EP56 ボルカニアの護り神
ボルカニア・ギラルド戦争の祝勝会の翌日、ボルカニア王ピュリス・サンドラが遺体で発見された。遺体はピュリスが使用していた部屋の真下にあった。その状況から、ピュリスは自室のベランダから転落し、その原因はアルコールの過剰摂取による泥酔だと考えられた。勝利後の高揚感にこの訃報の与える影響を顧みて、発表は見送られ、ピュリスは体調不良と報じられた。
母国ボルカニアで行われた凱旋パレードに、ピュリスの姿があるはずもなかった。その不安をかき消す為、英雄である息子イスカはさらに目立つよう努めた。
葬式は事実を知る者だけでひっそりと行われた。その者とは、国務大臣サル・イプルコス、食糧大臣モージ・ファオ、軍事大臣クロリア・パース、国土大臣エドス・イクラム、外交大臣テルミヌス・コンフィス、そして三人の妻と、十二人の娘と、一人息子のイスカであった。
ピュリスの側近達は体調不良による生前退位という名目で早々にイスカに王位を継承する算段を立て始めた。
そんな中、イスカの頭には一つの疑問があった。父と最後に会話した時、確かに弱気にはなっていたが、決して誤って転落するほど泥酔しているわけではないと思っていた。呂律もきちんと回っていたし、意識もはっきりとしていて、何より自らの夢を語る父の目はキラキラと輝いていた。少なくともイスカにはそう見えていた。
『常に最悪の事態を想定するのですよ』
イスカはサピスにそう教えられていた。イスカは考えた。この状況の最悪の事態を。
「まさか…」
そんなはずはなかった。ピュリスは誰からも慕われていた。いや、それはイスカがそう思いたいだけの話であった。
―――ピュリスは誰かに殺された。イスカはそのていでの行動を開始した。
まず、ピュリスの検死を行った医者の下を訪ねた。
医者は転落死でまず間違いはないと言った。外傷は軽度であり、死因は頭蓋内損傷と脊髄損傷だという。
だがイスカは思った。ベランダには転落防止用の腰の高さまでの柵がある。身を乗り出しでもしないと易々と落下もしないのではないかと。
イスカは使用人らに自分の後にピュリスの部屋に誰かが入っていくのを見たか尋ねて回った。だが、誰も心当たりはないと言った。
調査は難航し、何も掴めないままに二週間が経過してしまった。この日、イスカの中で疑惑が確信に近づく事件が起きた。隣国クランクルムにて、ピュリスの訃報が発表された。葬式に参加した側近か家族の中に内通者がいる。そのことに気づいた時には、すでに手遅れであった。
クランクルムでは、ボルカニア王ピュリスが息子イスカに殺害されたと報じられた。この話は行商人を通じて噂という形でボルカニアの民にも広まった。この件で最も憤慨したのはピュリスを慕う兵士達であった。イスカを捕まえて公開処刑すべきという声が上がり始めるまでに、余り時間を要する必要はなかった。
「イスカ様、私はあなたを監禁します。ですが信じて下さい、私は味方です。今この状況で動けばあなたと身の安全は保証できません。どうかおとなしく捕まって下さい」
ピュリスの側近の一人、パースはイスカにそう話を持ち掛けた。
「僕は殺されるのか?」
イスカは吐き捨てた。
「それはさせません。あなたは唯一の正当なる王位継承者です。何より、ピュリス様を裏切ることなど絶対に許されません。まずは内通者の出方を探ります。その為にはイスカ様、あなたのお力添えが必要なのです。お辛いでしょうが、どうか…。お父上とこの国の為です…!」
「…分かった」
パースは手を差し出した。イスカはその手を掴み立ち上がった。
――――――――――――――――――――
イスカの逮捕の知らせはすぐさま国中に広まった。ピュリスの側近達は、なんとか暴動を収めることには成功した。しかし王が不在であるこの現状が新たなる争いの種となる可能性を危惧していた。誰が王の座に着くのか。そして、限られた人にしか知られていなかったピュリスの訃報を誰が漏らしたのか。言動には出さないものの、側近達の間の空気はどんどん険悪になっていった。
その渦中、クランクルムがボルカニアに戦線布告し、国境を越えて進行を開始した。
外務大臣は馬でクランクルムに走った。そして帰ってくることはなかった。
軍事大臣はすぐさま参謀を集め被害状況の確認と今後の対策を練った。どうやら南西最大の街ノトスガルブスは進行の確認と共に住民が放棄し、すでに占領されているという。
「現在ノトスガルブスから最も近い西部駐屯地にて迎撃体制を整えている次第であります」
「まず敵はここを潰しに来るでしょう。敵との距離推定三里であります」
「撤退だ」
パースは言い放った。
「は?」
「今、何と?」
「撤退だと言っている」
「どうしてですか!?すでに準備は出来ております」
「幸いノトスガルブスでもほとんど死傷者は出ていないと聞く。上手くいけば、血を流さずに戦争を終わらせることができるんだ。今、この国の軍の決定権は私にある。これは命令だ。下げろ」
そう言ってパースは部屋を後にしようとした。
「大臣、どちらへ?」
「交渉だ」
鉄格子のついた窓から橙色に染まる空を眺めながら、イスカは物思いに耽っていた。賢者サピスの学園―――神殿に増設された大聖堂―――にて過ごした友との日々を回想していた。あの頃も、よくこうして窓から夕陽を眺めていたものだとイスカは思った。
「ふっ、でも鉄格子は無かったけどな」
イスカは自らの境遇に笑みがこぼれた。
サピスの学園には国中から生徒が集まった。試験さえ合格すれば、身分に関係なく授業を受けられた。
イスカには親友がいた。パースの息子、ニルマニである。ニルマニは学園の中で一番の成績であった。その上、人当たりもよく誰にでも平等に接した。たまたま席の近かったイスカに話しかけた。交流の始まりは些細なことであった。二人は次第に仲良くなっていった。人とタメ口で話すなどサピスにさえ敬語を使われるイスカにとっては初めてのことだった。
二人はいつでも一緒だった。木に登って落下して着地の衝撃で足の骨を折った時も、二人揃ってサピスに叱られた。
ニルマニはイスカより早く学園を卒業し、父親の下で働くこととなった。イスカはサピスに教わりさらに学を深めた。その頃から、二人はたまに文通する程度になってしまった。
ぼんやりと空を眺めていたイスカだが、一度瞬きをして全意識を耳に集中させた。馬の蹄がレンガに擦れる音、甲冑を着た兵士の足音が聞こえた。イスカは窓の鉄格子に顔を擦り付けた。風に靡くクランクルム旗が見えた。してやられた。イスカは壁に拳を叩きつけた。
ノトスガルブスは首都イーロピアから見て南西にある。パースは西側に大防衛線を配置した。だがクランクルム軍がイーロピアに侵入することはなかった。クランクルム軍は突如として東に進み、シャルクという街に入った。そこには、イスカの監禁されている牢獄があった。
城から馬車で連れて来られるまで3時間と37分48秒。ここは夕暮れになっても日が見えない。時間と方角を考えるとここはおそらくシャルク近辺。クランクルムは西から攻める筈だ。わざわざ遠回りなんて馬鹿なことをするわけがない。…それが狙いか?だがそうなれば侵略の準備には莫大な時間が掛かる。少なくとも半年以上は。僕がカレスの首を取ったのだってまだ一ヶ月前の話だ。それより前から侵略計画が…?だが待てよ、ボルカニアの領土を巡って争っていたのはギラルドとクランクルムだ。ギラルドを差し置いてボルカニアに戦線布告するとも考えられない。…どうなっているんだ。これは何か、とんでもない陰謀が隠されているんじゃ…。
ドンドン
戸を激しく叩く音が聞こえる。イスカは外開きの扉にもたれかかった。鍵をいじる音がする。
扉が開いた。扉と同時に動いたイスカはその瞬間にクランクルム兵の間を抜けて飛び出す。だが、投げ槍が右太ももに突き刺さり倒れた。
「王子がこのザマとは、ボルカニアもお終いだな」
「何を…ッ!」
起きあがろうとするイスカだが、兵士に取り押さえられてしまう。
「連行するぞ。気絶させろ」
イスカはキノコの毒の染み込んだ布を口に当てられた。目が眩みそのまま意識を失った。
――――――――――――――――――――
イスカは目を覚ました。
…熱い…。暗い。両手足をきつく縛られている。口に太い縄を噛ませられている。身動きも取れない。どうやら僕は棺のような物に入れられているらしい。それに何度も頭の方に力がかかる。頭を下にして傾斜を進んでいるようだ。次第に硫黄の臭いも強まっていく。間違いない。僕は今ボルテノン山にいる。だが、何の為に?クランクルム軍がボルテノン山で一体何を…?
背中に衝撃が走り、動きが止まる。棺の蓋が開けられ、差し込んできた光に目をしばたかせた。
「処刑人を括り付けろ」
イスカはカッと目を見開いた。この声は…!
「む、むーむッ!」
口が縛られていて思うように声が出ない。
そこにはパースがいた。こいつが裏切り者であった。
「ふぁむふッッ!!」
「やはりお前は王にふさわしくない。ここで国の糧になってもらう」
その言い草、そしてこの場所。こいつらは俺を火口に投げ入れるつもりだ。
イスカを括り付けた木製のパイプが火口の縁に突き立てられた。イスカの足は地面から一メートル弱離され、背中と両腕でパイプを挟むように縄で固定されていた。熱風がイスカの背を焼く。
「最後に何か言い残すことは?」
そう言ってパースはイスカの口の縄を解いた。
「パース!!!お前か!?お前が裏切ったのか!?お前が父上を殺したんだなッッッ!?」
パースはパイプの根本を蹴った。パイプが後方に揺れる。
「この星の平和の為だッ!ピュリスも貴様も何も分かっていない!私は間違っていないッ!」
「分かっていないのはお前の方だ!お前に父上の何が分かる!父上がどんな思いで戦っていたのか…平和を望んでのことなんだぞ!」
「それは偽りの平和だ。まやかしに過ぎない。それでは真の脅威に飲まれるだけだ!」
パースは腰に下げた剣を抜いた。
「まやかしだと!父上と母上を否定するな!」
「この国にッ!王は二人もいらない。……王というのは、時に非情の決断を迫られるものです。ピュリスも、その一人息子も、甘すぎたのです。最後のお勤めです。その身をこの国に捧げて下さい。これもボルカニアの為です。それならあなたも本望でしょう」
この国で、神の血をひく王の肉体を斬ることは許されざる事であった。そこで考え出された処罰の方法が、ボルテノン山のマグマの中に突き落とすというもの。
パースはイスカの足元を切断した。後ろに傾いていたイスカは、そのまま火口の中へと落下した。
パースの姿が段々と遠くなっていく。クソ…僕は…結局何も果たせないまま…。
ドプン
イスカはマグマの中へと落ちた。一瞬にしてイスカの衣服や、拘束具が溶けて消えた。しかしイスカの肉体は溶けることなくマグマの中を彷徨った。気絶と蘇生を繰り返しながらも薄れゆく意識下で、イスカは剣の柄を見た。
なんだあれ……まさか……勇者の剣?そうか、そりゃ誰も、見つけられるわけないよな。
イスカは柄を右手でギュっと握り締めた。
僕に力を。敵を皆殺しにする力を…!
肉体はとうに限界を超えている。剣を引き抜くだけの力は残っていない。だからイスカは、自らの身を捨てることを選んだ。生きる力を全て右腕に集中させた。きっと誰かがこの剣で、自分の願いを叶えてくれると信じて。
「ガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ」
刃が姿を現した。
イスカはマグマの振動を感じた。振動によってマグマが上昇する。圧力が下がり、体積が増加したマグマはさらに勢いを増し火口へと迫り上がっていく。
バーーーーーーーーーーーーーーン
そしてついに、ボルテノン山は噴火した。
火山噴出物と共に吐き出された、全身が燃えているイスカは、噴煙の中で何かを見た。巨大な翼に短い腕、膨らんだ腹に伸びた尻尾。鼻と口が伸びた顔には二本の角。そして、真っ赤な皮膚。
まさかこれが……この国に古くから伝わる……
「ボルカニアの…護り神…?」
この話はフィクションです。実在する個人、団体、出来事などとは一切関係ありません。




