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「そんな、そんなことないです。バルザクトさんはもっと強くなれます! あなたの強みは筋肉じゃない、その魔力と、真面目さだ! あなたが望むなら、もっと強くなれるんですっ」
私の両肩を掴み真剣な表情でそう言い切ったシュラに、胸の奥がざわめく。
強く、なれる?
本当に私が? だって、基礎練習をこなすので精一杯、付与魔法や回復魔法は他人よりは多少上手い自信はあるが、魔力量が多いわけじゃないから、たくさん使えるわけじゃない。
体力も魔力もそこそこしかない、それが私だ。
「自分のことは、自分が一番よくわかっているよ」
うまく笑えないながらも彼に笑みを向ければ、彼はギュッと唇を引き結び、私の肩を掴んだまま首を横に振った。
「違う、そうじゃなくて。俺を、俺を信じてくれませんか」
なんでこんなに必死になんだろう、この人は。
「シュラ? 君は……どうして」
「お願いです、俺を、信じてください……っ!」
戸惑う私を、彼の黒い目が必死に貫く。
その必死さが、いっそ忌々しい。胸にじわりと沸いた悪心のまま、視線を外す。
「いまさら強くなれたとしても、もう遅い」
来年には十三歳年下の弟が、七歳になる。七歳になれば、我がアーバイツ家の嫡子としてお披露目が行われる。
そうなれば、私がこうして第五騎士団にしがみついている必要もなくなる。
「遅くなんかない、遅くなんかないんです。バルザクトさん、お願いです、嘘だと思って俺の言うことを試してください――俺は、この世界の理の一部を知っているんです」
「なにを、馬鹿な……」
「俺は、この世界の人間じゃない。よその世界から、迷い込んだ人間なんです」
その荒唐無稽な話を信じたのは、彼の必死さだけでなく実際に彼の言を試し、嘘ではないと実証できたからだった。
「素早さの付与魔法を、靴に掛ける?」
武器や防具以外に付与魔法を掛けるなんて、聞いたことがなかった。
「はい、靴には素早さを、服には防御を」
彼に言われたように、靴に付与の魔法を掛けるとちゃんと効力を発揮した。生身の人間に掛けることはできない魔法だが、まさか剣や盾以外の物に掛けることができるなんて。
「バルザクトさん、走ってみてください」
「あ、ああ」
彼に言われて足を踏み出せば、軽い力で地面を蹴ることができた。スピードの加減ができなくて、壁まで走ってしまったが、これは凄い。
調子に乗って、魔力が切れるまで走り回ってしまった。まさか天井まで走れるとは思わなかったが、体の軽さに感動する。
「シュラ! これは素晴らしいな! 私はすばしっこさだけが取り柄だったが、それだってこんなに身軽に動くことはできなかったよ!」
興奮して報告する私に、彼は切れ長の目を嬉しそうに細めた。
「体に不具合はありませんか? 変な筋肉の使い方をして、捻ったりとかは?」
「んん、いや大丈夫だと思う、うん」
心配する彼に、自分の体に意識を向けてみたが、不調を訴える箇所は見つからなかった。
「あ、それと、靴を少し見せてもらってもいいですか?」
「え?」
私の両脇に手を差し入れた彼が、ひょいっと私を持ち上げて、そのまま硬直する。
私も、ぶら下げられて目を丸くした。だって、私よりも筋肉が薄っぺらいのに、こんな、簡単に持ち上げられるなんて。
「ず、ずいぶん……軽いんですね、バルザクトさん」
ぎこちなく祭壇に私を座らせた彼は、なぜか頬を赤くして私から目をそらした。
まさかとは思うが、私が女だとバレたのか。ザッと音を立てて血の気が引き、乗せられた祭壇の上で硬直している私に気付かず、彼は視線をそらしたまま、咳払いする。
「だ、大の男の人に、軽いなんて言って、すみませんでした。バルザクトさんは、こんなに清廉で素晴らしい騎士なのに」
「……い、いや。それほどでも、ない」
バレてないのか? バレてないんだな?
引いていた血の気が戻ってくる。
それにしても、清廉な騎士なんてはじめて言われた。口の悪い平民出の騎士から、お堅いだのクソ真面目だのとはよく言われているが。
「あっ、そうだ、ブーツ! ちょっと、ブーツを見せてください。『鑑定』ああ、やっぱり耐久値が落ちてますね、だから今まで靴とかに付与魔法を使ってなかったのかな? 俺、似たようなの持ってるから、交換しますね。耐久値が高いから、ちょっとやそっとじゃ壊れないやつなんで」
そう言って、私の足もとに跪いた彼はブーツを鑑定すると、あれよあれよという間に私のブーツを空中から取り出した新品のものに替えた。
一握りの魔法使いしか使えない「鑑定」の魔法、それに空中から物を取り出す、見たこともない魔法。そして履かされたブーツはあつらえたように足に馴染み、いままで履いていた支給品の物とは格が違う。
なんなんだこいつは……、ちょっと意味がわからない。
「おい、ちょっと待て。鑑定の魔法なんて、おいそれとできるものじゃないぞ! それに、こんなブーツをもらう理由もない」
混乱しながらも指摘をすると、彼は目を瞬かせる。
「えっ……鑑定。あっ、そういえば、そうでしたね! うっかりしてました。バルザクトさん、他の人に内緒にしてもらえますか? ええと、その口止め料として、そのブーツをお渡しするということで……駄目、ですか?」
叱られた犬のように上目遣いでそう尋ねられ、突っぱねることができなかった。
「――わかった。今後、使わないと約束するなら、私も口外はしない」
迷ったすえ、絞り出すように出した言葉に、彼の顔が明るく輝く。
「ああよかった! ありがとうございます」
嬉しそうに感謝を示す彼に、胸が痛む。
――打算だ。
万が一、私に向けて鑑定を使われた場合、性別がバレてしまう。それを阻止できるなら、本来騎士団に報告せねばならない事項を伏せるくらいのことはしよう。
それに……こんなことを報告してしまえば、彼がどんな目に遭うか。いや、鑑定だけじゃない。
「シュラ、君に注意しなければならないことがある」
「は、はい?」
私は懇々と彼に説明した。
彼が異なる世界から来たこと、彼の使える能力についてこの世界では希有なものであるから方々から狙われる可能性がある、ゆえに、秘匿とすべきこと。
「あ……やっぱり、そうですか。じゃあこの、ステータスとかは」
そう言って彼が虚空を指さすが、そこに何も見ることがないということを伝える。
「自分にだけ見えるんですね」
「そこになにか見えるのか?」
彼が見る虚空を、私も横に立って見るが、やっぱりなにも見えない。
「はい、ここに、俺の体力とか魔力とかを数値で見えて、他には、スキルと、装備と――」
「体力が数字で見えるのか? うわっ!」
思わず虚空を指す彼の手に、手を掛けて身を乗り出した。
その途端、彼の指が指す先に透明の板が見え、そこにびっちりと文字らしきものが並んでいた。
「バルザクトさん?」
驚いて思わず手を離してしまったが、怪訝な顔をする彼の手にもう一度手を重ねてみれば、目の前にあの透明な板が浮かぶのが見えた。
「これが、この透明なものがステータスなのか?」
「見えるんですか?」
驚いた顔をする彼に頷き、彼の手を掴んだままステータスと呼ばれる透明な板に目を凝らした。
「見たことのない文字が、びっしりと書かれているな」
「あ、文字は読めないんですね」
触れている彼から、安堵の雰囲気が伝わってくる。なにか、見られたくないことでも書かれているんだろうか……あ、いや、自分の体力や魔力などが他人にわかってしまうのは、嫌なものだよな。
納得して、彼から手を離そうとすると、逆に手を掴まれた。
「どうしたんです? ああ、横からだったら見えにくいですよね。こうすれば、見やすいですか?」
……なぜこうなる?
うしろから彼に抱き込まれるようにした私の前に、透明な板が展開されている。
いい匂いがする、うわ、私汗臭いんじゃないか。こっそり清浄の魔法使いたい、いや、この距離で使ったら彼にも掛かってしまってバレてしまう、それは恥ずかしいだろう。
「バルザクトさん? ほら、ちゃんと手、掴んでてください」
左手を指と指を交互にするように握り込まれる。
本当に、彼は私が女だと気付いていないんだろうか? いや、気付いてないよな? 女の騎士なんてあり得ないし。騎士としては小柄だが、普通の女性よりは長身だ。
心臓がバクバクする音が伝わらないように祈りながら、彼が示す目の前の文字を追う。
「ここが、俺の名前です、五月山修羅と書いてあります。こっちが年齢で、二三歳って書いてあります。バルザクトさんはおいくつなんですか?」
「わ、私は、今年で二十だが」
体を固くしながら答えると、背中に当たる体からすこしだけ力が抜けたのがわかる。年下だと知って安堵したんだろうか?
「そうなんですね、作中に出てこなかったから、てっきり……。あ、ほら、ここを見てください、ここを選ぶと自分の持ち物の一覧が出てくるんです」
節くれ立った長い指が、文字に触れると。透明な板の文字がパッと変わった。
上から下までびっしりと文字が並び、横には数字が入っている、その数字が持っている数量を表しているのだという。数字はそう難しいものではなく、ほぼ私たちが使っているものと同じだった。
「ここに記されているすべてを、持っているのか?」
先ほど、持ち物と呼んでいたことを疑問に思い、うしろにいる彼を振り仰ぐ。
「……っ! は、はいっ、そう、です。仕様が変わっていなければ、特殊な空間に保管しているので、劣化もないはずです」
握られている左手に力が入ったが、すぐに緩められ……なんだかしっとりと、汗を感じる。
「特殊な空間か、それも明かさない方がいいだろうな。あとこんなに色々持っていることも内緒にしておかないと、無理矢理、没収されかねないぞ」
「はいっ。バルザクトさん以外には、口外しません」
きっぱりと言い切ったその言葉に、もしかすると彼も危険性は認識していたのかもしれないと心当たる。
私よりも年上だし、むしろそれが当然だろう。
「余計なお世話だったか……」「ヤバイな……新しい扉を開きそうだ……」
自嘲めいたつぶやきがこぼれてしまったが、同時に彼も何事か呟いていたので、お互い顔を見合わせて乾いた笑いを漏らした。
それからあともうひとつ、注意しておかなければならないことに気づく。
「それとな、いくら君が私よりも年上だとしても、騎士に対しこのように、気安く接触するのは危険だぞ。気位の高い者ならば、不敬を咎め、折檻されかねんからな」
つないだ手を上下させて苦笑いすれば、彼はコクコクと頭を上下させる。
「はい、バルザクトさん以外には、しません」
いや私にも駄目なんだが……。なんだか憎めない年上の男に、それ以上咎める心が折れてしまった。
「……ああ、是非ともそうしてくれ」
呆れ半分でそう言えば、「はいっ」と元気に返事される。
見上げていた彼から目を離して視線を前に向け、そっとため息を吐く。
大丈夫だろうか――不安しかないな。
違う世界の人間なんだという主張は、正直に言って受け入れがたい。受け入れがたいのだがしかし……こうして、ステータスなどというものを見せられ、付与魔法の新しい使い方まで教えられ。
私は彼が言う、この世界の理の一端を知っているという言葉を、信じはじめている、いや、信じないわけにはいかないだろう。あんな非常識な、現象を見せられてしまえば。
そして、どうにか彼に悲劇が降りかからないようにと願ってしまう。
「おおい! バルザクト! 居ないのかー!」
聞こえた同僚の声に、頭が一気に冷えて急速に回る。
私を囲うシュラの腕から出て、彼を見上げる。
「シュラ、君はどうしたい。このまま別れて、一人で生きるか。それとも、騎士団に保護されるか」
「バルザクトさんの居る場所に、行きたいです」
ひとつの迷いも見せずに言い切った彼に、なぜかホッと安堵している自分がいたが、それを隠して厳しい顔をする。
「騎士団と言っても、清廉潔白なところではない。危険な目にあうかもしれないぞ」
「大丈夫です、頑張りますっ」
両手の拳を握りしめてそう宣言する彼に、なにが大丈夫なんだとは聞けず「わかった」と答え、声を潜めて続けた。
「シュラ、君は記憶喪失ということにする。なんとか話を合わせてくれ」
「は、はいっ」
硬くなってしまう私の表情につられ、顔を硬くしてしまった彼の背を鼓舞するように叩く。
彼の今後は、私にかかっている……。
ずっしりと重い荷を感じながらも顔をあげ、近づいてくる同僚に手を振った。