『孤独なる旅路』 3 極大緋晶リルナ・ラ・ベルナ
「……うーん。拍子抜けするぐらいに順調だな。魔物も出なけりゃ、トラップもない」
ハルマはそう言いながら道の端に“匂い袋”を落とす。
それは、不慮の事故で灯りを失ってしまった場合の目印の一つだ。一定の間隔で刺激臭を漂わせるそれを落としながら、ハルマは洞窟の奥を目指していた。
もちろん、壁に視覚的な目印を残すことも忘れてはいない。新月草の蕾から煮出した蓄光性の塗料は、頼りなげではあるが仄かな光を放つ。
「俺とは相性悪いクエストっぽかったのになぁ……」
ハルマがそう漏らすのも無理のないことだった。
彼にしてみれば、このクエストは自分にとって難航を極めるものになるはずだったからだ。
ハルマは先程、このクエストは魔術師向きのものであると考えた。
本は(まことに気紛れながらも)その記述でもってヒントを与える。
魔術の行使が明言されているような場合、基本的にそのクエストには魔術師が向いていることが多いのだ。
ハルマはそれを経験則として知っている。
クエストとクエスト遂行者の相性はかなり重要視される。相性次第では達成が不可能になったり、極めて達成が困難になったりするからだ。
ハルマが魔術を不得意としていることは、先程の入口限りの問題ではなく、リルナリルナ大晶窟を進んでいく際にも障害となるかもしれない……はずだった。
「……の割には、すっげー順調」
晶窟に侵入してから、すでに三時間が経過していた。警戒を厳にしながら少しずつ進んでいるが、それでもある程度の距離は稼いでいた。
行く手を阻むトラップも敵襲もない。
ハルマの足を遅くさせるのは、地面すらも覆う燦火宝晶の群れだった。
幸いなことに地面から生える結晶は小さなものばかりであったし、そんなものを踏んでも、ハルマの履く頑丈なブーツの底を突き破ることはない。
それらを踏みつけにすることを躊躇させたのは、他でもないハルマの貧乏性のせいだった。城と引き換えになる価値を持った宝石を、踏みつけにして進むことは彼には出来なかった。
そんなわけでハルマの足取りは、普通の洞窟を探索するときよりもちょっとだけ重い。
「おっ、開けた空間みーっけ。ちょっと休むか」
ハルマは前方に開けた空間があることに気付いた。
少し眩しいくらいに辺りから反射されていた光が、急にその光量を減らしたからだ。
いままで狭い通路だけを照らしていたランプの光が、いまは大分先の方にまで届いている。
そのせいで今までハルマのすぐ近くにあった壁面からの反射光が失われ、相対的な暗さを表現していた。
ハルマは四方へとランプを向けてみる。どうやらここはドーム状になっているらしいことが分かった。
「へー、地底湖ってやつか」
ドーム状に開けた洞窟の角に、ハルマは地底湖を見つけた。底面まで綺麗に見通せる澄んだ湖のほとりで腰を下ろす。
袋から取り出した干し肉をしゃぶりながら、ハルマは周りを見渡した。
相変わらず壁や天井に、大小無数の煌きが輝いている。地底湖の澄んだ水の中にさえそれらは存在し、かすかな湖面の揺れによって幻想的な光景を演出していた。
ほとんど音のない世界で、時折りピチョン……と水音が反響する。それが逆に周囲の無音を際立たせているように感じられて、ハルマは少し身震いする。
「うーん、さっきの突き刺すような寒さに比べりゃなんでもないんだろうけど……なんていうの、心を寒からしめんとするのは孤独というか――やだ、俺って詩人の才能あり?」
無理矢理にテンションを上げるようにして、ハルマはそんな独り言を呟いた。
だが、いつもならば仲間のツッコミが入るであろう冗談も、それがなければ孤独を深めるだけの渇いた音にしかならない。
「はぁ……、人恋しいってのはこれだね。まったく『晶窟の主』さんってのは、ひどいことを要求するもんだ」
ハルマは背負い袋から本を取り出し、その開いたページに目を落とす。
雪山登山を敢行していた際の防寒着をたたみ、背負袋へとそれを押し込みながらだ。
晶窟の深部に進むにつれ、外気とは比べ物にならないぐらいに暖かくなっていた。
『あなたが孤独である限り、晶窟の主はあなたに好意の目を向けるはずだ。恐れず奥へと進むがいい。
その最奥で、秘宝はあなたを待っている。
旅行く者よ、孤独であれ。
たとえあなたが盗人であろうとも、晶窟の主はあなたを咎めようとはしない。
あなたが孤独であるかぎり――』
「結局、洞窟の入口に辿り着くまでがクライマックスで、その先は相性うんぬんもないベリーイージーなクエストってわけなのか?
……いや、あの単独登山がすでにナイトメア級の難易度だったけどさ」
ハルマはここまでの道程を思い出す。
周囲への警戒は、おもに敵の襲来に対するものだった。敵、つまりこの晶窟に潜んでいるかもしれない“獣”であり、“人”であり、そしてそれ以外の“魔”である。
しかし、そんなものは一切なかった。
まるで、この晶窟内にいる生命体は自分だけなのではないか、とハルマに思わせるほどにだ。
「虫の一匹も見てないしな」
それは異常だ。この幻想世界にも当然ながら虫は存在する。それも遍く場所にだ。
地球という惑星を支配する動物は「虫」であると述べる学者がいるくらいに、ハルマが元いた世界にはそれが存在していた。
おそらくそれはこのファンタジーな世界にも適用されるのだろう、とハルマが思うほどに、この世界にも「虫」というものは至る所にいた。
なのに、この晶窟に入って以来、ハルマはそれを一切視認してはいなかった。
「毒ガスとか、瘴気とかさ、そんなんが充満してねえだろうな」
当然、そういった物については入口をくぐった時点から警戒しているわけで、それが正しい解ではないことをハルマは分かっている。
「……ま、この洞窟特有の不思議パワーとかのせいなんだろうね」
結局、それで納得するしかない。
このファンタジーな世界ですでに二年を過ごすハルマにとっても、石を投げれば必ず当たる程度には、未知というものが満ち溢れていた。
「とにかく記述を読む限り、俺は無事に最奥まで辿り着ける可能性が高いわけだ」
――“ぼっち”である限り、ね。
ハルマは口の中だけでそう呟くと、さらに晶窟の奥へと足を運んだ。
◇ ◇ ◇
「これはまた。やばい匂いがプンプンするね」
ハルマは大きな“扉”の前にいた。
この晶窟に入って以来、これまでまったく目にすることのなかった人工物だった。
「帰ろっかな……うん、帰った方がいいよね! 帰ろう!」
ハルマは自分自身を説得するように大きな声を出す。
その手には、しっかりとこの晶窟の『秘宝』が握られていた。
◇ ◇ ◇
話は十分ほど前にさかのぼる。
地底湖のあった場所を出発してから約一時間後のことだ。
「ここが、リルナリルナ大晶窟の最奥……か」
その手に淡く光る本を持ちながら、ハルマはそう呟いた。
『孤独なる旅路:リルナリルナ大晶窟――推奨レベル28
アルタヘナ大砂海の西端、オルトラコン大山脈の麓……。
あなたはそこに小さな村を見つける。その村に名前は無く、住民は皆一様に小さな体躯を持ち、そして耳慣れない言葉を使った。
リルナリルナ――古い言葉で《永き孤独》を意味するものだ。
あなたがその言葉を口にすると、住民の一人は無言のまま大山脈の一点を指さした。
彼が指し示した方を向き、あなたは独り……また一歩足を踏み出した。
あなたは晶窟の入り口に辿り着いた。
あなたは灯火の魔術を使って辺りを照らす。晶窟はすぐさま目を覚ますだろう。
輝くドレスに身を包み、晶窟の主はあなたを歓迎する。
あなたが孤独である限り、晶窟の主はあなたに好意の目を向けるはずだ。恐れず奥へと進むがいい。
その最奥で、秘宝はあなたを待っている。
旅行く者よ、孤独であれ。
たとえあなたが盗人であろうとも、晶窟の主はあなたを咎めようとはしない。
あなたが孤独であるかぎり。
あなたは秘宝をその手に収める。
晶窟の主は、満ち溢れる輝きをもって、あなたに祝福の言葉を告げた。そして、独り家路を急ぐあなたのために、晶窟の主は帰り道を照らすだろう。
あなたはただその道を行けばいい。
同胞の待つ家で、あなたは独り秘宝を眺めることがあるかもしれない。
その心に後悔を抱えているとすれば……、孤独なる囚われの守人の瞳は、もう忘れた方がいい。
あなたが苛まれんことを……。
わたしは、ただそれだけを願う。
――極大緋晶リルナ・ラ・ベルナ――
孤独なる者に大いなる力を与える。
それは邪なる者を退け滅する破邪の輝き』
本にはまた新たな記述が増えていた。
ハルマは本から目を上げ、正面を見据える。その視線の先にはクリスタルの“玉座”があった。
無数の燦火宝晶が寄り集まり、まるで王が鎮座する椅子のような形をとっているのだ。
「玉座って感じ? とてもじゃないけど、俺はあの椅子に座りたくないな」
普通の人間が座れば血まみれになること請け合いの刺々しい玉座ではあったが、この場合に限れば問題はない。
なにせそこに座すのは人ではなく、“大きな緋色の燦火宝晶”だったからだ。
核の色は赤。それは心の臓が脈打つように絶えず大きさを変え、あるいは燃え盛る篝火のようにクリスタルの中に火花を散らしていた。
「で、あれが……えっと【リルナ・ラ・ベルナ】っていう秘宝か。相変わらず秘宝の持つ能力についてはファジーな説明しかされないみたいだけど、それは解読・解析班の皆に任せるとして……」
ハルマはそう言ってクリスタルでできた玉座に近付くが……。
「怖いよー、痛そうだよー、ってか痛いよー、チクチクするよー」
とてもじゃないが、いくつかの燦火宝晶を折らないことには、秘宝を手にすることが出来なかった。
「盗人だろうが咎めないって書いてあるし、秘宝を持ち帰っていいぐらいだから、これも問題はないんだろうね」
言いながら、ハルマはポキポキと玉座を形作っている燦火宝晶を根本から折っていく。
無用のトラブルを避けるために、行く道の途中では自重していた行為だったが、そうしないことには秘宝に近づけないのだから仕方がない。
至高の宝石を背負い袋の中にポンポンと放り込みながら、ようやくハルマは【極大緋晶リルナ・ラ・ベルナ】のもとにまで辿り着いた。
そしてそれを大事そうに腕の中に収める。
両手で抱えなければならないほどの大きさを持つ極大の燦火宝晶。
神代の力を受け継ぐ大いなる秘宝。
世界を救うための力。
それを手にし、ハルマが安堵の笑みをこぼした瞬間――彼の視界は七色の光に包まれた。
「びっ……くりしたぁ。マジで。祝福の言葉を告げた、って……光満ち溢れ過ぎだろ」
ハルマが『秘宝』手にした刹那、本の記述通りに、晶窟全てを覆うほどの眩い光が放たれた。視界の全てを七色に染め上げる輝きは、数瞬の間ハルマの視力を失わせるほどだった。
そして、その輝きが収まった頃、ハルマの視線の先には光り輝く“道”が現れていた。
洞窟内に無数に存在する燦火宝晶が、ある一定のルートを示すように、特定の部分だけ輝きを放っていたのだ。
「家路を急ぐあなたのために、晶窟の主は帰り道を照らすだろう……ってのはコレか。アフターサービスまでしてくれんのね」
光の道は、ハルマがやって来た方向を指し示している。
基本的には行きの道をそのまま戻ることになりそうだ、とハルマは思う。
ドヴォルザークの交響曲を口笛で吹きながら、ハルマは背負い袋の口を開いた。そして両手に抱えていた【極大緋晶リルナ・ラ・ベルナ】をその中に落としこむ。
その大質量が嘘かのように、秘宝は袋の中へと収まった。
この背負い袋も秘宝の一つだった。その名も【ブロムブロンの胃袋】だ。
袋の口は亜空間に繋がっているとされ、相当な量を入れることが出来た。ちなみに、たまにグルグルと大動物の腹の音のような異音を発することがある。
いまだハルマはこの袋が一杯になった所を見たことがない。
「これでオッケー。あとは帰るだけだな!」
光の道へと足を向ける。ハルマはクエスト達成の余韻に浸りながら、ここから立ち去ろうとした。
あとは帰るだけだ。皆が待つ俺達の家へ――
「――家へ帰る……だけ、のはずなんだけど……」
光る道へと足を向けた時のことだ。
家路につこうとするハルマの視界の端に“ソレ”が映った。
ソレは呪いにも似たもの、いや呪いそのものだった。
かつて元の世界にいた頃、ハルマはコンピューターゲームが好きだった。大好きだった。
ソレはハルマのような人種にとって、正しく呪縛というべき物であった。
「……扉だ。まだ探索してない、初見の扉……」
もはや、ハルマは扉から視線を逸らすことは出来ない。
初見の扉に対して、呪われし者達には抗う術などないのだ……。
光る道から外れた場所にある大きな扉。この晶窟でおそらく唯一の人工物。
ソレを見つけてしまったが故に、ハルマの足はフラフラとそこに引き寄せられる。
本の記述に逆らい、一人のゲーマーは光り輝く家路からその足を外した。