愚か者の殺人。何故彼は民主主義国家で殺人を行うに至ったか(一応ナーロッパ的な剣と魔法の世界におけるミステリーです)
これは研究の下で見つけた驚愕の小説です。-ニノン・サンソン-
やぁ、僕はマチュー。偉大なる民主主義国家エギリーにある金持ちの名家、セカンド・クック家の御曹司なんだ。けど皆、僕の事を馬鹿にしてくるんだ。だから僕がどれだけ天才であるかを世間に伝えるために人を殺すんだ。
殺人計画はこう。昼間の人気のないところを歩いているターゲットを殺す。これだけ。もちろん、警察を騙すためにトリックを使う。しかも3つ!トリックの説明は後で行うとするよ。
「お母さん、今日はちょっとお店に行ってくるから。」
「わかったわ。気をつけてね。こうやって、どんどん外に出るのよ!」
こうやって出ていく。水筒と一緒に。この水筒、正確に言うと中に入っている水が今回の殺しの道具だ。
ターゲットを目指して歩いていく。歩いている最中に川と赤レンガ造りの家がある。更に歩くと警察官の騎士達がいる詰所と魔法のショップがあるけど気にする必要はない。彼らの目につくことはないだろうからね。
淡々と歩いて人気のない路地裏へついた。下調べの通り、今回のターゲットである無能なおじさんが見つかった。名前はエドガール・ウジェーヌという。健康のために毎日ここを散歩しているようだ。
知らない人に説明すると、このおじさんはフラン王国という王と貴族による独裁国家から国外逃亡した人なんだ。このフラン王国から逃げ出してきたフラン人達はエギリー人の働く場所を奪って私腹を肥やしている悪い連中なんだ。この前も僕が就職するべきだった商店も「フラン人の方が可哀想だから君は雇わない」という理由で落とした。とんでもなく酷い。その僕の居場所を奪って雇われたのがエドガール・ウジェーヌという無能なおじさん、というわけだ。
「ねえ、そこの人。落とし物をしましたよ。」
エドガール・ウジェーヌを適当な言葉で呼びつける。上手くいくかな?
「え、落とし物?」
エドガール・ウジェーヌが周りを見渡す。その時だ!
ドン!まずはエドガールの口を塞ぐ!叫ばさせないためだ!!
ガーン!!次にエドガールの頭を氷の棍棒で殴りつける!ブシャー!血が吹き出すけど、気にせず殴る!!何度も!何度も!!
・・・どうやらエドガールは声を上げる事もなく死んだみたいだ。やったね。
この氷の棍棒は魔法で水筒の水を凍らせて作ったものだ。もちろん、他にも沢山の魔法がある。例えば炎を出す魔法、相手を感電死させる魔法。まぁ、本当ならタイムスリップできる魔法や空を飛ぶ魔法があれば良かったんだけど、世の中うまく行かないものでそんな都合の良い魔法は存在しない。魔法にもルールがあって、炎を出すこと、物を凍らせる事、電気を発生させる事、音を消したり出したりする事、物をちょっとだけ浮かす事。魔法はこれだけしか出来ない。その中で魔法で氷の棍棒で殺すのが一番いいと僕は考えた。
そう、この氷の凶器はまだ誰も思いついてない最高のトリックなんだ!氷だから凶器はなくなる。凶器がなくなれば警察は犯人探しできない。沢山犯罪小説を読んだんだけど、不思議なことに誰もこのトリックを使って人を殺したキャラはいないんだ。
そして、もう1つ最高のトリックを仕掛ける。嘘のダイイングメッセージだ。皆知っているように警察はダイイングメッセージを参考にして犯人探しをする。だから嘘のダイイングメッセージがあれば警察は簡単に引っかかる。
ダイイングメッセージはこうだ。死体を動かして腕で丸を作る形にする。丸のポーズってやつだ。これで警察は「丸という単語と関係がある人間が犯人じゃないか」と勘違いする。もちろん、この近所にそういう丸と関係している人間がいる。名前はロバート・サークルというフラン人のおっさんだ。サークルは皆知っての通り円を意味する。こいつは一日中家に引きこもりながらフラン人専用の年金(注釈:ここでは生活保護の意味)を受けとっている、とんでもない奴だ。エドガール・ウジェーヌと同類だね。
こうやって僕は殺人計画を完成させた。もちろん、僕の家には騎士達が作った警察がやってくるだろう。だけど、最後のトリックがあるから僕は大丈夫だ。
後日、新聞に僕が起こした殺人事件が載った。中身は「犯人不明。警察の発表によると被害者は棍棒らしきものに殴られて殺された。凶器がどこに行ったかは不明。」。これが全て、つまらないぐらい普通の内容。読んで損した。
事件を起こして3日ぐらい立っただろうか。やはり警察が僕の家にやってきた。
「すみません、警察のアイリス・エストマンと申します。最近起きた殺人事件で聞き込みに来たんですが・・・。」
僕の家の玄関にやってきたのは銀髪銀眼の女騎士だった。ふん!どうせ無能だろう。ポンコツドジっ娘って奴だ。この国の騎士達が作った警察は国を苦しめているフラン人を全く逮捕しようともしない無能軍団だ。
「え、殺人事件・・・?」
「母さん、大丈夫だ。僕が出て答えるよ。」
母さんは動揺していた。多分変な事を言うに違いない。僕が出て警察に証言しよう。
「す、すみません。な、何の御用ですか。」
「先程も言ったとおり、殺人事件です。新聞でも報道されていますが、エドガール・ウジェーヌという人が殺されました。死因は撲殺です。犯行時刻はおそらく3時頃。それであちこちに聞き込みをしているのですが・・・。」
あちこちに聞き込みか。お約束って奴だ。実際に僕は3時ぐらいにエドガールを殺した。ここでアリバイがなければ僕は逮捕だろう。だが、僕にはとっておきのアリバイがある。
「そ、そうですか。あ、あの時、僕はダンデライオンというカフェで紅茶を飲んでいました。カフェの店員達が証言してくれるはずです。」
そう!これが最後のトリック。もちろん嘘だ。だが、このダンデライオンというカフェの従業員3人に「僕はあそこにいました」と証言するよう頼んである。やり方は簡単、お金を沢山払うから嘘の証言をしてほしいと頼んだだけだ。金はすでに直接渡している。名家、セカンド・クック家だからこそ出来るトリック。シンプルかつありがちだけど、そこらへんの無能共には絶対できないトリックだ。
「分かりました。それと、これはいくつか形式的な質問なんですが・・・。」
その後、このポンコツドジっ娘女騎士はいくつか質問をした。職業、年齢、普段何をしているか、それと尊敬している人物についてだ。僕が尊敬しているのはヨハン・シュミットという非常に有能な政治活動家だ。彼はフラン王国からエギリーへ国外逃亡したフラン人こそがこの国を苦しめているという真実を語っている人で、にも関わらず何度も議員の選挙に落ちている可哀想な人だ。
こうして質問が続いた後、警察は返っていった。後はカフェの人間が証言してくれるから大丈夫だ。
・・・一週間後、僕は警察から逮捕された。そして刑務所へ入れられ、裁判を受ける事になった。
「マチュー・セカンド・クックさん、ここは『僕は責任能力がない』という形で行きましょう。責任能力がなければ無罪になります。」
今、僕と話している人はローレンス・サプライズという若い弁護士。なんでも、僕が裁判をする時の味方になる弁護士らしいんだけど・・・これが変わった名字なだけであって、とんでもない無能だった。
「だ、だから言ってるでしょ!ぼ、僕はやってないって!!し、しかも責任能力がないって、ま、まるで僕にまともな知能がないみたいじゃないですか!ぼ、僕を馬鹿にしています!!」
そう、僕が仕掛けたトリックによって無罪になることを全く信じていないのだ。
「しかし、警察は優秀です。あなたがどれだけ嘘をついても簡単にあなたを犯人とするでしょう。ですから・・・。」
「い、いいです!ぼ、僕が本当の事をすべて言います!あ、あなたは信用できません!」
僕は刑務所の中へ閉じ込められながら、裁判の日を待つ事になった。そして、この手記を刑務所の中で密かに書き始めた・・・そう、この小説は僕の完全犯罪の記録だ。裁判では僕の完全犯罪によって警察は僕を逮捕できない事を証明してみせる!そして、全100章にもなる犯罪小説を書くんだ!
次の日、僕は裁判を受けている。裁判所は思った以上に狭かった。西側に僕がいて、東側に警察がいる。あのポンコツドジっ娘女騎士、アイリス・エストマンもいた。北側には裁判官がいて、南側では裁判を見ている人達が何人かいる。ヨハン・シュミットさんに僕の裁判を見てほしいと手紙を送ったが、忙しいのかいなかった。
「これより裁判を初めます。被告、前に出てきてください。」
早速裁判官に前へ出てこいと言われた。もちろん僕は無罪を主張した。その後、警察がしゃべる番になった。
「えー、検察官のレイモンド・エッジと言います。今回の裁判、よろしくお願いします。まず、マチュー・セカンド・クック被告にはエドガール・ウジェーヌ氏を殺害した容疑があります。被害者の死因は撲殺です。」
次に裁判官が説明をしてきた。如何にも無能そうな連中だ。
「被告人、あなたには黙秘権があります。終始黙っていたり質問に答えたくない場合は答えなくても結構です。」
いきなりだ!本当に無能だった!質問に答えなくても良いだと!僕が全ての質問に答えても警察は僕を逮捕する事はできない!僕は当然キレた!
「ふ、ふざけないでください!だ、黙っていればそのまま逮捕になっちゃうでしょ!ぼ、僕は全ての質問に答えます!」
そう言った途端、傍聴席から笑いが出てくる。何故笑うんだ。僕は正しい事を言っているのに。
「と、とにかく検察官から質問していただきます。エッジ検察官、良いですか?」
「はい。まずは被告の動機についてです。我々はフラン人差別による殺人だと予測しました。つまり、何の理由もなしにフラン人だからという理由だけで殺した。被告人、これは正しいですか?」
「た、正しいわけないでしょ!ぼ、僕は殺していない!だ、大体、フラン人ならいくらでも殺そうと思う人なんているでしょ!」
その瞬間、傍聴席がざわついて「こいつはひどい奴だ。間違いなく犯人だ。」と人々が小声でいう。何故だ、フラン人は全員殺されるべき存在のはずだ。僕はおかしな事を言ってない。
「・・・弁護人。質問、いいですか。」
裁判官が言う。こいつらは全く動揺しておらず冷静だった。
「分かりました。エッジ検察官、被害者は何らかの凶器による撲殺です。凶器は見つかっていない。これは正しいですか?」
ローレンス弁護士が質問する。検察官はこの答えについては「はい」と言うはずだ。
「はい、正しいです。」
「やった!これで僕の無罪は証明された!」
僕が言う。当然だ。氷で作ったんだ。溶けて消えたんだから証拠はない。そう、これで裁判は終わる。終わるはずだったんだ。
「検察官、次の質問、いいですか。」
なんと裁判官はまだ質問を続ける!僕の無実は証明されたはずなのに、どれだけ無能なんだ?!
「分かりました。次の質問です。被告はダンデライオンというカフェに大金を渡して、『自分がその場にいる』と嘘のアリバイを証言させた。これは正しいですか。」
「え・・・」
僕は小声で言ってしまった。まさか裏切ったというのか?!
「この経緯についてはアイリス・エストマンから説明していただきます。」
そういうと検事とかいう奴はあのドジっ娘ポンコツ女騎士を証言台に立たせた。一体どういうことだ?あれだけ大金を渡したんだから、トリックは完璧だ!そのはずだ!
「えーと、アイリス・エストマンです。今回、ダンデライオンというカフェの従業員に対して取り調べを行いました。そこで従業員3人は全員『被告はダンデライオンにいた』と証言しました。」
そりゃ見ろ!僕のトリックは完璧だ!三人ともちゃんとトリックを実行したんだ!
「しかし、客は全く入っていなかったそうです。そもそも近所の人達によるとあのカフェに客は一切入らないと。というのも、あのカフェは非常に紅茶も飯も不味くて・・・あ、これ以上は問題発言になっちゃうわね。」
「ま、不味い・・・?近所の人・・・?一切入らない・・・?」
あの店が客が一切はいらない?いや、確かに不味いなあとは思ったけど、一切入らないから近所の人達が嘘だと証明しただと・・・。
その時、傍聴席から声が聞こえた。『聞いたことがある。あの店は全く就職できない引きこもりが始めた店でどうしようもなく不味い』と。何故だ?!何故引きこもりが店をやっちゃいけないんだ?!
そんな僕の思をよそに女騎士は証言を続けた。
「話を戻すとして、なのでカフェの従業員3人に『正直な事を言いなさい。何故嘘の証言をしたかは分からないけど、もし仮に嘘だとすればこのままだと偽証罪になって3人とも逮捕になる。お金をもらって嘘をついたのなら、銀行を調べればすぐ分かる。家に金を隠していても無駄。家宅捜索すればすぐ分かる。もし金庫の中に入れても警察の手なら専門家と協力して簡単に開けられる』と言いました。そしたらあっさり白状しました。もちろん、脅迫の類はしていません。取り調べは可視化されていて第三者の弁護士が見ているから、大丈夫なはずです。」
「え・・・偽証罪・・・?」
偽証罪という意味は分からないが、嘘をついた3人共逮捕されるから白状しただと?
この時、傍聴席から声が聞こえた。『偽証罪も知らないとか信じられない』とか『たった3人の嘘の証言で警察をごまかせるとか、どういう神経をしているんだ』とか信じられないものばかりだった。
このトリックで駄目ならどうやって警察をごまかすんだ?
「け、けど、じょ、状況証拠があっても物証がないぞ!?きょ、凶器はどうするんだ?!」
そうだ、僕にはまだ鉄壁のトリックが2つもある。まずは凶器だ。凶器さえ見つからなければ逮捕されない。だが、凶器は氷だから溶けて見つかるはずがない。
「裁判官、弁護人。本来なら今度は弁護人が質問する番ですが次の質問、良いですか?」
「どうぞ。」
裁判官と弁護人が検察官に対して同時に言った。今度の質問はきっと凶器だろう。凶器さえ見つからなければ逮捕なんてされない。
「被告人は魔法で作った氷の凶器により相手を殴って撲殺した。これは正しいですか?」
「え・・・?」
信じられない。ここにいる無能なはずの検察官はあっさり推理していた。
「この事について再びアイリス・エストマンが説明します。」
再び、アイリス・エストマンが証言台に立つ。僕はわなわなと逮捕の恐怖に震えていた。
「はい。まずはマチュー・セカンド・クックの母親であるクレア・セカンド・クックからの証言です。
マチューがその日、水筒を持って出かけたと。そして、その光景を現場の詰所の騎士達が見ていました。怪しい人間だからよく覚えていたそうです。」
「な・・・。」
僕は驚いた。まさか、全員無能の騎士達が僕を見ていたのを覚えていたというのか!?次に検察官が発言した。
「後、これは私事になるんですが、私は犯罪小説が好きでよく読みます。その中で禁じ手というのがありまして。なんでも、氷の凶器による犯罪、特に魔法を使った氷の凶器は反則だそうです。すでに使い古されて話が一気につまらなくなるとか。実際に警察も魔法で作られた氷の凶器による犯罪を何度も経験しており、犯人を逮捕しています。」
「え・・・。」
嘘だ、嘘だ、嘘だ。氷の凶器による犯罪が使い古されている方法だなんて。どの本にも書いてなかったから斬新で絶対にバレないと思ったのに。しかも、現実に使われて逮捕者がいるなんて。
「じゃあ、ダイイングメッセージは?!あ、あの死体のポーズは?!」
そうだ、僕には最後のトリックがある。あのダイイングメッセージによりロバート・サークルに疑いがかかるはずだ。なのに、何故僕を逮捕した?!
「死体のポーズ?ダイイングメッセージ?」
検察官が首を傾げながら言う。
「そうだ、死体が丸を書いたポーズをしていた!だから犯人は・・・」
「あの、本当なら誘導尋問と似た形になってしまうので駄目なんですが、何故あなたはその事を知っているんですか?」
「え・・・?どういう事・・・?」
僕は衝撃を受けた。傍聴席からも『何のことだ』という言葉が飛び交っていた。
「あの丸のまぬけなポーズをとっていた事はマスコミには一切伝えてませんよ。知っているのは第一発見者と警察関係者だけです。今の証言は貴方が犯人だと自白したようなものでは?」
そう、僕は墓穴を掘ってしまった。僕は犯人でしか知らないことをわざわざ言ってしまったのだ。
「大体ですよ、警察はダイイングメッセージなんて当てにしませんよ。そんな物が仮にあったとしたら全て犯人が残した嘘のメッセージに決まっている。人が死の間際に暗号めいたメッセージなんて残すわけないじゃないですか。」
「う、嘘でしょ・・・嘘だ、嘘だああああああ!!」
僕は泣き叫んだ。信じられなかった。僕の完璧な犯罪計画がこんな簡単に崩れるなんて。
・・・これが僕の犯罪小説の全てだ。話はここで終わってしまった。
この後、大量の証拠が出てきた。近所の人達による大量の証言、渡した金、そして足跡。自分は足跡をすべて消したはずだった。だが、自分が無意識のうちに残してしまったのだ。この足跡が決定的な物証となった。
僕は警察に逮捕され、そのまま刑務所にぶち込まれる事になった。
何故穴があったのだろう。自分に知識はあったしトリックも完璧だったと思い込んでいた。だが、その前提が全て崩れてしまった。
まず、証言があっさりバレた事、警察は凶器は氷だと簡単に推理し、凶器の場所について全く悩まなかった事、そしてダイイングメッセージについて自らばらしてしまった事。
信じられなかった。何故あれだけの名推理が出来たのか?もしや警察にいわゆる名刑事という奴がいるのだろうか?だが、もし本当に名刑事がいるというのなら、とっくの昔に全てのフラン人は逮捕されているはずだ。では、これは偶々なのか?偶然警察は名刑事のような推理を行って僕を逮捕したのだろうか?それも有り得ない。なぜかは分からないが、そう僕は感じた。
もし仮にダンデライオンの従業員が嘘をつき続ければ、もしあの時に僕がダイイングメッセージについて言わなければ僕は逮捕されなかっただろう。きっと無罪になっていたはずだ。
だが、これで僕の犯罪小説は終わってしまった。いや、僕の人生そのものが終わった。そう、僕の人生は・・・。
-精神科医、ニノン・サンソンより-
この小説を読んでいただきありがとうございます。これが彼、殺人犯マチュー・セカンド・クックが密かに書き残した小説の全てです。
彼は引きこもりでした。名門中学を卒業したものの、10代の時に大学受験に失敗。更に就職先を探したものの、1389年飢饉による不景気の影響により就職先が急減しそれも失敗。そのままうちに引きこもって10年も経過してしまった、30代の男でした。
彼は小説を読んでいただいて分かるように無知でした。まず、彼は警察が容疑者を逃げ出さないようにするための牢屋である留置場、裁判で刑事被告人が逃げ出さないようにするための拘置所、実際に刑罰が下った人が罪を償うための場所である刑務所、この3つの区別が全くついていませんでした。全て刑務所だと考えていたようです。
更に逮捕はあくまで犯罪の疑いがある人間に対して警察が行う拘束であり、実刑という言葉を意味していませんが、彼はその区別も全くついておらず、実刑も逮捕も全て逮捕だと考えていたようです。
さらにありとあらゆる犯罪小説を読んだと小説の中には書いていますが、実際には5冊程しか読んでませんでした。黙秘権と検事という言葉も知らなかったようです。
にも関わらず、全ての人間を無能と馬鹿にしていました。名門中学を卒業したプライドもあったのでしょう。彼は警察のみならず、司法試験という難しい試験を通っている弁護士、検事、裁判官をも馬鹿にしていました。
彼は引きこもって5年ぐらいした後、かのフラン人差別活動家、ヨハン・シュミットの差別思想に傾倒していました。自分がこんな酷い目にあっているのは全てフラン人のせいだと考えていたようです。
ですが、少なくともこの小説内では違います。実際にマチューとエドガール・ウジェーヌ氏が同じ商店に就職しようとしてエドガール氏が選ばれたのは事実です。ですが、そもそも殺されたエドガール氏はフラン王国で野菜を売る商人の経験を10年以上も重ねていました。一方、マチューは引きこもりで全く働いていませんでした。これでは、エドガール氏の方が雇われるのも当然でしょう。
更に言えばロバート・サークル氏は名前が示すとおり、フラン人ではなくエギリー人です。彼は作家で小説執筆のために家へ引きこもる事が多かったのです。マチューはロバート氏が家から中々出てこないというだけでフラン人だと勝手に勘違いしていたのです。
もちろんロバート氏はフラン人専用の年金を受け取っていません。そもそもフラン人専用の年金自体、フラン人差別主義者のでっち上げです。ですが、マチューはこの嘘を信じていました。
ヨハン・シュミットはこの殺人事件に対して無関係を貫いています。もちろん、実際に事件を起こしたのはマチューであり、ヨハン・シュミットは全く関係ないでしょう。ですが、だからといって差別思想を広めるのは重大な罪である事は言うまでもないでしょう。
マチューが殺人を起こした後のセカンド・クック家はそれはそれは酷い事になりました。
まず、セカンド・クック家はフラン人の人権団体など様々な団体から「息子さんの殺人に対して精神的損害を受けた。これを補償しろ。」と訴訟を起こされました。次に毎日のように家の前でデモが行われました。このデモと訴訟を受けてマチューの父母は精神を病み、自殺しました。マチュー本人も拘置所で小説を書き上げた後、自殺未遂をしました。一命をとりとめたものの、植物状態となり、その後そのまま呼吸が弱まり亡くなりました。
そして、それを人々は「当然の事だ。」「金持ちが痛い目にあって良い気味。」「息子を引きこもりにした親が悪い。」と陰口を言っています。
ですが、これが正しいのでしょうか。確かにマチューが起こした事は許されません。ですが、マチューとセカンド・クック家に必要だったのは罰だったのでしょうか。
私は違うと思います。マチューに必要だったのは支援だったはずです。きちんとしたカウンセリングを行い、就業訓練をさせた上で職業経験が全くない状態でも受け入れる会社があれば彼はフラン人差別思想に傾倒せず、殺人も起こさなかったでしょう。
社会は職業経験がある人ばかり求め、一度でも失敗した人間に対して職を一切与えず、救いの手を差し伸べようともしない。この事件はそれ故に起きた悲劇だと思います。
彼は本来救われるべき存在でした。私はそう思います。
この事件により引きこもりとその支援者に対する風当たりはますます強くなるでしょう。ですが、我々支援者はこの風当たりに対して負けてはいけません。
最後に警察を始めにこの小説の出版にご協力してくださった方々に対して感謝を申し上げます。ありがとうございました。
-引きこもり支援を行う精神科医、ニノン・サンソンより-