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金魚姫

童話「人魚姫」を可愛い「金魚」に変えたifストーリー。

屋台の金魚すくいの水槽の中に居る美しい金魚姫は、人間の世界を夢見て自分をすくってくれる王子様を待っています。果たして金魚姫は人間の世界へ行けるのでしょうか?

※荻原浩さんの同名小説とは関係ありません。

 神社は年に一回のお祭りで賑わっていた。


 神社のお祭りには、屋台がつきものだ。タコ焼き、綿あめ、チョコバナナ、ヨーヨー釣り、射的、そして金魚すくい。

 沢山の子どもたちがあっちやこっち、沢山の人混みをかき分けて走っていく。どの屋台も大いに賑わっているが、500円のくじ引き屋の前では、子どもたちが少ないお小遣いを使うべきか真剣に悩んでいた。

 その向かいの射的屋では、幼い子どもの願いに応えようと、一生懸命父親が一つのおもちゃに狙いを定めて鉄砲を構えている。高校生のカップルは手をつなぎながらチョコバナナを頬張り、数人の若者は缶ビール片手に木陰で騒いでいる。

 普段は閑静な神社も、この日ばかりは盛大に盛り上がることを許され、夜まで明かりが消えることはない。


 この話の舞台は、ある金魚すくいの屋台から始まる。


 この屋台の主は、少し気難しい老人で、毎年屋台を出すものの、あまり人気はなかった。まず、愛想がない。しかも強面で、意地の悪い話し方をし、料金も他の金魚すくいの屋台に比べて明らかに高く、網も驚くほど薄かった。すると主な客である子どもは、どうしても他の金魚すくいの屋台へと向かっていく。それでも屋台の主は毎年この神社で屋台を出す。それは金儲けが目当てではなく、自分の自慢のコレクションを見せたかったからだ。


 老人の屋台の金魚は他の屋台の金魚とは比べものにならないくらい、どれも美しい金魚だった。目の形、色、艶、模様、全てが芸術的な金魚だ。毎年屋台を出す度に、どうやったらこんな美しい金魚を養殖できるのか、他の屋台の人間から聞かれたが、老人はかたくなに話を拒み、沈黙を貫いた。

 この金魚は老人の自慢のコレクションを見せたいだけで、子どもたちのおもちゃにされたくなかった。だから、あえて子どもにはすくわせないように計らっていたのだった。万が一大人が手に入れようとしても、網を薄くすることですくわせないようにした。


 そんな老人が大事にする金魚の中に、ひときわ美しい金魚がいた。老人はその金魚を金魚姫と呼んでいた。金魚姫は狭い水槽の中で沢山の金魚と一緒に泳いでいるのが窮屈で堪らず、自分はこの水槽から出て、自分を大切にしてくれる人に飼われるのを夢見ていた。


「ねえ、私、この水槽から外へ出たいの」

 金魚姫は老人に話しかけた。

「駄目だ。お前は水槽から出ることはできない」

「どうして?」

「お前は金魚だからだ」

 そう言われると、金魚姫は何も言なくなるのだった。

 耳を澄ますと、楽しそうにはしゃぐ声が水槽の外から聞こえる。これは人間の声だ。私も人間になれたら、もっと自由に色んなところへいけるのかしら、と金魚姫は思った。

 暇を潰そうと他の金魚に話しかけても、金魚はすいすいと泳ぐだけで何も言葉を返してくれない。自分だけが人間と話せる不思議な能力を持っているようだった。


 なんて狭い世界なのかしら、人間の世界はどんなところなのかしら、金魚姫の想いは水槽の外へとどんどん膨らんでいく。神社のお祭りが終われば、また違う神社のお祭りで見世物にされるのだろう。私は見世物になんてなりたくない、自由になりたい―。


 時間を持て余し、金魚姫が狭い水槽の中を行ったり来たりしていると、突然大きなものが水槽に落ちてきて、ばしゃんと水しぶきが飛び散った。金魚たちは一斉に驚いて落下物から離れ、金魚姫も何事かとその落ちてきたものを見つめた。それは四角くて黒いものだった。


「バカヤロー!何やってるんだよ!」

 すぐに老人の怒号が聞こえ、四角くて黒いものを拾い上げた。

「うちの大事な金魚に何してやってくれるんだ!」

 老人は出せる限りの声を出して落とし主を恫喝し、四角くて黒いものを水槽越しに突き出した。

「す、すみません!」

 慌てて水槽の前に現れたのは、一人の青年だった。金魚姫は随分久しぶりに老人以外の人間の顔を見た。そして、こともあろうに、金魚姫はその青年に一目惚れしてしまったのだった。


 青年は、黒く切りそろえられた短髪に、少し切れ長の二重、鼻筋はすっと通っており、文字通り美青年と言る顔立ちをしていた。老人に怒られて怖じ気づいている表情さえ、金魚姫には美しく思えた。


「酔った友達が悪ふざけして財布を投げたものでして…」

 青年はひたすら平謝りし、そして商品の金魚が傷ついていないか、水槽の中を覗いた。金魚姫は青年と目が合い、恥ずかしくなってすいすいとその場を動き回った。


「ったく、気をつけろ!こっちは大事な商品売ってるんだ!」

「本当に申し訳ありません。もし、何か破損しているようなら、弁償します」

 青年は濡れた財布をハンカチで拭き、頭を下げて言った。

「そんな濡れた財布の札なんてもらいたかねぇよ。さっさと帰りやがれ!」

 老人は犬を追い払うように手の甲を前後に振って青年を退けようとした。

「本当に申し訳ありませんでした」

 そう言うと青年は、眉を下げ、踵を返して友人の輪の中に戻っていった。


 青年が去った後も、金魚姫の頭の中には、青年と目が合った瞬間が何回も繰り返し再生された。そしてあの青年に飼って欲しいと強く想った。人間になれなくても、せめてあの青年の傍にいたい…。


「ねえ、おじいさん」

 意を決して金魚姫は老人に話しかけた。しかし、老人は大事な金魚のコレクションに財布が投げ込まれたことに腹を立て、金魚姫の言葉を無視した。

「ねえ、」

 それでも金魚姫は老人に話しかけた。老人は不機嫌そうに水槽の中の金魚姫を見下ろした。

「なんだ」

「私、どうしてもあの人に飼われたい。私、この世界から出て行きたいの」

 すると、老人の不機嫌そうな顔は更に不機嫌になり、眉間の皺はこれ以上寄れないという位に寄って、唇をわなわなと震わせた。

「お前、何言ってやがる…!」

「お願いします。私、おじいさんに大切にされていることは分かっているの。だからこそ、私をこのまま閉じ込めておかないで、大切にしてくれる人の元へ旅立たせて欲しいの。私、どうなってもいいから、もし、あの人に飼ってもらえなかったら、どうなってもいいです」

 金魚姫はその場でくるくると回り、一生懸命自分の想いを老人に打ち明けた。


 すると老人は、不機嫌そうな顔から一転し、口端をつり上げて意地の悪い笑みを浮かべた。

「そうか、どうなってもいいのか」

 老人は気難しさに加え、底意地の悪さを持っており、言うことを聞かないものに対しては人間であろうと金魚であろうと何でも徹底的に排除しようする残忍な男だった。

 大切にしていた金魚がこの世界から出て行きたい、ということは老人にとっては言うことを聞かないということと同じであり、金魚に罰を与えなければならないと思った。


「それじゃあ、お前に一度だけチャンスをやろう。俺があいつを呼び出すから、お前をすくってもらうんだ。でももしお前じゃない金魚をすくったり、金魚がすくえなかったら、お前を出目金にして安く売り飛ばしてやる」


 老人は今まで金魚姫に見せたことのない冷酷な顔をして水槽を見下ろした。金魚姫はその老人の迫力にぶるぶると小さな体を震わせたが、このチャンスを逃せば永遠にこの水槽から出ることはできないだろうと覚悟を決め、老人の提案を受け入れた。


「分かりました。お願いします」


 すると老人は立ち上がり、先ほどの青年を探し始めた。程なくして青年を連れて屋台の前まで戻ってきたが、青年は困惑したように頭を掻いた。


「あの、どうすれば良いのでしょうか」

「1万円出してこの中の好きな金魚をすくえ。すくえなかったらそれで終わり、すくえたらその金魚を持って帰れ。俺の屋台は美しい金魚しかいないが、金が高いから誰も遊んでいかない。お前は財布を落とした罰としてこの金魚すくいをやれ」


 青年は思わぬ命令に動揺して瞳を揺らした。1万円はあまりにも金魚すくいにしては高すぎると思っているのかも知れない。

 しかし、財布を落として商売の邪魔をした以上、あまりもめ事を起こしたくない青年は老人の言うことを聞くことにした。財布から濡れた一万円札を取り出し、老人に差し出した。


「毎度あり。それじゃ、どれでも好きな金魚すくっていきな」


 そう言うと明らかに薄い網を青年に差し出した。青年は諦めたような面持ちで水槽の前に座り、水槽の中にいる金魚を眺めた。


「私はここです!私をすくって!」

 金魚姫は一生懸命青年に向かって声を上げた。しかし、その声は青年には聞こえておらず、どの金魚をすくおうか悩んでいる様子だった。金魚の声が聞こえる老人は楽しそうに目を細めて金魚姫を見下ろしている。


 青年にとって、チャンスは一回しかなかった。この薄い網では、一回すくっただけで破れてしまうだろう。それに青年にはいくら美しい金魚と言っても、どの金魚も同じように見えた。だから、できる限り軽そうな金魚をすくって持って帰ろうと考えていた。


 金魚姫はそんな青年の思惑を知るよしもなく、一生懸命水槽を泳ぎ回り、自分の存在をアピールした。私が一番美しい、どうか私を選んで、と想いを込めながら、青年が自分を選んでくれるのを待った。


 しかし、金魚姫の夢はとうとう叶わなかった。青年は一瞬唇を強く結んだ後、水槽の端にいるあまり動かないおとなしくて小さい金魚目掛けて網を下ろし、さっとすくい上げたのだった。

 老人も金魚姫も息をのんでその様子を見つめた。網は破れるのか、それとも…。


「…すくえました。この金魚ください」


 青年は、かろうじて薄い膜の上で踊る金魚を老人に差し出した。老人は悔しそうに舌打ちし、小さいポリ袋に水を入れて青年がすくい上げた金魚をその中に入れて袋をしばってやった。


 金魚姫はその様子を放心状態で見ていた。気がつけば声も出なくなっている。老人は人差し指をくるりと回し、金魚姫に何か呟いた。すると金魚姫はたちまち美しさを失い、目がどんどんと飛び出て、醜い出目金になってしまった。


 青年はやっと偏屈な老人から解放されると想い、ホッと表情を緩めてポリ袋に入った小さい金魚を眺めた。そして、もう二度と来ないであろうその屋台の、水槽の中を最後に何気なく見下ろした。すると、青年は小さな違和感に気がついた。


「…ん?」

 青年には、水槽の中に、先ほどまではいなかった、奇妙な金魚がいる気がした。

「こんな金魚、いましたっけ?」

 違和感に気付いた青年に、老人は可笑しそうに肩を震わせた。

「ああ、いたよ。ずっと前からね。どんなに美しく育ても、こうして出来損ないの金魚は一匹や二匹生まれるもんなんだよ」


 青年は老人の言葉を聞いて無言でその場に立ち尽くした。そして、ポリ袋の中の金魚とその出目金を見比べ、しばらく悩んだ後、こう言った。

「あの、申し訳ないんですけど、その出目金とこの金魚、交換してもらえませんか?」


 老人は青年の思いがけない要望に驚き、思わず「は?」と口にした。

「いや、出目金の方が可愛いなって思って。僕、一匹捕まえたんだから、良いですよね。それに、出目金ってあまり人気ないんじゃないですか?別におじさんに不利益になるようなこと、ないですよね」


 老人はあっけにとられ、出目金と青年を交互に見比べた。老人は金魚姫が出目金になったことで、金魚姫への興味はすっかりなくなり、普段はあまり気にもしない商売のことが頭をかすめていた。


(確かに、金魚姫はもう出目金になり、金魚としての価値はほとんどなくなった。おまけに、普段は3000円の金額設定を、1万円にしてある。どうせ売り飛ばすなら、美しい金魚より出目金にしてやろう)


 老人は無愛想に青年から金魚の入ったポリ袋を奪い取り、金魚を水槽の中に放してやった。その代わりに出目金になった金魚姫をポリ袋に入れ、青年に手渡した。


「あんたも変なやつだな。1万円も出して出目金にするなんて」

「美しいものの中に混じる醜いものにこそ、僕には価値があるように思うんです」

 そう言って青年は老人に背を向け、再び友人の元へと帰っていった。出目金は嬉しそうにポリ袋の中でくるくると泳ぎ回るのだった。


 その時老人は、あの青年をどこかで見たことがあるような感覚に襲われた。

「ああ、そうか、あいつ、あの金持ちのところの坊ちゃんか」


 そう言うと老人はビールの缶を一杯開けて飲み干し、再び客がいなくなった屋台の中で水槽の中の美しい金魚を眺めて一人悦に入るのだった。


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