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一抹の不安を抱えたまま、豊穣の巫女を護衛する任務がはじまる。
無知で恥ずかしいが、巫女というのはパレードをするだけではなかったのだな。
巫女エルティナは、顔合わせ後すぐに神殿の奥にある泉で潔斎に入った。私は泉の入り口に立ち、護衛として見張りをしている。
扉の奥から、一定間隔で水が流れる音が聞こえる。巫女エルティナが、薄衣一枚で泉の水で身を清めているのだろう。
巫女エルティナと共に聞いた神官の説明では、鐘の音が響くまで、祝詞を唱えながら泉の水で禊ぎを行うということだ。鐘の音は、巫女にのみ聞こえるもので、その音を得ることで、巫女の資格を得るのだと言っていた。
「鐘の音か……」
そういえば、あの一角の魔獣と相対した時に聞こえた音も、鐘の音だった気がする。それも、何度か聞こえていたが、もしかしてなにか関係があるのだろうか……いや、あれからだな、靄が見えるようになったのは。ということは、間違いなくなにか意味があるに違いない。
気を抜いているときは見えないが、ジェンド団長と手合わせしたあの時には、間違いなく同じ物が見えていた。ということは、集中力が高まったときに見えるのだろうか。
考えても答えの出ない事象に溜息を吐けば、顔の下半分を隠す薄い紗の布が煩わしく揺れる。
いかんな、いまは護衛の任務中だ、余計な考えに囚われている場合ではない。
廊下の先には騎士が待機しているが、距離があるのでなにかあった時は、まずは私が対処しなければならない。
重要な任務であることをもう一度自覚し直して、気を引き締めた。
水の音が止んだ。
巫女によっては、翌朝まで掛かる場合もあると言われていたので夜通し立ち番をする覚悟をしていたのだが、思いのほか早く済んだようだ。
カタリとドアが細く開かれる。
「アーバイツ様、お、おわりまし、くしゅんっ」
「巫女エルティナ、お疲れさまでございました」
ずぶ濡れで顔だけ出した彼女が青い顔でくしゃみをしたので、濡れた彼女を魔法で乾かし、温かい空気で彼女を包むと、ふわりと彼女の顔がほころんだ。
「ああ、温かい。ありがとうございます」
「よく頑張りましたね。まだ唇が青くていらっしゃいます。部屋へ戻って、なにか温かい飲み物を用意いたしましょう」
薄衣一枚で小刻みに震える彼女に、手にしていた巫女服を渡して着替えるように促すと。嬉しそうに笑んで一度扉を閉めた。
婚姻歴のある彼女なので、なにか訳があっての人選だろうとは思うが、優しげな笑みを浮かべる彼女は、巫女に相応しい資質を持っているのだろうと感じる。
自分には浮かべることができない彼女の笑みに胸が温められるのを感じながら、また一方で、女性らしさを隠すことなく居られる彼女に、うらやましさを感じる。
いや、うらやむなど……大丈夫、あと一年足らずで、私も戻ることができる、いまはただ職務を全うすることに全力を注ぐべきだ。
巫女服が簡単な作で、着付けが要らぬのがありがたい。もし手伝うことになっていたら、巫女の素肌を見た騎士として、不名誉を得たかもしれない。
そうなれば、あと数ヶ月で終わる騎士生活にケチが付いてしまうな、などという打算が過る。
弟が成人するまでの繋ぎとしての身分だが、汚してもいいと思えるような甘い生活ではなかった。いや、非力な身ゆえ、並ならぬ努力をしてきたつもりだ。
だから、最後は綺麗に幕を引きたい、そう望むくらいは許されるだろう。
胸に湧いた苦い思いを溜息で吐き出し、気を取り直して頭をひと振りし、巫女へと意識を戻してふと気付く。
そういえば侍女が一人もついていないが、豊穣の巫女は侍女を付けてはいけないというしきたりでもあるのだろうか? 貴族の女性が一人で支度するというのは、大変だと思うのだが。
そんな詮無いことを考えていると、泉へと続く扉が開き、白い巫女服を纏った巫女エルティナが出てきて、私を見つけて微笑んだ。
「お待たせ致しました、アーバイツ様」
ああ、やはり愛らしい笑顔だ。
――私とは違う、たおやかな女性だ。
騎士を辞めた自分は、果たして彼女のような淑女の笑みを浮かべることができるのだろうか。
いや、淑女になることができるのだろうか。
「では、部屋にもどりましょうか」
騎士としての癖で、危うくエスコートするように出しかけた手をさりげなく引っ込め、顔合わせをした控えの間へと彼女の歩調に合わせてゆっくりと歩いた。




