第12話 さざなみ
剣がぶつかる音が途切れた。
誰かの叫びも、
走る足音も、
いつの間にか聞こえなくなっている。
アルはそれにしばらく気づかなかった。
周囲を見回してようやく分かった。
動いているのは味方だけだった。
辺りはひどい有様だった。
倒木。折れた矢。踏み荒らされた地面。
血の色だけがやけに鮮やかに残っている。
損害は大きい。
数を数えずとも明らかに減っていた。
ヴァルは無事だった。
否。
無事というよりむしろ楽しげだった。
鎧に血を浴び、剣先から赤を滴らせながら、
最後まで前に出て敵を斬っていた。
息は乱れていなかった。
口元にはいつもの薄い笑みが残っていた。
戦が終わった今もその気配は変わらなかった。
アルは少し離れた場所に立っていた。
全身が血に濡れていた。
自分のものか、敵のものかは分からない。
剣を持ったままただ静かにそこに立っていた。
肩は上下していなかった。
視線も揺れていなかった。
まるで、
戦場だけが先に終わって、
自分だけが取り残されたかのようだった。
ヴァルがアルの方へ歩み寄ろうとした。
その瞬間だった。
「……お、お待ちください!」
嗄れた声が割って入る。
振り向くと一人の兵が立っていた。
少し前までアルが助けたはずの男だ。
剣をアルの方へ突き出しているが腰が引けている。
全身が震えている。
「危険です……!」
喉を絞るような声だった。
「近づかないでください……あれは……」
言葉が詰まる。
歯が小刻みに鳴る。
「……人間じゃありません」
場の空気が、わずかに凍った。
兵たちの視線がゆっくりとアルに集まる。
警戒。
戸惑い。
そして、恐怖。
誰もすぐには口を開けなかった。
だがやがて低い声が漏れる。
「……確かに……」
別の兵が喉を鳴らす。
「あの戦闘力は……なんだ……?」
先ほどの光景を思い返すたび、兵たちの中で同じ違和感が言葉にならないまま増幅していく。
視線が自然とアルに向く。
アルは黙っていた。
血に濡れた剣を下げたまま動かない。
息も、表情も、変わらない。
その目は冷えていた。
怒りもない。
困惑もない。
拒絶もない。
ただ相手を見ているだけだ。
兵の震えも、
言葉も、
恐怖も。
そこには映っていないようだった。
ガウェインが一歩前に出た。
ヴァルとアルの間に静かに体を入れる。
「すまぬが――」
低い声だった。
「ヴァル様にこれ以上近づかせることはできない」
ヴァルを守るように背にしてアルを警戒する。
その様子をヴァルは不機嫌そうに眉をひそめて睨むが、ガウェインは一歩も退かなかった。
「少年の力ではありません」
低い声だったがはっきりと響いた。
「剣の扱いにあまりにも無駄がない。それにいくら訓練された兵でもここまで冷静に対処できる程の者は少ない」
アルから視線を外さない。
「この少年には何もない。乱れも躊躇も余韻すら残っていない」
一拍。
「農村の子どもが身につける動きではありません。戦場で初めて剣を振った者の目でもない」
どんどんと目つきが鋭くなる。
「どこかで鍛えられた暗殺者か、それに近い何かでしょう。少なくとも――」
ガウェインはきっぱりと言った。
「危険な存在であることは間違いありません」
沈黙が落ちる。
ガウェインは一度だけヴァルを見た。
「どこの勢力かはまだわかりませぬが刺客です」
再び前を向く。
「今は距離を取るべきです」
その言葉を、低い声が遮った。
「ガウェイン」
「はっ!」
即座に応じる。
腰の剣に手がかかる。
抜いてはいない。
だが、いつでも抜ける位置だった。
アルから視線を外さない。
一歩も引かない構え。
「ガウェイン」
再び名を呼ばれる。
今度は、はっきりとした怒気が混じっていた。
「キサマ――」
一瞬で場の空気がさらに張り詰める。
「でしゃばるなよ」
抑えた声だった。
だが怒りは隠していない。
ガウェインの指がわずかに止まる。
それでも剣からは離さなかった。
「……しかし」
言いかけた言葉を遮るように、
「聞こえなかったか?」
ヴァルの声が重なる。
「忠告じゃないぞ。命令だ」
一歩、踏み出す気配。
「下がれ」
短い言葉だった。
ガウェインは歯を食いしばった。
一瞬だけ迷いが走る。
それでもその場を譲らない。
「御身の安全を最優先に」
言い切る。
「それが私の役目です」
沈黙が落ちた。
ヴァルは一度だけ深く息を吸った。
胸がゆっくりと上下する。
吐き出す息は長い。
苛立ちを押し殺すように。
感情を戻すための呼吸だった。
そして――
指を伸ばした。
一直線に。
迷いなく。
アルを指差す。
「あいつは――俺のものだ」
低い声だった。
だが一言一言が刃のように鋭い。
場の空気が凍りつく。
「俺のものに手を出すなら」
視線がゆっくりとガウェインに向く。
「いくら忠臣のお前でも斬り殺す」
冗談ではない。
脅しでもない。
事実を述べているだけの口調だった。
兵たちの背筋が粟立つ。
誰もが理解していた。
この男は本当にやる。
ガウェインは動かなかった。
だが喉がわずかに鳴る。
ヴァルは一歩、前に出た。
「そもそもだ」
声が低くなる。
「あいつは俺が拾った」
短く言い切る。
「進路を変えたのも俺だ。森に入ると決めたのも俺だ」
視線を外さずに続ける。
「偶然、森の前にいたあいつを拾った」
肩をすくめる。
「刺客が紛れ込むならもっと簡単なやり方がある」
笑みが歪む。
「俺の行く先を知っている連中など掃いて捨てるほどいる。正面から来る馬鹿もいれば裏から刺そうとする小賢しいのもいる」
鼻で笑う。
「だがな」
声が落ちる。
「刺客だと? 笑わせるな。そんな都合のいい話があるか――俺を狙うなら、もっと簡単に紛れ込めたはずだ」
指を下ろす。
そして一言。
「下がれ、ガウェイン」
命令だった。
選択肢はない。
その言葉にガウェインの表情がわずかに歪んだ。
剣にかけていた指がゆっくりと緩む。
一瞬。
ほんの一瞬だけ迷いが走った。
それでも主を守るべきか。
命令に従うべきか。
その葛藤が指先に滲む。
やがて――
ガウェインは剣から手を離し深く一礼した。
「……失礼いたしました」
絞り出すような声だった。
顔は上げない。
だが、背中は微動だにしない。
忠義と疑念を、そのまま抱えた姿勢だった。
ヴァルはその様子を見て満足そうに一度だけうなずいた。
それ以上何も言わない。
もうこの話は終わりだと言うようだった。
そしてアルへと歩み寄る。
血の匂いの中をためらいなく。
距離が詰まる。
兵たちが思わず息を呑んで見守る。
「さて」
声はいつも通り軽い。
「お前は俺の元へ来い」
命令でも勧誘でもない。
当然の前提として告げる口調だった。
「やってほしいことがある」
アルは答えなかった。
視線も動かさない。
剣を持ったままただ立っている。
拒否も、肯定もない沈黙。
ヴァルはそれを気にも留めず続けた。
「ドゥルガンへの復讐だとか、そんな小さいことはさせん」
鼻で笑う。
「そんなもの、俺の手駒を使えばいくらでも潰せる」
一歩、さらに近づく。
「お前にやらせるのは、もっと厄介で――」
口角が上がる。
「もっと面白いことだ」
アルはまだ何も言わない。
ただその目だけがわずかに動いた。
「俺はこの世界を壊そうと思ってる。その手伝いをしろ」
低く、迷いのない声だった。
その言葉にアルの指先がわずかに動いた。
世界。
悪いのはこの世界だ。
家族を奪ったのも。
何もかもを壊したのも。
ミアを、酷く苦しめたのも。
全部――この世界。
もう二度と動くことはないと思っていた心に、
小さなさざなみが立つ。
波紋は広がらない。
だが、確かに揺れた。
アルは初めてはっきりとヴァルを見た。
血に濡れた鎧。
荒っぽい立ち方。
どこか無鉄砲そうで、
それでも目の奥には妙な確信が宿っている。
いかにもヤンチャそうな――
それでいて、あどけなさをまだ残した青年だった。
考えたわけではなかった。
ただ、その言葉が自然に零れた。
「承知しました」
自分でも驚くほど静かな声だった。
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