第5話:奇跡の花びら
もう夜だった。村のみんなはすでに眠っていて、リーフは自分の部屋で寝ようとしていた。
二日前、森でシオリと向き合おうとした。でも、あの時——
彼女は俺を責めるどころか、感情的に支えてくれて、自分を受け入れる手助けまでしてくれた。
あれ以来、彼女の近くにいると落ち着かない。
あんなに弱い姿を見せたのが恥ずかしくて、どうしても意識してしまう。
彼女がこっちを見ていることに気づくと、すぐに目をそらしてしまう。
恥ずかしさと、よく分からない不安。こんなふうに俺のことを理解してくれる人なんて、他にいなかった。
今、彼女は隣のベッドで寝ている。
そこは、かつて妹が使っていたベッドだった。
じっと見つめてしまう。
寝顔が、すごく穏やかで——
寝てる時、こんなに可愛いなんて……
いやいや!そんなこと考えるな、俺!
頭の中が彼女のことでいっぱいになる。否定しようとしても、どんどん浮かんでくる。
俺の方が年上だろ……
いや、精神的にはあいつの方がずっと大人だけど。見た目はまだ完全に子供じゃないか……
そんなことを考えているうちに、シオリが少し動いた。
やばい、と思って慌てて目を閉じて寝たふりをする。
「……? もう時間か」
彼女があくびをしながら起き上がる。
「ねぇ、リーフ。起きてる?」
名前を呼ばれて、起きたふりをしながら彼女を見る。
「……どうしたの?」
「一緒に来てほしいの」
予想外の言葉に、少し驚く。
……行く? どこへ?
シオリは小さく微笑んで、こう言った。
「村の外。見せたいものがあるの。」
...
リーフとシオリは森の中を一緒に歩いていた。 誰にも見つからないように、村人やリーフの両親に気づかれないように、こっそりとどこかへ向かっている。
歩きながら、リーフは数日前のことを思い出さないように、必死で頭を切り替えようとしていた。
そんな彼の様子を見て、シオリが口を開く。
「そんなに恥ずかしがらなくていいよ。もう終わったことなんだから」
リーフは顔を赤らめて、話題を変えようとする。
「なあ、お前さ……なんで世界を旅してるんだ?」
「ん? え、もう言わなかったっけ? 知識を探すためだよ」
まるで誰にでも当然のことのように、さらっと言う。
「いや、それは知ってるけど……なんで知識を探すの?」
「全部を知りたいから」
その言葉にリーフは驚く。 全部を……? それだけのために?
「でも……全部知ってどうするの?」
シオリは指を顎にあてて、少し考え込んだ。
「んー……人って、ただやりたいからやるってのも、ありじゃない?」
その答えは、どこか空っぽに感じた。 本当に、それだけが理由なのか?
「それが……私の生きる理由なの。 昔は、生きてる意味なんて何もなかったんだ」
リーフは黙ったまま耳を傾ける。その言葉が、どこか他人事に思えなかった。
「でも、誰かが私に理由をくれたの。 それが私の全部になった」
「……」
「人のこと、自分のこと……いろんなことを学んだ。 自分を許すことさえ、少しはできるようになったんだよ」
――まるで、自分の話みたいだった。 でもきっと、彼女の方がずっと深い何かを乗り越えてきたんだ。
「――あっ、着いたよ」
シオリが少し弾んだ足取りで前に進むと、遠くに光が見えた。
なんだ……あれは?
リーフがそう思った瞬間、光の正体が見えた。
小さな滝のそばに、一輪の花が咲いていた。
---
その光の正体を知ったとき、リーフは驚いた。
それは、かつて「奇跡の花」と呼ばれていたものによく似ていた。
「これって……」
「ここでは“奇跡の花”って呼ばれてる。見た目はただの野花だけどね」
花びらは、少しずつその輝きを失っていった。
「でも、二百年に一度……」
ふわりと、花びらが空へと舞い上がる。
「……こうして、光を解き放つんだ」
辺り一面が淡い水色の光に包まれた。
まるで現実とは思えないほど幻想的な光景だった。
あまりの美しさに、リーフは息を呑んだ。
シオリは、空を舞う花びらのひとつをそっと両手で受け止めた。
それは、まるで宙に漂う蛍のように、優しく光っていた。
「はい、君にあげる」
リーフはその輝く花びらを受け取り、興味深そうに見つめた。
「この花びらはね、幸運を呼び寄せたり、時には奇跡を起こすこともあるんだって」
その言葉に、リーフは目を見開いた。
いつもありふれた花だと思っていたけど――実は特別な存在だったなんて。
――姉さんは、この花が大好きだった。
特別に綺麗というわけじゃない。ただ、見ているだけで心が落ち着くって、そう言ってたっけ。
その記憶を思い出しながら、リーフは静かに問いかけた。
「ねぇ……姉さんって、いつか……戻ってくると思う?」
答えのない問いだと分かっていた。
それでも、どうしても聞きたかった。
シオリは、空に舞う花びらを見つめながら答えた。
「……可能性はあるよ。
遠く離れた場所から戻ってきた人の話も、聞いたことあるから」
「……」
「でも、簡単じゃない。たくさんの困難があって、何年もかかるかもしれない」
リーフはうつむいた。
望んでいた答えではなかったけど……それでも、信じたいと思った。
姉がきっと帰ってくると、信じたかった。
「だったらさ……奇跡を待つより、自分で起こした方がいいんじゃない?」
その一言に、リーフは息を呑んだ。
まさか、それって……。
「……僕が、姉さんを探しに行くってこと?」
「君じゃなくてもいい。でも……それが、君自身にとっても、彼女にとっても、一番いい方法なんじゃないかな?」
やっぱり、そうだった。
彼女は、リーフ自身が姉を救うべきだと、そう言っている。
「でも……どうやって? 僕は弱いし、怖がりだよ」
シオリは両手で彼の頬を包み、まっすぐに見つめた。
「今はそうかもしれない。
でも――君は強くなれる。体だけじゃなくて、心もね」
「……でも、どうすれば……?」
「いつも心に問いかけて。“なぜ強くなりたいのか”って、その理由を」
――“なぜ、強くなりたいのか”。
その言葉の意味を理解したリーフは、花びらをそっと胸に当てて目を閉じた。
心に浮かんだのは、姉・アリーシャの笑顔だった。
この世界に来てから、ずっと一番大切にしてきた存在。
その愛に応えるために。
彼女がくれた優しさに、報いるために。
その想いを、石に刻むように胸に刻んだリーフは、決意した。
――姉さんを、僕が助ける。
彼女が信じてくれた“ヒーロー”になるんだ。