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参 完璧は無節操に

 思いの外、体が軽い。足がすいすいと進んで、少女を追い抜きそうな勢いだ。走るのなんて何年ぶりかというところなのに、疲れがなければ息切れもない。

 私の手を引く少女は、背丈を見るにおそらく中学生くらいだろう。この少女と仲がいいとするならば、私は今、中学生なのかもしれない。


 学校内は、外観の美しさに違わず、内装も随分と凝っている。天井は高く、廊下は赤絨毯。抽象画が壁を飾り、高そうな壺がアンティーク調の台の上に鎮座している。まるで絵に描いたような豪邸だ。実際描いたのだけれど。


「さっきのシュリヒト族誰? 超イケメンじゃん!」

 足を止めずに振り向きながら少女は言った。

「シュリヒト族?」

 一瞬考えて、フランのことかと合点した。彼は民族が違うのか。自分が書いたにもかかわらず、詳細はすっかり忘れてしまっている。

「いや、それどころじゃないわ。主役がいないんじゃ話にならないでしょ!」

 そう言って少女は大きな扉を開けた。


 扉の先は講堂であった。講堂は教会の屋内を思いっきり広くしたようなデザインで、目測でも千人をゆうに超える学生たちがふかふかとした長椅子に腰掛け、小声でひそひそ話しながら、何かが始まるのを待っている。

「面倒だけどここでいっか」

 小声で少女はそう言って、一番後ろに座ったので、私も倣って隣に座った。


 不自然に思われない程度に見回すと、火のついた蝋燭がふわふわと天井のあたりを漂っていて、改めて魔法の世界に来てしまったことを実感する。電気が存在しないのか、蝋燭以外の照明はないらしい。それでも暗いと感じないのは、物語としての補整か、魔法がかけられているからか。


 蝋が垂れてくることはないのだろうかと漂う一本を見つめていると、突然全ての火が消えた。ぎょっとして思わず目を見開く。しかし私以外に反応を示した学生はおらず、あちこちで私語が続いている。

「緊張してるの?」

 少女が笑った。

「まあね」

 緊張の意味がわからなかったけれど、一先ず曖昧に濁しておいた。


 宙を漂っていた蝋燭が前方の舞台に集まり、再び火が灯った。スポットライトが当たったように、壇上がぱっと明るくなる。そして舞台の上、普通なら照明が吊られているであろうところから、ゆっくり、ふわりと降り立ったのは、サンタクロースの如く立派な髭をたくわえたおじいちゃん。これは覚えている。この国の王であり、この学園の学長だ。

「静粛に」

 地を這うようなバリトンボイスが響き渡り、生徒が一気に静かになった。

「これより通達の議を執り行う。各属性の主席は壇上に上がるように」

 通達の議。

 そうだ、思い出してきた。物語はこの場面から始まったのだ。

 少しずつ、黒歴史が輪郭をあらわにしていく。心臓が胸を破って出てきそうなほどの恥ずかしさを感じる。

 しかし、昔の妄想が目の前で立体となって形作られ、展開していく、この状況に感動と興奮を覚えずにはいられない。


 王の言葉を聞いて、五人の男子生徒が立ち上がった。席が遠いので顔は見えないけれど、女子生徒のざわつき具合を見る限り、イケメンらしいことは想像できる。まあ私の妄想の産物なので当たり前と言えば当たり前である。

 しかし、もう一人いるはずだ。主人公である女子生徒が、まだ出てきていない。

「ほら、行っといで」

 主人公はどこかと見回していると、少女が私の背中をぐいと押した。

 通路に押し出された私は、その勢いで立ち上がってしまい、一気に生徒の注目を浴びる羽目になった。

「早く行きなよ、王様待ってるよ」

 意地悪がしたくて押し出したわけではなさそうだ。

 と、いうことは。

「私か」

「そうだよ、何言ってんの?」

 主人公は、私のようだ。

 完全無欠、最強無敵、風属性主席の魔法使い。

 頭がくらくらする。私が書いた物語は、冒険ものであって、学園ものではない。優秀な魔法使い六人が、モンスターか何かの討伐を命じられて旅をする話だ。

 戦わなければならないのか、私は。魔法の使い方もわからないというのに。

「行ってくるね」

 しかしそうも言ってはいられない。まずはこの儀式を乗り切って、その後で考えよう。もしかしたら、私は魔法が使えるのかもしれない。もしくは、訳を話せば旅が免除になるかもしれない。

 私は意を決して、これまでにないほどの注目を浴びながら、舞台へと向かった。


 少年少女たちが、私を羨望や尊敬の眼差しで見つめている。

「すごいよね、歴代最強なんでしょ?」

「確か、風どころか空気も操れるって」

「しかも超可愛いとか完璧じゃん」

「スタイルめっちゃいいよねー」

 ひそひそと囁かれる私への賛美。凝縮された昔の願望が耳に痛い。

 称えられているのは「完璧な主人公」であり私ではない、それがわかっているからこそ、そんな主人公に自己投影していた昔の見苦しい欲望が、約十年の時を経て、私を殺しにかかっている。


 壇上では王とイケメン五人が待っている。視線を感じるけれども、まともに顔を見たら見とれてしまうことは間違いないので、目を逸らしながら空いている位置に収まった。

「諸君」

 役者がそろうと早速、王は話し出した。

「諸君らに、ケルベロス討伐、及びアクウォリア入手の命を下す」

 そうだ。ここから物語は始まるのだ。

「気付いている者もおることであろうが、近年このラファール地方のアクウォリアが弱ってきておる」

 王の話を聞き流しながら、薄れた記憶を掘り起こす。

 アクウォリア。現実世界で言うところの無線LANのようなもので、この力の恩恵を受けて、王国の人々は魔法を使う。アクウォリアは確か、巨大な宝石の原石のような形をしていた。近所の博物館に行って、ごつごつとしたアメジストの写真を撮った記憶が蘇る。

「フィリアフォーゼン王国の最大都市として、由々しき事態であることは学生である諸君らにもわかるであろう」

 この世界の人々にとっては生活の大部分を占めている魔法。もはや魔法がなければ生きていくことはできない。現実世界で置き換えるなら、電気や電波なんかがそれにあたるだろう。それらがいきなりなくなったとしたら。そんな生活は想像できない。

「そこでアクウォリアについての古文書をあたってみたのじゃが、このラファール地方の遥か東方にアクウォリアがあるらしいのじゃ。しかしそこには番犬ケルベロスがおり、幾日にも渡る交戦の結果、アクウォリアは入手できなかったということじゃ」

 ふさふさとした髭を撫でながら王は目を伏せた。

 それにしても王の話し方が気になる。こんな話し方をするおじいちゃんは、きっと今時どこにもいない。

「しかし二千年経った今、ケルベロスは弱体化しておるはず。倒すなら今であろう」

 王の目が鋭さを帯びて、ケルベロスの寿命長すぎない? と心の中でつっこんでいた私は思わず背筋がすっと伸びる。

「そこで、魔力の強い諸君らに、ケルベロス討伐、及びアクウォリア入手を命じたい。もちろん、道中でも魔法が使えるよう、アクウォリアの欠片を授ける」

 そう言って王は手を叩いた。すると、首にかすかな重さがかかって、胸元で藍色がきらりと瞬く。きれいな多角形をしたアクウォリアは、藍色のはずなのに、角度によっては紅にも、翠にも、透明にも見える。

 瞬間、ダイヤの指輪を連想し、胸が詰まって苦しくなった。今頃あの金髪の女の子の指を飾っているであろう、穢れない透明な塊。私とは縁のなかった、永遠の愛の象徴。

 心がずぶりと沈んでいく。先がなく、底もない、恋愛の沼に。雫型にカットされた、とろりと濃ゆい藍色が、胸の内を透かして、沼のように澱んだ悲しみの色を湛えているように見えてくる。

「フウカ・ホワイトフォード」

 意識の端でぼんやりと、王が誰かを呼んだのが聞こえたけれど、心臓のあたりで呼吸が停滞して苦しくて、それどころではない。抉れた心にどんどん闇が注がれていき、心臓だか肺だかが、いや、全身が破裂しそうになり、失恋のダメージをこれでもかと思い知らされる。

「どうしたんだね?」

 視界がどろりと歪みかけたそのとき、私に向かって声が投げかけられるのを感じ、我に返った。

「ミス・ホワイトフォード?」

 そして、はっとした。

 全校生徒に称えられながら登壇した先程以上の羞恥が込み上げ、嫌な汗が噴き出してくる。

 思い出した。主人公も他の登場人物同様、本名を捩って「格好いい」名前にしたということを。

 私の本名は「涼風夏すずかぜなつ」。後ろの二文字で「フウカ」と読むことができるので名をフウカに、そして涼しげな苗字を考えに考え、白い浅瀬を意味する「ホワイトフォード」と名付けたのだった。ホワイトは英語だけれど、フォードはドイツ語だったかフランス語だったか。名前は完全に日本語なので、少なくとも三か国語が混ざった名前になってしまっている。

「はい」

 失恋のショックはすっかり掻き消されて、代わりに消えたくなるほどの恥ずかしさに襲われる。

 一人の名前に三か国語は、さすがに節操がなさすぎる。

「この学園の成績最優秀者として、お主には大いに期待しておるぞ、ミス・ホワイトフォード」

 私の本名は涼風夏です。涼風でいいです。

 魔法も使えません。人違いです。

 そんなことを全校生徒の前で言えるはずもなく、私はただ小さくお辞儀を返すので精一杯だった。


 その後、明日の集合時間と集合場所を伝えられて儀式は終了し、各々寮に帰るよう促された。私は部屋がわからないものの言い出せず、というよりも誰に言っていいのかわからず、ただなんとなく全校生徒の後をついていく形で流れに従った。


 寮に行ってみると一部屋一部屋にネームプレートが付いていたため、何とか自室に辿り着くことができた。やはりここは電気が存在しない世界らしく、電灯のスイッチのようなものはない。小さな窓から射す三日月の灯りを頼りに部屋をぐるりと見回してみる。部屋には最低限の家具しかなく、ひどく簡素だ。生活感がまるでないのは、電化製品がないためだろうか。

 本棚には装丁が美しい教科書が何冊も並び、机上のペン立てには羽ペンとガラスペンが刺さっている。筒状に丸められた羊皮紙が何本も積み上げられており、フウカは相当の勉強家であったことが見て取れる。

 しかしそれ以外は何もわからない。他の人が住んでいたと言われても納得できそうなほど、個性がない。

 途端に寂しさに襲われる。フウカがこの部屋で生きていたという痕跡があまりにもかすかで、拠り所のない空虚さに押しつぶされそうになる。そのかすかな人物に成り代わって、真っ暗な部屋に一人ぽつんと立ち尽くす、言いようのない不安。

 それに、こうしていきなり異世界に来てしまったので、今頃両親が私を探しているかもしれない。

 いきなり姿を消した傷心の娘。どこを探しても見つからず、頭をよぎるのは最悪の事態。

 両親の心境を思うと、涙が滲んできた。


 家に帰りたい。せめて、無事であることだけでも伝えたい。魔法が使えれば、できるだろうか。

 そこまで考えて、はたと思いつく。明日から共に旅に出る予定の学生たちに頼んでみるのはどうだろう。私は魔法が使えない。私よりも、本物のフウカがここにいるべきで、王国の人も、彼らも、きっとそれを望むだろう。私が帰れば、本物がこの世界に戻ってくるかもしれない。


 夜空は悲しみの色で澱んでいる。しかし、わずかに三日月の光が射して、完全な絶望には至らない。明日への希望を胸に、今日は眠ることにした。

 目を閉じると、疲れが眠りの世界に私をずぶずぶと押し込んでいく。手放しかけた意識の隅で、夢ならここで覚めてほしいとうっすら願いながら、とぷりとこの身を眠りに投じた。

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