旅の始まり
物心ついたときから体術とともに教えられてきた。15歳になったら善行を積む旅に出るのだと。そこで、僕は高校を1年間休学して、少しの旅費と、身の回り品をリュックに詰め込んで、出発した。出発の1年前から自分なりに長期間の旅に必要だと考えられるものを考え抜いて選び出していた。旅に出ることは苦痛ではなく、人と違った人生を送ることにわくわくする。漠然とした課題はあるものの、夏休みのような長期休暇の前の軽い興奮が感じられた。旅費はなるべく節約するため、徒歩とヒッチハイクをする事にしたが、出発の前日に母から、もしものときに使うようにと小さく折りたたんだ数枚の一万円札を中に隠した頑丈な革ベルトをもらった。行き先は特にないが、日本全土を巡ってくることにした。最初は、国道に出て、北に向かう自動車に手を振ってみたが、さすがに誰も止まってくれはしなかった。何台も失敗続きだったが、大型のトラックに両手を振ったらとまってくれた。
「どうした坊主。」まるで映画にでも出てきそうな、手ぬぐいでねじり鉢巻を締めた中年の運転手が言った。
「北の方へ行きたいのですが、乗せていってもらえませんか?」
「いまどきヒッチハイクか。いいぞ、乗ってきな。」
「ありがとうございます。」
高いステップに乗りあがり、助手席へ入り込んだ。
「どこまで行くんだ?」
「当てはないのですが、1年かけて日本中を回らなければならないのです。」
「どういうことだ?」
「僕の家では昔から、男の子は15歳になったら、日本中をめぐって善いことをしなければならないことになっているのです。」
「へえ、なかなか古風じゃねえか。気に入った。一日一善か、いいねえ。」
長距離トラックに乗せてもらった。東北に向かうトラックだった。
運転手は気のいいおじさんで、就職口がなかったら自分が1人前のトラック野郎にしてやると言ってくれ、翌朝、中位の大きさの町でおろしてもらった。
この町でしばらく滞在してみることにした。手持ちの旅費は少ないので、どこかでアルバイトをして、安い民宿を見つけなければいけない。あちこちの店を歩き回って、尋ねていると、幸いにもコンビニで雇ってくれて、寮も世話してくれた。僕は身体が大きい方なので、15歳には見えないから大丈夫といわれ、夜の店番をもう一人の店員とまかされた。仕事はその夜からだった。
交代時間前に店の奥の休憩室にやってくると、もう一人のひょろっとした背の高い店員もやってきて、
「おまえ大丈夫か?」
「大丈夫です。計算は得意です。」と僕。
「馬鹿だな、夜のコンビニの店番だよ。」と先輩の店員。
「はあ、大体が夜型で、遅くまで起きているのは平気ですから。」
「あのなあ、このあたりはがらの悪いのが多くて、こういった店の回りにたむろするし、万引きも多いんだよ。注意なんかして見ろよ、えらい目にあうぜ。前の一人も、それでやめちまったんだ。」
「万引きを見て見ぬ振りするんですか?」
「知らん顔しているのが一番さ。自分の店でもあるまいし。時間さえ守って仕事していれば、そこそこの給料がもらえるからな。さあ、時間だ。いくぞ。」
交代の時間は10時だった。最近のコンビニは24時間営業で、そうしないとやっていけないのだそうだ。夜の方がよく売れるらしい。
実際に店員をやってみると、意外にむずかしい。特に最初のうちは「ありがとうございました。」と言う言葉が出ない。つい、口の中でもごもごと言ってしまう。「いらっしゃいませ。」は簡単に言えるのに、何故だろうか。
夜の10時過ぎなのに店の中にはお客さんが多く、入れ替わり立ち替わり、色々なものを買っていく。何人かは雑誌を立ち読みしている。夜も遅いのに、弁当やおにぎりがよく売れる。スナック菓子や飲み物もどんどん売れていく。品物が少なくなってくると、ひょろ背の店員が店の奥の方から品物をどんどん出してくる。売れ筋の品物は大体分かっているので、多く仕入れてあるそうだ。1時を過ぎた頃から、お客さんの種類ががらりと変わってきた。さっきまでは会社員や学生風の人が多かったのが、水商売風の女の人が多くなり、たまにちんぴら風の若い男も混じっている。しばらくしてバイクのエンジン音が聞こえてくると、店の中にいたお客さんたちはそそくさとお金を払って出ていってしまった。
「そろそろくるぞ、気をつけな。いいか、やつらが何かしても、しらんふりしてろよ。」
店の前に何台かのバイクが止まり、革ジャンに身を包んだ男女が店に入ってきた。一様に髪を金色に染めている。ドラゴンボールの見すぎだろうか。
「おっ、新入りだな。」一番背の高い男が僕の方を見て言った。ひょろ背の店員は視線を合わせないようにしてひきつったような薄笑いを浮かべている。連中の人数は6人で、そのうち二人が女の人だ。6人は思い思いに店の中に散らばって、品物を手に取っている。一杯になったかごを持って6人は僕達の方へやってきた。レジの横のカウンターにかごを置くと、
「袋に入れてくれ。」
僕が品物をいちいち手にとって金額をレジに打ち込もうとすると、サングラスをかけた革ジャンの男が、
「わかってねえな、おい、おまえ、ちゃんと教育しろ。」とひょろ背の店員に向かって言った。
「は、はい、さっそく。」とひょろ背は、品物を袋に詰め込みはじめた。
「まだ計算がすんでいませんが。」と僕が言うと、
「黙ってろ。」といって、すべての品物を袋に入れてしまった。
「はい、どうぞ。」
「ちゃんと教育しとけよ。」とサングラスが言い残して、連中は店を出て、バイクに乗って行ってしまった。
ひょろ背はほっとしたのか、取り繕うように多弁になった。
「あいつらはこの町で一番のワルの部類だろうな。今までの俺の相棒も何人も痛い目に遭わされてやめていっちまった。おまえも気をつけろよ。」
その後は、朝方までほとんど客は来なかった。4時過ぎに弁当やおにぎりなどを積んだトラックがやってきて品物を置いていった。
朝6時が交代の時間だった。おにぎりとお茶を朝食にもらって、寮に引き上げた。寮は6畳一間とバストイレ、小さなキッチン付きだった。おにぎりを食べてお茶を飲むと、次第に眠気がこみ上げてきた。
激しい地震だった。気がつくと、父が両手で天井の梁を支えていた。一族に昔から伝わる体術を教えてくれる師匠でもあり、力が強いこともよくわかっていたが、異様な光景だった。
「早く外へ!」と父の声がした。僕たちはパジャマのまま家の外へ飛び出した。あわてて飛び出した後で、父は大丈夫なのかと、不安が頭をよぎった。家の一角がつぶれて屋根が傾いている。ずしんと大きな音がして、さらに屋根が傾いた。父が出てきた。無事だった。両手にリュックを4つ抱えている。普段から準備していた災害時の必需品が詰め込まれており、リュックの下には各自の安全靴もぶら下がっていた。着替えを済ませ、まわりを見回すと、家が積み木のように崩れていた。その後も何度か余震が襲い、一部では火災も起こった。
あれから5年。自宅も新しくなり、僕たちも普通の生活に戻った。そして、いよいよ旅立ちが近づいたとき、父が語ってくれた。僕たち一族の秘密を。あのとき、父が天井を支えられたわけを。
そこで目が覚めた。昼過ぎだった。顔を洗い、歯磨きをして、その後、体術の型を一通り行うと軽く汗をかいたので、シャワーで体を洗った。頭を洗うときに、頭の左右から少し飛び出してきている突起が手に当たった。頭の形には個人差が多いらしい。そして、僕の一族には角のような突起がある。床屋ではよく、角があるね、と言われる。
天井の梁を支えていた父のシルエットの頭の部分から、天に向かって飛び出した二本の突起が見えていたのを思い出す。僕ら一家の命を救ってくれた、一族の力の源。古くから語り継がれている伝承に登場する「鬼」の血なのであろう。父が語ってくれた言葉によると、僕たち一族には昔から頭に小さな角のような突起があり、何らかの危機にさらされたときにこの角が伸び始め、体が大きくなり、体力・筋力が爆発的に増大するのだそうだ。ただし、その危機を自分で認識しないと(ここのところを父は苦労して言葉に表現しようとしていたが)その反応は起きないらしいし、その後は自分でコントロールできるようになるそうだ。このために幼い頃から体術の訓練も行われてきた。また、この反応は子供の時にはまだ起きないようで、昔の元服の歳の15歳ごろから始まるらしい。そこで僕たちの一族では15歳になると現実の世の中をきちんと見据えることができるように、1年間の一人旅に出され、善行を積むことが義務付けられているのである。善い行いをすることで自分の中にある鬼の血を制御することができるようになるらしい。もし、制御できない場合はどうなるかというと、伝説の鬼と同じになり、自分の中の荒ぶる心を制御できずに人に迷惑をかけ、結局は退治されてしまうのだが、常人がかなうわけはないので、同族のものたちから、退治されていたらしい。
体を拭いて服を着、空腹を感じたので自分が働いているコンビニに買い物に行った。寮からは最も近くて、さらに品揃えもよいようだった。客が多く、昼間の担当者たちは休む暇もなく品物を袋に詰め、レジに向かって金額を打ち込んでいた。かごを手にしておにぎりや弁当が並んでいる棚に行き、いくつかのおにぎりと弁当をひとつかごに入れ、お茶のボトルの入った冷蔵庫に向かっていくとき、雑貨や菓子の棚に向かっていた男がすばやく品物をポケットに入れようとしているのが目に入った。思わず手が出て、品物を持った男の手をつかんでしまった。いやな目つきでこちらをにらんだ男に、
「やめたほうがいいよ。」と男にだけ聞こえるぐらいの声で言った。
そのまま手を離して、冷蔵庫に向かい、冷えたお茶のペットボトルを2本かごに入れ、レジに持っていき、代金を支払った。コンビニを出て、弁当とお茶の入った袋を下げて寮に向かう途中、誰かが後ろから追いかけてきているのに気がついた。足音がしたわけではない。体が反応したといえばわかるだろうか。急に全身に力が漲ってきたのだ。何かが自分の体の中から膨れ上がってくるような、溢れ出すような力感。それは後ろからやってきた。気配がすると同時に僕は地面を蹴っていた。見慣れたはずの風景が急にパノラマとなった。下を見ると、手に光るものを持った男が前につんのめっていた。僕の体はゆっくりと高度を下げた。男の隣に着地すると同時に左の手刀で光るもの(大型のサバイバルナイフだった)を持った男の右前腕を軽く打った。パキンと軽い音がして、男の前腕がもうひとつの肘ができたかのように折れ曲がった。一瞬の出来事に、男は何が起こったか把握できずにいたが、ようやく痛みが脳に達したのか、ナイフを取り落として悲鳴を上げ始めた。と、振り向いて僕を見て、悲鳴が一瞬止まったかと思うと、
「鬼だあー!鬼だあー!」と叫び始めた。その言葉で何が起こったかを悟った。ついにそのときが来たのだ。頭に手をやると、二本の角に触れた。男は悲鳴と叫びをあげながら右手をぶらぶらさせてよたよたと走って逃げた。後に大型のナイフが残された。ほっておくと危ないので公園の道路の脇にあった子牛ほどもある岩(硬い玄武岩だと思う)を抱えてきてナイフの上に二度三度とたたきつけた。岩をどかせて見るとナイフの刃は粉々に砕けていたので、岩を元に戻してそのまま歩き去ろうとしたが、急にからだの力が抜けたようになった。頭に手をやってみると角が消えていた。一族の血の特性が少しわかったような気がした。件の男はそれ以後気が抜けたようにあちこちを歩き回っては「鬼だ、鬼だ」とぶつぶつ言うようになったらしいが、それまでに何度か他人を傷つけたことのある精神病患者であったようで、この前の一件で他人を傷つけるエネルギーがそがれてしまったのか、かえっておとなしくなってしまったらしい。
おかしな男の一件があってから、僕は一族の血の力の制御方法について考えをめぐらすようになった。物理的に肉体の筋力とその構造が強化されるのであれば、これを精神エネルギーに振り向けることはできないだろうか?一瞬の危機を察知して瞬時に全身の細胞に情報が伝達されるというのはなんだか理屈に合わないような気がする。父はよく、事実は小説よりも奇なり、と言うが、実際に物理的に生じるのであれば、それはそれでいい。もし、精神的なエネルギーが全身の細胞に一瞬にして振り向けられるのであれば、その危機のときに生じるエネルギーをうまくコントロールして、普段から制御できるようにしておき、純粋な精神エネルギーとして物理作用を及ぼすように訓練できないだろうか?
その夜から訓練を開始した。体術の要領で座って呼吸を整え、磁石をイメージした。なぜ磁石かと言うと、たとえば2つの磁石のN極とN極を近づけると2つの磁石の間の空間には何も見えないのに、まるで間にゴムがあるかのような抵抗感を受ける。この感覚が小さい頃から不思議で面白く、興味を引かれていたのだ。そこで自分の精神エネルギーを磁石から放たれる磁力のようなものと考え、イメージしてみたのである。最初は身体の周りにうっすらと存在するイメージを描いた。夜はコンビニの仕事に行き、朝になると帰ってきて一眠りしてからイメージトレーニングに励んだ。1週間ほど続けたとき、ふと目をあけると、手が半透明の厚い膜で覆われているように見えた。恐る恐る両手を合わせると、膜同士が触れ合って抵抗感がある。磁力のイメージは成功したようだった。次はこのイメージをもっと膨らませるように思念を凝らせた。不思議なことに、結局たどり着いたのは、正しい姿勢と正しい呼吸だった。姿勢と呼吸が安定したときがもっとも充実したイメージが形作られた。できる限り分厚く膨らませ、ある程度のところで、今度はそれを圧縮するようにした。そうやって硬くするのだ。
ある夜、再びバイクの連中がやってきた。その日は朝から妙な胸騒ぎを覚えていたので、このことかと少し納得したのだったが、なんとなく違うような気もして、この胸騒ぎの原因をつい考え込んでしまった。そのため意識が現実から少し遊離していたようだった。連中がかごに入れた品物をレジに持ってきたので、僕はついいつものとおりレジに値段を打ち込んで、
「ありがとうございました。合計で3500円になります。」
計算してしまった。ひょろ背の先輩の言ったことをうっかりと忘れてしまっていたのだ。
「おう、お前いい度胸だな。ちょっと顔かせや。」
革ジャンの一人が言った。
何かが僕の心を捉えていた。そのため、十分な注意も払わずに革ジャンの男について店を出た。僕は外に出て周囲をゆっくりと見回した。暗い夜空の中を何かがやってくる。そんな気がした。革ジャンの男はいらだっていた。
「お前どこ見てんだ。なめてんじゃねえぞ。」
近づいてくると胸倉をつかまれた。左手だった。思わず右手でその手をつかみ右側に捻ってしまった。革ジャンの男は捻られたほうに体を傾け、倒れそうになった。左手も使ってそいつの左ひじを押してやると、あっけなく転がった。徐々に緊張が高まってくる。目の前の敵ではなく、見えない危険に対して身体が警告を発し始めていた。突然風が吹き始めた。身体をなぎ倒されそうな強い鋭い風だ。店の前や駐車場に思い思いに止めてあった自転車がまず簡単に倒れ、次はかなり大型のバイクまで倒れ始めた。僕はすぐに臨戦体勢に突入した。鬼になる代わりに体中にエネルギーの膜を張り巡らしたのだ。他人の目の前で急に鬼になってしまうのはまずいと思ったのだが、あの爆発的なエネルギーの噴出を抑えることができるだろうか?今は体外に放出して一種のバリアー状にしているが、抑えきれずに一気に鬼に変身してしまうかもしれなかった。近くにあったものが次々に吹き飛ばされていく。風が舞っている。町の光芒でぼおっと明るい夜空を見上げると、なんといろんなものが空に巻き上げられている。竜巻だ。本物の竜巻を見るのは初めてだ。こちらに近づいてくる。細かい砂ややや大きめの小石などが身体にぶつかってくるが、エネルギー膜に跳ね返されている。何かが身体にあたる感触はあるのだが、全く痛くない。コンビニの中からこちらを窺っていたひょろ背の先輩が異様な強さの風に気づいて窓ガラスを覆うシャッターを閉め始めた。いい考えだが、果たして普通のシャッターで竜巻の風を防ぐことができるだろうか?床に転がっていた革ジャンの男が起き上がろうとしたが、強い風にあおられて、立ち上がれずにいた。どこからか看板が飛んできてコンビニのシャッターにぶつかって跳ね飛ばされた。革ジャンが起き上がったところに看板が横に回転しながら迫ってきた。顔が恐怖に引きつっている。思わず身体が動いて、気がついたら跳躍し、革ジャンの顔に向かって手裏剣のように回転しながら迫る看板を下から蹴り上げていた。看板は高く舞い上がり、再び風に乗って飛んでいった。看板だけでなく宙に舞った僕の身体も風に乗って浮き上がっていった。コンビニの横に生えていた街路樹の太い枝の一本が近づいてきたので(本当は僕の方が近づいたのだが)、ここぞとばかりに両手でつかみ、風に連れて行かれないようにがんばった。革ジャンは腰を抜かしたのだろうか、仰向けになった蛙のようになっている。風で斜めになったまま枝につかまった手を片方ずつ幹に近づけて行き、ようやく幹に手と足でしがみついた。そのままゆっくりと下に降りようとしたが、街路樹につかまっていた方が安全なようでもあった。夜もふけていたので、通りに殆ど人がいなかったのが幸いした。もし、大勢の人がいれば、竜巻に巻き上げられて死傷者が続出したはずだ。コンビニのそばにいた人たちは皆コンビニに避難した。店自体が平たい作りだったので、少しは風に耐えられるかもしれない。ほどなくして竜巻は通り過ぎ、風は収まってきた。
数日後、例の一団がやって来た。革ジャンがかごを持ってやってきたので、中身を袋に詰めて渡したところ、一万円札を出してきた。
「つりはいらねえ、とっときな。」一瞬ニッと口をゆがめて出て行った。
呆気にとられていたら、のっぽの先輩が
「まいどありー」と声を掛けた。
結局、僕は一つ善いことを行ったのだ。
翌朝、店長に会い、働かせてもらったお礼を言い、次の町へと向かうことにした。