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「巫女エルティナ、ご機嫌麗しゅう。アーバイツも、ご苦労」
朗らかな笑顔で近づいてきたのは、神殿で別れて以来のジェンド団長だった。
ああ、丁度いいところにきてくださった。
「ジェンド団長、お疲れさまです」
淑女の礼をして、ちらりとテーブルの上に残った食事に視線を流せば、彼はすぐに意図に気付いて僅かに目を眇め、すぐに表情を明るく戻し、テーブルに残った料理の一つに手を伸ばした。
「おや、お二人には多かったようですな。これは美味しそうだ」
貴族はつまみ食いというのはしないものだが、騎士団の中では間々あることで、彼は口に放り込んだものを咀嚼すると、さりげない仕草で口から出して私に頷いてみせた。
やはり、よくないものが仕込まれていたのか。
「アーバイツ、他になにか気になることはあるか?」
「昨夜、巫女候補だった女性に押し入られたのですが、そちらのピルケス・オルドー騎士が関与しているようでした」
「そうですわ。ひどいのです、あの方はアーバイツ様を侮蔑しておりました。あのような方が、護衛でなくて本当によかったですわ」
珍しく憤慨している彼女に、ジェンド団長がすこし大袈裟に驚き、きっちりと頭をさげた。
「それは大変申し訳ありませんでした、直ちに事実確認をして、厳正に対処いたします」
「是非、よろしくお願いいたします」
キリリと表情を引き締めた彼女に、彼がしっかりと頷く。その言葉が建前だとしても、彼女の安心が得られるならばそれでいいだろう。
第五騎士団が、騎士団のなかで最も侮られるのは理解できる。やる気の低い貴族子弟の受け皿で、且つ、平民との混成だから、生粋の騎士には敬遠されている。
とはいえ我々とて騎士なのだから、矜持だってあるし、騎士としての魂は胸に刻まれているのだがな。
「そういえば、アーバイツ。今日は――」
私に声を掛けかけた彼の声は、突然あがった怒声で途切れる。すかさず、私と彼が巫女エルティナを挟んで背に庇った。
怒声の先に、魔獣がいた。
こんな町中になぜ? どうやって? どうしてこちらを睨め付けている?
「ま、ま、魔獣、ですか……?」
震える彼女の声に頷く。
「ご安心下さい。魔獣の一匹程度でしたら、私ひとりでも狩れるものですから。ですが、お目汚しになるといけませんから、どうぞ目を瞑っておいてください」
「あ、あ、アーバイツ様。どうか、どうか……っ」
彼女の震える手が私の服を掴む。安心させるように彼女の肩を撫でると、彼女がひしと抱きついてきた。
肉襦袢を着けているからいいが、いや、よくない。せめて、もう少し離れていただかないと、私は男なのだし。おたおたしていると、ジェンド団長がそっと首を横に振り、諦めて抱きつかれていろと視線で制してきた。
「アーバイツ、巫女エルティナについていてさしあげろ。得物はあるか」
「残念ながら、帯剣は許されておりませんでしたので。短剣をこっそり二本だけ」
長いスカートの裾を軽く上げて、ブーツの両側にくくりつけていた短剣を見せる。こんな対人用の武器で、狼の体を持つあの魔獣とやり合うには心許ない。彼もそれを理解しており、一歩前に出て私に巫女エルティナを任せた。
「ここまでは、通さぬさ。魔獣を相手にする経験は乏しいが、ないわけではない。第一騎士団としての面目もあるからな」
「そうですね。ただ……外壁を守る騎士団を振り切ってここまで入り込んだ魔獣でしたら、甘く見ることはできないかと」
「これが終わったら、警備について話し合いが必要だな。お前も来るか?」
「ご冗談を。私のような一介の――」
ここまで来ないだろうと高をくくっての会話が途切れる、視線の先の魔獣と騎士の攻防に動きがあった。魔獣の動きが一段増す。
「騎士の動きを見切っているようですね」
「順応しているようだ。速やかに排除せねば、手こずる一方だな」
押される防衛線に警戒を強くした私の感覚に引っかかるものを感じ、周囲に視線を巡らせる。覚えのあるこの感覚は、魔獣のものだ。
「ジェンド団長、もう一匹来ました。魔力が結構あるようですね」
「どこから入ってきたものか。そして、奴らには狙いがあるようだ」
「魔獣を手なずけたという話など、聞いたことがありません」
「だが、この不利な態勢にあって引かぬ。そして、あきらかにこちらを狙っている。そうあらば、なにがしかの力が働いているに違いあるまい。ないと、頭から決めつけてしまえば、思考がそこで止まってしまうぞ。あらゆる可能性を視野に入れろ」
「はいっ」
彼の教示に素直に頷く。ならば、なにがあの獣たちをここに引き寄せているのか。
「原因を探るのはあとでいいだろう。とにかく、狩らねばな」
もう一匹の魔獣の存在にすぐに気付いた騎士の二人がそちらにあたるが、不慣れなようすの彼らでは手こずるのではないか。
「もう……一匹……」
「え、あ? エルティナ様っ」
くたりと力の抜けた彼女を咄嗟に抱き支える。
「どうした、アーバイツ!」
「巫女エルティナが、耐えきれずに気絶なさいました」
手頃な敷物がなかったので、巫女服を脱いで草の上に敷き、そこに彼女を横たえる。
厚い布地で作られた裾の長い巫女服は動きにくかったが、脱いで細身のズボンとシャツのみになると、とても軽くなった。中に付けている肉襦袢も取ってしまいたいが、こればかりは仕方あるまい。
「目に毒だな」
「任務だからと耐えている、こちらの身にもなっていただきたい」
「すまん」
両手に短剣を持ち、肩を回す。ああ、本当に動きやすい。
「ジェンド団長、巫女のこと、よろしくお願いいたします」
「その得物じゃやりにくかろう、これを貸してやる」
渡された彼の剣は重いが、短剣二本よりはましだと思い、素直にお借りする。
「ありがたく。では、行って参ります」
両手で剣を持ち足に魔力を込めて、手を出しかねている二人の騎士を追い越し、現れた魔獣へと肉薄した。




