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「さて、どうしたものか」
今日は副団長の仕事を早々に切り上げて部屋に戻り、悩んでいた。
なにせ時間が無い。
「どうしたんですか?」
こちらも、珍しく自主訓練のなかったシュラが、お茶をいれてくれる。
練習相手が各団の団長だから、明後日の合同訓練の準備で忙しいのだろう。
久し振りにゆっくり流れる時間が心地よい。差し出されるカップを受け取って、彼にソファを勧める。
「ありがとう。……魔力も体力もない私が、なぜ最終組に配されたのだろうな」
「き、きっと、実力があるからですよっ、ほら、豊穣の巫女の護衛もしていたじゃないですかっ。それよりも、バルザクト様! 距離感っ、距離感がおかしいですっ」
早口で言って私の隣に座った彼は、行儀悪く片膝をソファに乗せてこちらに体を向けてきた。それに注意はせずに、カップを傾ける。
「距離感? 今日の訓練か? 私の間合いのどこがおかしかった?」
「間合いじゃなくて、距離感です。俺との、ほら、魔力吸収したときの、あれですっ。どう考えても、あの距離感はおかしいでしょうっ」
言われて思い起こしてみるが、それ程おかしいことだっただろうか?
「素手で触れたほうが効率がよかったからそうしたのだが、触れずにしたほうがよかったか?」
「効率重視なのは、いいと思いますっ。問題は、触れかたっ! なんで、あんな、えろい触りかたするんですかぁっ。あの場でたたせなかった俺を褒めてくださいっ!」
早口でまくし立てられて内容がよくわからないが、褒めて欲しいのか?
「偉いな、シュラは」
カップを持っていない方の手で彼の黒髪を撫でてやると、「そうじゃないぃぃ」とがっくりと肩を落としてしまった。シュラは感情表現が豊かで、本当に可愛いな。
「ああ、そうだ、シュラ。明後日の合同訓練だが、一応私の予備の剣と防具も準備しておいてもらえるか。それから、訓練が終わり次第、魔力を吸収させてもらいたいのだが、いいか?」
「剣と防具の予備ですね、承知致しました。魔力の方も、無駄遣いしないようにしておきます」
表情を引き締めて頷いてくれた彼の、こういう風に公私を分けるところが好きだ。
「よろしく頼む。正直、ボコボコにされる気しかせんのだがな。訓練の途中で魔力吸収して魔力を補充するつもりだったが、隊長程も実力があると吸い上げることができんというのは、想定外だった。私の体内の魔力だけでは最後まで持ちそうもない」
どうしたものかと途方に暮れる私に、シュラも表情を曇らせる。
「大地の魔力を吸い上げるのも……迷宮暴走が起きる森でなら潤沢にあるんですが」
「迷宮暴走の起きる森は、そんなに魔力が多いのか?」
彼の言葉に驚けば、彼は重々しく頷く。
「それはもう。森から発生する魔力が増大して、魔物たちの保有する魔力が多くなりすぎたことで、理性を崩壊させて暴走するのが、迷宮暴走ですから」
「魔物たちの、魔力が多くなりすぎる? 魔力が多くなりすぎたから暴走した?」
ふと、一角の魔獣が私に魔力で威嚇してきたことを思い出した。あれは……もしかしたら、私にあの魔力を吸収させようとしていたのか? 自身が暴走せぬよう、身の内に溜まりすぎた魔力を手放すために。
あの時、一角の魔獣の意図を察することができずに、みすみす暴走する魔獣を増やした自身の行動に冷や汗が背を伝う。
「シュラ、では、もしも魔獣の魔力を減らすことができれば、暴走しないということか?」
否定の言葉を望んだ確認に、彼は肯定を返した。
「理屈だけなら、そうです。でもあの森に住んでいれば遅かれ早かれ、魔力は許容量を超しますから、魔獣から魔力吸収して魔力を減らしたところで、あまり意味はないですね」
「そうか……あまり意味はないのか」
その言葉に救われた気がして、つい安堵の吐息をこぼしてしまう。
「どうかしたんですか?」
「いや、魔力吸収が、迷宮暴走を止める手立てなのではないかと考えていたのだが」
後ろめたさを隠してもっともらしいことを言えば、彼は首を横に振る。
「例えば、騎士団全員で魔力を吸収するというのも、さすがに難しいですね。人間は、許容量以上の魔力を吸収することはできませんし」
「ではなぜ魔獣は、暴走してしまうほど魔力を多く保有できるんだ?」
「人間と魔力を保有する体の構造が、違うんじゃないでしょうか? そこらへんはゲームでも詳しい説明はされていなかったので、よくわからないです」
「そうか……。まぁ、人間が魔獣のように暴走しないのなら、よかったとすべきなんだろうな」
冷めたお茶を飲み干して、すこし腰を浮かせてカップをテーブルに置き座り直そうとしたとき、強い力で腰を引かれ、隣に座るシュラの膝の上に乗せられた。
「……なんのつもりだ」
「すこしだけ、元気を分けてください」
膝の上に乗せた私の腰に回した腕に力を込めて逃げられぬようにして私の肩に顔を伏せた彼の、あまりに弱々しげな様子に、すこしだけならと腕から逃れるのをやめた。
萎れている彼と接している半身が勝手に熱くなる。
耳元に聞こえる彼の呼吸を数えながら、踊りそうになる鼓動を平静に保つ。
「……バルザクト様」
弱々しい声音に反して、私を囲う彼の腕が強くなる。
ああ、だがこれ以上強く抱き込まれてしまえば、男性とは違う体格を悟られてしまうかも知れぬと思い至り身を捩る。
「すこし腕を緩めてくれないか? シュラ」
緩められた腕のなかで体勢を変えて、彼と向き合うように座り直し、その頬を両手で包み込んで揺れる漆黒の瞳を見下ろす。
焦がれるような熱を孕んだ瞳に、ゾクリと身の内が震える。
「どうやって、元気を分けてほしい?」
彼の想いの在りかを試すように囁いて問えば、彼の喉が大きく上下して、頬に赤みが増した。
彼に宿るのが、私への恋情だとその顔が伝えてくれる。
私が男だと信じているのに、真っ直ぐに私を想ってくれるのか。私という存在を、性別を超えてまで欲してくれるのか。その思いに浮かされるように、私の内にある想いも熱を孕んでゆく。
ああ、私のシュラは可愛いな。
以前、彼に奪われた口付けを思い出しながら、頬を包んだ手をそのままに親指で彼の唇を撫でる。
「あなたが……あなたが欲しいと、望んでも、いいですか?」
低い声が、私への望みを口にする。
「私の、なにが欲しい?」
「あなたの、すべてが、欲しい」
意を決したように告げられた言葉に、笑みが浮かんでしまう。
瞳も表情も雄弁に想いを語っていたが、確かな言葉になると、胸が張り裂けそうに喜びが湧いてくる。
だが……感情が彼を求めたものの、理性がそれを押しとどめる。
「すべてか。大きく出たな? だがな、シュラよ、私の命は私がどうこうできるものでもないのだ、これでも貴族ゆえ、自身の身の処し方すらままならぬ」
自嘲と共に零れる言葉は苦く、新年を迎えてしまえば領地に戻り、望まぬ婚姻に身を委ねねばならぬ我が身を、遠回しに伝える。
八つ当たりを多分に含んだ私の言葉に、落胆の色に染まった彼の顔を見て、すこしだけ気分が晴れた。
ああ、彼の一喜一憂が愛しい。
「でも、そうだな、この身はどうにもならぬが。私の心ならば、くれてやろう。それでもいいか?」
私は彼の漆黒の瞳が、喜びに輝くのが好きだ。
「十分です、あなたの心をいただけるなら。もう、それだけで……っ」
了承の言葉を、唇で塞ぐ。
ああ、本当に十分だ、この愛をお前に捧げることができるならば、私はもうなにも恐れはしないだろう。
何度も、何度も、口付けを繰り返し、互いの心をひとつにしてゆく。
肉体を求め合うことがないのならば。
安心して、身分も性別もなく、ただ、私とシュラ、その存在のみで愛を伝え合うことができる。
――こんな卑怯な私を知ったら、お前はどう思うのだろうな。
胸に生まれた痛みを押し殺し、いまこの時だけの熱情を求めている私は、卑怯で滑稽に映るのだろうか。
「凄く、生殺しですね」
口付けの合間に彼が緩く笑い、私の頬を撫でる。
「そうだな」
無責任に同意して、唇をついばむ。
「バルザクト様。もうすぐ、です。どうか、御身の安全を最優先に」
漆黒の瞳が私を真正面からとらえ、低い声で懇願する。
もうすぐ迷宮暴走がおこるのか。
「騎士としての務めを果たすよ」
「あなたはどうして、こうも真面目でかたくななんだ。でも、だからこそ、目が離せないし、愛しくてたまらない」
熱い告白に頬が熱くなる。
彼はふっと力を抜くと、泣き笑いのような笑みを浮かべた。
「だから、あなたのルートは『友情エンド』なんでしょうね。嫌な強制力だ。そして、それに抗えない……あなたに嫌われることをできない俺も、大概情けない」
彼の苦い独白に、心が揺れる。
彼が、私が男だからこそ私を求めているのだとすれば、いまの関係こそ最上だろう。
だが、もしも、彼が女である私を受け入れてくれるならば……。
それ以上は考えてはいけない、願ってはいけないのだと、理性が鋭く警告する。
度しがたい感情の発露として頬を伝った涙が、彼の手を濡らす。
「愛しているよ、シュラ」
お前に偽っている私は、卑怯者だといつか罵倒されるだろうか。
それでも、今この時の想いをお前に伝えたいんだ。
「俺も、愛してます」
――ああ、この一瞬が永遠に続けばいい。
あり得ぬ妄想を夢見ながら、彼に深く口付けた。




