第5話:龍皇の眼、聖域の灯
西の大地。
空すらも紅蓮の雲に覆われた「龍皇城」の玉座の間。
一万二千の軍勢が、たった数分で全滅したという報せは、沈黙をもって迎えられた。
「……消えたか。一兵の生還も、一言の魔力通信も残さず」
玉座に深く腰掛けた男――西の魔王、龍皇が低く呟く。
その瞳は縦に裂け、漏れ出る魔圧だけで周囲の空気は真空へと変わる。
彼にとって、一万の兵など路傍の石に等しい。
だが、その石を一瞬で粉砕してみせた「北の力」には、無視できない興味を抱いていた。
「東の敗残兵どもを追った先に、これほどの伏兵がいたとはな。バロールめ、死に花を咲かせる場所として『北の氷壁』を選んだか」
龍皇は、傍らに控える巨影へと視線を向けた。
「……ガルドス。貴様が行け。四天王の名に懸けて、その『不純物』の正体を暴き、焼き払ってこい」
闇の中から、禍々しい漆黒の鱗を纏った大男が歩み出る。
西の四天王が一人、黒龍将ガルドス。
「御意……。北の偽りの平穏、我が炎で灰に帰してご覧に入れましょう」
龍皇の命を受け、災厄の先触れが北へと羽ばたいた。
その頃。
世界を揺るがす軍事衝突の震源地から帰還した四天王たちは、村の入り口で魔力を完全に断ち切っていた。
先ほどまで一万の命を屠った化け物たちは、アルドのログハウスの扉を控えめに叩く。
扉が開き、エプロン姿のアルドが顔を出す。
「……アルド殿、ただいま戻りました」
ゼクスが眼鏡を正し、冷徹な仮面を維持しながら告げる。
「マスター…… 某、任務を全ういたしました」
シオンが青いポニーテールを揺らし、真っ直ぐな瞳でアルドを見上げる。
「お帰りみんな。……遠くの知人の方は大丈夫だったかい?」
「ええ、彼らはお掃除を完璧に終わらせてきましたわ。不浄なものは、何一つ残さず」
家の奥から出てきたミラが愛おしそうに微笑む。
「それは良かった。さあ、立っていないで入りなさい。今日はカイルとリナも手伝ってくれて、特製の猪肉シチューが煮えてるんだ」
家の中に入ると、薪ストーブの柔らかな熱気と、芳醇なスパイスの香りが一行を包み込んだ。
「お兄さん、お皿並べ終わったよ!」
「アルドお兄さん、パンも焼けた!」
カイルとリナが、駆け寄ってくる。
夕食の席。
シオンはアルドの隣をちゃっかり確保し、彼から「よく頑張ったね」と頭を撫でられると、小柄な体を小さく丸めて「かたじけない……」と小さく笑みを浮かべる。
ゴルドは「アルド殿のメシは世界一だぜ!」と豪快に肉を頬張り、ベラドンナはリナに裁縫のコツを教えながら、優しく微笑んでいる。
「……アルド殿」
ゼクスがシチューを一口運び、思わず呟く。
「この……穏やかさは、計算では導き出せませんね。不合理だ。だが、不思議と悪くない」
アルドはそんな彼らを眺めながら、ふと窓の外、遠い西の空を見つめた。
「……少し、風が焦げ臭いかな。カイル、明日は『黒曜』の手入れを念入りにしなさい。リナも、薬草の準備を少し多めにしておくといい」
何気ない指示。
だが、その言葉には、龍皇の刺客が放つ殺気を遥か彼方で察知した「最強」の予見が込められていた。
「……はい、お兄さん!」
二人の元気な返事が響く。
一万二千を葬った四天王と、伝説の勇者、聖女、そして真祖。
それらを家族として束ねる、無名の剣聖。
北限の聖域に、最強の家族団欒が続いていく。
西から迫る黒い影が、その平和な灯を消そうと牙を剥いていることも知らずに。
いや――彼らにとって龍皇の来襲など、明日の朝食の献立を決めるよりも些細な問題に過ぎないのだった。
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