第5話「出陣」
◆ユウゼイ◆
非常灯すら落ちた真闇の通路を、ユウゼイは弾丸のごとく奔っていた。
時速にして二百キロ超。四百キログラムにもおよぶ重量塊が、音もなく抗侵蝕コンクリートの床面を踏み砕き、真衣の糸を足裏に飛翔する。
次なる着地点は右壁面。
接地。そして踏み切り。
勢いをそのままに左壁面の通路へと飛び込んでいく。
その姿は、装衣歩兵と呼ぶにはあまりにも人の形を逸していた。
軍用総合感覚器を持たない、知覚器官のいっさいを廃した頭部。あるものといえば、むき出しの頭蓋骨を思わせる大きな顎だけ。
その頭部は大きく前に突き出ており、異様なまでの前傾した姿勢を常態としている。
臀部には長大な尾部。長くのびた両の腕は、人よりも関節がひとつ多かった。
脚部を除けば全体的に細身で、熊のような体躯をもつ装衣歩兵とは、似ても似つかない。
共通点と言えるのは、外骨格状の硬皮が体表を覆っていることくらいだろう。
重力を忘れたかのような異常軌道。それを可能としているのは、総重量の三割は占めようかという、尾状器官だった。
追随する無人機を常識ごとはるか後方に置き去りに、五メートル幅の側道を進む。
ここは、八束吾破特別地区第九環構『ガトウ・サーフェニクス』本社研究エリア。
いたるところで降りた隔壁を避け、真衣の装甲に身を包んだユウゼイが駆ける。
進むその路は、特級ハッカーが開けた、国際テロ組織シャマシャナ《カーラ》の侵入路のひとつだ。
『右三、左一で戦闘区域に到達します』
『ユウちゃんいい? 何度も繰り返すようだけど、最優先事項は抗侵触中間衣の損傷ゼロ。次が局員の可能なかぎりの生存よ』
脳内に存在する生体電脳が、SRSに表示される早苗の案内を、ユウゼイの表層意識に投影する。
重なるのは理灯からの要求。
道すがら、散々聞かされた文言だ。
「……ちっ」
『あ、ユウちゃん今舌打ちしたでしょう。飼い主様に向かってそういう態度でいいのかしらー?』
思わず漏らした舌打ちの小さな音を、理灯は聞き逃してはくれなかった。
そう。小さな音だ。
外部音声を共有していない現状、時速二百キロメートルで移動するユウゼイの発するそんなささいな音を、周囲の情報端末から拾うなど尋常の技ではない。
まして、今は戦闘区域へと向かう途上。
処理すべき情報は膨大で、カーラの特級ハッカーとの電脳戦まで抱えているのはずなのだ。
それを、まるでそちらが片手間だと言わんばかりの余裕。
正に電脳の怪物。狂気すら笑いかねない。
『ユウちゃんがそういう悪い子だと、サナちゃんに悪戯しちゃうゾ』
極めつけはこれだ。
冗談めかしてはいるが、本気で実行に移すこともあるからたちが悪い。
ユウゼイとて、共犯者でなければ死を願うところ。いや。手っ取り早く自分で手をくだしている。
十回、脳内でそのシミュレートを繰り返し鬱憤を晴らす。
『……了解した』
そう応えるころには、ユウゼイは指定された地点へとたどり着いていた。
床を打つ分厚い装甲板。
響く重低音。
宙を舞う真衣を纏った右腕。
人型サーフェナイリス――資料にあったカーラの蝕害兵士――の左腕、切断面からのびた肉芽が腕の形をとりながら、対峙する隻腕の装衣歩兵の首をとらえる。
刹那の攻防を独自の感覚器で知覚しながら、ユウゼイは戦闘区域に突入する。
速度そのままに天井をひと蹴り。
ふたりの傍らへと降り立った。
着地の瞬間、ユウゼイからの干渉を受けたコンクリートが真衣化。衝撃を相殺すべく粒子状に自壊し、本来の物質特性をとり戻しつつあたりに舞う。
真衣により構築されたユウゼイの知覚は、すでに装衣歩兵の変調を嗅ぎとっていた。
外殻真衣の崩壊。
そして状況から即座にその意図を理解。
「自己犠牲とは、またくだらない死に方だな」
介入する。
まるで時が止まったかのようであった。ユウゼイの乱入が両陣営にもたらした静寂。
味方である防疫局の人間ですら、ユウゼイを敵か味方か判断しかねているようだった。
D〇一からも、同じ臭いを感じる。
困惑は伝播し、それがいっそう、彼らの困惑を助長させていた。
理灯は要請があったと言っていたが、どうもこちらの部隊には話が通っていないらしい。
面倒だな。
生と死の境に立つ男をまえにしてユウゼイが抱いた感情は、それとはまったく別ところへと向けられたものだった。
止めにこそ入ったものの、男の生死にさほどの興味はない。
「死にたければ止めないのが俺の流儀だが……」
『その人、死なせちゃダメよん。防疫局派の部隊長さんだから』
判断を丸投げしようとしたユウゼイに、読んでいたかのような理灯の声。
防疫局派の単語に、ユウゼイは理解する。これは厄介事だ、と。
「今回は、あんたが生きていた方が始末に楽そうなんでね。勝手をさせてもらう……ったくいい加減なことを言いやがって。これのどこが休暇だってんだ」
ユウゼイは苛立ちをサーフェナイリス性銀同位体ロ五《ミスリル》刀にのせ、D〇一に叩きつけた。