やすらぎの郷「ブレーメン」を目指して(後編)
北に向かって歩き始めてから二時間、徐々に日は傾き始め、犬崎の不安が現実のものになりつつあった。
「これはまずいですね……暗くなったら何も見えませんよ」
炉畑は必死になって小屋が無いかを見回したが、荒れ果てた畑と粗雑に整理された道が続くだけだった。休みを間に少し挟んでも、四人の間には疲労は溜まる一方で、徐々に張り詰めた空気が流れ始めた。
しかし、そこから更に30分ほど歩いた頃、急に道が整備され、数台のトラックが並んでいるのを発見した。四人は驚いて目を見合わせた。なぜ、いきなり道が整備されているのか、四人には検討もつかなかった。辺りに人気は無く、四人はこのまま先に進んで良いのなのか迷った。すると、10メートルほど先に「やすらぎの郷・ブレーメン」と書かれている看板を、タエが発見した。
「やすらぎの郷・ブレーメン……?」
四人は吸い寄せられるようにその看板に向かって歩き出した。看板は最近作られたばかりのようだ。看板の横は大きな車が二台は通れるであろう道が整備されていた。
「どういうことなんでしょうか」
犬崎が疑問を口にすると、丹羽が、
「とりあえず、行ってみませんか。もしかしたら、人に会えるかもしれませんし」
と続けた。炉畑はその案に頷き、疲れた足腰にむち打って、四人は坂道をゆっくりと登り始めた。
10分程歩くと、左手に大きな鉄柵の門が現れた。中には建てられたばかりと思われる綺麗な施設と、広大なグラウンドが見えた。そして、その横の白い壁には可愛らしい羊の絵と共に「やすらぎの郷・ブレーメン」と書かれた銀色の看板がついていた。四人は訳が分からず、混乱した。一体、どういうことなのだろうか。
四人が動揺して何もできないまま立ち尽くしていると、急に鉄の門が大きな音を立てて開いた。そして、施設の中からスーツ姿の男が一人現れた。
「ようこそ、やすらぎの郷・ブレーメンへ」
スーツ姿の男は、まだ三十代後半といったところだろうか。黒色のスーツに赤色のネクタイを締め、きちんとした身なりをしている。
「ええと、私達は、ブレーメンを目指して、八髙町からやってきた者なんですが」
炉畑が恐る恐る言うと、スーツ姿の男は、驚いたように目を丸くして、
「あんな遠いところからわざわざお越しくださったのですか。ありがとうございます」
と言った。
「あの……すみません、ここが、その、ブレーメンなんでしょうか」
動揺を隠せない犬崎は、綺麗な施設を指さしてスーツ姿の男に問いかけた。
「きっとあなた方が考えているブレーメンと、私達が考えているブレーメンは違うのではないかとお察しします。辺りも暗くなって参りましたし、良ければ中でお話しませんか。特に怪しい施設ではありませんし、きっと話を聞けば気に入ってくださると思います。良かったら、どうぞ」
スーツ姿の男は、四人を中に誘うように、手のひらを上にして鉄柵の扉の中へ向けた。四人は顔を見合わせ、無言で意思疎通を図り、炉畑が頷くと、三人も緊張した面持ちで頷いた。
扉を開けると、施設はまだ新築なのか、木の匂いが立ちこめていた。受付があり、その左横に施設の中へ続く通路がある。四人は靴を脱ぎ、スリッパに履き替えてスーツの男の後をついて行った。まもなく現れたのは、大きな吹き抜けがある開放的な空間だった。一番手前にある六人掛けの机に四人を勧め、そして着席した。
「名乗り出るのが遅れて申し訳ございません。私は、株式会社フォレスト代表の結城と申します。実は、この施設は、自立型の老人ホームなのです」
結城は深々と頭を下げ、そして、四人の不安を解消させようと、早速本題を口にした。
「自立型の老人ホーム?」
タエはよく分からないという風に首をかしげた。
「ええ、私は八髙町の隣の町にある七夏町の出身です。この二つの町を跨がる桃源山が昔、姥捨山と言われ、そしてブレーメンという集落がこの近辺にあったという伝承を私は幼い頃、祖母から聞かされました。本当にブレーメンがあったのかどうかは分かりませんが、私は、今のこの高齢化社会で、老人が自立して生活できる環境をもっと増やす必要があると考えて、ブレーメンを設立することにしたのです」
炉畑と犬崎は結城の話を神妙な面持ちで聞いていた。
「でもそれは都合の良い話で、面倒を見れなくなった老人をこのブレーメンに連れてくる子どももいるんじゃないのか?まさしく、姥捨山って訳だ」
わざと丹羽が意地悪な質問をすると、結城は苦笑した。
「私はこの施設で全ての問題が解決するとは思っていません。このブレーメンも、すでに病気や介護が必要な方を対象にした施設ではなく、元気なご老人が病気にならないでできるだけ長く過ごせるように、自分達の特技や今までの経験を生かして『助け合っていく』施設にするつもりです」
結城の言葉を聞いて、丹羽は、「ふうん」と頷いた。
「食材はこちらで週に何回か届けますが、畑もありますので、農作をしていただくこともできます。実験的ですが、牛や鶏などの畜産もできるようにしたいと思っています。生活していく上でのルールは勿論作りますし、それを守っていただくことが前提ですが、今の社会だからこそ、自分達で生きるということを試行錯誤しながら、生きがいをこの施設で見つけていただきたいと思っているのです」
結城の目は真剣だった。この事業を本気で成り立たせようと考えているようだった。
「感染症などの病気になった時の治療施設なども整備しますが、高度な技術は提供せず、あくまで自活を促します。重度の病気や認知症になってしまった場合は、退去していただき、行政や家族に委ねる、というのが私達の方針です」
「なるほど」
炉畑は結城の話す内容を気に入っていた。当初自分達が目指していたブレーメンとは異なるが、この施設でなら、自分が生かせる何かの能力があるかもしれない。犬崎も同じことを考えていた。畑で農作物を作ってみたい、タエも、自分の料理の腕を振るえるかもしれない、と考えた。丹羽はカラオケのど自慢大会でも企画しようか、とのんきなことを考えていた。
「いかがですか、最初の入居者になられてみては。これも何かの縁ではないでしょうか」
結城は四人に提案した。
「しかし、我々に入居金は……」
四人が一同に暗い顔をすると、結城は、
「この事業はある種の『賭け』です。あなた方もブレーメンを目指してその身を賭していらっしゃった。私は、ぜひ、入居していただきたい。お金は要りません」
お金の面で不安が無くなった四人は、こうして「やすらぎの郷・ブレーメン」に入居することになった。炉畑と犬崎には家族がいるので、念のため結城から連絡が行ったが、特に返して欲しいと言われることも無く、四人はブレーメンで新たな生活を歩み始めた。
最初は四人だった入居者も、日が経つごとに徐々に人が増え始めた。人間同士の暮らしであるため、当然トラブルや諍いが起こることもあった。しかし、ルールや話し合いなどで上手く解決し、ブレーメンはブレーメンとしての機能を徐々に果たしていくようになった。畑は犬崎を始めとして農業経験者が活躍して農作も充実し、畜産も畜産経験者が入居者に技術を教えるなどして、ノウハウを蓄積し、外部に頼らなくても少しずつ自活できるレベルまで育っていった。タエは旅館での勤務経験を生かして、布団の欲し方やシーツの綺麗なかけ方などを他の入居者に教え、丹羽は歌好きを生かして歌謡サークルを作った。炉畑は器用な手先を生かして、小物作りで入居者の役に立った。
こうして発展していった自活施設「ブレーメン」は行政からも注目されるようになり、補助金が下りるにまで至った。かつての姥捨山とブレーメンの伝承は、現代の日本で新たな形で生まれ変わったのである。
そして、炉畑、犬崎、タエ、丹羽の四人は、大病を患うこと無く、老衰で寿命を全うするまで、ブレーメンで元気に、そして幸せに、余生を過ごしたのだった。