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焦れながらダンスのフロアに意識を向けている私の耳が、すこし離れた場所にいる給仕の声を拾った。
「時折口を付けられてますが、グラスの中身が減っていらっしゃいません」
「なるほどな……。もしかすると――なのかも知れない。このまま何も飲み食いしないようなら、多分間違い無いだろう」
「どう、いたしますか」
ぎくりと身じろぎしそうになるのを堪え、振り向きたい気持ちを抑え、聞こえてきた声に耳を傾けたのだが、片方が客に呼ばれたらしく会話は終わっていた。
疑われているのか。
もしここで、私が騎士団の人間だとバレてしまえば、第一騎士団長の任務が駄目になってしまうだろう。
手の中で温くなったグラスを、手持ち無沙汰なふりでくるりと回す。
「お嬢様、お飲み物をお取り替えいたしましょうか?」
「……そうね、お願いするわ。ありがとう」
新たにグラスを受け取り礼を言えば、給仕は恭しく一礼して去って行く。
さて……、シュラとの約束を破ることになってしまうが、仕方あるまい。
彼らを誤魔化すために少々飲んで、それから注意が逸れたところで仮面に魔力を通して気配を薄くすればいいだろう。
しばらくホールのダンスを見てから、何気ない仕草でグラスを口元に運ぶとフルーティな軽い香りがした。それほど強くない酒だろうと思いながら、唇にワインが触れた瞬間に異物を除去する魔法を行使する。
魔法に聡い者が注視していればバレるかもしれないが、そうでなければわからぬほど一瞬のうちに念のため魔法を行使した。酒精は異物ではないので残っているが、仕方あるまい。
一口二口飲んでから、ゆっくりとグラスから唇を離す。思いのほか強い酒精に、それ以上は飲めなかったのだ。
「は……ぁ」
胃の腑も酒精で熱くなり、思わず零れた吐息も熱っぽかった。吐息だけじゃない、体が内側からかっかと熱を発してくる。
匂いを嗅いだ時には、これほどの酒精だとは思わなかった。ワインではなくブランデー並に強い酒精は、あまり酒に強くない私には酷く効く。
これで注目が外れるかと思ったのに、こちらを伺う視線は変わらずにいくつもあった。
いや、一層視線が強くなった気すらする。
一体何なんだ。
一部から向けられる視線に戸惑い、こめかみを指で押さえて口元を引き締めると、給仕がやってきてそっとグラスを取り上げた。
「大丈夫ですか? 休める部屋がございますので、ご案内いたします」
「いや、不要だ。あ、いえ、それよりも水をいただけますか」
つい出てしまった男言葉を取り繕いながらそう頼むと、給仕はすぐに水を持ってきてくれた。受け取ったグラスは匂いもないので普通の水だと判断して口を付けた瞬間、違和感に異物を除去する魔法を使う。
ぶわっと口中に広がった酒の味に、むせるのを堪えて飲み下す。
「ありがとう、助かりました」
グラスを回収しようとする手をかわし、引きつる笑顔で給仕を下げる。せり上がる動悸、そして噴き出す汗。
飲み物の匂いと味が、なにか薬剤をつかって変えられているのか。気付かなければ、一気に飲み干してしまっただろう。
手の中のグラスの透明な液体は、やはり蒸留酒なのだろう。先程のワインなら辛うじて誤魔化せないこともないだろうが、異物を除去してしまったこの水を渡しては拙いだろうと手元に残したが、どう処理をすればいいか。
熱くなる体もくらりとする頭も、どうすればいいか。くそっ、ジェンド団長はいつ戻ってくるんだっ。
喉元を伝う嫌な汗を手の甲で拭う。
「どうしました、お嬢さん。やぁ、いけない、具合が悪いのか」
「い、いえ、大丈夫……です、大丈夫ですから……っ」
私に気付いた客の男性が近づいてきて、異国訛りの言葉で心配そうな声を掛けてきたので、騒ぎにならぬように小声で拒絶する。だが、弱い抵抗のせいで本気で嫌がっているとは気付かれないのか、強引に腕を引かれて椅子から腰が浮いてしまった。
くそっ。
腰に回された手に押され、ふらつく足を促されて強引に歩かされる。
位の高くない貴族や商人の、気軽な夜会とは聞いていたが、国外の人間まで居るとは。まさか……この男も関係者なのか。
「ほぅら、もっとこちらに体を預けていい」
触れられている腰が、取られている手が気持ち悪い。
掴まれていないほうの左手でハンカチを口元に当て、男から匂ってくる強いコロンの匂いを防ぐ。
下品な匂いのうえに、仮面に隠されていない口元も下品ににやけている。
酔っていても男の目論見がわからぬほど、馬鹿ではないつもりだが、酔いによってどうすればいいか判断が浮つく。
ふわふわと逃げてしまいそうな思考を、必死にかき寄せて口を開く。
「もうしわけありません……お手洗いに寄りたいのですが……」
「あぁ、吐き気がする? 大丈夫、部屋に付いている」
まったく大丈夫ではない、ああだけど、部屋に入った時にこそ隙ができるんじゃないだろうか。トイレに入り、こいつの目から離れることができれば、この仮面の効果を使って逃げることもできるかもしれない。
足音を消す絨毯をふらふらと歩きながら、ハンカチの下でなんとか呼吸を整えようと喘ぐ。
「すみません、失礼いたします……っ」
部屋に入った途端に言い捨てて、トイレと思しきドアに駆け込む。大きな鏡と洗面台のある広いトイレで、胃の中に残る酒をなんとか吐き出す。
ドアの外から聞こえる、安否を確認する声にうんざりする。女性のこのような様に聞き耳を立てるなんて、なんて下品な。
ふわふわとする頭のまま、洗面台で手袋を外した両手に魔法で水を出して、何度も口をすすいで水を飲む。
あけましておめでとうございます!
本年は気合いを入れて、完結させるべく更新して参りますので、よろしくお願い申し上げます(五体投身)




