【幕間:月下の円舞曲、運命の歯車】
アイゼンベルク辺境伯爵邸(魔王城)の中庭は、月明かりを反射する白銀の石畳によって、まるで異世界の舞台のように照らし出されていた。
「……参るぞ、アルド殿。構えよ!」
先代魔王――ミラが「お父様」と呼ぶその男が、一瞬でその場の空気を支配していた。
彼が放つ覇気は、周囲の木々を震わせ、大気を重く沈ませる。
しかし、対峙するアルドはどこまでも自然体。
腰に下げた魔剣『黒曜』にそっと手をかけ、静かに息を吐く。
「……はい、お相手よろしくお願いします」
その直後、先代魔王が地を蹴った。
神速の踏み込み。
一国の軍隊を壊滅させるほどの威力を持った鋭い突きが、アルドの喉元を狙う。
しかし、アルドはわずかな身のこなしでそれを回避すると、漆黒の刃を抜き放ち、流れるような動作で打ち返した。
キィィィィィィン!
夜の静寂を切り裂く、澄み渡った金属音。
そこから始まったのは、戦いというにはあまりに幻想的で、あまりに美しい「円舞曲」
先代魔王が繰り出す、苛烈なまでの剣戟。
それをアルドは、最小限の動きで、まるで夜風と戯れるように受け流し、あるいは紙一重でかわしていく。
漆黒の魔剣と先代の銀剣が交差するたび、火花が散り、月光を反射してキラキラと中庭に舞い落ちる。
それを見守っていたミラの瞳は、いつの間にか釘付けになっていた。
(……なんて、綺麗なのかしら)
これまでのミラにとって、アルドの評価は「驚くほど強くて、とても純朴で優しい人」だった。
けれど、月光の下で真剣な眼差しを向け、先代魔王と渡り合う彼の姿は、どこか神々しく、目を逸らすことさえ許さないほどに魅力的で……。
恐怖や驚きを超え、ミラの心には言葉にできない、熱い「何か」が芽生え始めていた。
しかし、その「円舞曲」は唐突な終焉を迎える。
先代魔王の鋭い斬り下ろしに対し、アルドが「薪を割る」時のように、真っ直ぐに剣を振り下ろしたその瞬間……
メキィッ!
という不吉な断裂音が響き渡る。
「――っ!?」
アルドの規格外の怪力に耐えきれず、先代魔王の愛剣が半ばから粉々に砕け散った。
そして、その折れた刃の鋭い破片が、凄まじい速度で弾け飛び……
その先には、うっとりと二人を見守っていた無防備なミラの姿があった。
「ミラさん!!」
アルドの声が響くと同時に、彼は自身の防御を完全に捨てて跳躍した。
ミラの視界が、瞬時にアルドの背中で覆い尽くす。
ガキンッ!
鋭い刃の破片はアルドの右肩を深く切り裂き、背後の石壁に突き刺さった。
「……あ」
ミラは呆然としていた。
自分の不注意で、彼を傷つけてしまったからだ。
アルドがゆっくりと振り返える。
その右肩からは鮮血が滴り、彼の服を赤く染めていた。
「アルド様! 肩が……! どうして、ワタクシなんかのために……!」
ミラの声は震え、瞳には涙が浮かんでいた。
自分の失態、そして彼を傷つけた申し訳なさで胸が押し潰されそうになる。
しかし、そんな彼女を安心させるように、アルドは少し顔をしかめながらも、ふんわりと柔らかい、いつもの優しい笑顔を浮かべていた。
「……あ、本当だ。いててて……。でも、よかった」
アルドは左手で傷口を軽く押さえ、ミラの瞳を真っ直ぐに見つめて言った。
「ミラさんを守れて、本当に良かった」
その瞬間……
――ドクンッ。
ミラの心臓が、耳の奥まで響くほどの大きな音を立てて早鐘を打ち始めた。
顔が、火を噴くように熱い。
ただ「強い人」だと思っていた。
ただ「良い人」だと思っていた。
けれど、自分の傷を顧みず、ただ自分の無事を喜んでくれるこの青年の笑顔が、今のミラの目には、世界の何よりも尊い宝物に見えている。
(な、なんですの……この、胸の苦しさは……。心臓が、止まってしまいそうですわ……)
今まで感じたことのない、甘くて切ない衝撃。
アイゼンベルク辺境伯爵家の令嬢――否。魔王ミラが、生まれて初めて、そしておそらく最初で最後の「恋」という名の、解くことのできない魔法にかけられた瞬間だった。
「ミラ……」
背後で、折れた剣を手に呆然とする先代魔王が声をかけましたが、今のミラの耳には届かない。
ただ、目の前で自分を庇って笑う、この愛おしい青年のことしか考えられなくなっていた。
「アルド様……ワタクシ、ワタクシは……っ」
ミラは真っ赤になった顔を隠すように俯き、アルドの袖をぎゅっと握りしていた。
月明かりの下、恋を知った魔王と、無自覚な救世主の物語が、ここから大きく動き始める。
もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想などをいただけると執筆の励みになります! よろしくお願いいたします




