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第36話「進むこと」

◆ユウゼイ◆


 稜江派の粛清から二日が過ぎようとしていた。

 防疫局内部では早くも、新たな秩序をめぐり水面下での牽制がくり返されている。


 この件、防疫局主導という条件を引き出すため、久遠研究室が一連の粛清による成果いっさいの権利を放棄することで合意が成されていた。その上で責任だけは十全に負わされ、久遠研究室は一方的に泥を被った形となる。

 それでも、稜江派殲滅に際しモリノ・シンセン両派閥の協賛を得たという事実は、矮小な政争の勝利に増して重い意味を持っていた。


 結局、宮子たちが学院に戻ってくることはなかった。

 公式には――誰がそう記したのか――粛清に巻き込まれ死亡したと記録されている。


  ◆◆◆


 深夜。時刻は午前一時をとうに過ぎ、昼時間制を採り消灯時間を定めている学院は、昼間の雑然とした気配はどこに消えたものか、静寂に沈んでいる。

 事態の収束に伴い、ユウゼイは理灯に休息を命じられていた。

 二日ぶりに自室へと戻り、ベッドへと身を投げ出したのが二時間前。


 空調のかすかな音に混じるのは、ふたり分の息づかい。

 ユウゼイの意識はいまだ眠りの縁に留まっていた。

 眠れないのではない。草野蝕災跡地(奈落)での最も過酷な二年を過ごしたユウゼイと早苗にとって、睡眠とは必要なときに必要なだけ取るべきものであった。当時備わった資質は、今以て根づいている。

 したがって、ユウゼイが眠らずにいる訳は別にあるのだ。


 この日、まだ宵に満たぬ刻限。ユウゼイは一般罹患者の生活区を訪れていた。

 目的は宮子達の部屋。そこになにか、手がかりになるものが残されている可能性を考慮してのことだった。

 残念ながら、踏み入った部屋はきれいに片付けられ、分子レベルで痕跡を断たれていたのだが。


 しかし、分かったこともある。

 宮子があの日を最後に、学院を離れる計画を立てていたことだ。

 久遠研究室の騒動は、そのための隠れ蓑。稜江派暴発の陰にカーラの暗躍があったのだとしても、驚きはしない。


 そしてユウゼイにはもうひとつ、気づいたことがあった。

 早苗の横顔に見る違和感。

 時折和葉に向けられていたものとはまた種類の異なる陰りを、ユウゼイは小さな表情の変化に見て取っていた。


 粛清からこちら、ようやく得られた穏やかな時間。話すべきことはいくらでもあった。

 けれどいざその時となると、相応しい言葉が見つからない。

 上辺を取り繕うことに意味はない。だからこそ、迷うのだ。

 そしてなにより、昼間見せた早苗の表情。閉じ込めた想いをこそ優先すべきなのではないか、と。


 それでも、宮子に突きつけられた己の卑しさが、ユウゼイをして言葉にすることにためらいを抱かせた。確信を持ちながらも、そのことを問う正しさに疑問をはさませてしまったのだ。

 愚劣さを理解しながら、ユウゼイはただ早苗から切り出すのを待つことしかできない。


 静けさにわずかな身じろぎのひとつさえ、はっきりと意識される。

 一際大きな衣擦れ。寝返りの後の沈黙に、ユウゼイはこれまでと違う呼吸を感じる。

 それは早苗の決断の表れに相違なかった。


「兄さん、起きていますか?」


 少しかすれた早苗の声。それはユウゼイが起きていないことを願うかにも聞こえる。

 迷いが消えたわけではないのだ。

 だから、ユウゼイはつとめて軽い言葉を選ぶ。


「遅いんだよ、ばか」

「やっぱり私って馬鹿ですかね」

「ああ、大馬鹿者だ。自分で訊いたことも忘れたのか?」


 えへへとゆるんだ笑いが部屋に沁みる。


「そうでした。……えと、そっち行ってもいいんです、よね?」

「今日くらいは、な」


 続いたどこかすがるような声に、ユウゼイは考えるまでもなくそう答えていた。


 奈落にいたころは、今よりもずっと危険が身近なものだった。そのため、同じ寝具で身を寄せ合って寝ることも多かった。

 学院に生活の場が移ってからは徐々にその頻度も減った。それでも、早苗は時折こうしてともに寝ることをせがむことがあった。

 特に由衣を亡くした直後は著しく、連日布団に潜り込んでくる有様だった。


 なにかを話すわけでもない。求めるわけでもない。そばにいることだけを望んでいた。

 聡い早苗のことだ、薄々感づいていたのかもしれない。なにを求めようと、それは翻ってユウゼイ自身のためでしかないのだと。


 枕だけを手にベッドへ上がった早苗は、ユウゼイに背中を合わせるかたちで横になった。

 少し強張った背中。触れたところが妙に熱く感じられ、伝わってくる心音もわずかに速い。それは常とは正反対とも言える反応だった。


「私、兄さんに謝らないといけません」

「宮子のことか」

「はい」

「まったくだ、反省しろよ。おまえは……俺に対して気をまわしすぎなんだよ」


 もっと悪し様に罵られて然るべきなのだ。

 そういう所業を、ユウゼイは早苗に対して行ってきたのだから。


「兄さんだって」


 返ってきたのは、ぼそりと拗ねたような声。

 ユウゼイの口もとに苦笑が浮かんだ。

 軽く言ってくれる。ふたつは似ているようでいて、その実まったく異なっていた。それを同列に語られては立つ瀬がないというもの。


 恥ずかしい話だ。自分可愛さに、ユウゼイは都合の良い口実として早苗を扱ってきた。

 その早苗に今もこうして気遣われている。

 あれほど思い悩んだ言葉が、おのずから口をついて出た。


「すまなかったな、いつまで経っても自分本位の駄目な兄貴で」

「分かってます。ずっと前から分かって、ました。けど、今それを言うのは卑怯ですよ」

「是非もない。甘えているな、おまえに。どうやら俺はまたひとり先走っていたらしい」

「きちんと話をしてくれるって言いましたから。私の気持ちは分かってくれているんですよね?」

「だが、また間違うかもしれない」


 正しさなんてどこにもない。こんな近くにいて、心を結んでいてなお分からないことばかりだった。分かった気になっていただけなのだ。


「今はそれでいいです」

「そうか」


 それでも。

 交わした短い言葉のなかに、互いに共通した想いがあることは感じ取ることができた。


 ――進み始めた時間を止めたくはない。


 歩むことを止めてしまったらこれまでとなにも変わらない。

 それでもと、早苗は訴えている。諦めたくないことがあるのだ。

 それはユウゼイが早苗に願ったことでもある。

 所詮ユウゼイの自己満足に過ぎない押しつけを、早苗は律儀にも抱き続けていた。


 揃いも揃って、呆れるほど愚かな兄妹もいたもんだ。

 胸の内で思う。

 そしてユウゼイは沈黙に身を委ね、早苗の次の言葉を待った。


「……和葉さんは死に場所を求めているのかもしれません」


 強張りも消えた早苗が、落ち着いた様子でそのことを口にする。


「なにがあった?」

「私、和葉さんと結びました」


 調律。さらりと口にされた事実に、思わず聴覚記録(ログ)を確認した。

 度数六〇・七の早苗に、他者の真衣を抑制する力はない。八七・九の彩にいたってようやく自在と言えるレベルに届く。

 下手をすれば引きずられて蝕変の連鎖を招きかねないと、理灯が危険視する域だ。


 しかし同時に腑に落ちる点がいくつも浮かぶ。


「一度、接続の強度を落としたな。あれはそういうことだったのか」

「はい。その時、和葉さんの口にした『夢』のイメージがかすかにですけど、見えたんです」


 思い出されるのは和葉の言葉。


 ――私はこのまま死ぬまでの時間を無為に生きているだけなんだなって。


 ユウゼイは愕然とする。

 そこには怒りも憎しみもなかったのだ。

 あったのは純粋な――願い。


「伝えるのが遅くなってごめんなさい。宮子さんが、兄さんを巻き込みたいみたいだったから……」


 だが状況はなお悪い。

 先日かけられた緊急招集の場。そこでは判明した資金の流れと、今現在カーラの背後に控える存在、その思惑が語られた。


 ――朝霞(あさか)グループ。

 三大財閥、伊隅・四峯・稜江に比し資本規模でこそ劣るものの、皇道派と呼ばれる一大思想集団を背後に擁し、国内においては三大財閥に匹敵する強い影響力を持つ。

 厄介なのは四峯に並び軍部と密接な関係にあることだ。


 その朝霞が裏で糸を引いている。

 意図を読み取れないほどユウゼイも政治に疎くはない。特区への軍の介入の先例は、この数十年で築かれた秩序を根底から覆すこととなるだろう。

 けれどそこには疑問が付き纏う。


 特区への軍部の影響力拡大を目論む朝霞。その裏切りに等しい行いを、果たしてカーラが許容するのか。

 答えは否だ。

 容認することはすなわちカーラの威の失墜を意味する。

 ならば必然、そこにカーラの思惑を見ることになろう。


 しかしそこから先は推測の域を出ない。いや、出なかったと改めるべきか。

 いまだすべてが詳らかにされた訳ではない。だが、いかにして収めるか、その答えは目の前に差し出されていた。


 和葉はカーラの用意した切り札のひとつ。

 華々しく散ることを目的に生み出される、規格外の蝕害兵士。


 すべては茶番。けれどユウゼイたちに拒む選択肢は与えられていない。

 カーラの書いた筋書き通り劇は進行するだろう。

 調律師の役目を早苗に担わせた真の意味。知っていてユウゼイたちが無視できないだろうことを、宮子はよく理解している。理解すら安い言葉かもしれない。

 そうなるよう追い込んだのは、宮子なのだ。


 人の心を弄ぶ怪物。それでいてなお、宮子は現実主義者だった。

 宮子がユウゼイに用意した役割は、間違いなくユウゼイの望む結果をユウゼイに、ひいては久遠研究室に供する。

 これだけ周到な宮子のこと。保険のひとつやふたつ、ないと思う方がどうかしている。

 甘受する理由こそあれ、拒む理由など探すだに無駄だった。


 足掻いた挙句がカーラの掌の上。

 忍び寄る無力感を振り払うように声を絞り出す。


「いや、よく話してくれた。このこと、理灯には?」

「まだ……」

「すでに候補のひとつくらいには挙がっているだろうな」

「そういうこと、なんですよね」


 ユウゼイが和葉を殺す、つまりはそういうこと。


「いかにもあの悪趣味な女が考えそうな話だ。……今も結んだままなのか?」

「いえ。(パス)を通しただけです。それ以降はレスにも応えてもらえません」


 種は蒔き終えたと、宮子が判断したのだろう。後は機が熟すのを待つだけ。

 そしてその時は近い。

 悩んでいるだけの時間は、もう残されてはいまい。


「早苗、おまえはどうしたい」

「私、ですか。私は……」


 逡巡も一瞬、淀みない声で早苗は言葉を続けた。


「和葉さんに確かめたいことがあります。それから、文句を言ってやりたいです」


 思わず口角が上がった。

 甘いな。どうしようもなく愚かで、甘い。

 だが、そういうのも悪くはない。


「会いに行くか」


 身の丈に合わぬ望み、叶えられると思うならそれは傲慢だ。だがそんなもの、なにも今に始まった話ではない。

 もとをただせばユウゼイが望んだこと。早苗も望んでくれるというのなら望外だ。

 多少の無理は押し通すまで。


「いいん、ですか?」

「宮子には貸しがある。あの女のことだ、無下には断らないだろう。なら後はやるかやらないか、それだけだ」


 その貸しが、褒められたものではないことは伏せておく。


「兄さんっ」


 布団が跳ね上がり訪れる、柔らかい衝撃。身体にまわされた腕と純白の毛先が目に入る。

 その温かな熱が、再びの問いを口にするより先にその答えを雄弁に語っていた。


「どうする?」


 抱きつき全身で肯定を示す早苗に、ユウゼイは穏やかな声で尋ねる。


「私、会いに行き――」


 しかし早苗の喜色に映えた返答は、その最後の一音まで紡がれることはなかった。

 電脳に鳴り響く警報。

 自動展開されたデータが、逼迫した事態と至急の招集を告げていた。稜江八束支部環京構造体で、稜江とカーラによる大規模戦闘が開始されたのである。


 ふたりはどちらからともなく身を起こす。


「ちっ、気の利かない連中だ」

「気が利くのは破滅だけ、ですか」


 早苗の肩が落ちた。それを目にしたことで、ますますユウゼイの苛立ちは募る。噛み締めた奥歯が異音をもらすのも気にならない。


「明日は我が身とはよく言う。……糞が」


 ようやくここまで来たのだ。それを。

 荒れ狂う感情とは裏腹に、しかし理性は急速に冷えていく。理不尽は世の常だ。なにも珍しいことはない。一事が万事。上手くいくことの方が珍しい。

 立ち直ったのは早苗が先だった。


「兄さん、急いで向かいましょう」


 淡々と告げベッドから降りると、戦闘用のものへと着替えるべく服を脱ぎ始める。

 露になる小さな背中。


「無理、してるだろう」


 その手が止まる。


「しますよ、無理くらい」

「……分かった。だが」

「はい。まだ諦めたわけじゃありません。だからそのときは」


 互いにそれ以上の言葉はなかった。必要もなかった。

 抱く想いは同じだと、確信を持って言うことができた。


 ふたりは急ぎ身支度を整えると、足早に部屋を後にする。

 時刻は〇二一二。八束を巡る稜江とカーラの戦いは、その終幕へと突入していた。



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