『悪魔が来りて』 8 「単独行動」と書いて「フラグ」と読む
※9月24日 追記編集
「これで、入口を探せるね」
そう微笑むジンの顔には、珠のような汗が滲んでいた。
顔色も決して良いとは言えない。
「お疲れジンさん。ほら精霊水、飲んでよ」
ハルマが腰につけていた水筒をジンに渡した。
ジンはそれを口に含み、ゴクゴクと喉を鳴らす。飲み干した所で、はあっ、と荒く息を吐いた。
「ありがとう、ハルマ君。あやうく魔力が底をつくとこだったよ。ちょっとめまいがする」
あれだけの規模の魔術を行使したのだ。それはそうだろう。
魔力が豊富に含まれた精霊水を飲んでも、それが全身に行き渡るまでには多少の時間がかかる。
ジンはハルマの肩を借りて、腰を下ろすことにするようだ。
「派手な魔術だったね」
「うん、僕もあそこまでの規模だとは思わなかった。地下に埋まった建物を壊さないようにっていう条件を与えて、自分で目視できないから魔導器に制御の全てを任せちゃったんだけど……」
そう言ってジンは魔導器――銀色の短杖を目の前に掲げてみせる。
「……ちょっと丸投げしすぎた、かな」
魔導器という物は術士から魔力を吸い上げて、その代行者として魔術を組み上げる。
今回のケースで言えば、ジンの“想い”に杖が応え、杖はその“想い”を力に変える“言葉”をジンに返した。
教えられた“言葉”をジンが紡ぎ、杖はそれに応えて“光”を放つ。
その“光”は魔導の輝きだ。
ジンから魔力を徴収して編まれた、超常の力を秘めた輝きだった。
光は理外の理を大地に説き。現実を凌駕する現象を引き起こした。
これらが、魔導器というアイテムを使った際の、一般的な魔術発動プロセスである。
ちなみに、以前ハルマが使った【ロンバルダンの落日】という秘宝も、大別すれば魔導器の一種に含まれる。
基本的に魔術の制御および発動までのプロセスを、そのアイテム自身に任せることができるのであれば、それは魔導器と呼ばれるのだ。
ただ【ロンバルダンの落日】は、到底一人の人間の魔力で発動できるような代物ではない。
ゆえにこの秘宝は“魔力充填式”の仕組みが備えられている。使用する者の魔力を必要としない代わりに、予め莫大な量の魔力を込めてやらなければ、発動することは出来ないのだ。
相当な実力を持った魔術士が、十数人掛かりで二月以上【ロンバルダンの落日】に魔力を貯めこみ、それでようやっと数秒間の間だけ発動することができた。
そこに再度魔力を充填してやらない限り、その破滅の秘宝は沈黙を保つことになるのだろう。
◇ ◇ ◇
ジンが回復するまで小休止とあいなったユリカ達であったが、待ちきれなくてソワソワしだす奴が一人いた。ハルマだ。
「ユリカ。ちょっとジンさんに付いててあげてくれ。俺はちょっくら入口を探してくる」
ハルマはそう言うと、返事も聞かずに一人で溝の中に飛び込んでいった。
ユリカは読んでいた本を地面に置き、慌てて立ち上がる。
ちょっと、一人じゃ危ないでしょ。
そう叫ぼうとしてユリカは言葉を飲み込む。
そういえばハルマは、すでに一人でクエスト攻略を達成しているんだった。
悔しいけれど、あのロリコン変態バカは、やる時はやる男なのだ。
ユリカは溝の中を覗き込み、駆けていくハルマの姿を無言で見送った。
「ハルマ君なら心配ないよ。僕らは記述を精査していよう。さて、少しの間ユリカちゃんの本を貸してもらおうかな」
後ろからジンの声が聞こえてくる。
なにも心配していない。そんな声色だった。
ジンもハルマのことを信頼している。普段からの言動でもそれがよく分かった。
先程も、溝に飛び込む前にハルマはジンの目を見ていた。
それに答えるように、ジンは瞬きを返していた。
そうした無言のままで行われる信頼の共有が、まるで“男の子だけが秘密裡に育むことができる絆”のような気がして、ユリカは少し羨ましくなる。
「『気をつけた方がいい。悪魔はすでにあなたの背後にいる。囁く声が聞こえても、耳を傾けることはしない方がいい』」
急に不吉なセリフが聞こえてきて、ユリカは背後を振り返った。
そこには本の記述に目を落とすジンがいた。さっきのセリフも彼が言ったものだ。
視線に気付いたジンは、読んでいた本から目を上げた。
「ああ、ごめん。いきなり怖い記述を読んじゃって」
そんなに自分はびっくりした顔をしていたのだろうか。
謝罪するジンの声を聞いて、ユリカはそう反省する。
「ううん。アタシこそごめんなさい。えっと……うーん……この部分すごい不吉なこと書いてあるけど、ちょっとアタシじゃ意味は分からないかなー……アハハ」
そう言ってユリカは頬を掻く。
ジンに丸投げしてしまった方が、話が早く進む気がした。
「ちょっと、僕にもまだ思いつかないかな。さっきの『頭を垂れていくべき』みたいな行動の暗示かもしれないし……そうなると寺院の中に入ってからの行動を示唆してるのかもしれないね」
「そっかー、ジンさんでも分からないか。……うーん。……あっ、そういえば!」
ユリカは一つの懸念事項を思い出していた。
それは本になされた一節の記述に対してのことだった。
『疑念に囚われるようなことがあれば、互いに手を取り合うことだ。矯めつ眇めつ顔を見合った方がいい』
ユリカは記述の中のある部分を指さし、ジンに尋ねる。
「ここ、なんて読むのかなー? ハルマの奴、ひとのことすぐに馬鹿にするから聞けなかったんだよねー」
「ああ、ためつすがめつ、だね。色々と角度を変えてよく見るって意味だよ。大学の教授が、実験前にうるさく言ってたのを思い出すな」
さすがは元医大生だ。頭の中に辞書でも埋め込まれているんじゃないだろうか。
ユリカはそんな風に思う。
「えっと、じゃあ手を取り合って、お互いをよく観察しろってことかぁ……んー、角度を変えながら? そうすると裏切り者が分かるのかなぁ?」
「ちょっと、今じゃ分からないこと……かな。実際にそういう場面になってしまったら、この記述を思い出すようにしよう」
角度を変えて……色んな考え方でもって物事を見ろってことなのかなぁ。
そんな風に思いながらユリカは先の記述に目を向けた。
『あなたの元から悪魔は去ることを、わたしは祈る――』
記述はここで終わっている。
最後の文はこの“攻略本”の作者、もしくは“攻略本”自体の心情が吐露されているだけのようだった。
「ふむ、ありがとう。本、返すよ」
ジンはそう言ってユリカに本を手渡した。
「え? あれ? これ私のか」
ユリカはジンから本を受け取る。
そういえば、さっき貸してと言われてたんだっけ。
そうこうしている内に、おーい! という声が聞こえてきた。ハルマの声だ。
寺院の入口を見つけたのだろうか。
ユリカが溝の中を覗くと、ハルマはその底で手を振っている。
どうやら「降りてこい」と言っているようだった。
「ジンさん。ハルマが……」
「もう大丈夫。行くよ。魔力も完全に回復してると思う、ただ――」
――気をつけてね。とジンは言った。
一瞬ユリカは意味が分からず、ボケっとした顔を晒してしまった。
だが、溝の中で“一人”こちらを呼ぶハルマの姿を見て、ユリカはそっとジンに頷きを返す。
『悪魔はすでにあなたの背後にいる』
ユリカの頭の中で、その不気味な記述が何度も繰り返されていた。




