表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/66

■□■7■□■

 私がヒリングス副団長の書類仕事を秘密裏に手伝うようになって久しい。


 ほとんどが決済書類で、陳情も稀にある、そして一番問題なのが物品の購入申請だ。貴族出の騎士から来るのは、少々高めの物品の購入申請が上がってくるのに対し、平民出の騎士からのものはごく普通の消耗品だ。


「だが、この量は問題だな。在庫と使用簿を照合しなくては……」


 前に消耗品を横流ししている馬鹿者がいたのだ。国からいただいている大事な金で、懐を潤すなど言語道断。


「ひいては第五騎士団の汚名になると、なぜわからんのか……」


 ただでさえ、お荷物騎士団などと呼ばれているのに。いや、それなら最初に糾弾すべきは副団長か。

 胸の中に苦い澱が沈む。

 副団長の仕事をこうして肩代わりしている身で、彼を糾弾することはできないだろう。

 本来ならばちゃんと諫言しなければならないのに、保身のためにできない……。

 自らの不甲斐なさにペンが鈍る。


「あと、一年だ」


 あと一年頑張れば、逃れることができる。


「…………のがれる」


 思い浮かんだ言葉にペンが止まり、握る手に力がこもり、軸がミシッと軋んだ。


「違った、あと一年を悔いの残らぬように、だ」


 小さく呟き、後ろ向きになりそうな自分を胸の中で叱咤する。

 一年後自分はここに居ない、領地に戻り突貫工事で淑女教育を受け……正直に言って、女性の振る舞いを身につける自信は無いんだが……どこか格下の男爵家あたりに嫁に行く予定になっている。二十歳を過ぎて許嫁もいない身だが、男性に比べて女性の人数が少ない現状であれば、どこぞのヒヒじじいの後家になることもないだろう。


「いっそ平民に嫁ぎたいな。いまなら、鍬だろうが鎌だろうが、持つのに苦はないのだが」


 我が家の領地は、北の国境を守護する辺境伯の領地と隣り合っているちいさな山間部だ。

 一年の大半は雪に覆われ、織物や工芸品等の手工業が冬の大きな収入源のちいさな土地。歴史だけは古く、建国時代には既に領地としてあった……もっともその頃は辺境伯であったのだが、武に秀でてはいるものの領地の経営には長けていなかったらしく、色々あって領地は現在の猫の額ほどで落ち着き、降格した家格は子爵となっていた。

 問題は、歴史だ。下手に歴史があるから、歴代の当主は自分の代で絶やすことがないように必死になるのだ。

 現当主ちちうえなど、なにを血迷ったのか長女の私を、男として王都に送り込んだ。

 アーバイツ家が現在も健全であることをアピールしたいのだろうが、私のような貧弱な者に騎士をさせることのほうが恥ではないのか。


 領地には、私を花嫁修業に王都に出ているとうそぶき。こちらには息子として、騎士としての仕事をあてがう。

 それもこれも、まだ幼い弟の為。


「なんとも、短絡的だ……。歴代当主がこれだから、我が家の領地は猫の額なのだ」


 ため息も漏れるというもの。


「せめて、これくらい泥臭く生きてくれれば、領地を削ることもなかったろうに」


 手にしていた書類を脇に避ける。陳情書と言う名の、密告。

 だが注意しなくてはならないのは、これがでっち上げでないかどうかだ。


「面倒だな……」


 私には権限がなにもないから、部下などもいない。裏を取るなら、自分で行わなければならない……面倒だな団長に投げよう。

 一通り書類を片付け、団長の決裁が必要な書類をまとめて持ち、一番下に問題の書類を入れて机を片付ける。

 副団長の御指導があったから、少々遅い時間になってしまったが。早く届けて、休もう。


 書類を持ち人気の無い通路を選んで通り、団長の執務室を目指す。


 ドアをノックし、返事がないのを確かめて中に入る。案の定誰も居ない、とっくに御自宅に帰られている時間だものな。

 ドアには認証魔法が組み込まれているので、室内が無人の場合は決められた人間しかこのように自由に入ることはできない。


 私は副団長の体のいい使いっ走りであるので、その人数に含められている。万が一問題が発生した時のことを考えると恐ろしいが、拒否権はなかったのだからしょうがない。


 部屋の灯りをつけて、執務机の所定の位置に書類を置き、一番下に持っていた案件を、机の引き出しに滑り込ませた。


 これで今日の仕事は終了だ。ホッと安堵の吐息を溢して灯りを消し、部屋を出る。


「よぉ、また副団長の尻拭いか」

「騎士シュベルツ。食堂ではありがとうございました、助かりました」


 私が部屋から出るのを待ち構えていたかのようなタイミングで声を掛けてきた彼に、驚いたのを表に出さないようにしてゆっくりと頭を下げる。

 敢えて問いには答えず食堂の礼を優先させた私に、彼は肩を竦めた。


「礼には及ばん、団長からの命令だからな」


 団長至上主義である彼らしい答えが、いっそ清々しい。


「じゃあ礼は撤回しておきましょう。この度の面倒は、団長直々にいただいたものなので」

「本当に、いい性格になってきやがったな。」


 彼も寮に戻るところなのか、私の横を同じ歩調で歩きながら、苦々しい声を吐く。


「寮ならともかく、基地ではきちんとした言葉遣いを」


 どこに面倒なやからがいるかわからないのだから、とまでは言わずに、さっと注意をしておく。


「忠告、痛み入る。それで、いまさら従騎士を引き受けたのは、団長の命令だけなのか?」

「拒否はしたのですよ。あと一年しか居ない者に従騎士を付けるなど、勿体ないでしょう」


 竦める私の肩に手が掛かり止められる。


「なぜ辞めるんだ。父君もまだお若く健在なのだろう? 家を継ぐ準備にしては、早すぎやしないか」


 小出しにした、嘘ではないが正確でもない私の身の上を覚えていたらしい彼の言葉に、頬が強張ってしまう。ここが薄暗い廊下でよかった、今日はなぜか上手く顔を取り繕えない。


「いや、私は家は継ぎません。そうではなく……また別の、貴族ならではのややこしい事情があるだけです」

「継がない、のか? 確か、長子なのだろう?」


 驚いたような声に、苦い笑みが頬に浮かんでしまう。彼から顔をそらして軽くうつむけば、私よりも長身の彼からは私の表情は見えない。


「そうですね”長子”ではあります」

「あ……ああ、悪い。立ち入ったことを……」


 意味深に繰り返せば、なにかあるのを察して引いてくれる彼に、そっと口を閉ざす。

 長子世襲であれば、男装することもなく騎士になることもなかったのに。嘆くのは、せんいことだ。


「私が団を退いた後は、どうぞあの者をよろしくお願いいたします」

「貴族であるあなたなら、御同類の騎士に頼まれたほういいのでは?」


 使い慣れない様子の言葉遣で牽制され、胸が小さく痛んだ。わかってはいる、平民と貴族は相容れないのだと。

 だから、私もずっと線を引いて接してきたのに、いまさら彼らに頼ろうなどと……虫のいい話だったな。恥ずかしいことをしてしまった。

 どう返事をしようか考えあぐねて黙ってしまった私の頭を、大きな手がぐしゃぐしゃとかき混ぜ、つんのめりそうになる。


「本当にお前は、真面目すぎる。それだから、貴族出の連中にいいように使われるんだ、今だって、ヒリングスのヤツの尻拭いの書類だったんだろう、いっそお前が副団長になっちまえばいいんだよ」

「そんな面倒は御免です」


 顔をあげてきっぱりと言い切り、乱された髪の毛を手ぐしで整える。


「それに、書類仕事の手伝いは、悪いことばかりではありません。貴族、平民関係なく、色々と把握することができますし」


 書類から見えてくるものもある、そしてそれが弱みになることだって多々あるわけで。ひ弱で後見もろくに無い私がそれなりにやってこれたのは、書類仕事に長けていて、副団長から重宝されていたお陰だ。


「はは……なるほどな、そういやそうだ」


 彼もまたすねに傷を持つ身であり、私に僅かばかりの弱みを握られている人物だった。


「そういうわけで、騎士シュベルツ、シュラのことよろしく頼みますね」

「仕方ねえなぁ、わかったよ」


 ようやく了解を取り付けられホッとして、彼と連れだって寮に戻った。

 部屋のドアの開け閉めに注意しながら、自分の寝室にたどり着いてホッとする。

 一日の汚れを、服も体もいっぺんに清浄の魔法で綺麗にして、動きやすい寝間着に着替えてベッドに潜り込む。


 長い一日が終わり、目を閉じるとすぐに吸い込まれるように意識がなくなった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ