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すっかり書類を終わらせ、凝り固まった筋肉を解しがてら夜の訓練場で体を動かし、付与魔法の精度をあげる訓練をする。
付与魔法のお陰で、シュラの言うところの相手を攪乱する”トリッキー”な動きをすることができるようになっていた。
汗を拭い、空腹を紛らわせる為に木の実を数個囓ってから部屋に戻ると、シュラがソファでぐったりと座り込んでいる。
「おいっ? シュラ! どうし……っ」
近づいて顔を顰める。
「酒臭い!」
「あー……バルザクトさまー」
眠いのかとろとろとした目の彼が私を見て手を伸ばし、私が逃れるより早く、私を腕の中に抱き込んだ。酔っ払いのくせに、俊敏だな。
「なにをするっ、このっ! 酔っ払いがっ!」
抱きしめられたまま彼の頭を数度殴るが、近すぎて力が入らないこともあって、彼の腕は一向に緩まない。酒臭さもそうだが、私が書類仕事や訓練をしているというのに、コイツはなにを飲んだくれているんだっ!
「いひゃひゃひゃっ、いひゃいです、バルザクトしゃまぁ」
「いい加減にせんかっ、馬鹿者っ」
彼の頬を力を込めて両側に引っ張れば、彼は情けない声を上げるが、それでも私の腰に回った腕は外れずに、ぐいっと引かれた拍子に体勢を崩して彼の膝の上に腰を落としてしまった。
肩口に彼の額が押しつけられ、強く抱きしめられた。
彼の呼吸する音がとても近い。
酒臭さの中に、木の香りのような彼の匂いがする。
「バル、ザクトさま……」
掠れた彼の声が、私の名を呼ぶ。その低い声の響きに、胸の奥がチリチリと熱くなる。
縋るように回されている彼の腕が、ゆっくりと背中を撫であげ私の後頭部を後から押す。見下ろした目の前には、顔を上げたシュラの揺れる黒い瞳があった。
「シュ……――」
彼の名を紡ごうとしていた私の唇は、彼の唇に押しつけられ。驚いて目を見開いた私とは対照的に、彼は心地よさげに目を閉じていた。
半ばまで開いていた唇の間から、ぬるりと口腔に入り込んできたのが彼の舌だと認識した時にはもう遅かった。
引こうとする後頭部を押さえられ、一層深く口中を探られる。
ゾクリと身の内が震えたのはなんだったのか。そんなことに気をやる余裕もなく、息苦しさに喘ぐ。
「――っ! はぁっ」
解放された口を大きく開き、呼吸した私の唇を、彼の指先が撫でた。
唇を繋いでいた唾液の糸が拭い取られたのを知る。
息苦しさと、戸惑いと、それから腹の奥から湧き上がる訳のわからぬ熱の塊に、体中が熱く火照っていた。
「俺は……」
最近はちゃんと自分のことを、自分とか私とか呼ぶようになっていた彼が、久しぶりに言葉を崩す。それを注意することもできず、彼の潤んだ黒い瞳に捕まった。
ああそうだ、この人はいつも幼げだから忘れていたけれど、私よりも年上の男性だったのだ。
「あなたを守る。絶対、守り抜く。俺はあなたを――」
戸惑う私を引き寄せる強い力に抗うこともできず、もう一度許してしまった唇を、彼の声を消した告白がなでてゆく。
愛してる。
音は無い筈なのに聞こえてしまったその言葉は、もしかしたら私の願望が聞かせたものなのかもしれない。
引き絞られるような胸の苦しさ。
触れ合い、布越しに伝わる体温の心地よさ。
頬に触れる熱い手のひら、そして熱心に求めてくる唇。
そのなにもかもが……ああ、愛しい。この多幸感が愛なのか。
熱が涙となって溢れ、呆然とする私の頬を伝い、彼の手を濡らした。
何度も角度を変えて塞いでいた唇が離れてゆく。
「バルザクト、さま……」
彼の舌が涙を舐めて、目尻を吸う。
「俺を、軽蔑しますか……。男同士なのに、あなたを……」
男同士!
絞り出すような彼の言葉に、クラリと目眩がした。ああ、そうだ、男同士だっ!
緩んだ彼の腕から逃れ、へたり込みそうになる足腰を叱咤して立ち上がる。
「軽蔑は、しない。だが、そうだな、仕事に障りがあるようなことに、うつつを抜かすのは看過できぬな」
これだけ近く、力強く、抱きしめられたというのに、気付かれぬ我が身のなんと情けないことか!
「社内恋愛、禁止……?」
シャナイというのはわからぬが、恋愛禁止は理解できた。
「私などにうつつを抜かしている暇などないだろう、馬鹿者」
情けない顔で見あげてくる彼の前髪を、くしゃりと撫でる。ああ、いけない、撫でるのはやめたのに。
乱れた彼の黒髪を指先で整え、彼の顎を持ち上げ、視線を合わせる。
「自制を忘れるほど酒を飲むなど、騎士としてあるまじきことだ。酔っ払いの戯言など、私が覚えていると思うか?」
小さく横に首を振った彼に笑みを返し、背を向けて自室へ……逃げ込んだ。
真っ暗な部屋のベッドまで真っ直ぐに行き、ぐったりと座り込み、両手で顔を覆う。
胸がドキドキしている。
唇が……熱い。
最悪だ、最低だ、どうすればいい、いや、どうもできないだろう。シュラは私のことを男だと思って告白したのに、私は本当は女で、だけど、女であることは隠し通さねばならない。
どうにも、ならないのだ。
私はあと一年もせぬうちにこの地を離れ、故郷に戻り……女として、どこかの貴族に嫁がねばならないのだから。
背を丸め、覆った両手の隙間から、涙があふれて落ちる。
胸が痛い。
自覚したばかりの愛が、私を苛む。




