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猫人マイヤは運命の伴侶をみつけたい


「あなたたち、そろそろ山を降りて伴侶を探してきなさい」


 ある日突然、母が告げた。


「猫人でも、獣人でも、人間でも、かまわないわ。この人って思う相手がいたら、連れてきなさい」


 指示がざっくりすぎるが、子どもたちはたくましい。どこに行こうかワイワイ騒ぎながら、荷物をまとめる。


「俺は魚が食べたいから、海のあるところに行ってみる」

「アタシは竜人をつかまえにいくわー」

「とりあえず、世界一周してから考える」


 六人の猫人は手を振りながらさっくり出て行った。末っ子のマイヤだけは、まごまごしている。


「どこ行こうかしら。結婚なんて、まだ先のことだと思ってたのに」


「マイヤはのんびりしているから、早め早めに動く方がいいのよ。山を降りてやりたいことはないの?」


「新しい本を読みたいな。うちにあるのは全部読んで覚えてしまったもの」


「それなら、ここから一番近くにある王都がいいんじゃない。猫人にも優しい国よ。あの国なら、ヨセフがいるわね。彼を訪ねればいいわ」



 ここに行きなさい、母に言われ、マイヤは王都までやってきた。山や森の中では猫の姿で疾走し、人里では人の姿でテクテク歩いてきた。猫人のマイヤにとっては、なんでもないことだ。


 母に言われた場所に行くと、立派なお屋敷だった。少しドキドキしながらも、呼び鈴を押すと、きっちりとした格好の紳士が出てきた。


「ヨセフさんですか? 私はマイヤと言います。母から言われて、会いに来ました。初めまして」


 ピョコンッとお辞儀をして顔を上げると、紳士はマイヤを中に招き入れてくれる。


「マイヤ様、ヨセフ様はこの家の主です。面会が可能か確認してまいりますので、しばらくお待ちいただけますか? 失礼ですが、どちらのマイヤ様でいらっしゃいますか?」


「山の、猫のマイヤです。そう言えば大丈夫って母が言ってました」


 だんだん自信がなくなってきて、最後は小さな声になってしまった。紳士は素敵な笑顔で一礼した後、静かに部屋を出て行く。マイヤがウロウロと部屋を歩き回っていると、紳士はすぐに戻ってくる。さっきよりもっと優しい笑顔で、マイヤを別の部屋に連れて行ってくれる。ビックリするぐらい天井の高い、大きな部屋に白髪のおじいさんが立っていた。


「山の、猫のマイヤ様。初めまして。私はヨセフと申します。母君のことは、よく存じ上げていますよ。母君と、ご兄姉はお元気ですか?」


「はい、みんな元気です」


 マイヤはホッとして、肩の力を抜いた。フカフカのソファーに座り、お茶やお菓子をすすめられる。


「マイヤ様の母君は、ほんの少しの紅茶にたっぷりのミルクをお好みでいらっしゃいました。マイヤ様はいかがでしょう?」


「私もそれでお願いします。猫舌なので」


 紅茶ちょっぴりミルクたっぷり。どちらかというと紅茶風味のミルクを飲みながら、マイヤはお菓子も遠慮なく食べる。こういう甘味は山ではありつけない。お菓子でおなかがいっぱいになって、ふーっと幸せの吐息を漏らした。


「王都にはどのようなご用件でいらっしゃったのでしょう?」


 マイヤが食べるのをニコニコ見つめていたヨセフが、ゆったりした口調で問いかける。マイヤはハッとして居住まいをただした。口の周りの粉を大急ぎで手ではたき、コホンと咳払いする。


「年頃になりましたので、伴侶を探しにやってきました。運命の人をみつけなさいって、母に言われてます。ヨセフさんにご相談すればなんとかなると、母が」


 言いながら、あまりにも図々しい言い草だわとマイヤは感じた。母とヨセフは一体どんな関係なのだろうか。こんなことを言って、怒られないだろうか。ビクビクしながらヨセフの様子を伺う。ヨセフは微笑みながら涙目になり、ハンカチで目を拭いている。


「なんと、それはありがたいことでございます。我が国の人間をマイヤ様の選択肢に入れていただけるとは」


「ええっ、私、ただの猫人ですけど」


「いえいえ、何をおっしゃいますやら。たいへん尊い猫人様ということ、私はよくよく存じ上げておりますよ。じいに全てをお任せくださいませ。マイヤ様がつつがなく我が国の男性を選べるよう、手配いたします」


「ぜひ、じいとお呼びください」ヨセフに懇願され、マイヤに身分の高そうなじいができた。じいの計らいで、じいの屋敷に部屋ももらえた。フカフカの絨毯にフワフワのベッドだ。どこの部屋も天井が高く、家具に細かな細工がしてある。山奥で簡素な家に住んでいたマイヤにとっては、破格の環境だ。


「わー、こんなベッドで寝るの初めて」


 ピョンピョンといつまででも飛び跳ねていられそう。しばらくベッドを楽しんだ後、マイヤはハタと気づいてドギマギとベッドから降りる。


「ごめんなさい。はしゃぎすぎてしまいました」


「お気になさらず。母君も同じことをされていらっしゃいました。懐かしく思い出していたところです。」


 行儀の悪いマイヤを、じいはまったく咎めない。


「あのー、母とじいはどいう関係でしょうか?」


 もしや愛人だったのかしら。それにしては年が離れすぎているけれど。


「母君は、私の主の命の恩人なのですよ。あまり話すと母君に怒られてしまいそうですから、これ以上は言えませんが。母君がマイヤ様にお話しになっていないことを、私が言うのはよろしくありませんから」


「まあ」


 母の秘密主義にはほとほと困っていたのだが。ここにも口の堅い御仁がいたわ。


「母はいつも、マイヤに言うと後先顧みずベラベラしゃべっちゃうから内緒って言うんです」


「すっかり成長なされて。自由奔放に社交界を大混乱の渦に巻き込んでいらっしゃったのに。マイヤ様がどんなおもしろいことをしでかしてくださるのか。このじい、楽しみにしております」


 ヨセフは胸に手を当て、慇懃にお辞儀をする。


「母の破天荒なところは、兄と姉たちにいっちゃったの。私は母に似ず、のんびりほんわか穏やかさんって言われてますから。大丈夫ですわ」


 マイヤは淑女らしく微笑み、優雅にお礼をした。さっきベッドの上で見せたお転婆は、まるっとなかったことにした。



***



 マイヤがヨセフの屋敷を探検しているとき、ジェーザボルト王国に激震が走った。王家が緊急で四大公爵家の当主を呼び出し、公爵家から派閥の貴族家に伝令が出される。


『やんごとなき猫姫マイヤ様が伴侶探しに我が国へ。決して失礼のなきよう注意されたし。口説かれた場合は、速やかに当主へ報告。当主は王家にただちに届け出すること』


 その他にも色々と注意事項が書かれていた。


「マイヤ様は、学園に通われるそうだ。仲良くなるのは推奨されている。しかし、身体的接触を厳禁とのことだ」


「まあ、あなた。そんなこと、当たり前ではありませんか」


「いや、それがだな。普段は人の姿をされているらしいのだが、ふとした拍子に猫の姿になってしまわれることもあるそうだ。そのとき、ついモフモフッとしてはいけないよと。厳重に言われた」


「なるほど、ついうっかりモフッてしまう。あり得ますわね。あなたたち、マイヤ様が猫になっていても、触ってはいけませんわよ」


「お母さま、わたくしたち子どもではありませんから。大丈夫ですわ」


 貴族の令嬢は、いつまでも子ども扱いする両親にため息を吐いた。

 ところが、ところがである。



「拷問ですわ」

「分かりますわ。お触り禁止がこんなに難しいとは思いませんでしたわ」

「我が家には猫がおりますの。ですからね、余裕だと思っておりましたの」

「不意打ちがいけませんわ」

「油断していると特にひどい目に会います」


 令嬢たちは、学園の休憩時間に集まってヒソヒソしている。



 マイヤは精一杯やっているのだ。前に出すぎず、控えめに。猫の姿は出さず、淑女らしく。母が作ってくれた特製のローブを着て、いつもお行儀よくしている。


 猫の姿で山を駆け回り、兄姉と取っ組み合い、野生そのものに生きてきたマイヤ。その割には大変よく猫をかぶれている。及第点だと胸を張ってヨセフに報告しているくらいだ。


「クッシュン」

 マイヤがくしゃみをすると、教室に緊張が走る。マイヤは気づいていないが、くしゃみした勢いで猫耳が出てしまい、ピコピコ動く。


「クッ、これがクッ殺か」

「かわゆす」

「これは反則」


 見て見ぬフリをしつつ、しっかり目に焼き付け、貴族たちはつぶやく。


 しばらくすると、マイヤはハッと周りを見回し慌てて耳を消すのだ。もちろん、皆はあさっての方を見たり、教科書で顔を隠している。


 授業が退屈なのだろう。マイヤは教科書に落書きをしたり、窓の外を見たり、落ち着きがない。そのうち、こっくりこっくり。ガクッと頭が揺れると、ピョインッとしっぽが飛び出る。そこで目が覚めれば、しっぽも消えるのだが。


「たまにグッスリ熟睡なさるのよね」

「先生も注意できませんでしょう」

「どんどん猫度が増えますのよ」

「しっぽが出て、耳が出て、どんどんモフモフになって」

「ぶかぶかのローブがモッコモコになってしまいますのよ」


 マイヤ母の特製ローブは、猫になっても猫姿をなるべく隠せる仕様になっている。しかし、限度はある。フワフワの長い猫毛そのものは見えなくても、ふんわり膨らみ、規則正しく上下するローブは否が応でも生徒たちの視線を集める。


「しまった。寝てた」


 小声と共に起き上がり、慌てて猫から人に戻っていくマイヤ。シュルシュルシュルと毛が消えていく様は、何度見ても楽しい。


 マイヤはがっちりと猫好き女子の心をつかんだ。


「マイヤ様とお近づきになりたいわ」

「お友だちになるのは、止められていませんわ。むしろ推奨されていますわ」


「お友だち、もいいのですが。できれば家族になりたいなーなんて。まだ婚約者のいない弟をけしかけようかしら、なーんて」


「あら、ずるいわずるいわ。わたくしも家族になりたいですわ。そうすれば、朝から晩まで一緒ではありませんの」


「フフフフフ」

 少女たちはヨコシマな含み笑いを漏らす。そして年端のいかない乙女たちの考えることは、割かし似通っている。


「当店ではお売りできません」

「まあ、なぜですの? 禁止薬物ではありませんわよね」

「王家からのお達しで、マタタビは売買禁止となっております」

「ぐぬぬ」


 人心を知り尽くしている王家とヨセフ。とっくに手は打ってある。



 そんな周囲の喧騒はどこ吹く風。マイヤは学園生活を満喫している。授業は正直なところ、退屈だが。なんといっても、学園には巨大な図書館があるのだ。伴侶探しは、図書館の本を読みつくしてからでいいだろう。マイヤは勝手にそう決めてしまっている。小難しい話は好きではない。女の子が元気いっぱいに冒険する話が好きだ。


「女の子が冒険する本はありますか? あ、猫がひどい目に会わないお話がいいです」


 マイヤは司書の男性に聞いてみる。司書の男性はマイヤをチラッと見ると、しばらく天井を見上げている。マイヤがワクワクしながら待っていると、男性はスッと立ち上がった。


「ご案内しますよ」


 背が高く、心配になるぐらい細い司書が図書館の中を案内してくれる。奥の方の棚から一冊取り、マイヤに手渡してくれる。


「これなら、猫がいじめられないし、女の子が主人公ですよ」


 マイヤはパラパラとめくってみる。猫と女の子の挿絵も入っていた。


「ありがとうございます。読んでみます」


 魔女に呪われた猫の王子が、少女と共に色んな魔法道具を集めて、解呪する物語。


「ほんわかして、とてもおもしろかったです。ほかにもオススメありますか?」


 司書は少し微笑むと、次の本を手渡してくれる。そうやって、マイヤは順調に本を読んでいった。かれこれ、ひと月がたった頃、困ったことが起こった。


「次のオススメを教えてください」

 いつも通り司書に話しかけると、司書は少しためらった。


「ルータリア語は読めますか?」

「読めません」


「そうですか。ルータリア語のおもしろい本があるのですが。残念です。我が国の本で、少女が主人公で猫がいじめられないものは、もうございません。少年が主人公でもいいですか?」


 マイヤは思わずしょんぼりしてしまう。ルータリア語が読めない自分を呪う。少年が主人公でもいいかしら。でもな、いまいち共感できないんだ。どうしよう。マイヤが悩んでいると、司書がとてもいい提案をしてくれる。


「私が教えましょうか? 学校が終わってから、奥の個室で少しずつルータリア語を覚えてはどうでしょう。あの国からは、たくさんいい本が出ています」

「お願いします」


 マイヤは深々とお辞儀をした。いい人とは思っていたが、ここまで優しい人だとは。マイヤは感激する。


 その日から、マイヤは司書のレナードにルータリア語を教えてもらい始めた。文字を覚え、読み方を練習し、意味を教わる。もちろん、すぐに本を読めるようにはならない。でも、レナードが本をゆっくりと読んでくれるのだ。


「ちゃんと聞き取れた? 意味は分かる?」

「ゆっくり読んでくれたら、なんとなく分かる。長靴を履いた猫がお姫様と旅するんだよね」

「そう、随分と上達が早いね、マイヤは」

「レナードの教え方が上手だからだよ。ありがとう」


 実のところ、マイヤはもうひとりでルータリア語の本を読めるのだけど。それはレナードには言わない。だって、レナードに読んでもらうと、本が一層おもしろいのだもの。低くて柔らかいレナードの声。大げさではないけれど、緩急をつけて分かりやすく読んでくれる。


 図書館ではなく、庭園の芝生の上でレナードに本を読んでもらいながら、日に当たってぬくぬくするのが、最近のマイヤのお気に入りだ。あまりに気持ちよくて、たまにウトウトしてしまう。



***



 マイヤがレナードといい感じになっているという情報。あっという間に王都を駆け巡った。


「マイヤ様が? レナード? どこのレナードだ?」

「レナード・シェルビー。シェルビー子爵家の三男ですって」


「誰だそれは。知らんな」

「体が弱いとかで、あまり社交界には出てこないのですけれど。きれいな顔をした青年ですわ」

「クッ、子爵家の三男ごときに。許せぬ」


 どこぞの高位貴族当主は歯噛みをした。



「ね、聞きまして? マイヤ様がレナード様と」

「聞きましてよ。というか、見ましてよ。図書館で仲良くお勉強をされていらっしゃいましたわ」


「お庭でレナード様が本を朗読されて、それを聞いているマイヤ様がゴロニャンって。尊いですわ」

「そのウワサ、本当でしたのね。職員の誰かがたまたま出くわして、それからその庭には一般生徒は立ち入り禁止になったとか」


「まあ、粋な計らいですこと。素敵ですわね」

「レナード様って司書の方ですわよね? 物静かで理知的で、ちょっといいですわよね」

「分かります。儚げで守ってあげたくなりますわ」


 恋バナが大好きな女学生たちは、すっかり盛り上がって応援する雰囲気だ。



***



 不思議な猫少女マイヤ。王家が直々に通達するほどの高貴な身分らしいのに、少しも気取らずいつものんびりしている。本を音読してあげると、すぐに芝生でゴロゴロし、手足を伸ばし、だんだん猫になって隣で丸まって寝てしまう。愛らしいマイヤ。この時がいつまでも続けばいいのに。


 無理な望みを願ってしまい、本を読む声が震えてしまった。マイヤはすぐに異変に気づき、目を覚まし、少女になる。


「レナード、どうして泣いてるの? お腹すいたの?」

「目にゴミが入っただけだ。大丈夫」

「見てあげる、目を大きく開けてみて」


 マイヤのほっそりとした指が目をグイッと押し開ける。距離の近さに、レナードは顔が赤くなるのを感じた。


「うーん、何も入ってないけど。もう取れたんじゃないかな」


 マイヤは目の上下に当てていた指をずらし、レナードの頬をつまんだ。


「レナード、もっと食べないと。全然つかめないじゃないの」

「食べても肉がつかない体質なんだ」


「う、うらやましい。私なんて、最近ほとんど走ってないから、ちょっと丸くなったかも」

「マイヤはいつでもかわいいよ」

「か、かわいい?」

「ああ、かわいい」


 レナードはそっとマイヤの頬をつまむ。よく伸びる柔らかいマイヤの頬。




 かわいいって言われた。かわいいって言われた。かわいいって言われた。その日、マイヤの頭の中は、レナードの言葉ばかりがグルグルしていた。ちっとも寝られないマイヤ。もしやと思い立ち、ヨセフの部屋に押し掛ける。


「じい、分かったかもしれない」

「マイヤ様、いかがなさいましたか? 真夜中ですが」


 扉を開けたヨセフは目をしぱしぱしながら言う。


「ああっ、ごめんなさい。ひと言だけ。私の運命の相手、レナードかもしれない。レナードといると、胸がほわあってなるの」


「マイヤ様がそうおっしゃるなら、そうなのですよ」


「よかった。じゃあ、明日レナードに好きって言うね」


「母君と同じくまっすぐでございますね、マイヤ様は」


「女は度胸。まっすぐぶつかりなさいっていつも言われてたの」


「じいは、心から応援しておりますよ」


「うん、がんばってくるね。おやすみなさい」


 マイヤはどうやって好きって言うか、ずっと考え続け、いつの間にか眠った。



 翌日、マイヤは血走った目で、一度もうたた寝をせず授業を受け切った。教室がややざわめいているが、マイヤは気にしない。それどころではないのだ。マイヤの考える、最高の告白というやつを、披露せねばならぬ。


 いつもの庭にレナードと座ったところで、マイヤはレナードの手をはっしとつかんだ。


「レナード、私、告白しなければならないことがあるの」

「なんだい?」

「私ね、私……。私、実は猫人なの」

「ああ、知っているけど?」

「えっ、知っているの? どうして?」

「クシャミすると耳が出てしまったりしてるから」

「うっそー」


 マイヤは頭を抱えてうずくまった。なんたる不覚。まさか、知られていただなんてー。マイヤはしばらく芝生に額をつけていたが、気を取り直して、また座り、レナードの手を握る。


「もうひとつ、告白したいことがあるの。私ね、レナードが好き。私の伴侶になってください」


 マイヤはレナードの目を見つめる。レナードの目が泳いだ。口が開き、息が漏れる。


「私は、私も……。私もマイヤが好きだ。でも、伴侶にはなれない」


 レナードが悲しそうにマイヤを見つめ返す。


「どうして? 婚約者、いないでしょう?」

 そのあたりのことは、ヨセフに聞いて確認済みだ。マイヤはできる子だ。ぬかりはないのだ。


「婚約者はいないけど。私はしがない子爵の三男。マイヤとは釣り合わない」


「そんなの知ってるし。釣り合わないとか、意味分からないし」


 マイヤはレナードの手を強く強く握りしめる。絶対離さないぞ、そんな気持ちを込めて、ギュッと握る。


「私は体が弱い。司書の仕事はやりがいはあるけど、それほど給料がいいわけではない。マイヤに苦労をさせてしまう」


「大丈夫。野宿だって大丈夫な体だから、私。私も働くし」


 何ができるか分からないけど、何かはできるだろう。マイヤはめっぽう丈夫だから。レナードの目が、ふっとマイヤからそれる。なんだか、とても苦しそう。


「マイヤ、私は、そう長くは生きられない。心臓が弱いんだ。だから、マイヤの伴侶にはなれない。黙っていて、すまない。マイヤといるのが楽しくて、言えなかった」


 レナードの目から涙がひとつこぼれ落ちる。マイヤは体をずらし、レナードの真正面から目をのぞきこむ。


「それは、知らなかったけど。大丈夫。なんとかする。なんとかするから、信じて」


 レナードの唇が震える。信じてない。マイヤには分かった。


「ご両親に会いに行ってもいいかしら? 善は急げよ。あ、でも、私ひとりだと信じてもらえないだろうから、じいに一緒に行ってもらうわね」


 マイヤは強引にことを進めた。馬車を呼び、レナードを押し込み、屋敷に行ってヨセフに説明し、その足でレナードの家へ。無茶苦茶だ。




 話題の猫姫マイヤと、王家の懐刀と名高いヨセフが、なんの前触れもなく訪れ、シェルビー子爵家は上を下への大騒ぎ。なんとか、一番いい応接室を整え、アワアワしながら重鎮を招き入れた。レナードの両親は、それだけでもう息も絶え絶えであった。


「おとうさま、おかあさま。初めまして、猫人のマイヤと言います。息子さんを、レナードさんを、私の伴侶にさせてください。余命が短いことは分かっています。大丈夫です。なんとかします」


「ひえー」

 あまりのことに、レナードの母は目を回し、ソファーから床に崩れ落ちる。マイヤはすかさずしっぽでクルンとレナード母を受け止めた。


「ほら、意外と色んなことができるんです、私。こう見えて」


 なんの説得力もないが、マイヤは気にしない。絶対に、はいと言わせてみせる。援護してよと、じいに視線をやった。世慣れているヨセフは、穏やかな笑顔を浮かべ、少し身を乗り出した。


「なにがなんだか分からないと思いますが、まあここは、私に免じて。はい、と言っておしまいなさい。後のことは、私と王家でうまくやります」


「そんな、無茶な」


「まあまあ、大丈夫ですから」


 じいの話芸というほどでもない、「まあまあ、いやいや、大丈夫」の繰り返しで、両親はうやむやに流されていった。レナードはポカーンとしている。


「レナード、よかったね。おとうさんとおかあさんが、はいって言ってくれたよ」


 マイヤは両親の消え入るような「はい」を確かに聞き取った。猫は耳がいいもの。


「絶対に幸せにするから。心配しないで、ね」

「マイヤには叶わないな。なるべく長生きする。伴侶にしてください」

「やったー」


 マイヤはレナードに抱きつき、ボンッと猫になった。


「あわわ」


 マイヤは慌てて少女になったが、またすぐ猫に戻る。


「猫でも人でも、どっちのマイヤも好きだ。大丈夫」


 レナードは毛皮に顔をうずめ、心から告げる。マイヤは幸せそうに笑ってゴロゴロ喉を鳴らした。



***



 レナードの身内と、ヨセフの家族に囲まれて、大至急しめやかにふたりは結婚した。時間がないから、婚約期間なんてすっ飛ばした。


 ヨセフがマイヤの母に伝令を送ってくれた。母からもらった手紙には『マイヤ結婚おめでとう。幸せになるのよ。自分の力を信じなさい』と書いてあった。『元気になったらレナードを連れていらっしゃい』とも。




 初夏は、幸せいっぱいだった。ヨセフの家にレナードとふたりで暮らす。部屋はたくさんあるし、使用人も優しいので、何不自由のない甘い生活。


 マイヤが眠りにつくまで、毎日レナードが本を読んでくれる。たまに、マイヤもレナードに読んであげる。


 寒くなると、レナードはみるみるうちに痩せていく。ベッドで寝込んでいるレナードのそばを、マイヤはかたときも離れない。


「春になったら、また芝生で本を読もうね。今度は私が読んであげるからね」


 すっかりこけてしまったレナードの頬をマイヤは優しく撫でる。冷たくてカサカサしている頬。レナードの返事はない。


「レナード、寝てるの?」

 マイヤの声が震えた。


***



「ああ、これが走馬灯か」


 レナードは遠くでマイヤの泣き声を聞きながら、今までの人生を思い出す。ずっと、苦しかった。少し寒くなったり、ちょっと走っただけでも、すぐ熱が出る体。忌々しい弱い自分。なんのために生まれてきたのか。自問自答する日々。


 本を読んでいるときは、胸の痛みを少し忘れられた。真っ暗な未来も。いや、未来なんて、ないんだったか。


 陽だまりのような、温かく柔らかいマイヤ。愛しいマイヤ。マイヤが現れてから、視界に色がついた。鮮やかでみずみずしい。ああ、この世はなんて美しい。


「マイヤ、ごめん。長生きできなかった。もっとマイヤと一緒にいたかった。愛してい……」


  体から力が抜けていく。ああ、静かだ。





「さよならレナード。お帰りレナード。戻ってきてーーーー」


 マイヤの絶叫と共に、体に何かが流れ込んでくる。心臓をわしづかみにされるような衝撃。


「グッ、ゴフッ」

 レナードは息を吐きだす。


「レナード、目を開けて。戻ってるでしょう、ねえ?」

 首元をつかまれてグイグイしめられる。


「マ、マイヤ……くるしい」

「あ、ごめん。ごめんね。戻った? 戻ったよね? ヤッター、成功したー」


 猫になっているマイヤが笑いながら号泣するという器用なことをやっている。レナードは手に力を入れてみた。持ち上がる。マイヤのフサフサを撫でる。


「マイヤ、ありがとう。マイヤの魂をくれたの?」


「そうなの、よく分かったね。猫には魂が九つあるって言われてるの。試したことないから、不安だったんだけど。よかった、レナードが戻った」


 おいおい泣いているマイヤを、レナードはいつまでも撫でた。




 春が来て、マイヤは約束通りレナードを連れて山に行った。


「母さん、久しぶり。元気になったから、レナードを連れてきたよ」


「成功するって信じてたわ。ふたりとも、よくがんばったわね」


「大変だったけど、がんばった。髪の色が一部だけ真っ白になったけど。それ以外はなんともないよ」


 こめかみ部分が白くなったのだ。レナードは気にしているけど、マイヤは勝利の勲章みたいで気に入っている。


「あら、かっこよくて素敵じゃないの。私なんて、あなたたちを産んだときと、あなたたちの父さんを助けたとき、全体が真っ白になったわよ。今は大分、元の金色に戻ってきてるけど」


「あ、それ。父さんって誰なの? 母さんってば、ちっとも教えてくれないんだから」


「ジェーザボルト王国の国王よ。知り合ったときは、ただの王子だったんだけどね。色々あってね」


 母はしれっと、とんでもないことを暴露する。マイヤとレナードは言葉を失った。


「やんごとない姫って、陛下の娘、王女という意味だったのか」


「ええー、私まだ陛下に会ってない。戻ったら絶対面会する。もー、じい、ヨセフまで内緒にするんだもん。ひどい」


「ヨセフによろしく伝えてね。彼には世話になったわ」


「私も世話になりまくりよ」

 別に自慢することではないのだが、マイヤは張り合う。


「大丈夫よ。ヨセフは世話を焼くのが趣味みたいなもんだから」


「じゃあ、子どもができても安心ね。あ、まだだけど。そろそろ欲しいかもって」


「ヨセフなら安心よ。あなたたちを産んでしばらく、ヨセフの家で育ててたのよ。子育て、というか、猫育てね。ヨセフは慣れてるわ」


「今日こそは、母さんの秘密、全部教えてもらうからね」


「教えなーい」


 母娘のやりとりを、レナードは黙って見ている。生き返って、元気になって、山まで来て、マイヤの母に会えた。


「夢みたいだ。奇跡がずっと続いている」

「楽しいことを、いっぱいしようね。ルータリアにも行こうね」

「ああ、マイヤ」


 マイヤは少しつまめるようになったレナードの頬を軽くつまみ、そしてキスをした。


お読みいただき、ありがとうございました。ポイントとブクマを入れていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 可愛かったし、面白かったです。 [一言] それぞれの姉妹、兄弟とお母さんの話も気になります。 もしできたら、読んでみたいです。
[一言] 猫ふんじゃったの歌がむかむかして歌えない自分に刺さる
[一言] めっちゃ好きなお話でした!!!どタイプです! 続きが見たいです!
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