囚われた者
国境を越えアルスの国の中心、ミハエル城に向かって魔王は飛びました。眠っている少女とその愛犬を抱きかかえながらでしたが、目眩ましの魔法を使っているので周りからは小さな鳥が飛んでいるようにしか見えませんでした。
魔王は人間を驚かせてはならないと、城の少し手前で地面に降り立ち、側にあった木の後ろで目眩ましを解きました。元々見た目が人間に近かったので、羽根を仕舞い、自分に耳を少し小さくする魔法だけを掛けました。それでほとんど人間の姿でした。
少女を抱え、ミハエル城の大門の前に立ち、フードを取って門番に言いました。
「ミハエル城の門番とお見受けいたします。初めまして。私はここを去ること、20キロあまり、ギル平原の者に御座います。今朝、ヨル川のほとりを散策していますと、見慣れぬ少女が岸辺に倒れているのを見かけまして、身なりや持ち物を確認しましたところ王家の者のようで、介抱しましたが、まだ意識がはっきりして居りません。そこで急ぎこちらにお連れ申した次第に御座います。すぐに王宮の者にお繋ぎいただけませんでしょうか。」
突然の来訪者に驚いた門番は、訝しげに睨め回しました。しかし、男が抱えている少女に目を留めると、
「やや、マリア王女様。これは一大事。貴様、少し待っていろ。」
と言いました。
「お待ち致します。」
小窓を閉め、あたふたと奥に入っていく門番を眺めながら、魔王はため息をつきました。
しばらくして、大門の小窓が再び開きました。
「おい、貴様、今、門を開けるから、そこを離れていろ。」
門番は声を掛けつつあたふたと大門を開け始めました。
大門が開き、吊り橋が落とされると、中から厳格そうな老齢な女性を筆頭に従者達が列を成して出てきました。
そして、魔王の元に近寄り、少女を確認すると、
「まさに、マリア王女様。ほんに良う御座いました。王女は何処にいらっしゃったのですか。」
と問いかけました。
魔王は、
「門番の方にも申し上げましたが、私が、今朝、ヨル川のほとりを散策していますと、見慣れぬ少女が岸辺に倒れているのを見かけまして、身なりや持ち物を確認しましたところ王家の者のようで、介抱しました。しかし中々お目覚めにならないので、急ぎこちらにお連れ申した次第に御座います。」
と言いました。
少女は怪我などをしている様子もなくすやすやと眠っているようでした。老齢な女性はそれを確認して少し安堵すると、
「エスター、直ぐに王女を中に、そして医者を呼びなさい。」
と言いました。
エスターと呼ばれた従者は
「はいはい、ただいま。王女殿下を。ではこちらに。」
と言うと、フットワークも軽く、件の少女を軽く持ち上げるとすたこらと城の中に消えました。
老齢の女性は、
「ありがとう、礼を言います。ただこのことは内密に。褒美の金貨を渡しますので、少し待ってください。」
と言いました。
魔王は、
「私は、頭があまり良くないので何が何だか解りません。ただ金貨を貰っても使うところがありませんから、褒美は入りません。私の役目は終わったので、そろそろ羊の世話のために帰らせてもらいます。王宮とか高貴な人たちはどうも苦手なのでして。」
と言いました。
「欲のない方ね。」
「いいえ、ただ、面倒事は御免なだけです。」
魔王はそれだけ言うと、呆気にとられているミハエル城の者達を尻目に、踵を返してさっさと歩き出してしまいました。
「放っておきなさい。」
老齢な女性はそれだけ言うと、まずは少女のことが大事と、城の中に入り、サーベント達にあれこれと指示を出し始めました。
魔王は、城からかなり離れたところで、人目の着かない場所を探して目眩ましの魔法を唱えると、再び背中から羽根を出して空に飛び立ちました。
「さようなら、マリア。」
寂しそうにそれだけ呟いて、魔族の国ハデスに向かって羽根を羽ばたかせました。
あれから数日、魔王はどことなく沈んだ様子でした。公務以外は部屋に閉じこもったり、時折ため息をついたり、城の者達は心配しました。
「魔王様、ここのところ元気無いわね。どうしたのかしら。」
「心配だわね。でも、憂いを帯びた魔王様もすてき。影のある横顔、なんかいいなぁ。」
「俺もさぁ、最近彼女に振られちゃってさぁ、元気無いんだよ。」
「あっそ。」
「影が出来てるだろ。」
「良かったね。あぁ、魔王様。本当に心配。」
公務が終わり、一人私室に籠もった魔王は、椅子に腰を掛けと、数日前本棚の奥から引っ張り出してきて今は机の上に置いてある小さな箱を手繰り寄せました。
中を開けると、そこには小さな花輪が入っていました。少ししおれていましたが、特に魔法で長持ちするようにされていたので、作ってから少し時が立ったようにしか見えませんでした。
「マリア…。」
魔王は机に頬を乗せ、ため息を付きつつ、花輪を弄りました。
「しようが無いよね。もう一度会えただけでも良かったんだ…。」
魔王の頬に一筋、何か光る物が流れたようでした。
うとうとと眠気が差し、いつしか魔王は夢の中へ入ってしまったようでした。
「魔王様、魔王様。」
揺さぶられて目を覚ますと、まだ幼さが抜けない目の大きな少年が側に立っていました。
「何だ、カロンか。」
少年の名前はカロンと言い、魔王の側仕えでした。その少年だけは必要な時に自由に魔王の私室に入ることが出来ました。その他の者は、喩え高位の者でも許可が必要なのでした。利発で元気な少年なので、魔王は殊の外、彼を重用していました。
「はい、魔王様。もうそろそろ、新騎士の叙任式のお時間です。今年は263人の新騎士が魔王様の叙任を待っております。お召し替えをお願い致します。」
「解った今すぐ行く。デアボロスの用意は出来ているか。」
少年はこくんと頷くと、
「既にマモン様が謁見の間に運び込んだように御座います。魔王様は早くお支度を。」
と言いました。
「直ぐに行く。」
魔王は机の上の物を片づけると、着替えのための部屋に急ぎ、サーベント達の手によって身支度が調えられていきました。
程なくしてすっかり用意が出来た魔王は、カロンの先導で謁見の間に急ぎました。