第3章:公爵令嬢、泥にまみれる。不器用な手で紡ぐ農業の第一歩
翌日から、私は廃屋の裏手に広がる荒れ地で作業を始めた。
公爵令嬢にふさわしいのは、レースとフリルに飾られた華やかなドレスに身を包み、優雅にティーカップを傾ける姿だろう。しかし今の私にそんなものは無縁だ。馬車で運ばれてきた簡素な木綿の服に身を包み、使い込まれたスコップとクワを手に、私は土を耕し始めた。
土は硬く、石だらけで、粘り気があった。前世で本を読んだり、庭で少し土をいじったりした経験とはまるで違う。鍬を振り下ろすたびに、腕には激痛が走る。まともに農作業などしたことがない身体は、すぐに悲鳴を上げた。数分もすれば息が上がり、汗が噴き出す。
「はぁ、はぁ……っ!」
それでも、私は諦めなかった。前世の知識を総動員する。
「まずは土壌改良から。堆肥を作って、土を柔らかく、栄養豊富なものに変えるのよ」
堆肥。そうだ、前世の記憶にあるのは、落ち葉や生ゴミを混ぜて微生物の力で発酵させること。この村には、幸いにもたくさんの枯れ草や、家畜の糞がある。私は、廃屋の隅にそれらを山積みにし、毎日水をかけ、混ぜ合わせた。発酵熱で湯気が立ち上る様子は、初めて見る私にとって、小さな感動だった。
次に、水路の整備だ。この村は水はけが悪く、雨が降るとすぐに水浸しになるかと思えば、少し日が続くとカラカラに乾いてしまう。水資源の有効活用が必要だった。私は記憶を辿り、簡単な灌漑設備のアイデアを思いついた。近くの小川から畑に水を引くための小さな溝を掘り、雨水を貯めるための簡単な貯水槽を木材と粘土で作る。
作業は困難を極めた。スコップは重く、腕は棒のようだ。粘土質の土は水を吸うと重くなり、少し掘り進めるだけで全身泥だらけになる。顔にも、髪にも、全身に泥が跳ね、もはや公爵令嬢としての面影などどこにもない。
「うう……っ、これじゃあ、本当に泥人形だわ」
笑ってしまうほど、無様な姿だった。でも、不思議と嫌ではなかった。むしろ、自分の手で何かを作り出しているという実感は、王都で暮らしていた頃にはなかった、新鮮な喜びを与えてくれた。
村人たちは、私を遠巻きに眺めていた。毎日、朝から晩まで泥まみれになって土をいじる私の姿は、彼らの目には奇異に映っただろう。誰も手伝いに来ようとはしない。それどころか、好奇の目を向けられるだけだった。
「あの子、一体何をしてるんだろうねぇ?」
「都会のお嬢様が、泥なんか触って……どうかしたのかい?」
そんなひそひそ話が聞こえてくる。
それでも、一つだけ変化があった。
村の子供たちが、こっそり私の作業を覗きに来るようになったのだ。特に、ひときわ好奇心旺盛そうな、くりくりとした目をした小さな女の子がいた。リリー、と呼んだだろうか。彼女は毎日、畑の隅っこから、じっと私の手元を見つめている。私が振り向くと、慌てて物陰に隠れるのだが、すぐにまたひょっこり顔を出す。
そして、カインだ。
彼は、私が泥まみれで畑を耕す様子を、時折、遠くからじっと観察していた。その目は相変わらず警戒心に満ちているが、以前のような冷たい嫌悪感は薄れているように感じた。彼が何かを口にすることはないが、その視線は、私が作業をする中で、いつしか唯一の目撃者となっていた。
「見てなさい。きっと、私はこの土地を変えてみせるわ」
誰に聞かせるでもなく、私は土に向かって呟いた。泥まみれの掌を眺め、新たな決意を固める。今はまだ、この荒れ地で一人戦う私だが、いつかきっと、この手でこの大地を豊かにしてみせる。それが、私がこの世界で生きる道であり、私の存在意義なのだから。




