『悪魔が来りて』 14 証明
『悪魔が来りて11』の最後。
ユリカが血溜まりに倒れ伏したハルマの姿を見つけた部分から繋がります。
◇ ◇ ◇
「ハルマっ!!」
血溜まりの中に倒れ伏したハルマに向かって、ユリカは駆け寄った。
彼の背中。その右肩にはナイフが刺さり、そこから少なくない量の血が流れている。
「それくらいの傷なら、治癒の魔術を使えば元通りになるさ」
ハルマの横に跪き、その傷の深さを確かめようとしていたユリカの頭上へ、そんな声が降り注いだ。
ジンの冷静な――というより、どこか冷徹な響きを感じさせるその声に、ユリカは一瞬ビクリと身体を震わせる。そして、
「ジンさん! なら早くハルマの傷を治してっ!!」
その声に若干の不服の色を滲ませながら、ユリカは治癒の魔術の即時行使をお願いする。
しかしその願いに対し、ジンは静かに首を横に振った。
「なんでっ!」
先程よりも明らかに、そこに明白な批難の意思を乗せてユリカは言った。
そしてすぐに絶句する。
ユリカを見下ろすジンの瞳が、これまで見たことがないほどに冷たかったからだ。
「ハルマ君が“裏切り者”だったからさ」
冷たい瞳のまま、ジンはそう告げる。
ガツンと殴られたような衝撃が、ユリカの頭の中に響いた。
その言葉の一撃は、もちろん物理的な力を一切持ってはいなかった。
しかし目眩がするような感覚が、今もユリカの全身を襲っている。
「裏切り者? この倒れてる人は、その……本物のハルマじゃない、の?」
目の前の現実が上手く理解できない。
思考の処理が追いついていかない。
コレがハルマ本人じゃないとしたら、本物は今どこに?
それともジンさんは、なにかを勘違いしてるんじゃないの?
ハルマが、裏切り者? なんで? そんなの…………ウソだ。
様々な想いが頭の中を駆け巡り、ユリカの心を散々に掻き乱していく。まるで悪夢の中に迷い込んでしまったようにさえ思えた。
「本物だよ。本物のハルマ君さ。ただし裏切り者の、ね」
嫌だ。嘘だ。イヤだ。ウソダ……。
ハルマが裏切るなんて、そんなの、絶対……。
「隙をみて麻痺毒を塗ったナイフを刺した。殺さず、且つ動けなくするためには、それしかなかったんだ」
ユリカは虚ろな瞳でハルマの右肩を見る。
そこに刺さった短剣がとても禍々しい物に見えた。
「無理に引き抜かなければ余計な出血も防げるし、ハルマ君の自己治癒能力で麻痺が無効化されるまでの時間は稼げるだろう」
ジンはそう言うと、ユリカがやって来た扉の方向へと足を向けた。
扉はすでにユリカによって破壊されており、ぽっかりと石壁に穴が開いているだけだ。
その穴に向けて歩きながら、ジンは一方的に語り続ける。
「僕は先に帰るよ。悪いんだけどユリカちゃんは、ハルマ君を背負って後からついてきて欲しい。裏切りに至った経緯について、彼に聞かなきゃいけないことはまだある」
穴の目の前まで辿り着いたジンは、扉のあった壁に手を掛けてからユリカを振り返った。
「……ユリカちゃん。これだけは憶えておいて欲しい」
先程までの冷たい瞳がウソのように、ジンはいつもの優しい表情を浮かべている。
「いつでも自分の内のどこかに、冷静な自分を残しておかなきゃダメだ。正しいことをしたければ、大切な人を守りたければ……それだけは忘れないで」
ジンは最後にそんな言葉を残して、通路の奥へと姿を消した。
そしてユリカとハルマ。二人だけが祭壇の間に取り残された。
混乱する頭を抱えて、ユリカは金縛りにあったように動けないでいた。
「ユリ……カ……」
血溜まりの中から、微かにハルマの声が聞こえた。
「ハルマっ!!」
その瞬間、雷に打たれたようにユリカの身体が跳ね、そして正気を取り戻した。
やるべきことが頭の中に浮かび、考えるまでもなく身体は脊髄反射的に動き出す。
ユリカは背負い袋の中から、傷薬と治癒の魔術が込められた回復薬を取り出した。
「ハルマこれっ! 飲める!?」
まずユリカは、短剣が刺さったままのハルマの右肩に傷薬をぶちまけた。
ハルマの口から苦痛の声が上がる。しかしユリカは止まらない。
次にユリカは、血溜まりの中からハルマの身体を抱き上げ、その口元に回復薬の入った瓶を近づけようとした。
しかし大きな胸が邪魔して上手くいかない。
ハルマの顔にその豊満な胸が押し当てられ、彼の顔面全体を覆っている。
「ありがてぇ……けど、いってーよ……それに、息……でき、ね」
邪魔する胸をハルマの左手が鷲掴みにして、それをどかせようとした。
血溜まりに伏せていたせいか、ハルマの瞼は血に塗れている。両目を固く瞑ったままの彼は、自分が今なにを触っているのか分かっていないようだった。
「ハルマっ――そこはっ、ダ――!」
ダメだ、触るな――と言いかけて、ユリカは口をつぐむ。
とにかく、この死にかけ変態野郎を回復させることが第一だ、と考えたからだ。
哺乳瓶で授乳するような格好のまま、ユリカは少しずつハルマの口に回復薬をふくませてやる。
途中で肩に刺さった短剣に触れてしまい、ハルマが薬液を吹き出すようなこともあったが、なんとか瓶は空になった。
「サンキュー、ユリカ。……だい、ぶ……痛みも、引いた」
とりあえず山場は問題なく超えたらしい、とユリカはほっとする。
血だらけになっているハルマの顔を拭きながら、ふぅ、と一つ溜息を吐く。
元々、右肩を刺されたくらいで死ぬようなたまではないことは知っていたが、ピクリとも動かない人間を目の前にすると、どうしてもパニックになってしまう。
そんな心の弱さを知っていたからであろうか?
ジンが最後に言い残した言葉を思い出して、ユリカは思わず歯噛みをする。
「そうだっ、ジンさんが! じゃなくて、ええっと……ハルマっ! えっと、アンタ……そのっ! うぅ……」
言いたいことが出てこない。
聞きたいことが怖くて聞けない。
「大丈夫……だ。おち、ついて、話せ」
そんな心中を察してくれたのだろうか?
ハルマは苦しげながらも、優しさを感じさせる声で語りかけてくる。
ユリカの頭の中が再度クリアになり、徐々に落ち着いていく。
「えっと、じゃあまずは一番最初に聞きたいこと。…………ハルマは、その……裏切り者、なの?」
聞いた。聞いてしまった。
イエス、と言うな。ノー、と一言強く言って欲しい。
なんなら答えなくてもいい。
――それならそれで、ユリカは勝手にアンタを信じるんだから。
「……ジン、さんは? 今、どこに?」
意を決して問うた言葉に、ハルマは明確な答えを返さなかった。
質問への返答が先延ばしになったことに、ユリカはさほど怒りを感じない。
むしろほっとしたくらいだった。
「ジンさんなら、一足先に帰っちゃった。アタシ一人にハルマを任せ、て……?」
……それは変だ。
冷静さを取り戻したユリカは、ようやく事態の異常さに気付く。
あのジンが、麻痺毒で動けないからといって“裏切り者”の移送をユリカ一人に任せるだろうか?
それは断じてあり得ない。
「……まさか」
ユリカは本の記述を思い出した。
大蛇を倒し、その時に開いた本。そこには『秘宝入手者:篠塚ハルマ』の名が記されていた。
この不思議な本は、クエストに関係のない人間や敵対する人間を、秘宝入手者と認めることはない。
それらの人間がユリカ達より先に秘宝を奪ったとしても、本はその者を入手者として認めないのだ。
その場合は、クエスト自体が失敗として扱われ、本にその記述が刻まれる。
これらの事実は、これまでの二年間にわたる経験が証明していた。
ゆえに「篠塚ハルマ」という人間は、本が認めた正統なる入手者であることは間違いなく、また彼が誰よりも先に秘法を入手したという事実にも間違いはない。
本は、篠塚ハルマという人間に対し“裏切り者”だの“悪魔”だのという“敵対者”の烙印を押してはいないのだ。
「ハルマは裏切り者なんかじゃない」
その自分の言葉に、思わずユリカは嬉しさを抑えきれなくなる。
あの変態ロリコン馬鹿は、やっぱり裏切りなどといった小賢しいまねをする人間ではなかったのだ。
「……でも、それでアンタが“裏切り者”じゃないと決まったわけでもない」
ユリカは、自分が抱きかかえている少年に向かって言う。
そして彼を一人で床に座らせた。
「……ああ、そう……だな。俺は偽物、かもしれない……ユリカにしては、ちゃんと、頭が……回ってる、な」
少年はそう言って、数歩先の床へと視線を向かわせた。
ユリカもそれに釣られるようにして、視線をそちらへと向ける。
そこには一冊の本が落ちていた。
ユリカはそれを拾い、その中身を見る。
本の一番後ろのページには『篠塚 春馬』のサインが入っていた。
「アンタがハルマ本人であるなら、それを証明しなさい」
そう言って、ユリカは本を少年に渡した。
少年は溜息を一つ吐き、そして言う。
「その前に……一つ、答えてくれ。ジンさんは……いつ、頃ここを、出てったんだ?」
「なんでそんなこと聞くのよ?」
「いいから。……頼む」
「……えっと、五分も経ってないと思う。……さあ、答えたわよ。さっさと証明してみせて。早くしないと偽物だと決めつけるからね」
五分か……。少年は小さな声でそう呟くと、開かれた本に視線を落とした。
最終ページに記された『篠塚 春馬』の文字が、みるみるうちに見えなくなっていく。
――本の持ち主本人が書き込んだ内容に限り、それを任意に可視化・不可視化することが出来る――
そんな本の不思議機能の一つが働いた結果だ。
この少年は、間違いなく篠塚ハルマ本人であることが証明された。
「よかったぁ……」
安堵で思わず腰が抜けそうになる。
しかし、そんな自分の精神に喝を入れて、ユリカはぐっと拳を握った。
「じゃあ、さっきの奴が偽物ってわけね。よりによってジンさんの姿を借りるなんて、早くとっちめてやらなきゃ」
立ち上がり、ぶち破られた扉の方を見つめる。
握られた両拳に紫電の輝きが宿った。
そのまま一歩踏みだそうとしたところで、ユリカは背後から肩を掴まれる。
「行かせ、ねぇ……」
青ざめた顔色のハルマが、ユリカの肩を強く握っていた。
「ハルマ……?」
振り返ったユリカが見たハルマの姿。
それは、ただ失血により顔を青く染めているわけではなかった。
彼の横には宙を漂う一本の剣があった。
斬心応剣。
その『秘法』が放つ蒼の光が、彼の横顔を青く染めていた――




