第6話「蝕害兵士 -マリオネット- 」
◆ユウゼイ◆
カーラの蝕害兵士[D〇一]は、肩口から腰へと袈裟懸けに二分された。
唐突なユウゼイの挙動に、D〇一の反応が遅れたのだ。
いや、反応出来たところで結果は変わらなかっただろう。
走る刃に、ユウゼイはそんな思いを抱く。
潜在能力がいくら高かろうと、しょせんは一度かぎりの付け焼刃。そのすべてを引き出せない以上、凡百を蹴散らすのが関の山だったのだ。
ユウゼイが刃を介し、D〇一を構成する真衣へと干渉したことで、傷口の修復が遅れる。
だが、潜在能力でD〇一が勝るのは紛れもない事実であった。
小細工を嘲笑うかのように、変質された真衣を食い破り、上部断面から芽疱がのびる。
下部断面に癒着、瞬時に両断された体を繋ぎ――繋ごうとして、D〇一の上半身が後方へ弾け飛んだ。
為したのは、振り抜く勢いを旋回力に乗せた後ろ蹴り。
人ならざる身体能力から繰り出される、四百キログラム級の一撃。
それは戦車砲の質量弾を思わせる衝撃をD〇一に与え、その上半身を構築していた真衣の八割方をはぎ取っていた。
本体から分離した真衣が、制御を離れ無差別にあたりを同化侵蝕しようとする。
しかしそれもすぐに活性を失い、由来元素へと還元していくだろう。
ゆえにユウゼイは気にも留めない。
飛沫真衣は、等級Aの真衣外殻を侵すだけの干渉力を持たない。
そして、D〇一もまだ死んではいない。
床を蹴ったユウゼイは、落下途上にある真衣の肉片をその外殻で弾きながら、己の蹴り飛ばした肉袋を追い越す。
「悪いな。文句なら彼の世で理灯にでも言ってくれ」
ひと足先にD〇一の落下地点へと到達。
人の姿に戻ろうと足掻く変性部位を、ミスリルの刃で斬り伏せた。
D〇一の活動停止により残るわずかな真衣も崩壊を始める。
どんな手段を用いたのか知らないが、サーフェナイリスと化した以上、人へと戻れる望みは欠片もない。
いずれは自我も飲み込まれ、ただの現象へと堕ちるだけ。
相応の覚悟の末が理灯の顔を貼りつけたサンドバッグとは、報われないものだ。
妙な後味の悪さが胸を浸す。
戦いに信念なんて持っていないが、それにしても、と。
こんな思考すら理灯に遊ばれているように思えて気が滅入る。
「助かった。が……君は何者だ?」
首に絡んだD〇一の腕を引きはがしながら、隻腕の装衣歩兵が問いかけてきた。
痛みは相当だろうに、それをおくびにも出さない。
感謝と誰何。後衛がわずかに隊列を変えたところから、なんらかの命令を同時にくだしたと知れる。
どうやら無能ではないらしい。有能かといわれれば、首を傾げねばならないが。
「防疫局治安部草野駐屯部隊所属執行官。ご同業だ」
言葉とともに、近接通信で身分証を提示する。
当然、夏木明の名義である。
「それより、動けるなら部隊を再編してさっさと後退してくれ。どうでもいい他人を庇うなんて煩わしいことはさせてくれるな。生憎とお人好しじゃあないんで、足を引っ張られると殺したくなる」
早口にまくし立て、会話を一方的に打ち切る。
悠長に疑問に答えている暇はなさそうだった。もっとも、あったとしてユウゼイの言うことに変わりはないだろうが。
銃声の途切れた大通路へ向けて一歩を踏み出す。
その一歩だけで十メートル先の後衛を抜ける。
再びの踏み込み。さらにその後方へ。
ユウゼイはD〇二の接近を嗅ぎとっていた。
『なあ、おい理灯』
三十メートルの先。
主道より現れた異形の姿をとらえながら、ユウゼイは理灯へとレスを送る。
D〇二の腕が動き、撃ち出される二つの飛翔体。ユウゼイはそれを、こともなげにミスリル刀の一閃で斬り払う。
飛翔体を追うかたちで急加速したD〇二が、刀を振り抜いたユウゼイに肉薄する。
地を這うような低い姿勢から、弧を描くようにして繰り出されるミスリルの切先。
しかし、音速を容易く超えるであろう白刃をまえにして、ユウゼイの脳裏を埋めていたのは理灯への不満だった。
『思うんだが、これのどこが積極的不干渉なんだ』
響き渡る甲高い金属音。
必殺を思わせる斬撃を、ユウゼイはその太刀筋に割り込ませた三本目の腕によって受け止めた。それは元々、尾部を構成する真衣の一部であった。
自重の倍以上、一トンにもおよぶ重質量塊のもたらす衝撃。
弾かれそうになる身体を、ユウゼイは半歩ひいた足一本で踏み留まる。
流れる重心は、尾部のわずかな運動で修正。
不確定量子の増加はD〇二の驚愕の臭いだろう。この様子では、衝突寸前の尾部質量の減少にも気づいてはいまい。
三本目の腕、篭手を思わせる造形は、半ばまで刃の侵入をゆるしながらも微動だにしない。
反動で跳ねたのは、D〇二の手にするミスリルの刃の方だった。刀身は大きく歪み、刃は潰れ、望むべき機能は失われた。
ユウゼイをまえにして、それは致命的な隙だ。
残された尾部を構成する真衣が、姿勢制御の役割を終えコンマ一秒に満たぬ間に形を変える。
横薙ぎに振るう第四の腕。その肘から先は、速成を優先させたゆえの歪な刃。
寸前まで尾部を形成していた肉厚の真衣刀身が、D〇二を胸で上下に分断する。
直後下部切断面に生じる真衣腫。弾けるよりも早いミスリル刀の兜割りに、D〇二は四分。しかしサーフェナイリス特有の復元力が、そんなものは無駄だと、右半身を再結合する。
D〇二の右腕が霞み、ユウゼイの頭部を目掛け歪んだミスリル刀が閃く。
見え透いた攻撃だった。
『俺には派遣前の話とは、正反対に思えるんだがな』
切先がユウゼイの真衣外殻をえぐるより早く、左腕が刀を握る腕をつかみ取る。
触れた掌から、D〇二の真衣制御に強引な割り込み。己の真衣へと書き換えていく。
暴力的な真衣干渉圧を引き裂くのは、研ぎ澄まされた干渉精度。
そして制御を奪ったユウゼイが、D〇二の右腕をなかばからひき千切る。
『だからこそ積極的、なのよ』
理灯の返答に思わず手が止まりそうになる。
疑問、ではないだろう。これは予感だ。積極的という言葉のもつ意味が反転した、そのことへの悪い予感。
気持ちを落ち着けるように、体側に振り切った第四の腕を翻す。
この時点で、観測からの変性部位予測精度は八割強。復元に人為の介在を加味すれば六割弱ほどだ。本来であればもう一太刀観測に使うところだろう。
だが幾度かの真衣干渉で、ユウゼイの勘はそれを不要と確信していた。
観測断面から、変性部位存在確率の高い横断面へと進入軌道を調整。右脇腹に喰らいついた真衣の刃が、D〇二の真衣を侵しながら左に抜ける。
直後D〇二の身体が膨れあがり、いたるところで外皮が弾け、内容物をまき散らした。
それは無数の指を生やした内臓状の器官だったり、口や鼻、目や耳をそなえた肉腫の形を模していた。
罹患者の死にざまではない。
ユウゼイにとっては見慣れた、サーフェナイリスの最期だ。
外殻に付着した肉片や体液が、ユウゼイに同化を試みているが、飛沫真衣の干渉力では等級Aの真衣はゆるぎはしない。
それは装衣歩兵なる兵科が、特区の治安維持にかり出される、要因のひとつでもあった。
真衣は小片から崩壊を始め、やがてすべてが構成していた元素の特性へと還元されてゆく。
が、分子構造までもとの状態に戻るわけではない。多くはサーフェナイリス性同位体と呼ばれる特殊な分子構造で安定する。
そしてその性質こそ、罹患者を人ではなく物へと変えたのである。
『八束防疫局稜江派ごときに使われるのは、面倒だと思わない? 主導権を確保するためには、実力の差を見せつけてやるのが最良なの』
理灯の言葉は続いた。
八束防疫局稜江派。単に稜江派と言ってもいい。
草野の所属であるユウゼイたちが、なぜ八束に出向となったのか。
すべては稜江派の策謀だ。
胸糞悪いことに、草野の防疫局は稜江に屈しようとしている。
ユウゼイの後ろ盾である久遠研究室とて、防疫局のたかだか一部署に過ぎない。
力と金。それが世界の理だ。
のぼりかけていた階段をはるか高みから突き崩され、ユウゼイはそのことを思い知らされていた。
だが、当の室長はなにも諦めていないらしい。それでこそ、共犯者に選んだ甲斐があるというもの。ユウゼイ自身、諦めるつもりなど毛頭なかった。
内心ほくそ笑みながら、簡単な報告を行う。
『分類D二体駆除。聞いていたほどじゃあないな。真衣がやけにゆるい。訓練はかなり受けている印象だったが、どうも実戦経験に乏しい。喜ぶべきか喜ばざるべきか、素体になったのは重篤患者だろう』
『戻ったら報告書、楽しみにしているわね』
『戦闘記録を並列化してやるから、自分で見るといい』
『並列化には心ひかれるものがあるのだけど、ユウちゃんのそれはチョット遠慮したいわねえ。今のユウちゃんの感覚情報はあたしにもほとんど読みとれないし、数日間は知覚が狂っちゃうし』
それこそ願ったり叶ったり、とは言い切れないのが辛いところだ。
理灯の不調はユウゼイたちの生死にも関わる。
『ところでユウちゃん。まだお仕事は残ってるわよん。はいこれ、サナちゃんが指揮所から抜いてきてくれた作戦状況』
『勝手に早苗に危険なことをさせるな。契約違反だ』
間髪を置かず理灯に絞ってレスを送る。
少し見直したと思えばこれだ。油断も隙もあったものではない。なにか対策を練っておく必要がある、そんな考えを裏にデータに眼を通す。
等級AA――。
『あらあら、お兄ちゃんは心配性ね。大丈夫よん。あたしの電脳経由で潜ってもらっているから、サナちゃんに危険はないわ』
茶化すような理灯の言葉は、しかしユウゼイの意識に届いてはいなかった。
全感覚を側道の入り口に注ぐユウゼイの全身を、嫌な汗がぬらしていた。