『孤独なる旅路』 1 オルトラコン大山脈
※9月24日 編集:冗長な部分を削り、一部追記しました。
『孤独なる旅路:リルナリルナ大晶窟――推奨レベル28以上
アルタヘナ大砂海の西端、オルトラコン大山脈の麓……。
あなたはそこに小さな村を見つける。その村に名前は無く、住民は皆一様に小さな体躯を持ち、そして耳慣れない言葉を使った。
リルナリルナ――古い言葉で《永き孤独》を意味するものだ。
あなたがその言葉を口にすると、住民の一人は無言のまま大山脈の一点を指さした。
彼が指し示した方を向き、あなたは独り……また一歩足を踏み出した――』
◇ ◇ ◇
「半年かけて貯めてもらった魔力がこれでパーか。まっ、困った時は躊躇なく使えって言われてたし」
杖を片手に俺はそうぼやく。
杖――【ロンバルダンの落日】は、すでに禍々しいまでの気配を辺りに発散させていた。
俺の声に反応したのか、腕の中の少女がもぞもぞと動いた。
金髪褐色ロリロリ美少女は、不安そうな顔で俺のことを見上げている。
翡翠色の瞳を潤ませながら、じっと俺の瞳を覗きこむ小さなレディ。
そんな顔をされたら“触っちゃう系紳士”を自称する俺の下腹部に、新たな“杖”が装備されちゃうからやめて欲しい。
「大丈夫。……多分ユリカの奴に後で文句を言われるだろうけど」
俺は自身の昂ぶりを鎮めるために、あえて嫌なことを想像してみる。
大丈夫。どうやら新たな“杖”が装備欄を圧迫するようなことはなくなった。
「言っただろ、イベントコンプは俺がそうしたいからするんだって」
君を助けたのは、俺がそうしたかったから。
今のこの窮地は、俺が望んで招いたんだよ。
超絶不利になろうが、難易度爆上げになろうが、後で大目玉くらおうがっ!
「トゥルーエンドを目指してこそ、真のゲーマーだっつの!!」
俺がそう叫んだ瞬間、世界から音と光が消えた。
次の瞬間、目の前が真紅の極光に満たされる。
かつて難攻不落を謳い、栄華を誇った城塞都市ロンバルダン。
その歴史を、たったの一振りで終わらせたという破滅を喚ぶ杖――【ロンバルダンの落日】が、持ち主の求めに応じて消滅術式を展開させていた。
杖の先端から真紅の光の奔流が一直線に解き放たれ、その光に触れた全てを物素・魔素・光素・霊素……その他様々な“元素”に分解していく。
元素還元型広域殲滅用魔術――地形を変えるほどのバグった性能。これがもしゲームの世界であるのなら、チートアイテムのそしりを受けてもしょうがないだろう。
それが生み出す凄まじいまでの光景の中で、そんなことを思いながら俺は笑った。
◇ ◇ ◇
時は一日以上さかのぼる。
その時、篠塚ハルマはオルトラコン大山脈の麓にいた。
――リルナリルナ。
オルトラコン大山脈の麓、そこに隠れるようにして住むドワーフ達の村で、ハルマはその言葉を口にした。
自分は旅人で、リルナリルナ大晶窟という場所を目指している――と言ったのだ。
その言葉に応じて、相手をしてくれたのは一人の老ドワーフだった。
自宅の庭でひなたぼっこの最中だったのだろう。
しんどそうに切り株の椅子から腰を上げて近寄ってくる。
ドワーフの爺さんの足下はフラフラだった。
ハルマは自分から近付いて話を聞きに行くことにする。
近寄って見ると、ドワーフの爺さんがかなりの高齢だということがよく分かった。
顔中に無数の深い皺を刻んでおり、両目などその皺に埋もれて見えない。
長い顎鬚は髪の毛の色と同じ、くすんだ金色をしていた。
そして、それを撫でながら喋る爺さんの言葉は、そのほとんどが聞き取れなかった。
「今マでソラス・トリエンタ・レだかラ、鎖のシェンタ……別れタ、ヤスク」
ヤベェ。何言ってるか分からないけど、どうしよう。ハルマはそう思う。
とにかくリルナリルナという単語にだけは注意して、彼の言葉に耳を傾けることにした。
「すで二、五百年もイきテいル」
会話の最後の部分だけはよく分かった。
爺さんが使う言語は、古アルブ語と、訛りの強い大陸共通語のチャンポンになっているようだった。
だから余計に分かりにくい。
ただ「五百年」という数字だけはよく聞き取れた。
数の数え方だけは、古アルブ語も大陸共通語と変わらない――というより、古アルブ族が太古の昔に“数字”を発明してから数千年を経ても、それがいまだにこの大陸の共通語として受け継がれている――らしい。
だからハルマにも、その言葉だけは聞き取ることができたのだ。
(まぁいいや。とにかく聞きたいのは目的地を知ってるかどうかだし)
リルナリルナ大晶窟についてもう一度聞くと、どこか嬉しそうな顔で爺さんは頷いた。
そして「リルナリルナ」と呟きながら腕を拡げた。
「リルナ、孤独……リルナリルナ、とてモ永イ……孤独」
微妙な発音の大陸共通語と、古アルブ語、そしてジェスチャーを使って、爺さんはそう説明してくれた。
ハルマとしては「リルナリルナ」が《永き孤独》を意味することは知っていたが「リルナ」自体が単体で《孤独》を意味する言葉とは知らなかった。
(んー……古アルブ語ってのは、同じ単語を重複することで、意味を協調する言語なのかな?)
そんな風に一人推論を立ててみる。
リルナリルナ――美しい響きを持ったとても寂しい言葉。左隣も、右隣も、そこにあるのは孤独だ。
最初から一人なら、自分が孤独であることにも気付けないだろう。
他者という概念を与えられてこそ、孤独は真に完成する。
リルナ《孤独》を二つ並べて、リルナリルナ《永き孤独》を表現する。
その言葉が持つもう一つの意味は――真なる孤独なのかもしれない。
想像して思わず背筋が寒くなった。
「ソラス」
自分の考えにハルマが背筋を寒くさせていると、不意に爺さんはそう呟いた。
「ソラス?」
ドワーフの爺さんの言葉を、そのまま疑問形にして返す。
「ソラス」
爺さんは、ハルマを指さしながらもう一度そう言った。
「俺がソラス……ってこと?」
自分の顔を指さしながらハルマは言う。
爺さんは黙って頷いた。
そして前方にそびえるオルトラコン大山脈の一点を指さして「リルナリルナ」と言った。
あそこにリルナリルナがある――彼の瞳はそう言っていた。
ハルマはその方向を睨み、山の中腹にある特徴的な地形を頭に叩き込む。
「えっと、角みてーに突き出した所から西に……んでもって……うん。ありがとう、だいたい分かるよ」
丁寧に礼を述べた後で、ハルマは山へと歩き出そうとした……が、すんでのところで呼び止められる。
振り返って見ると、ドワーフの爺さんは自宅の扉を前にして拝むようなポーズをとっていた。
そして言う。
「ソラス・アルス」
ドワーフの爺さんは、はっきりと分かる笑顔を浮かべていた。
へぇ、これってけっこう珍しいこと……なんだよな、とハルマは驚く。
この世界には『ドワーフが素面で笑う』という諺がある。
滅多に見られないもの、という意味の諺だ。
この世界では、酒が入っていないドワーフは常にむっつりとした顔をしている……らしい。
ハルマはそんな諺があることを知っていたが故に、少し驚いたのだ。
「ソラス・アルス」
爺さんは扉の前で両手を合わせ、もう一度そう言った。
「ソラス・アルス」
ハルマが復唱する。
意味は分からなったが、なんとなくそう言わなければならない気がしたからだ。
爺さんはその声を聞き、満足したように頷いてみせた。
そしてこちらに向かって掌を見せ、ひらひらと左右に振る。
「さようなら、のジェスチャーは……世界を隔てても共通なんだよな」
ハルマは今度こそ山へと向かって歩き出す。
たった一人、孤独に、人拒む大山脈へとその一歩を踏み出した。
◇ ◇ ◇
膝まで埋まる、いや油断をすれば全身が埋まってしまうほどの雪。吐いた息が瞬時に凍りつく極寒。瞳の奥を突き刺す容赦の無い陽光。地平よりも圧倒的に薄い空気。
伝説にうたわれる英雄ハンニバルドを除いて、人の足では超えることが出来ないと言われる《大いなる壁》オルトラコン大山脈。
その脅威を全身で感じながら、ハルマは一人で山を登っていた。
(マジできちぃ。俺、ここで死ぬかも)
途中で一度ビバークしなくてはならない程に、すでにこの雪山で長い時間を過ごしている。
少しずつでも確実に、ここまでかなりの高度を稼いでいるはずだった。
そろそろ老ドワーフが指し示した辺りにまで登ってきている、という確信がハルマにはあった。
(あと、ちょっと……だ。気合……入れろ)
震える膝を鼓舞しながら、一歩一歩進んでいく。
空の青と雪壁の白、その二色が支配する世界。
ハルマはその視界の中に小さな黒い影を見つけた。
(あそこまで行って……それで一息つこう……)
岩棚が庇のようになっているのか、それとも洞穴の入口か。
いずれにしても身体を押し込めるスペースがあるというのはありがたい。
ほとんど自殺行為と言っても過言ではないこの雪山単独登山。
大自然は大いなる敵となって、ハルマに襲いかかってきた。
しかし、所々に点在する岩棚や小さな洞穴が、大いなる味方となってハルマを助けてくれることもあったのだ。
それも大自然の成した一つの結果だ。
(ありがてぇ……洞窟の、入り口……だ)
近くまで来て分かった。
先程見かけた小さな影は、どうやら洞窟の入口らしい。
残る力を振り絞り、洞穴までの僅かな急傾斜を登攀していく。
そして入り口に辿り着いた時、万感の想いを込めてハルマは言った。
「……きっつ」
とりあえず温かいスープが飲みたい……だとか、何で俺がこんな目に……やら、汗でビチョビチョになった下着を替えたい……アイツら今頃……さっきは死ぬとこだった……帰りたい……とにかく荷物を下ろそう……俺一人に押し付けやがって……ああ、もうどーでもいいや……とにかく……きつかった。
心の中の全てを、その一言の中に押し込んで吐き出した。
それは瞬間的に凍りつき、キラキラとした氷の結晶となって風の中に散っていく。
たった一言を絞り出すだけで、全身が引きつるような感覚と、心肺への鋭い痛みに襲われる。
無駄なエネルギーを使うな、と自身の身体が警告しているかのようだった。
そうだよな。やっぱり身体はちゃんと分かってる。
ここは日本じゃないんだ。《大いなる壁》オルトラコン大山脈の中腹だ。
大自然という化け物の腹の中なんだ。
吹きすさぶ寒風に乗せて、その化け物が告げる。
生きて帰りたくば、無駄な力は使うな――さもなくば、死ね。
◇ ◇ ◇
篠塚ハルマは、日本のどこにでもいる少年だった。
つまりは、夢見がちで、それなりに恋をして、悩みがあり、親には言えない秘密を抱え、パソコンの中にはもっとヤバイモノを隠し持ち、たまにゲームのような異世界で活躍する自分を想う。
そんなどこにでもいる“普通”の少年だった。
そんな少年が……というより、少年を取り巻く世界は、ある日“普通”ではなくなってしまった。
少年はある日、ふとした瞬間に「異世界」に迷いこんでしまったのだ。
異世界。それはかつて少年が夢想した、ファンタジーに満ちあふれた世界だった。
そこには夢見ていた喜びがあり、そして想像すらしたことのなかった悲しみもあった。
ハルマはすでに、この異世界で二年の月日を過ごしている。
◇ ◇ ◇
「ふわぁ……うまいよぉ、温かいよぅ……」
温かい粥を一口食べる度に、つい独り言が口をつく。
登山中は一言も喋ることができなかったので、それを取り戻したいような気持ちもあった。
「……生きてて良かった」
そう言いながら、ハルマは残り少なくなった粥を鍋の底からすくう。
先程のセリフには実感がこもっていた。
なぜなら彼は、つい先程まで死にかけていたからだった。
それは洞窟の入り口に辿り着いた直後のことだった。
緊張感の欠如とともに、突然の目眩と眠気がハルマを襲った。
これはヤバイ状態だ、と気付く。
まるで極度の低血糖状態にでも陥ったかのような、絶望的なまでの疲労感が身体を支配している。
とにかくなにか食わねば、とハルマは思う。
己の無茶を反省しながら、ハルマは背負ったバッグから食材と火壺、そして鉄鍋を取り出した。
種火草とも呼ばれるベザレナキンギョソウの干し草と、油を染み込ませたロロナクスノキを火壺の中に入れて火を起こす。
そして手近にあった雪を鍋の中に入れて、それを火壺の上に載せた。
みるみるうちに鍋の中の雪は溶け、それはやがてグツグツと気泡を浮かべだした。
そこに干し肉やら、乾飯やら、根菜類やらを適当な大きさにしてぶち込んでから蓋をする。後は待つだけだ。
待つ間、ハルマはヌガーのような蜂蜜を固めたものを、口の中で転がしていた。
噛むのも億劫なほどに消耗していたから、甘みが唾液中に溶けてくるのを、ただひたすらに待つ。
コレあんまり美味しくないな、と思いながらハルマは揺れる炎を見つめていた。
睡魔と必死に闘うこと十数分。
ハルマの目の前には、見た目としては立派な粥が出来ていた。
翡翠眼牛と人叫人参を具とした五分粥だ。
どちらの食材もかなり値が張るもので、なかなか粥の具としてはお目にかかれない。
ハルマはそれを、むせないように慎重に少しずつ口に運ぶ。
干し肉の塩気と人参の甘みが粥の中に溶け出しており、味は充分に合格点だった。
また、さすが高級食材を使っただけあり滋養の面は申し分ない。
食材に含まれた豊富な魔力やら気力やらを経口摂取する度に、心身が回復していくのをハルマは感じる。
そしてなにより、久し振りに口にした「温かい」という感触がハルマの心を幸せで満たした。
独り言が口をついて出るようになる頃には、すでに鍋は空に近くなっていた。
◇ ◇ ◇
「はあ、美味かった」
食事を終えたハルマは、満面の笑みで自分の腹をさすった。
もう少し食い溜めしておきたい気持ちはあったが、鍋はすでに空っぽだ。
ハルマは背負い袋の中へと手をつっこんだ。
そこから干し肉を取り出し口に咥える。そして再度袋に手をつっこみ、ハルマはそこから一冊の本を取り出した。
それは銀の表装がなされた、分厚く、大きい、辞書や百科事典を思わせる本だ。
「お?」
取り出したそれを見て、ハルマは思わず声を上げる。
――その本は、ハルマの手の中で仄かな光を放っていた。
小説を書くのって、難しいっすね。