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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

その傷に終わりを告げる

作者: 弥都

懐かしい思いになりました。

自傷行為の表現があるのでお気をつけ下さい。

 その頃の彼女は、自分を取り巻く現状に侵されていた。自らの想いと決別しなければならないことも、そうしなければ周囲の人に迷惑をかけることも、このままでは自分を壊してしまうことも、すべてわかっていた。けれど、激変した環境に対する戸惑いと生来の臆病さから現状を打破できずにいた。


 そうした自分に苛立った彼女が選んだのは、自傷という行為だった。彼女自身、これがなんの解決にもならない愚かな行為であることは自覚していた。それでも、他にこの気持ちをぶつける宛を、彼女は知らなかった。臆病な彼女が刃物を手にしてつけた傷は、執着に囚われた彼女を象徴するかのように、幾重にも重なり合っていた。


 傷を重ねる日々が続いたそんなある日。ある男から連絡があった。彼女がかつて愛した――いや、今も愛している男からの電話だった。電話の主旨はこうだ。「講義を受けたいのだが、筆記用具を忘れてしまったため受けられない。ペンを借りたい」。そんなもの隣に座った者にでも借りれば済むものを、彼女にそれを求めたのだ。釈然としない理由ではあったが、彼女にとっては彼に会う理由に十分成り得た。


 彼女のもとを訪れた男は、世間話もそこそこに、こんな話をしだした。「金がない。」と。そこで彼女は悟ったのだ。この男が自分のもとへ訪れた、本当の理由を。


 結果として、彼女は男に金を渡した。


 「金は必ず返す、お礼もする。」そう言い、ついでにというようにペンを借りて、男は去っていった。

 彼女は泣き叫んだ。あの男は変わってしまった。自分がどれほど愛しても、あの男はもう自分を愛してはくれない。都合の良い駒のようにしか思っていない。そう悟ったのだ。


 彼女は再び刃物を手に取った。数日前に作った傷は、もうこれ以上はやめてと言うように、既にかさぶたになっている。しかし彼女に躊躇いはなかった。また幾度となく重なっていく傷たちを、恍惚の顔で見ていた。


 こうして彼女は、その行為に心酔していったのである。




 例の金の一件があってから、彼女はますます自宅に寄り付かなくなった。自宅に帰りひとりになることで、自分が自傷行為にはしり、鬱屈して泣きながら夜を明かすことを知っていたからである。


 そんな彼女が転がり込んだのは、ある青年のもとであった。彼は、同じ大学に入学した幼なじみである。


 彼は、彼女が恋人と別れたことを知ってはいたが、深く詮索しなかった。彼女も彼に対して多くは語らなかった。しかし金の件だけは、どうにも吐き出さずにはいられなかった。


 彼女が彼の家に居座るようになってしばらく経った、ある夜のことである。彼が、彼女の手の甲に刻まれた傷の理由を問うたのである。彼女は躊躇した。傷の理由を知って突き放されることを懸念したのである。今の彼女にとって、彼はとても大きな存在だ。その彼に見放されることは恐怖以外の何物でもなかった。


 けれど、彼女は打ち明けた。この手の甲の傷は、自分で望んで刻んだこと、元恋人に金を貸したこと。傷は、そんな自分に苛立ち嫌悪してつけたこと。


 すべてを聞いたあと、彼は言った。


 「どうして、自分を傷つける必要があるの?」と。


 彼の言葉に、彼女は閉口した。


 なぜ自分を傷つける必要があるか、自分が嫌いだから。では、傷つけることが問題の解決になるのか。否、繋がらない。


 彼女の頭の中では、そんなことがぐるぐると回り、「だけど、でも」と言い訳ばかりが浮かんでは消えた。


 押し黙った彼女に、彼は続ける。


「あいつには勿体ないよ。おまえみたいに一途に想ってくれる子」


 一途ではない。もはや執着だ。これは『愛』なんて優しいものじゃない。この心はあの時のように澄んでいない、濁っている。彼女は頭の端でそう思った。けれどそれを言う勇気もなく、ただ一度だけうなずいた。


 彼は、労わるように彼女の手の甲を撫でた。血は流れてもすぐに塞がってしまうような傷である。そこまで痛いわけではない。彼女がそう伝えると、彼は怒ったように言った。


「痛いとか痛くないとか、酷いとか酷くないとか、そういう問題じゃないんだよ」


 彼は彼女の瞳を見つめ、やんわりと、けれど強く、彼女の手を両手で包んだ。そして、彼女にひとつの約束をさせた。


「もう、自分を傷つけるのはやめてね。これだけは絶対に約束して」


 その瞬間、彼女の中の何かが弾けた。彼女は、大きな瞳からいくつも雫をこぼした。すると彼はぐっと彼女を抱き寄せ、自分の胸に抱き込んだ。返したい言葉があるのに涙で言葉にならず、彼女はそのまま彼の胸の中で何度もうなずいた。


 その夜、彼女は彼の胸の中で眠りに落ちた。彼は、彼女が朝目覚めるまで、隣を離れることはなかった。


 この時の約束は彼女にとって、一生忘れられない、執着の檻を開ける鍵となったのである。



 こうして、彼女は自分を壊すことをやめた。後に彼が、彼女の恋人になるのは、また別の話である






その傷に終わりを告げる

(代わりに新たな恋の始まりを)

恋愛はむずかしいですよね。

正解なんてないもの。

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