ラムネを飲む、はじまりの夜
会社で理不尽に叱られ、俺は苛立っていた。泥のように溜まった不満を、苦く黒いビールで押し流そうと、適当な駅で途中下車する。
運悪く夏祭りの最中で、どこもかしこも混んでいた。俺はため息をつき、重い足取りで歩いていると、一人の男性が路上ライブをしていた。
彼の歌は下手くそだった。それでも惹かれたのは、彼が本当に楽しそうに歌っているせいか。
立ち止まり、彼の歌を聞き入る。一曲聞き終えて拍手をすると、彼は笑顔で近づいてきた。
「ありがとう! 下手くそだっただろ? あははっ!」
彼は豪快に笑う。図星と悟られたくなくて、つい余計なことを聞く。
「えっと、いつから音楽を?」
「三十歳だったな。サラリーマンしていたけど、なんか違うなーって思って、大転進したんだ」
「え、反対されなかったんですか」
「されたされた。でも、やりたいからね。おかげで生活はしんどいけど、いいんだ。一度きりの人生だからね」
彼はウインクをする。
生き生きとしている彼を、
……俺は、羨ましいと、思ってしまった。
昔、俺はプロのミュージシャンになりたかった。音楽で人を喜ばせたかった。実力がない、現実をみろと、自分で悟り、諦めてしまった。
けれど、
やってみても、いいかもしれない。
俺は一枚のお札を渡す。彼は驚いて辞退しようとするが、そのまま押し付けた。
ふと思い立ち、俺は屋台をのぞき、ラムネを買う。苦戦しつつラムネを開け、一口飲む。
すっきりとした炭酸が淀んた気持ちを洗い流し、控えめな甘さは俺の迷いを包み込んでくれる。
ころん、と、ラムネの中のビー玉が動く。透明なビー玉に映る俺は、決意に満ちた表情をしていた。