第13話:終焉の数式、神理の執行
西の大地。
龍皇城を揺るがしていた怒りの魔圧が、突如として消失した。
それは静寂という名の絶望。
玉座に座る龍皇は、自らの魂に刻まれた四天王の守護印が、また一つ消滅したことを悟った。
しかも今度は、最強を誇ったヴァルガスの灯が、一点の濁りもなく真っ直ぐに断ち切られたのだ。
「……ヴァルガスまでもが、逝ったか」
龍皇の瞳には、驚愕を通り越した「未知」への戦慄が宿っていた。
武神ヴァルガスの死。
それは龍皇軍にとって、物理的な最強の矛を失ったことを意味する。
「……龍皇様。動揺は思考の毒。静寂こそが次なる解を導きます」
影から染み出すように現れたのは、豪奢な法衣を纏った痩身の龍人。
『智龍将』ナハト。
龍皇軍四天王最後の一人にして、歴代最高の知略と魔導を誇る大軍師。
彼は絶望的な状況にあってもなお、瞳の奥で無数の数式を走らせていた。
「ナハト……。貴様は、この事態をどう見る」
「極めて不合理な事象。なれど、盤面を読み違えた自覚はございませぬ。北の地には、我らの理を塗り替える『特異点』が存在する。……その因果の糸を直接断ち切りに参りましょう」
北の聖域。
月光すらも数式によって凍結されたかのような、静謐な夜。
アイゼンベルク辺境伯邸のテラスで、ゼクスが静かに眼鏡を押し上げた。
「……不合理な構築ですね。あなたの魔導は、あまりにも既存の法則に縛られすぎている」
ゼクスが虚空を指先で叩くと、そこから波紋のように幾何学的な紋様が広がった。
「既存の法則、だと? 抜かせ。我が編み出したこの『冥界の零式』は、因果律すらも書き換える究極の演算。貴様のような古びた不死者には、その解に触れることすら叶うまい」
テラスの対角に現れたナハトが、片手に持った巻物を一気に解き放つ。
刹那、周囲の空間が数千万の文字で埋め尽くされ、物理法則が剥落していく。
光は屈折の権利を奪われ、物質は存在確率を失う。
ナハトが指し示した座標を中心に、世界が「無」へと収束し始める。
「墜ちろ。『幾何学の聖域・虚数崩壊』」
それは、対象の存在そのものを「誤答」として消去する絶対的な魔導。
だが、その破滅の渦中で、ゼクスはただ静かに瞳を見開いた。
「……一千万の演算。三万の術式。そして、百二十の因果干渉。……ふむ、美しい。ですが、遅すぎる」
その瞬間、ゼクスの灰色の髪が逆立ち、眼鏡の奥の瞳が、青白く燃える魔導の深淵へと変貌する。
「計算が合わない……。不合理だ……。どうして君は、僕が提示した『死』の解を受け入れないんだ……?」
ゼクスの口調が、豹変した。
「私」という理性の仮面が剥がれ落ち、純粋な演算への狂気――「僕」という人格が表出する。
「僕の視界を、こんな稚拙な数式で汚さないでよ! 君の構築は、一文字目から間違っているんだ!!」
ゼクスが両手を広げる。
彼を中心に展開されたのは、ナハトのそれを遥かに凌駕する、神の領域の魔導回路。
「書き換えるよ。君の存在、君の過去、そして君の信じる『正解』まで。――『神理執行・超越する虚数』」
ナハトの放った「虚数崩壊」が、空中で静止した。
いや、静止したのではない。ゼクスの圧倒的な演算能力によって、術式の所有権が力ずくで奪われ、逆にナハト自身を裁く刃へと変換されたのだ。
「な……!? 馬鹿な、我が術を上書きしたというのか!? 脳が……演算が追いつかん! 何だ、この密度は!!」
ナハトの鼻から鮮血が伝う。
知略を誇る彼の脳が、ゼクスが流し込んだ「無限」の解に耐えきれず、焼き切られようとしていた。
「答えは提示した。あとは君が、消えるだけだ」
ゼクスが虚空で指をパチン、と鳴らす。
次の瞬間、空間そのものがナハトを拒絶し、この次元から彼を「抹消」した。
静寂が戻る。
ゼクスは乱れた呼吸を整えると、再び「私」という仮面を被り、眼鏡の位置を直した。
「……不合理ですね。一分もかかってしまった。……アルド殿が見守るこの静寂を、これ以上汚させるわけにはいきません」
ゼクスは、懐に忍ばせたアルドお手製のお守りにそっと触れた。
世界を再構築するほどの神理を振るった後だというのに、彼の心には、ただ家族と過ごす平穏への渇望だけが残っていた。
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