『悪魔が来りて』 2 アストラルダ・アレウシウスはかく語りき
『霧島優里香……十六歳、バカ、性格も悪い、そーでもねえよ、がんばって一緒に日本に帰ろうぜ、勝手に見られた、書かれた、最悪、でもありがとうって思う、元気だせ私! 十七歳になった私はお料理がマイブーム、十八歳の誕生日は満点の空の下! もう大人の女だね!』
『篠塚春馬くん……男の子、同い年、ゲーム好き、本のこととかズバリでちょっとソンケーした、頭いい、やっぱバカっぽい? 手先が器用、やっぱり頭イイ? 強かった、少しカッコイイと思ってしまった、ヤバイ奴だった、ヘンタイ? オレンジジュースが好き、やっぱカッコイイ所もある、たった一人で秘宝ゲット! おめでとう!』
『桃園愛樹ちゃん……女の子、三コ下、名前カワイ~! 身長もちっちゃカワイイ、サラサラヘヤーーー!!! 動物が好き、双子の妹がいるみたい、パティシエールになるのが夢なんだって! プリを撮ったことがないらしい! 作ってくれたお菓子チョ~美味しかった! これはマジですごい!! 動物と仲良くなれる、最近アジュジュと呼んでみたりする、アダ名に照れてた、やっぱカワイイ!』
『神座神さん……男の人、苗字が神座で、下の名前が神、名前スゴイ!!! あと顔も超カッコイイ、背が高い、医学部! 四コ上、チョ~大人の人(性格のことね)、頭イイ、超アタマいい!!! 真面目な人、みんなのお兄さんって感じだなー、強かった、猫舌であることが判明! やっぱ真面目だなージンさん』
『常磐悠介くん……男の子、三コ下、おバカなのかな? おバカちゃんじゃなかったゴメンね、これから優しくしてあげなきゃダメだ! よく食べる、いつもお腹へらしてる? 心配だなぁ、守ってあげないとなぁと思う、別におバカと言ってもいいらしい、怒られたらハルマのせい、やばい久しぶりに心配するレベルのおバカちゃんぶりだ』
『アストラルダ・ストラティオ・ディクトル・アレウシウス・フォン・ドマーニアさん……女の人、真っ青な髪! ちっちゃカワイイよ~、年上だった、しかも貴族様! 名前チョ~長いね、官職名も含んでるらしい! カレスタリア王国のドマーニア地方を治める侯爵様、アレウシウス家の当主、元老院議員、学術博士なんだって、頭イイ、優しい! 家に泊めてくれる人、お館だった! お城も持ってるらしい!!! 指輪をプレゼントしたよ、無表情っぽいけど、最近びみょーな変化が分かってきた気がする、すごくいい人! あまり変なこと言っちゃダメだね、これから気をつけよう!』
ふむ、と鼻息を漏らしてユリカはペンを置いた。
ユリカは攻略本の余白に、今まで出会った人間の特徴などをメモ書きにしている。
紅茶を飲みながら休憩する時間を利用して、そこへ新たなる情報をいくつか書き加えていた。
「それじゃあ、また見えなくなれー。なむなむー」
ユリカがそう言うと、本に書かれていた各人の名前やメモ書きが消えていく。
持ち主本人の手で書き込んだ内容についてのみ、記述を任意で可視化・不可視化できる。これは偶然発見した、この本の不思議機能の一つだった。
ちなみに「なむなむ」などという経を読む必要はない。
「今回、僕はなにを書かれたのかな? やっぱりちょっと気になるね」
対面の椅子に腰掛けているジンが、そう話しかけてきた。
いまだ紅茶に口を付けることなく、それが冷めるのを待つジン。
彼は度を超えた猫舌なのだ。
ユリカは各人の特徴などをメモ書きにしていることを隠してはいない。
ただ、それをあまり他人に見せることはなかった。
見せるとしても女の子に対してだけだ。基本的に男性に対してはガード固めで挑んでいる。
「変なことは書いてないよー。特にジンさんの場合はイイことだけ。ねぇ、アジュジュ」
「はい。神座さんは実際良いことしか書けないですから。……あとユリカさん、私のそのアダ名はやめましょうよぉ」
ユリカの隣に座り、彼女が本にメモ書きを書き加えているのを横で見ていたアイジュはそう答える。
「そりゃあプレッシャーが掛かるね。……もう悪いこと出来なくなっちゃう、かな?」
ジンは少し照れくさそうに頬を掻いた。
「ジンさんはさぁ、悪いコトしたことあんの?」
声を上げたのは、ジンの隣に座っているユウスケだった。
口いっぱいにアップルパイを頬張り、モゴモゴとしながらそんなセリフを呟く。
お行儀悪いなぁ……、ユリカはちょっとだけそう思う。
そして質問されたジンの方を見ると、彼は少しだけ面食らったような顔をしていた。
しかしすぐに元の涼しげな表情に戻し、ジンは言う。
「もちろん…………あるよ。そりゃあ、あるさ」
「へー、想像つかねーなー」
ユウスケは自分で聞いておいて、もうその話に興味がなさそうだった。
テーブルの真ん中に置かれたアップルパイを吟味して、そこから一番大きそうなものを自分の皿に乗せている。
「ちょーウメェ」
ユウスケは満面の笑顔だった。ジンはそれを見て優しげに微笑んでいる。
けっこう失礼なやりとりだったなぁ、とユリカは思うが、ジンの微笑みには何一つ曇りがなかった。
やっぱりお兄ちゃんって感じだなぁ、ともユリカは思う。
しかし、そんな風に思いながら見つめていたジンの顔が、不意に苦々しげに歪んだのにユリカは気付いた。
苦痛をこらえるようにして、少しずつティーカップの中身をすするジン。
ユリカは思う。猫舌にも程があるよジンさん……。
――紅茶はすでに冷めているはずなのに。
『悪魔が来りて:ジョモ・ナーゼラム寺院――推奨レベル25以上
東西を結ぶ血の管、新しき血が流れるその始まり……。
様々な顔を持つ人々が行き交う道の外れに、あなたは破れ寺を見つける。
そこに足を踏み入れるのであれば、よく知る者と轡を並べて行くことだ。
ただし二人きりは良くない。三人がいい。裏切り者は常に半数を超えないのだから。
心を許してはいけない。彼らは何処にでも潜むものだ。
それが、あなたのよく知る者の中ではないとは限らない――』
樫でできたテーブルの上に本を置き、ユリカ達はそこに記された記述と向き合った。
この記述は、すでに何日も前に本に記されたものだった。
篠塚ハルマが『孤独なる旅路』というクエストのためにこの屋敷を出る前から、この不吉なタイトルのクエストは本の中に居座っている。
「結局、次のクエストはコレにするしかないんですね」
緊張した面持ちでアイジュがそう呟くのを、ユリカは横目に見つめていた。
紅茶のカップを持つアイジュの手がわずかに震えている。
どうやら、怪談の書き出しのようにも見える不吉な内容の記述に対して、少なくない恐れを抱いているらしい。
アイジュはカップをソーサーの上に戻す際、
「あっ。――ごめんなさい!」
かちゃん、という音を立てて、中身をこぼしてしまった。
樫の木のテーブルの上に小さな水たまりが生まれた。
「大丈夫!? ええっと、拭くもの、拭くもの……」
ユリカが慌てた声を出したのとほぼ同時。どこからかまっ白なハンカチが飛んできて、紅茶の水たまりの上に落ちた。
「……拭くものならある」
少し離れた所に座っていたアストラルダが、言葉少なげにそう言った。
彼女はピンと立てた人差しを優雅に揺れ動かした。するとハンカチは、ひとりでにテーブルの上にこぼれた茶を拭っていく。
十数秒で全てを拭き取ると、やはりハンカチはひとりでにテーブルの隅までふわふわと移動していった。そして、そこできれいに折りたたまれた形になって沈黙する。
その全ては、アストラルダが行使した魔術が生み出す光景だった。
「あのっ、ありがとうございます!」
アイジュが、アストラルダに向かって勢い良くお辞儀をする。
「……どういたしまして」
アストラルダは短く返事をして、読んでいた本に視線を戻した。
「ありがとう、アストラルダさん。ハンカチ、染みになっちゃうから洗ってくるね」
ユリカはそう言って、台所の奥でハンカチを洗う。丁寧に、丁寧に、だ。
なにしろ繊細なレースで編まれたこのまっ白なハンカチは、そんじょそこらの安物ではなかったからだ。
ある海洋貿易国家で生まれた、現在の貴族界隈では一世を風靡するこのレースのハンカチ。
元の世界でいう「ベネチアンレースのハンカチ」によく似た出自と経歴を持つこの薄布は、間違っても使い捨てにしていいようなものではない。
「……逆に手間をかけた」
台所から戻ってきたユリカに、アストラルダからそんな言葉が掛けられる。
「そんなことないよー、アストラルダさん」
「そうですよ。僕らの都合で、アストラルダさんには不自由な思いをさせてるんですから」
アストラルダに言葉を返したのはユリカ。
フォローを重ねたのはジンだ。
ユリカ達が現在身を寄せているこの屋敷は、大貴族であるアストラルダが数件所有する荘園邸宅の内の一つだった。
ユリカ達は、この屋敷に逗留するようになる以前から、貴族と呼ばれる者達の中にある“常識”をある程度は把握していた。
こぼした紅茶を拭うなど、特別な事情でもなければ、この青髪の大貴族自身がすることはない、ということも知っている。
そんなことは普通、お付きのメイドに任せるものだ。
しかし、「異世界からの客人」を住まわすにあたって、アストラルダは極限られた使用人しかこの屋敷に置いていない。
さらにいえば『本』が開かれる場においては、使用人の立ち入りを固く禁じてすらいた。
情報の秘匿のためにはその方が良い、とアストラルダが判断したからだ。
情報の秘匿――それはアストラルダ側の都合というよりも、どちらかと言えばユリカ達のためという側面が強いことを、ユリカ達自身は知っている。
そして、それでもなお、この大貴族が自分達を快く迎え入れてくれていることを知っているから、ユリカ達はアストラルダには頭が上がらないし、同時に信頼もしているのだった。
「すぐに水で流したから、染みにはならずに済むよ」
「……そう」
「ほんとにありがとうございました。アストラルダさん」
「うんうん、ありがとなアストラルダさんっ。桃園はビビりだからさ、許してあげてよっ」
「……いいの。……淹れてもらった紅茶も、焼いてもらったパイも美味しかった。……普段からお礼を言わなくてはならないのは……むしろ私の方」
客人から何度も礼を繰り返されたせいだろうか、青髪の大貴族は、およそ貴族らしくないセリフを吐いた。
自分のその“らしくなしさ”に気付いたのか、照れたように顔を背けるアストラルダ。
その様が(失礼ながらも)可愛らしくて四人は微笑む。
最初からハンカチじゃなくて布巾を使ってくれてたら良かったのに――などということは、誰も微塵も思わない。お馬鹿ちゃんのユウスケですら、だ。
きっとアストラルダは、この屋敷のどこに台布巾が置いてあるのかすら知らないはずなのだから……。