コワい話 天袋
3300字のショートホラー
「あの、山田係長よろしいですか?」
「ん?近藤くん、どうした?」
「ちょっと、お話があるんですが」
私に声を掛けてきたのは近藤茂人だった。
今年の4月採用、半年の研修を終えて、私の課に配属されたばかりの新人だ。
私、山田泰介は係長として近藤の教育係を務めている。
-嫌な予感しかしないな。
新人が仕事を始めてすぐに「話があります」なんて言い出すのは大体「仕事が合わない」とか、どうかすると「もう辞めたい」といったものだ。
-さて、どうするか。
近藤は優秀で、配属されたばかりなのに呑み込みが早いし応用も効く。
-辞めたいというような話なら、腹を割って話をしてみなきゃならないか。そうだな、酒でも勧めてみるか。
私は伏し目がちに言葉を待っている近藤を見ながら、そんな考えを悟られないように、努めて普通の表情を作った。
「なにか相談か?大丈夫だよ。じゃ、えっと、第2会議室で話そうか」
私はホワイトボードに目をやって会議室の使用予定を確認し、念のため総務に電話を入れ、第2会議室の使用を伝えた。
第2会議室はプロジェクタと会議机が置かれているが、10人程度しか入れない小会議用だ。
「さ、そこに座って」
私は会議机の真ん中に座り、近藤を正面に座るよう促した。
そんな状況に近藤は少し戸惑ったのか、ゆっくりと椅子を引きながら言った。
「山田係長、ぼく、そんな大げさな話をしたいわけじゃないんですけど」
「え?」
私は少々拍子抜けしてしまった。
近藤の表情は明らかに曇っていたし、何か悩んでいるとすれば時期的には仕事関係だろう。あるいは同僚や上司との人間関係か、どちらにしても仕事を始めたばかりの新人にとって、それほど小さなことであるはずはない。
私は逆に真剣な表情を作った。
「いや、君が小さいことだと思ってても、会社にとっては大きなこともあるんだよ?」
「それは分かります。もし僕が”今すぐ辞めたい”とか言い出したら、まだ仕事のイロハも分かってないのに、とか、まだ会社に貢献してないだろ?とかなりますもんね」
-うん、よく分かってるじゃないか。
私はホッとした。
新人の研修には金が掛かる。近藤の言うとおり、すぐに辞められればその金は無駄にしかならないということだ。しかも近藤は優秀、辞めさせたくない。
自分でも表情が緩んだのを感じながら、私は話を切り替えた。
「で?何の話?仕事とか何かの不満とかの話じゃなければ、う~ん、彼女とか?」
「いやいや!そんな彼女とか、そりゃいればいいですけど、係長には話しませんよ!」
私は大げさに苦笑いの表情を浮かべた。
「そうかそうか、じゃ、なんなんだ?」
「実は、独身寮のことなんです」
独身寮と聞いて、私は思いを巡らせた。私自身も数年間住んでいたからだ。
我が社はそれほど大きな会社ではないが、業績はとてもいい。優秀な人材が育っているからだ。業種が技術系なのも関係しているのだろうが、会社は人材育成に時間と金を惜しまない。
そんな会社の方針からか、我が社の独身寮はとても充実している。男性用と女性用、会社から歩いて5分くらいのところに1DKの寮があるのだ。
しかも家賃は共益費込みで2万円弱と格安、数年前にリフォームして室内も綺麗だし、ずっと独身で住み続けてるヤツもいる。
「懐かしいな、独身寮、ずいぶん綺麗になったし、そばにコンビニもあって住みやすいだろ?それで、独身寮がどうかしたのか?」
「はい、あそこ、リフォームしてますよね。3年前くらいですか?」
「ん、そうだな。築年数はかなりだから、外壁を塗装して、室内も風呂やキッチンを新しくして、フローリングも張り替えてるはずだぞ?」
「押し入れとかは、どうですか?」
「押し入れかぁ、引き戸とかは替えてるんじゃないか?昔は襖だったと思うが?」
「引き戸は合板になってますから、ホントにぜんぶやってるんですね」
「そうだな」
-あのころか・・・懐かしいな。
「それで、いったい何が聞きたいんだ?」
「はい、ぼくの部屋もすごく綺麗で、すぐに気に入ったんですけど、ぼく、結構綺麗好きで、やっぱり前の人の何かがあると嫌なんです。それで入居してすぐ、隅から隅まで掃除しました。それこそ靴箱の中や風呂場の排水口まで・・」
近藤の話を聞きながら、私は「あのころ」のことを思い出していた。
-背中まで伸びた髪が綺麗な娘だった。
私には当時、彼女がいた。そして、よく私の部屋に来ていたのだ。
もちろん規則違反だけど。
-彼女とは、ほとんど同棲だったなぁ。
-でもあのとき・・・
「係長、聞いてます?」
私は近藤の声にハッとした。20年近く前の記憶が蘇って、ぼんやりしてしまったようだ。
「おぉ、すまん。それで?」
近藤は一瞬訝し気な表情を見せたが、すぐに話を続けた。
「はい、その掃除の最中、見つけたんです」
「見つけた?」
「はい」
近藤は何を見つけたのか言い淀んでいる。いや、言葉を選んでいるようだ。
「えっと、ちょっと言いにくいんですけど、髪の毛なんです」
「髪の毛?そりゃ何人も住んでるんだから、髪の毛くらい落ちてるだろ」
「いや!違うんです。髪の毛は髪の毛でも、女性のなんですよ」
「ん~、そりゃあ独身寮は若いのが入るからなぁ。彼女を連れてくるのもいただろう。もちろん規則違反だぞ?でも、そんなことが気になるのか?」
私の表情には嘲りのようなものが浮かんでいたに違いない。そんなつまらないことを言うためにわざわざ、というような。
近藤はそれに気が付いたのか、語気を強めて、そして矢継ぎ早に言った。
「係長、そんなの、髪の毛が一本や二本落ちててこんな話するわけないじゃないですか」
「係長、その髪の毛って、どこで見つけたと思います?」
「係長、いいですか?」
「ぼくが女性の髪の毛を見つけたのは、天袋の中なんですよ!」
天袋、若い近藤の口から聞き慣れない単語が飛び出して、私は確認を入れた。
「天袋って、あの、押し入れの上の・・か?」
「そうですよ、踏み台でもなければ届かない、あの天袋です。しかも、しかもですよ?」
近藤は少し興奮した様子だった。
声が大きくなる。
「その髪の毛は一握りの束で、天袋の一番奥の壁に、貼り付けてあったんです!!」
私は言葉を失った。そして、ある光景が目の前に浮かんだ。
あの日、私は彼女と激しい口論になった。彼女が私の浮気を疑ったからだ。
実際、私には心当たりがあったから、謝って取り成すこともできただろう。
でも私はそうしなかった。
それどころか、激しく私に詰め寄る彼女を殴ってしまったんだ。
なぜ殴ってしまったのか、今はもう、よく覚えていない。
いつもはおとなしく、自分に従順だと思っていた彼女に激しく罵られたからか。
自分のプライドを傷つけられたと思ったからか。
とにかく私は、彼女を殴った。
美しい栗色の長い髪を掴んで、何度も。
何度も。
彼女は叫んだ。
目を腫らし、口から血を吐きながら・・
「許さない、許さない・・ゆるさない・・ゆるさないゆるさないゆるさない」
「ぜったい」
泣きながら・・自分の・・栗色の髪を掴みながら。
私は最低な男だ。
思い出したくなかった。
私が掴んだ栗色の長い髪の感触が、両手に蘇った。
その後、彼女がどうなったのかは知らない。
私自身が、彼女の記憶のほとんどを消し去ったからだ。
「たいすけくん、顔色悪いよ?どうしたの?大丈夫なの?」
近藤がつぶやいた。
声が小さい、しかも・・たいすけくん・・
「あ、うん、大丈夫だよ」
嘘だった。
私の顔は、間違いなく青ざめている。
近藤の口調は、まるで女性のようだ。
そして、聞き覚えがある。
「こ、近藤くん、その髪の毛は、どうした・・の?」
「あのね」
近藤はゆっくりと、背広の内ポケットから髪の毛の束を引きずり出した。
長い。
近藤の体内から何かが這い出ているように見えるほど、長い。
栗色の髪の毛だった。
近藤は無表情に言った。
「これ、ワタシの」
「ワタシと、たいすけくんの、203号室の」
203号室。
私と「彼女」の部屋だった。
私は目を閉じた。
髪の毛が、両手にさらさらと落ちる。
手首に、肘に、肩に、首に・・髪の毛が、這い上がってきた。
そして私の耳まで。
「ゆるさない」
耳元で、彼女の声が聞こえた。
コワい話 天袋 了