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夢も見ずに眠り続け、目が覚めたのは王宮の一室、天蓋付きのベッドの上、身につけたことのない肌触りのいい寝間着を着ていることに驚く。あとでそれは王宮の侍女が着せたものだとわかるが、それにしても他人の手で着替えさせられるというのはいたたまれない。
動かない体に戸惑いながらベッドの端に移動し、体の調子を見ながらゆっくりとベッドを出て室内を歩き、窓に近づき外を見るといまが早朝であることがわかった。
空腹に慣れた体だが、いつも以上に飢餓感があることに戸惑う。
なにか着替えるものはないかと探せば、ベッドサイドの棚に一揃いの騎士服が用意されていた。これを着ろということなのだろうか。
戸惑いながら袖を通せば、いままで着ていた騎士服とはすこし雰囲気が違った。胸や腰回りが豊かになったいまの体型に不具合がなく、これが女性的な形であることに気がついた。
一層戸惑いを深めながら、この部屋にくすぶっていてもどうしようもないと、部屋のドアを静かに開けた。
ドアの両側に騎士が付いていたことに驚く。
「アーバイツ殿、お目覚めですか。ただいまお呼びして参りますので、室内でお待ちください」
「え? はい、承知しました」
声を掛けてくれたのが、あの日、王妃殿下達の警護に共についた壮年の騎士だった。彼と話しているうちに、もう一人の騎士が持ち場を離れたので、誰かを呼びに行ったのだろう。
煩わせるわけにもいかぬので部屋に戻り、喉の渇きを覚えたので置いてあった水差しから、立て続けに二杯水を飲んだ。少し柑橘系の爽やかさがあり、美味しく感じた。
誰かを呼んでくると言っていたな、医師だろうか?
室内にあるソファに座る気にはなれず、壁際に置かれていた机の椅子に座る。睡眠を取って回復しているはずなのに、なんだか体が重く感じる。
ドアがノックされ、億劫な体を持ち上げてドアを開けた。
「アーバイツ様! よかったわ、目が覚めたのね!」
ドアを開けた途端、王太子妃殿下に抱きつかれて驚いた私に、彼女の後ろにいた王太子殿下が彼女を窘めてくれたので、抱擁を解かれてお二人と護衛と共に部屋に入った。その護衛は……私の記憶が確かならば、第一騎士団の副隊長ではなかっただろうか。
ソファにかけられたお二人のうしろに立つ険しい顔の彼から視線を外し、王太子殿下に勧められて向かいのソファに姿勢を正して座る。
「もう、体は大丈夫なのか?」
気安い調子で声をかけられ、体のだるさを隠して首肯する。
「はい、問題ありません」
王太子殿下がご訪問されたということは、私の罰が決まったということだろうか。思い当たったことに、気持ちが引き締まる。
「二日も目を覚まさなかったのですもの、お腹が空いているのではなくて? お食事を用意してありますのよ」
王太子妃殿下が合図すると、カートを押した侍女がやってきて、テーブルの上に食事を用意していった。
「どうぞ、お召し上がりになって。二日ぶりですから、食べやすいものを用意したのよ。急がず、ゆっくりお食べになってね」
ニコニコとした彼女に戸惑って王太子殿下に視線を移すと、彼もまた微笑んで食事を促した。
それにしても、私は二日も寝ていたのか。ああ、だから寝過ぎて体もだるいのか、納得できるな。
「私たちがいると食べにくいかも知れないが、ヘレイナの我が儘だと思って食べてくれ」
「ふふっ、そうよ。私の我が儘に付き合って」
お二人からそう勧められると食べないわけにもいかず、腹を括って食事をいただくことにした。
「では、失礼して、いただきます」
私は自分が思っていたよりもずっと、空腹だった。そして、体型を気にしなくてよくなったいまは、食事を過剰に制限する必要もなく。ああそうだ、さすが王族が召し上がる食事でもあって、とても美味しかったのだ。
「なかなかいい食べっぷりだ。ああいい、食べながら聞いてくれ。アーバイツ、君をヘレイナ、王太子妃と王妃……母上の護衛騎士に任命したい」
咀嚼していたものがなくてよかった。言われた内容を今一度脳内で反芻し、カトラリーを置いて一口水を飲んだ。
「スザーレント殿下、私は性別を偽っておりました、その罰はどうなったのですか」
「罰だなんて! アーバイツ様、あなたは十分つらい思いをしてきたではないですか。もう、偽る必要はないの、どうか私たちの護衛騎士になっていただけませんか? 同性である方に騎士になっていただけたら、男性の入れない場所も護衛していただけるでしょう? 侍女もおりますけれど、騎士のあなたがいてくださったら、それだけで抑止力になるの。そうそう、取り急ぎで、あなた用の騎士服を作らせたのだけど、とてもよく似合っていて素敵だわ。どうか、引き受けてください」
王太子妃殿下は私の横に座り、手を取って潤んだ瞳で見上げてくる。懇願と呼んでいいその様子に、心がぐらりと揺れる。
彼女の言い分も理解できることも、心が揺れた一因だった。それに……騎士でいられるならば、まだシュラと共にいられるということだ。
「スザーレント殿下、本当に私などでいいのでしたら、そのご命令、謹んでお受け致します」
「そうか! 君の実力はジェンド団長にも聞いているし、先日の迷宮暴走でも、そなたがいなければ、苦戦を強いられ、被害も大きくなっただろうと聞いた。これからも、我が国を守る騎士でいてくれ」
そんな過分なるお言葉をいただいて、お二人を見送った。
その後、慌ただしく私の立場が構築された。
王宮内の王族の居室に近い場所に部屋をいただき、田舎の領地にいる父へ今回の顛末……性別を偽っていたことを許され、王妃殿下達の護衛騎士の任を賜ったことを伝えれば、喜びと共に誠心誠意お仕えせよと返事がきた。元々武の家系なので、とても喜んでいるのが手紙を通して伝わり、安堵と誇らしさが胸にあふれる。
業務の性質上、私は第一騎士団に転属となり、だが命令は別系統で、王妃殿下付の側近から直接いただくことになった。
翌日からすぐに任務につくことになり、第五騎士団に挨拶に行くことも、第一騎士団への顔合わせもなく仕事がはじまった。
せめて、基地の寮に戻って私物を取りに行き――シュラとも話をしたかったのだが、王妃殿下の二泊三日の公務に急遽参加することが決まり、戻った時には王宮にある部屋にすべてが移動されていた。手数を掛けた侍女にお礼を言えば、朗らかに次の休みのデートを申し込まれた。
「私は女だが、いいのか?」
まさか、まだ男に見えているわけではないと思いながらも確認すれば、笑い飛ばされてしまう。
「あら、バルザクト様は下手な殿方よりも凜々しくていらっしゃいますよ。デートというのが、外聞が悪うございましたら、そうですね、お買い物に付き合っていただけますかしら?」
私よりもすこし年上の彼女の優しさに感謝し、その日の休日は一日敬意をもってエスコートさせていただいた。男物の服しか持っていないので、なんとか着られるものに袖を通し、少々胸を押さえてだったが、大変喜ばれたので問題はなかったようだ。
その後も、王宮に勤める女性から休日の買い物のつきあいを頼まれるようになった。世話焼きな彼女達は、一人女騎士として王宮に入ることになった私のことを気に掛けてくれるのかもしれない。
ありがたいことだと思いながらも、シュラの様子を見に行く時間が捻出できないことに焦りが生まれる。護衛の仕事は第五騎士団時代とは、拘束時間が違い、夜遅くまでの勤務がままあるし、警護の報告書の作成、身体能力を落とさぬための訓練も今まで以上に身を入れねばならなかった。
時折、口さがない中傷が耳に入るが、それも当然のことと思う。第五騎士団出身で、なにより女である身で騎士の任に着いている、ジェンド団長は気に掛けてよく手合わせをしてくれるが、他の団員とはまだ距離を測りかねて挨拶くらいしかまともにできない、こんな私なのだ、目障りだと思う人間がいてもおかしくはない。
「そういえば、騎士アーバイツ。あなたの従騎士であった、あの黒髪の青年」
「シュラが、なにか?」
王妃殿下から突然出てきた話題に、驚きを隠しながら応える。
「そう、そのシュラが騎士に昇格いたしましたよ」
「――っ、そうですか」
頬が緩むのを自覚しながら、私がいなくてもちゃんと頑張っているであろう彼を思い出し、胸が熱くなる。
ああ、なにか祝いを贈りたいな、今度の休みに探してこようか。
「第十騎士団に所属し、今は辺境の魔獣討伐に出ているそうですよ。戻るまでにひと月はかかるでしょうから、戻ったら祝っておあげなさい、その日はお休みをあげますから」
稽古をつけてくれていたカロル団長のまとめる第十騎士団に配属されたのか、あそこはクセの強い者が多いと聞くが、実力があれば認められると聞く、彼にはいい職場になるのではないだろうか。
「はい、ご配慮ありがとうございます」
王妃殿下の柔らかな微笑みとその配慮に、この方にお仕えできて本当によかったと思う。
今後も一層の努力を重ねて、護衛騎士としての務めを果たしていこうと心に誓った。




