表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/21

『悪魔が来りて』 16 神座ジン もう一つの正義

本章だいぶ長くなってしまいましたが、飽きずにお付き合い頂けると幸いです。

あと、ご評価いつでもお待ちしております。


 神座かむくら家は、明治より続く医者の家系だ。

 ジンはその家の次男として生まれた。


 齢の離れた長男はすでに家を継ぎ、祖父が理事長、そして父親が医院長をしている「神座記念病院」という中堅規模の病院で外科医師をしている。

 両親はジンにも外科医師の道を進んで欲しいと密かに望んでいたが、彼が選んだのは公衆衛生という分野であった。

 彼がその道を進むことに決めたのは、一人の医師との出会いが強く影響している。


 ジンは幼少の頃、まだ一介の外科医であった父親の都合で、家族でアフリカに住んでいたことがある。

 そして彼はそこで、ある致命的な伝染病の流行に直面したことがあった。


 一類感染症にも指定されているそれは、とても恐ろしい病気だった。

 一度感染してしまえば助かる見込みは薄く、末期の患者は身体中から体液を吹き出し、高熱と激痛に苦しんだ末に狂い死ぬ。最終的な統計では、その感染症の致死率は90パーセントを超えるほどだった。

 当時有効なワクチンも確立されておらず、罹ってしまえば運を天に任せるしかない有り様だった。ただし運を天にといっても、それは医師から適切な処置を受け続けながら、ということが前提の話だ。

 そんな恐ろしい病気が、神座一家の住んでいる町からたった百キロメートルしか離れていない場所で、爆発的流行の兆しを見せていたのだ。


 そうしたアクシデントに見舞われた神座一家は、すぐにそこから避難することになった。

 ジンの父親は、その国ではあくまで外科医師としての職務を遂行していたに過ぎない。一類感染症に対する処置の経験に乏しい彼がその場に居ても、できる仕事は限られてくるし、何より国外退去の命が彼ら一家には下されていたからだ。

 せめてある重篤な患者の手術を最後に、と帰国の日を数日伸ばそうと粘る父親に対し、涙ながらに説得を続ける母親の姿が、幼き日のジンにも事態の切迫さを教えていた。


 ジンがその男と出会ったのは、帰国を明日に控えた日のことだった。

 顔はまっ黒に日に焼け、無精髭を伸ばし、白衣を身に付けていなければ職業が分からなかったであろうその男は、国際的な機関に所属する日本人医師であった。


 機関から派遣されてきた男は疫病に対するスペシャリストであり、感染地域での医療行為を遂行するチームの人間の一人だった。

 神座一家が住んでいた町での医療行為も、彼らチームが引き継ぎをするとのことで、その説明のために、男はジンの父親を訪ねて来たのだった。

 チームの中で日本語を話せるのが今のところ僕一人なんでね、と男は涼しげに微笑みながら語った。


 幼きジンは、その男と父親が話をするのを聞く機会に恵まれた。

 いまだに残ろうという意思を掲げる父親の説得には、その日本人医師一人だけの力では難しく、その場にジンの母親も同席していたからだ。

 この緊急事態に、子供から目を離したくないと希望する彼女の強い希望もあって、ジンと彼の兄は、部屋の片隅で話の成り行きをじっと窺うこととなっていた。

 ジンは、自分の父親とひげ面の男が話をしていた場面を、今でも鮮明に思い返すことができる。


 男は優しく、勇敢で、そして厳しい人だった。

 それが幼き日のジンが彼に抱いた印象だった。


 男は包み隠さずこれからの処置について話を進めているようだった。そうでなければジンの父親を説得することは難しいと感じたのであろう。

 男は、この地域の患者は優秀なスタッフが受け持つと約束した。そのスタッフの経歴を告げられた父は、ほどなくして首を縦に振ることとなった。


 カルテや重病患者に関する注意についてのデータの引き継ぎが終わったところで、父親と男は感染地域の今後の処置について話を始めた。

 男はこの町の医療を担当するのではなく、感染地域に赴く予定だと最初に話していたからだ。

 ジンの父は隔離が必要なほどの一類感染病についての知識をそれほど有してはいなかったため、それはあくまで雑談のようなものに分類される話であったのであろう。


 しかし、男の話を聞く内にジンの父親の表情は次第に真剣味を増していき、それは最終的に激昂に近いものとなった。

 ジンがそのような父親の表情を見たのは、後にも先にもこの時だけだ。


 男は優しく、勇敢で、そして厳しい人だった。

 自ら進んで死病の蔓延る地域に赴く人間である彼は、正しく勇敢で、そして優しい。

 しかしながら、すでにその死病に侵された人間に対しては、極めてドライな対処を望んだ。


 極論的には、ワクチンが開発されるまでは、いかな医療行為もほぼ無為であると男は言った。今できることは迅速な隔離と研究だけだ、と男は続けて言った。

 男の中ではすでに、この伝染病に侵された人間は、半分以上死人であるという認識があるような物言いだった。


 幼き日のジンは、男がずいぶん冷たいことを言うものだと感じたのだが、それは後になって少し和らぐことになる。

 なにしろその病気は、非常に高度なリスクグループレベルに属する病気の中でも、さらにもう一段階上の危険性を孕むものだったからだ。

 後になって考えてみれば、この当時、そのひげ面男個人に課せられた使命は、患者に対する治療ではなく、現地での正確な情報の収集と病原体サンプルの確保であったのだろう、という推測もできた。


 ただし、当時のジンはやはり少し怒っていたのだ。そんな正義漢気質は、彼の父親から受け継いだものだ。

 ジンの子供らしい怒りとは比べ物にならないほどに、父親はその身に怒気をみなぎらせていた。


 今にも怒鳴り散らさんとするジンの父親の前で、男は語った。

 自分がしている仕事は、膨大な数の屍に対してたった一つのことを誓うだけだ、と。

 あなたの大切な人が、その将来においてあなたと同じ苦しみを味合わないために、自分は命をかける、と。


 命をかける、と語る男の目は本気のそれであった。

 それが分かっていたから、おそらくあの時、父親は男に何も言い返さなかったのだろう。ジンは後になって、その当時のことをそう思い返すことがあった。


 シニカルな笑みを浮かべながら「死んでいく人間が、果たして本当にそれを望んでいるかは知りませんけどね。だからこれは自分勝手な宣言ですよ。救えなかった人間に対しての言い訳にもならない」という言葉を最後に残して、男は部屋を出て行った。


 翌日、神座一家は予定通り帰国の途についた。

 無事日本に帰国したジンは、その正確な意図が読めぬまでも、男の言葉を胸に刻みながら生きた。

 成長を重ねる内に、心に刻まれた言葉は、やがて深く深く心の奥底にまで届くようになっていった。

 そしてある日、ジンは自分が生きる道を決めた。


 父親が「神座記念病院」の医院長に就任してからも、兄がそこの外科医になってからも、ジンがその日に決めた進路が変わることはなかった。

 ジンは大学の医学部に進み、そして公衆衛生学を専攻することに決めていた。


 病気に苦しむ人間を救う、という父や兄の姿をジンは尊敬していた。

 しかし病魔に侵され苦しむ人間を前にして、さらにその身体にメスを入れられるような心の強さを彼は持っていなかった。

 ただその一方で、家族や友人といった大切な人達を守りたいという意思はあった。

 臨床医師は自分に向いていない。研究医となって疾病を元から根絶する道を目指そう、と彼は考えていた。


 ジンの心は二律背反している。

 彼はとても強く、そして優しい。と同時に、彼は脆く、そして冷たい。


 ジンの優しさは“健康的に微笑むことができる人間”に向けられ、そんな彼らが苦しむことのないようにと、自分の命すら捧げられる覚悟があった。

 しかしその一方で、すでに“病魔に侵され苦しむ人間”に対しては、そこまでの感情を抱くことができない。


 ジンはある意味でいえば、ひどく偏っていたのだ。

 今笑うことができる人の笑顔を、この将来さきも永遠に守りたい。

 今苦しみの中にいる人は、どんな形でもいいからそこから解放されればいいのに。


 ジンは幼き日の出来事と、その後に学んだいくつかの知識を糧にして、自分の心に一つの線を引いた。


 ――僕はすでに苦しみの中にいる人間を救うことはできない。

 ――だからせめて、今微笑むことのできる人達の笑顔だけは守ろう。

 ――そのためだったら何でもやる。


 元の世界に生きていた時から、神座ジンはそう決めていた。

 



 ◇ ◇ ◇


「君の言葉をずっと信じていたかった。……でも、それももう終わりにするよ」


 ジンの口から、そんな決別の言葉が聞こえた時のことだ。

 ハルマはその場から一歩も動けずにいた。

 ジンのセリフが終わるのと同時に、自分の右肩、その背面に激痛が走ったのだ。そして、その全身から一気に力が抜けていくことをハルマは感じた。


「ハルマ君。君なら僕の心を分かってくれる。それは信じてるんだ。だけど、だからといって、この世界の人間全員を消滅させようなんていうことを、君が許すはずもない。だから今は、静かに眠っていて欲しいんだ」


 何かが自分の右肩に突き刺さっている。しかも毒が仕込まれた何かだ。ハルマに分かったのはそこまでだった。

 硬い石床に、思わず膝を着いてしまう。ズボンの下に身に着けているニーガードが、ガチンと硬質な音を響かせた。


「蛇達と戦っている時にね、【百色万化クロ・ロキ・ルスヴェガ】を使って仕込んでおいたんだよ」



百色万化クロ・ロキ・ルスヴェガ】は、ジンが持つ『秘法オーバースキル』だ。

 概ね自分の身体と同サイズ以下の物体であれば、それを他に用意した物体の姿に変化・偽装することができるスキルである。それは“姿”だけであれば、同一品といって良いほどの精度で再現され、性質についてもある程度が保障される。

 ジンは、ハルマが自分に背中を預けて戦っている際に、彼の右肩に一枚の布を仕込んだ。ハルマが背負うバッグの肩紐部分にねじ込むようにして仕込まれたそれは、元々は毒の塗られたナイフが姿を変えたものだ。

 ハルマが身に付けた衣服と肩紐の間に挟まれた布は、スキルによる変化を解かれてナイフの形を取り戻すとともに、彼の肩へと突き刺さった。



獅子喰蜂シシグイバチの毒を塗ったナイフだよ。強力で即効性のある筋弛緩剤だからね。いかにハルマ君といえども、そう簡単には回復できない」


 ジンがそう説明するのを聞いて、ハルマは少しだけ安心する。

 自分の身体を襲う毒が致死性の高いものではないと知ったからだ。生きたまま獲物の血をすするという性質を持つシシグイバチの毒は、あくまでその対象を痺れさせ、動けなくするだけの代物だ。

 直接呼吸器に対して毒を注入されでもしない限り、それが機能不全に陥って死ぬようなことはない。


「……ジンさん、本当に……皆がいなくなっちゃっても、いいの……かよ」


 ハルマは痛みと痺れに悩まされながらも、そう言った。

 彼が言う“皆”とは、この異世界に住まう者達のことだ。


「……良くはないさ。もちろん、そんなこと……僕だって嫌さ」


 ハルマが見つめるジンの顔は苦痛に歪んでいた。

 けれどそれも一瞬のこと。すぐに元の表情に戻り、ジンは言う。


「だけど、物事には優先順位ってものがある。僕が一番に救いたいのは、この世界の人間じゃない。ハルマ君であり、ユリカちゃんであり、アイジュちゃんやユウスケ君達だ。あの子達は、今すぐにでも元の世界に帰してあげなくちゃいけないんだよ……」


 一際強い意思の光が、ジンの両の瞳に宿った。

 ハルマは知っている。ジンが仲間達をどれだけ大事に想っているかを、だ。

 年少組を始め、心に少なからず傷を負った仲間がいることもハルマは知っている。たしかに彼らには、一刻も早く元の平穏な世界に帰してやることと、そこでなされる治療が必要であるのだろう。


「……そのためだったら、この世界に生きる全てにだって犠牲になってもらう。なにしろこの世界は、僕から見れば、すでに手の施しようがない末期患者みたいなものだからね」


 そんなジンの言葉に、ハルマはすぐさま反論することができない。

 なぜならたしかに、この世界は壊れ始めていたからだ。それは大地や海、空だけのことではなく、人そのものもだ。


 ハルマがこの二年間で見てきたこの世界には、各地を襲う明らかな異常が有り、そしてその異常を発端として狂っていく人間たちの姿があった。

 ユウスケも、アイジュも、ユリカも、ジンも、他ならぬハルマ自身も、その狂った世界の被害者となった経験がある。それで心を壊してしまった人だっている。

 しかし、それでも――


「――それでも、俺は! 俺達が今まで救ってきた人が! 今俺達を助けてくれる人が! 皆が好きだ! だから……そんな皆を絶対に消えさせねぇ!」


 ハルマは叫ぶ。この時だけは、痛みも痺れも全て忘れた。

 自分の中の何かに突き動かされるようにして、ハルマは立ち上がった。


 激情に呼応するかのように心臓が早鐘を打ち、刺された左肩から血が吹き出る。

 神経系に通常とは別の発火が起こり、無理矢理にハルマの身体を動かす。

 ある意味では自爆行為ともいえる無茶をしながら、ハルマは再びジンと向かい合った。


「人間界の“七人の王”を殺せば、この世界……いや、この世界の人間界は一度閉じる。そうなれば人は誰も生き残れはしないだろう。けどね、そうしなければ僕らは元の世界に帰れないんだよ」


「ちがうよジンさん。それだけじゃない。……方法は一つだけじゃないじゃん」


「神界の“三柱の神”を殺し、この世界の神界を閉じる。古の神は完全に滅び去るが、人はこれからも生き残ることができる。たしかにこの方法でも僕らは元の世界に帰ることができると、そう“本”は言ったね。けど、神界というものがどこにあるのかすら分からないのに、どうやって神殺しを成すのさ。だいたいどちらの方法にしても、僕らの勝手な都合で、その世界を終わらせることに変わりはないんだよ」


 ――それだったら、簡単で早く終わる方の道を選べばいいじゃないか。でないと本当に心を壊してしまう子がいるんだよ。

 ジンのその言い分に、ハルマは論理的に言葉を返すことはできない。


 結局は、この異世界を構成するどちらかの世界を一度終わらせることに変わりはない。

 人がいる世界を閉じるか、神がいる世界を閉じるかのどっちかだ。

 ただ自分の知り合いが多いからという理由だけで、自分は神殺しを正当化しようとしているだけなのだ。


 ハルマはそれが分かっているからこそ、論理的な答を返せずにいた。

 けれど論理的じゃない言葉であれば、いくらでも叫ぶことができた。


「好きな人達を守るためなら! 意地でも探しだして、その神様とかいう奴をぶっ殺す!」


 自分の頭の中にはそれしかない。感情論でしかない正義を振りかざしてハルマは言う。


「好きな人達を守るためなら、僕もすみやかにこの人間界を終わらせよう。そのための力を今僕は手に入れる」


 ジンは彼なりの正義を掲げて、静かにそう言う。

 そしてジンは、彼が持つ“本”を開いた。ハルマの目に、そこに記された内容が飛び込んでくる。

 そこには決定的な記述が記されていた。


『もう一つの正義:ジョモ・ナーゼラム寺院――推奨レベル30以上

 知勇と蛮勇、それを選ぶ時は来た。

 きっとあなたは、あなたの正義に従い、ともがらの目を欺くだろう。

 輩には牙を渡し、あなたは瞳だけを持ち帰る。


 これからも、わたしはあなたを導こう。

 あなたが選んだその道が、間違ったものであるとはわたしには言えない。


 わたしは、ただこいねがうのみ。

 あなたの行く先が、あなたの大切な者達にとって幸多からんことを。


 ――無限蛇乃瞳ウロボロス・ディアナ――

 それは失われし秘法。一なる瞳に身を映せば、

 汝の前には無限の回廊が姿を現す。

 回廊を歩み、抜け出た先は別なる瞳の前』


 ハルマが見たそれは、『ジョモ・ナーゼラム寺院』という場所を除き、自分の本に記された内容とは全く違うものであった。

 それはもはや“異世界の攻略本”すらが、ジンのことをハルマの仲間と認めていないという事実を示していた。

 この不思議な本は、一つにまとまった集団に対しては、必ず同じ記述を提供するという特徴があった。逆に利害が対立する集団同士に対し、同じクエストを指示するようなことはない。


「ハルマ君がリルナリルナ大晶窟の秘法を手に入れた時だね。急に僕の本から、このクエストの記述が消えた。そして再び記述が浮かび上がったのは、この部屋に足を踏み入れた時なんだよ」


 呆然とするハルマの目の前で、ジンは自嘲気味の笑みを浮かべながらそう語る。


「この本はずいぶんと前に気付いていたんだろうね。僕がこのタイミングでハルマ君達を裏切るんだろうってことに、さ」


 裏切り――ジンはそう言った。

 しかし、ハルマはその言葉を額面通りには受け取れなかった。

 裏切りではない。ジンにはジンなりの、もう一つの正義があっただけだ。


 ……しかし、どちらもが正義を貫こうとすれば、そこには衝突が生まれる。


 二つの正義が完全にすれ違ってしまったことを、ハルマは悟った。

 ジンの中で線引された“好きな人”の中には、ハルマがいて、その仲間達もいて、ただそこに、アストラルダを始めとするこの世界の人間が含まれていないのだ。


 いや、含まれてはいるのだろう。含まれているはずだ。それを見捨てることに、彼は少なからず抵抗を感じているはずなのだ。

 ジンという青年は、それだけ情の深い男のはずだ。ハルマはそう思う。

 だがその一方で、ハルマはこうも思った。

 ジンの心の天秤は、完全に傾いてしまっているのだ、と。


 彼にとっての本当に“好きな人”というのは、とてつもない重さを持っている。

 それはおそらく、アストラルダ達異世界人全ての命を秤に乗っけても、全く釣り合いが取れないほどなのだろう……。



 

 ハルマの心に、諦観という影が落ちた。そして彼は血溜まりの中に倒れ伏す。

 その後、ハルマが目を覚ましたのは、ユリカという少女の胸に抱かれてのことだった。


 ジンを裏切り者と断定し、血気にはやる彼女を見た時、ハルマは気付いた。

 自分は今、ジンを守りたいと心から願っていることに、だ。


 行く道を別にしても、ジンが自分の大切な仲間であることは変わらない。

 その正義にすれ違いがあろうとも、実のところ本質は同じなのだ。

 

 ――大切な人を、好きな人を守りたい。


 今は別の道を行こうとも、その本質が一緒であれば、きっとどこかでまた同じ道に出ることができるはず。

 ジンがジンの正義を行くのなら、俺は俺の正義を行くだけだ。

 

 今は自分の思い描く正義が、両手に納まりきれないほどとても欲張りで、実現に乏しい未来だとハルマは分かっている。

 ジンが掲げる正義は、決して欲張ってはいない。本当に大切なものだけを握りしめて、その実現可能な未来をちゃんと見据えている。

 自分の正義は、今のところただの理想論に過ぎない。子供が駄々をこねるのと一緒だ。


 でも、それでも。

 ジンが諦めてしまった完璧なハッピーエンドに、自分の手が届かないとはまだ決まっていない。

 強くなろう。今はまだ弱くても。

 ジンの掲げる正義は、大切な人を守りたい、という一心から来ている。やっぱりそれは、自分の掲げる正義と対立するものではないじゃないか。


 自分がもっと強くなって、今は抱えきれない大きなものすら持てるようになれば、きっとジンも考えを改めてくれるはずだ。

 残念ながら、自分は今、とても弱い生き物なのだ。

 自分が持つ力だけでは、我を通すこと一つ叶わない。

 だから……もっと強くなろう。自分の理想を押し通せるほど強くなって、そしたら胸を張ってジンに会いに行こう。


 目の前で憤るユリカを目の前にして、ハルマはそこまで考えてから全身の力を抜いた。

 膝が折れ、頭は力なく垂れる。

 強き生き物を前にして、弱き生き物にできることは一つ。それはただみじめに、命乞いをするだけだ。

 自分の弱さを自覚しながら、それでもハルマは下を向いて笑った。


 ピンチの時こそハルマは笑う。

 その度に、いつかきっと強くなってやると、固く胸に誓う。


 さあ、この健康優良巨乳チョロインちゃんはどう反応するだろう。

 きっと敵意を削がれ、その無駄に大きな胸で自分を抱きしめるはずだ。

 そんな未来を予想しながら、ハルマは意識を手放した。

 果たしてその後、本当にユリカがハルマをその大きな胸の内に抱きしめたかは分からない。


 ただ、ハルマが次に目を覚ました時、その頭は彼女の膝の上に載っていた。

 見上げた視界一杯にユリカの豊満な胸が映り、それ以外の物は見えなかった。ただ身体に伝わる不規則な振動が、どうやら自分が馬車の中にいることを伝えてくる。

 彼女の柔らかい膝の上で、ハルマは少しだけ身をよじった。


「あ、起きたんだ。まったくもう、お寝坊さんなんだから」


 声が上から降ってくる。

 大きな胸に邪魔されて顔はよく見えなかったが、その声にユリカらしい不器用な優しさが含まれていることがハルマには分かった。


 彼女の声には、すでに寺院で対峙した時のような剣呑な響きは含まれていない。

 それを確認したハルマは、もう一度夢の中へと旅立っていくことに決めた。


 その夢の中で、ハルマはジンと楽しく談笑を交わしている。

 いや、ジンだけではない。そこにはハルマが愛する様々な人がいた。


 文字通り、完璧なハッピーエンドを夢見て、ハルマはアストラルダ邸に着くまでの長い時間を、ただひたすらに眠って過ごした――。



 悪魔が来たりて編は、一応ここで終了です。

 どうもこの小説は、書き溜めないと修正が多くなってしまうようなので、次回掲載遅くなりそうです。

 いちおう次章はクエスト攻略ではなく、今回のジョモ・ナーゼラム寺院での出来事の収拾と、世界観の説明などに話題を割く予定です。

 次章にて、ハルマ達はいったい何を目指しているのかを説明した後に、次々章では二年前(始まりの時)までさかのぼって話を続けたいと思っています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ