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大変助かります!
「私が、結婚、ですか?」
王妃殿下に呼ばれ、ソファにかけるように指示されたところで、なにがあるのかと身構えた私に、彼女は朗らかな笑みを浮かべて切り出した。
「わたくしの甥で、第三騎士団に勤めている子がいるのだけれど。年の頃も丁度いいし、騎士同士わかりあえるところもあると思うの。どうかしら、あなたも婚約者がいないでしょう?」
第三騎士団で王妃殿下の甥といえば、王妃殿下の御実家であるヴィブロス公爵家の三男だろう。上二人の兄と年が離れてできた子だと聞いている。公爵家出身であるのに、第一や第二ではなく第三騎士団に所属しているということは、そういうことだと察することはできる。第五騎士団に所属していた私が言うのもなんだが。
それに……脳裏に浮かぶシュラの存在が、私の心を押しとどめる。
「ですが、私のような粗忽者、王妃殿下の縁続きになるなど恐れ多くございます」
「あら、そんなことはないわ。まずは、一度会ってみるのもいいでしょう?」
そうして、王妃殿下に勧められるまま日程が決まり、スカートのひとつも持っていない私のために、王太子妃殿下がご自分の服を下賜くださり、落ち着いた色味のその服を城のお針子に着丈などを調整してもらった。
本当ならば、今日の休みはシュラの祝いを探しに行きたかったのだが、また後日になりそうだ。あと半月もせずに帰ってくる予定なので、まだ時間はあるが……。
城の侍女が着付けや化粧を請け負ってくれるのに身を任せ、おとなしく終わるのを待つ。今回はドレスなどという堅苦しい格好ではないのでまだ楽なのだとわかってはいるが、本当にこの準備の時間には辟易する。
「さぁ、できましたわ」
胸元まで伸びていた金色の髪を結い、薄化粧を丁寧に施してくれた侍女が満足そうに鏡を見るように勧める。目元が強調され、華やかな唇となっている、派手さはなく落ち着いた化粧に安堵する。
「素晴らしいできですね。ありがとうございます」
「ふふっ、バルザクト様は素材がよくていらっしゃいますから。さぁさ、行ってらっしゃいませ」
送り出され、王宮の一室に設けられた、見合いの席に向かう。
テラスのある部屋に着くまでに、王宮を警備する第二騎士団の顔見知りに驚いたように上から下まで見られたり、たまたま通りがかった王太子殿下に呼び止められた。
「ヨハイス・ヴィブロスのことはよく知らぬが、あれの兄達は文官として勤めていてな、二人共実直で勤勉な人物だ。悪い縁談ではないはずだ、武運を祈っているぞ」
「戦いに行くわけではないのですが……」
「ははっ、わかっている。だが、悪い縁談ではないはずだ、気分転換だと思って、気軽にお茶をしてくればいいだろう」
気安く肩を叩き護衛と共に立ち去る背中を見送ってからひとつため息を吐いて、部屋を目指す。
指定されたのはよく王妃殿下がお茶をするのに使う部屋で、テラスから外に出ることができる開放的で素敵な場所で私も好きな部屋なのだが、今日は気が重い。
ドアをノックし、応じる声が聞こえてそっとドアを開いた。
「失礼いたします、バルザクト・アーバイツです」
なかに入ると、テラスに出る大きな窓の前に立っていた青年が振り向いた。私と同じくらいの年齢に見える。
騎士団に所属しているだけあって体格がよく、真面目そうな四角い顔は、緊張しているのか笑みのひとつもない。
「ヨハイス・ヴィブロスだ、あなたのことは色々聞いている」
椅子を勧めることもなく話しはじめた彼に近づき、彼の攻撃範囲から外れた場所で足を止める。
「左様でございますか。どのような? とお聞きしてもよろしいですか?」
角を立てぬよう、なるべく柔らかい表情を心がける。
「いや……あまり耳障りのいい話ではないから、やめておこう」
それならば、最初から話題に出さなければいいのにと思いながら、深く追求せずにおく。
「思うところがあろうとも、王妃殿下からいただいたお話だ、決まったようなものだろう。今日、顔合わせをしたのだから、次の休みは両親に会ってもらう、君の両親はいつこちらに来る? もう連絡はしたのだろう? 速やかに顔合わせを済ませてしまおう」
彼のなかではもう結婚するのは確定しているようで、事務的にそう告げてくる。
なるほど、確かに王妃殿下からのお話ということで……そうか、断るという選択肢は最初からなかったのか。いや、でも王太子殿下の様子では、そうは見えなかったのだが。
「随分急いでおいでだが、なにか理由でもあるのですか」
椅子も勧めず矢継ぎ早に進めようとする彼に少々引っかかりを覚えて尋ねると、あからさまに顔を顰められた。
「こんなことをダラダラしてもしようがないだろう、さっさと終わらせるに限る」
視線を外してそう断言され、あまりの言いように呆れてしまう。
確かに、貴族同士の婚姻とは義務であるが、それでもお互いを尊重してしかるべきであるはずではないのか。
それとも――。
「私が第五に所属していたことがご不満か? 或いは、現在第一騎士団に所属しているのが、お気に召しませんか」
「なにをっ!」
あからさまな挑発に簡単に乗る、これが私の夫となる人なのか。
静かに見つめる私に、声を荒げたことで下手を打ったことに気付いたのか、取り繕うように咳払いをした。
面倒臭い男だと思う。
そして、彼の望む速度で進んではいけないと、直感が告げる。
「王妃殿下からは、一度会ってみるようにと言われただけですから、確定されたものではないでしょう。焦る必要はないはずです」
「王妃殿下の口利きがあったんだ、確定したようなものだ。いいか、つべこべ言わず来週、我が家に挨拶に来い!」
言い捨てて部屋を出ていく彼を見送って、ため息が出てしまった。
一人きりになったので、折角だからテラスへ出てみる。
「そういえば、綺麗にしてもらったのに、お世辞のひとつもなかったな」
侍女とお針子が頑張ってくれたのに、その努力に気づきもしないのだ。思い返すにつけて、あの男と共に歩む未来は想像できないのだが……。
テラスの手すりに身をもたせ、ぽっかりと空いた時間に苦笑いする。
顔合わせが、こんな惨憺たる結果になるとは思わなかった。もっと粛々とするものだと思っていたのだがな。
「とはいえ、時間ができたんだ。シュラへの祝いを探しにいくか」
不可抗力とはいえ珍しく着飾ったのだし、このまま部屋でくすぶるのももったいないだろう。
そう思いついたら、なんだか元気が湧いてきた。
スカートを翻し、外出届けを……と考えて、そういえば事前に出してあったことを思い出した。もともと今日は、シュラのプレゼントを探しに行く予定だったのだものな。
部屋を出て、裏門から外出する。
門を守っているのは第二騎士団だが、私がバルザクトだと気付いているのかいないのか、特に声を掛けられることもなかった。
足取りも軽く街へ向かう。
シュラへの贈り物はどんなものがいいだろうか、彼からは色々と……規格外の物をもらっているが、同じ物を返すことはできないけれど、それでも彼のためになにか贈りたい。
貴族街にある店を冷やかして歩く。
黒い髪に黒い目、時々奇行もあるが、誠実で素直な男だ。
どんなものがいいだろうか、どんなものを喜んでくれるだろうか。そう考えたときに、私は彼の好みを知らずにいることに気付いた。
愕然とする。
あれだけ一緒にいたのに、一緒に訓練に励んでいたのに、私は彼が好きな物ひとつ知らないのではないか? いや、ひとつくらいなにか……。
通りの窓ガラスを睨みながら悩んでいると、不意に肩を叩かれ、飛び上がるほど驚いた。
「よぉ、騎士バルザクト。こんなところでどうした」
「騎士シュベルツか、驚かせないでくれ。心臓が飛び出るかと思った」
胸を押さえ少々大袈裟に訴えれば、笑って背中を叩かれる。
「ははっ、見間違えじゃなくてよかった。それにしても、久し振りだな、元気にしているか?」
「ああ、職務が変わって、戸惑うことだらけだ……。そうだ、第五の様子はどうだ」
「副団長が書類仕事が捗らないってキリキリしてるぞ、ボルテス団長も忙しそうだしな。第一にお前を取られたのが効いてるようだ。こんなところではなんだ、ちょっと休まないか?」
彼に誘われるまま近くにあった喫茶店に入り、人目につきにくい奥の席についた。
お茶が二つきて店員が去るのを待ってから、真剣な表情で彼が口を開いた。
「お前、大丈夫か?」
言われた言葉の意味を図りかねて返事ができない私に、彼はため息を吐き出した。
「攫われるように王宮に連れて行かれただろう。騎士団の上層部は、お前が今回の魔獣の暴走の鎮圧に、尋常じゃねぇ貢献をしたことを知っている。俺は、ギルド経由で知ったんだが、お前かなりややこしい立場になってんじゃねぇか」
「私がか? ややこしいというのは……?」
ざわりと嫌な予感がして、聞き返した私に、彼は舌打ちする。
「自覚ねぇのか? どう見ても、お前の力を囲い込みにきてんじゃねぇか。お前、暴走のときに、ばかすか回復魔法使っただろう、それは普通じゃねぇって、わかってるよな?」
「あ、ああ、わかっている。だが、あの時はそうせねば――」
「無尽蔵に兵を回復デキるってぇのは、すげぇことだぞ?」
遮るように言われた彼の言葉に、なにも言い返せない。
押し黙ってしまった私を見て、お茶を一口飲んだ彼は、くつろぐように椅子に背中を預け、今更気付いたというように私の格好を褒めた。
「今日は随分と、綺麗な格好をしてるじゃねぇか。まぁ、女装姿を見てたから、予想はできたが。そういう格好もいいな」
「あ、あっ、ありがとう……慣れぬのでな、恥ずかしいのだが。紹介された相手との顔合わせともなれば、それらしい格好をせねばならぬらしい」
ポロリと零れた言葉に、彼の視線が厳しくなる。
「おい、そいつは、シュラも知ってるのか?」
問われて緩く笑う。
「シュラとはあれ以来、連絡が取れていない。あいつは第十騎士団の所属になったのだろう? 騎士に昇格したと聞いたが、騎士シュベルツは、その、騎士になったシュラには会ったのか?」
「ああ、会ったよ。騎士の制服が似合っていた。お前が手塩に掛けて育てただけはある」
すこし緊張して尋ねた私に、彼はちいさく笑って答えてくれた。だがすぐに真剣な顔になった彼に、私は質問攻めにあう。
「それで、顔合わせの相手というのはどういう奴だ? いったいどういう経緯でそうなった、故郷に帰るというのはなくなったのか」
隠していることはもうないので、すべてに答えていくと、彼は思案するように沈黙してしまう。
「そうか……思った以上に面倒なことになっているな。貴族ってぇのは、本当に、面倒なしがらみばかりだな」
一応貴族街であることに配慮して、一層声を落として言った彼に、肩を竦ませる。
「私とて、面倒だと思っているさ。だが、家の体面や、これから領地を継がねばならぬ弟のことを思えば、迂闊な事もできぬしな」
「ああなるほどな、身内を質に取られているようなもんか」
納得した彼だったが、腕を組んで身を乗り出す。
「それで、お前の幸せはどこにあるんだよ? 結婚まで利用されて、それでいいのかよ」
「いいも悪いも……私の人生は、いつだってこんなものだ。いや、貴族の女というのはそういうものだろう、結婚は家のためにするものだからな」
「お前は他の女とは違うだろうが、男と同等に戦ってんだろ。せめて、結婚くらいは、お前の意思で決めていいんじゃねぇのか。いや、男と同等に戦えるからこそ、鎖をつけられてるのか」
悔しげにそう言ってもらえて嬉しくなる。私を認めてくれているのだな。だが、少々不穏な言葉が続いたな。
「それは考えすぎだろう。私に、それ程の価値はな――」
「あるぞ、お前の価値はかなり高いからな。迂闊に低く見積もるなよ、いいように使い潰されるぞ」
厳しい表情と言葉に、反論が出なくなる。
「ちゃんと考えろよ。お前、このままだと飼い殺しになるんじゃないのか。そりゃ、騎士なんてのは国の番犬だが、そうじゃなくよ。……お前の献身を、食い物にされるんじゃねぇぞ」
他に用があるからと、先に席を立ったシュベルツを見送り、彼の残していった言葉を反芻する。
「……無茶を言う」
ため息を吐いて冷めたお茶を飲み、肩を落として席を立つ。
浮ついた気分はすっかり萎えて、道すがら目に付いた時計屋のドアをふらりと押した。
「いらっしゃいませ」
高級感のある落ち着いた雰囲気の店内に客の姿はなく、あまり広くはないその場所に居心地のよい空気を感じた。時を刻む時計の音に紛れるように、穏やかな声がかけられた。
「すこし見せてもらってもよろしいか?」
「ええ、どうぞゆっくりご覧になってください」
店の雰囲気に合う落ち着いた様子の青年が、カウンターに展示されている時計を見てゆく私に配慮し、すこし離れていてくれるのがありがたい。
シュラへの贈り物は懐中時計にしよう。この店の時計はとても丁寧な細工で、同じ意匠がひとつもないのがいい。
その一つ、金色の蓋のついた懐中時計が目を惹く。
「すまない、これを見せてもらってもいいか?」
「承知致しました。こちらは裏側に、特殊な方法で薄く削り出した黒曜石が貼られております。ご希望がございましたら、他の石に替えることも可能です」
店員によって開かれた蓋の裏側には、細かく金色が散らばった美しい黒い石が嵌まっていた。
「綺麗だな……。金色が混じっているが、黒曜石なのか?」
「正確にはゴールデンオブシディアンと呼ばれる石です。黒い色の石は全般そうなのですが、魔除けや厄除けの力を持ち、持ち主を守ります。この石もまた、持ち主をまもり、直感や決断力を高め、成功を手に入れる手助けをしてくれるといわれております」
丁寧に説明してくれる店員の言葉に、いっそうこの時計が好きになった。黒はシュラの色であり、彼を守ってくれるのならば、これ以外にないだろう。
「ああ、素敵だな。これをいただいてもいいか?」
「承知致しました。こちら、メッセージを入れることができますが、いかがいたしますか?」
「メッセージ? 入れるとしたらどこにですか?」
身を乗り出して聞く私に、彼はカウンターの横にあるスツールを勧め、カウンターの下から工具を取り出すと、器用に黒曜石を時計から外し、まっさらな蓋の裏面を見せてくれた。
「こちらに彫ることもできますし、この、時計の縁にぐるりと入れることもできますよ」
「面白いな。ここに入れれば、相手に知られることがないのか……」
魅力的な言葉に、吐息する。
見えぬところに思いを入れるというのは卑怯だろうか、叶わぬ思いを託すのは狡いだろうか。
「ええ、そうですね。なにか入れたい言葉など、ございますか?」
微笑んで紙とペンを差し出してきた店員からそれを受け取り、すこし時間をもらう。
まず外側には、騎士となった祝いの言葉と彼の名を、それから中には――。
『我が∞の愛を捧げ、あなたの幸いを祈る』
どうせ見られぬのならと、思いを込めた文字をしたためた。
「この○を二つ並べたのは?」
「異国の言葉で無限大を意味する記号らしい、そのまま入れてもらえるか?」
「承知致しました、無限大、ですね」
完成までに数日かかるということで、先に代金を支払った。安くはない値段に更にいくらか上乗せして渡す。
「すまないが、できあがったら第十騎士団に所属している、シュラという騎士に届けてもらえないだろうか」
不躾な願いに、店員は怪訝な顔をする。このように貴族相手の高級な店の商品ならば、自分で相手に渡すのが普通なのだから、不審に思っても仕方はないか。或いは、家令に命じる者もいるかも知れないが、すくなくとも店員に頼む者などいないのではないだろうか。
「ご自分でお渡しにはならないのですか?」
「そうしたいのは山々だが……少々立て込んでいて、いつ渡せるかわからぬのでな。このように素晴らしい時計だ、早く使ってもらいたいじゃないか」
無理に笑ってそう伝えれば、納得したのか引き受けてくれた。
「必ず、お渡しして参ります」
「よろしく頼む」
力強く承知してくれた店員に安堵し、店をあとにした。
用事が終わったので、あとは帰るだけなのだが……足が重い。
夕焼けの空には雲がかかり、私の気持ちと同じようにどんよりと暗くなる空の下を、ゆっくりと王宮に向けて歩き出した。




