて……」


「宮園さん、ありがとうございます。マジで感謝です」


 深々と頭を下げる東出さん。


「会社のために当然のことをしただけよ」


 宮園さんが東出さんを見つめた。

 その目にはあからさまな色があった。


 ——なるほどね。


 黙っているだけなら、まだよかった。

 自衛は社会人の基本スキルだ。


 でも、ありもしない罪を私に着せて上司に媚びる?

 それは自衛じゃない。加害だ。


「東出さん」


 私は口を開いた。


「……はい?」


「あなたが私のデスクに来た回数、サーバーの入退室ログに残っています。

 今期だけで六十七回。

 平均滞在時間は四十二分。

 そのうち業務に関わる時間は平均七分」


 会議室の空気が凍った。


「残り三十五分は、あなたの恋愛相談と週末のサッカーの話ですよ」


「いや……それは……」


「引き留めていたのは私じゃありません。あなた自身の足です」


 東出さんの口が開いたまま塞がらない。

 当然だ。データは嘘をつかない。


「宮園さん」


「……何」


「対応速度の改善要望、どの部署からですか?

 私のログでは起票から解決まで平均二時間十四分。

 業界平均の三分の一以下です。

 ——部署名をひとつ挙げてください」


 宮園さんの手が書類に伸びた。

 何も掴めなかった。


「挙げられないなら、それは報告じゃなくて創作ですよ」


 会議室が、完全に沈黙した。


「——ただ」


 私は軽く息をついた。


「辞めます」


「……え?」


「退職します。異存ありません」


 宮園さんが目を丸くした。


「あれだけ言っておいて、辞めるの?」


「ええ。まあいっか、って感じです」


 濡れ衣を着せる人間。

 嫉妬で人事を動かす人間。

 黙って見ている人間たち。


 この空間の精神年齢の平均値は、小学校の教室以下だ。


 守る価値が、ない。


「退職届は本日中に出します。

 引き継ぎ資料はサーバーの所定フォルダに格納済み。

 パスワード一覧は暗号化ファイルで共有ドライブに。

 解除キーは総務部長宛にメールで送ります」


 立ち上がった。

 いつでも辞めれるように引き継ぎ資料を用意していたけど、役に立つとは。


「サーバーの定期メンテナンスは毎月第二水曜、深夜二時に自動実行されます。

 手動で止めないでください。止めるとバックアップが走りません。

 ——ここ、テストに出ますよ」


 会議室を出た。


 自席で私物を段ボール一箱にまとめた。


 四年間いて、一箱。

 清々しい身軽さだ。


 総務でセキュリティカードを返却した。


「えっ、瀬川さん……」


 受付の女性が声を上げた。

 軽く頭を下げて通り過ぎ、ビルを出た。


 五月の風が吹いた。


 振り返らなかった。振り返る理由がなかった。


 小学生の教室は、卒業だ。



**



 退職からしばらくして——


 元同僚の佐伯さんからLINEが来た。


『瀬川さん、大変なことになってます。メールサーバーが止まりました』


 SSL証明書の自動更新だろう。

 私がcronで回していたジョブだ。

 手順書の十七ページに書いてある。


 日本語の識字率は九十九パーセントのはずなんだけどな。


 既読だけつけた。返信はしなかった。



 五日後。


 二通目。


『バックアップが三日分消えてるらしいです。

 誰かが深夜メンテナンスを手動で止めたみたいで……』


 止めるなと言った。

 全員の前で。


 テストに出るとも言った。

 全員、不合格。


 佐伯さんはさらに長文を送ってきた。


 曰く――


 私が去った後、宮園さんが最初にやったのは「IT管理のアウトソーシング検討」。

 見積もりを三社に依頼したところ、現状を視察した業者が全社辞退。


「引き継ぎ期間なしでは受けられない」


 共通の回答だったという。


 ドキュメントはある。暗号化パスワード付きで共有ドライブに。

 VPN設定の手順書もある。


 読めば辿り着ける。「読む」ができれば。



 二週間後。


 知らない番号から着信。

 出なかった。


 留守電が残っていた。

 東出悠真の声。


『瀬川さん、東出です。

 基幹サーバーが落ちて、顧客データベースにアクセスできない。

 俺のプロジェクト来週納品で……頼む、復旧手順だけでも教えてくれないか』


 復旧手順なら資料に書いてある。


 読め。


 以上、終わり。 

 留守電を削除した。



 三週間後。


 業界の知人経由で、クレセントの状況が断片的に伝わってきた。




 顧客データの一部が復旧不能、大口二社が契約打ち切り。


 セキュリティパッチが三ヶ月未適用、外部監査で情報漏洩リスクを指摘。


 急遽雇ったフリーランスが一週間で撤退。

 

 宮園部長が「前任者の引き継ぎ不備」を主張。

 人事が資料の存在を確認し、「資料はあるが読める人間がいない」と結論。




 引き継ぎ不備ではない。引き継ぎ先の不在だ。


 一人体制を四年放置し、その一人を私情で排除した結果。


 原因と結果。小学生でもわかる因果関係だ。



**



 いつまでも無職ではいられない。


 ヴェルテクス・テクノロジーズ。

 AI関連で上り調子のIT企業。渋谷の一等地にオフィスを構えている。


 面接は代表の氷室(ひむろ)蒼一郎(そういちろう)が直接行った。


 三十三歳。元インフラエンジニア。

 スーツ姿だが、指の動きに技術者の癖が残っている。


「以前、クレセントさんとの取引で瀬川さんに対応していただいたことがあります」


「二年前のAPI連携障害ですね。

 御社のリクエストヘッダーにタイムゾーン情報が欠落していて、うちのバリデーションで弾かれていた件」


 氷室さんが少しだけ目を見開いた。


「二年前の障害を覚えているんですか」


「忘れていいことと悪いことの区別はつけています」


 数秒の沈黙。

 それから氷室さんが笑った。


 技術者が技術者を認めた顔だ。


「うちはインフラ基盤の強化が急務です。

 全体を横断的に設計・運用できる人間がいない。

 瀬川さんに来ていただけるなら——インフラチームのリード。報酬は前職の一・四倍を基準に」


「前職の退職経緯は——」


「存じています」


 氷室さんは私の言葉を引き取った。


「経緯ではなく能力を見ています。

 障害対応を見たときから、いつかうちに来てほしいと思っていました」


 数値と事実に基づいた評価。

 四年間、一度も受けたことのない種類の言葉だった。



 翌月、ヴェルテクスに入社した。


 初日。隣のエンジニアが声をかけてきた。


「瀬川さんですよね。インフラのことで相談があるんですが」


 ——相談。


 前の職場では「相談」ではなく「丸投げ」だった。


 このエンジニアは自分で調査した内容をまとめたうえで、「この方針で合ってますか」と確認を求めてきた。


「合ってます。ただこのパラメータは変えてください。今の値だと負荷が偏ります」


「あ、そこ気になってたんです。助かります」


 まともだ。

 まともな人間が、まともに仕事をしている。


 この「当たり前」が四年間なかったことの方が、異常だったのだ。



 三ヶ月が経った。


 チームは四人になり、私はリードとして全体設計を担った。


 氷室さんは週次ミーティングで必ず私の意見を求めた。

 反対すれば根拠を聞き、採用するか、しない理由を説明した。


 数字と成果で動く環境。感情が人事に介入しない環境。


 それがどれほど稀有なことか、前職で嫌というほど学んでいた。




 ある火曜日の午後。


 業務メールに一通届いた。


『差出人:クレセント・ソリューションズ株式会社 人事部

 件名:【ご相談】業務委託のお願い


 弊社のITインフラに重大な問題が発生しており、社内での解決が困難な状況です。

 つきましては、瀬川様に業務委託という形でご協力いただけないか——』


 「業務委託」。


 追い出した人間に「戻ってきてくれ」とは書けないから、「委託」で体裁を整えている。


 プライドの残骸で作った包装紙。


 中身は懇願だ。


 1分で読み、2分で返信を書いた。


『お世話になっております。

 ご連絡ありがとうございます。

 大変恐縮ですが、現在の職務に注力しており、外部案件をお受けすることが難しい状況です。

 なお、引き継ぎ資料はサーバーの所定フォルダに格納済みです。

 ご確認いただければ、大半の問題は解決するかと存じます。

 御社のご状況が早期に改善されますことをお祈り申し上げます。

 瀬川 澪』


 完璧なビジネスメール。


 一文字の感情も入っていない。


 それが最も残酷な返答であることを、私は知っていた。



 同じ週の金曜日。


 SMSに知らない番号からメッセージが届いた。


『瀬川さん、東出です。

 頼む、助けてくれ。会社がマジでやばい。

 サーバーが完全に死んで、復旧できない。

 外注も全部断られた。瀬川さんにしか直せないんだ。

 俺が悪かった。

 実は宮園さんに詰められて、瀬川さんに引き留められてるって嘘を吐いたんだ。

 本当は俺、瀬川さんのことを……ああ、いや。

 一回だけでいいから助けてくれ』


 告白と謝罪を同じメッセージに混ぜるな。


 どっちも台無しだ。


 仕事に恋愛を持ち込むなと——ああ、小学生に何を期待していたんだろう。


 SMSを削除し、番号を着信拒否に追加した。




 翌朝、何事もなかったようにミーティングに出た。


「新規クライアントのインフラ要件が来ています。

 瀬川さん、設計方針の第一案をお願いできますか」


「承知しました。木曜までに出します」


「助かります」


 それだけのやり取り。


 過不足のない、信頼に基づいたコミュニケーション。


 これでいい。これが、私の仕事だ。



**



 クレセント・ソリューションズが事業停止したのは、退職から五ヶ月後のことだった。


 業界ニュースの片隅に、小さく載っていた。


『クレセント・ソリューションズ、事業停止

 ITインフラ障害に起因する顧客情報管理の不備が拡大し、主要取引先の大半を喪失——』


 昼食のサンドイッチを食べながら読んだ。

 コーヒーを一口飲んで、次のニュースに移った。


 佐伯さんの最後のLINEによれば、末期は責任の押し付け合いになり、宮園さんは全社会議で号泣したらしい。


 泣いて解決するのは小学校まで。いや、小学校でも解決しない。

 大人なら、自分のやったことの責任を取るべきだ。


 東出さんは二週間前から「心身の不調」で出社していなかったという。


 次の就職先があるといいですね。嘘をつかずに。



 その日の夕方。


 定時を少し過ぎた頃、氷室さんが私のデスクに来た。


「瀬川さん、少しいいですか」


「はい」


「来期のインフラ拡張、瀬川さんに全体設計を任せたいと思っています。

 規模が大きくなるので、増員の予算も取りました」


「ありがとうございます」

「数字を見れば当然の判断です」


 そこで一拍、いつもと違う間が空いた。


「詳細なんですが、資料だけだと伝わりにくい部分もあるので。

 もしよければ、食事でもしながら話しませんか」


 私は氷室さんの顔を見た。


 表情はいつも通り。落ち着いていて、無駄がない。


 ただ——視線の温度が、ほんの少しだけ違った。


「お断りします」


 氷室さんが微かに目を見開いた。


「仕事に恋愛を持ち込むと、ろくなことになりません」


 前の会社が丸ごと証拠だ。


「ただ、純粋にプライベートのお誘いなら、検討します」


 仕事で信頼できる人は、プライベートでも信頼できる。

 仕事に恋愛を混ぜるのは御法度だ。

 でも、仕事で知った人柄を基にプライベートの付き合いを決める——それは悪くない。


「……面白い人だ」


 氷室さんが笑った。普段とは違う、柔らかい顔。


「では、プライベートで」

「予定を合わせましょう」


 スマートフォンを取り出しながら、少しだけ笑った。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


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