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第32話「命の値段」

◆ユウゼイ◆


本部(HQ)より研究室各員に伝達』


 聞こえてきたのは普段の飄々とした仮面を剥ぎ取った、理灯(みちひ)の冷徹な指揮官(クイーン)の導き。

 ユウゼイが共犯者と認める女の狂気だった。


『パーティーを開く許しが出た。日頃の成果を披露するいい機会だ。ダンスの相手は腐るほどいる、慈悲はいらない。与えられた猶予期間を理解もできず、我々に歯向かった愚図どもには情報をくれてやるのすら惜しい。皆殺しだ』


 それは作戦が次の段階へと進んだことを示す、死神の裁定。


『己が目的のために所定を完遂せよ。以上、通信終わり(アウト)


 かくして幕は切って落とされる。

 宴の始まりだ。肥え太った王者を貪り喰らう、畜生どものさもしい晩餐が始まるのだ。


『早苗』

『諸項目クリア。遊撃班との回線良好。いつでもいけます』

『作戦区域内外の通信を完全封鎖、合わせて遊撃班に後詰への攻撃開始を伝えろ。ただし、五課のフォーラムへの接続要求(リクエスト)だけは通してやれ』


 ユウゼイの口もとが酷薄に緩む。


「監察官殿。ひとつ確認しておきたい件がございます。ここ十三環構は都市条規では学院の内規が適用されることになっている、そうでしたね」

「それがどうした。確かに学院と同列に扱われるが、この状況で条規が効力を持つとはよもや思ってはいまい?」

「いえ。単なる確認ですよ」


 そう、それ自体は言った通り単なる確認でしかない。そして、意図したところには正しくその意味が伝わっていたらしい。

 自動開通(FC)に設定された呼び出し(コール)が、レスを拾う。


『ずいぶんとまわりくどいことをするのね。逃げ道を探しているみたいでみっともないわ』


 宮子の痛烈な揶揄を意識の端に、ユウゼイは監察官へと嘲弄を込めて宣告する。


「ところで監察官殿、通信障害とは実に厄介なものです。知るべき情報は、得てして知るべき者のいる場所へは届かない」


 監察官の思考に不審を植えたユウゼイは、向けられる眼光を無視して宮子に応じた。


『どうなんだ』


 余計な言葉のいっさいを排した短文の切り替えし。

 それだけで通じると確信する己の宮子への評価がいちいち癪に障るも、今ばかりはとその感情を握り潰す。


『ねえ、納得はできたのかしら。ふふふ、気分はどう?』


 はさまれるのは相変わらずの脈絡のない問いかけ。

 しかし趣味の悪いそれこそが、宮子にとっての真理なのだと、ユウゼイは気づき始めていた。


『……最低だが、悪くはないな』


 虚飾はない。現にユウゼイの執心は満たされ、山崎への関心は失われた。

 監察官の言葉に苦々しさを噛みしめる姿すら、もう過去のものとして受け入れている。今や排除すべきモノのひとつとして、記号的にとらえられるだけの存在だ。


『ふうん。そう、いいわ。妹ちゃんはわたしが引き受けてあげる。あなたはどう考えているか知らないけれど、約束を違えるつもりなんてわたしには初めからないもの』


 傍らの化け物の妄言とも取れる言葉を、ユウゼイは真実だと疑わなかった。

 宮子を信用したのとは違う。最も信用すべきではない類の人間だとすら考えている。

 それでも、外道にも外道なりの行動理念というものはあるのだ。この流れで早苗を殺すなんてつまらない手を、宮子が打つはずはない。


 錯雑の裏で早苗へとユウゼイが事情の説明をおこなっていると、(リアルボイス)が通りに響いた。


「貴様ら、何をした」

「第十三環構にて通信障害が発生。学院はこれをカーラに呼応した反体制派のテログループによる示威行為と断定。五課執行部は組織(グループ)の殲滅を承認した」


 ユウゼイが答えたのは、通信妨害されている以上本来知る由もない、五課のフォーラムに書き加えられた最新情報の概略だった。

 稜江派の用いた通信機器のメンテナンスなどという偽装は、その決定の前ではいかなる効力も持たない。あまつさえその偽装こそがテロリズムの証左とまでされている。


『不本意ながら、兄さんの見立てには私も同意です。ので、仕方ありませんが宮子さんに護られてあげます』

『いい子だ』


 高慢な語調はそのままに焦燥が陰る声の主を、ユウゼイは早苗との通信の片手間にせせら笑う。


「何かしたのは監察官殿、あなた方ではありませんか」

「防疫局が我々を切り捨てたと。ありえん話だ」


 ユウゼイの挑発に監察官は断言する。

 己に言い聞かせるふうではない。稜江という力に微塵の疑いも持ってはいないのだろう。

 動揺を欠片も見せぬ部隊の兵士全員にも、その盲信は共通するところであった。


「本当にそうであるなら、私のような小者を頼みとするべきではなかったのですよ」


 だが、ユウゼイの目論見通り局勢は定まった。


『域内に展開した騎兵二個分隊が当地点に接近中』

『奴の攻撃の合図に被せるかたちで回線を潰せ』


 放たれた弾丸は、後はただ役目を果たすのみ。


稜江派(連中)の始末は俺がつける』

『あら、手伝わなくていいの?』

『いくらおまえが外道だからといって、殺しを押しつける気は毛頭ない』


 宮子を一瞥したユウゼイは、銃口ひしめくただなかへと一歩を踏み出す。

 居並ぶ兵士たちの注意がその身に集中するのを認め、横柄にユウゼイは語り始めた。


「確かに稜江の持つ影響力は絶大です。公的機関である防疫局までもその根は深い。こうして無関係であるはずの私を社益のために草野から呼び寄せるほどに。ですがそれは、稜江の惰弱さと裏表なのですよ。なんせ、稜江は事態を独力で収拾するには力不足であることを、自ら示してしまったも同義なのですから」


『宮子。任せたぞ』


 その一言(いちごん)が撃鉄を起こす。

 真衣化された靴裏は瞬時に抗侵食コンクリートの覆層を同化、その内側へと(あぎと)を沈める。


「貴様程度が頼みとは笑わせる。プラスなどと呼ばれ(おご)ったな、サフェル。事態がこちらに傾けば、執行部も慌てて掌を返すだろう。手始めに通信障害の真の元凶を捕縛することで、潔白の証とするもおもしろい」


 屈服せぬユウゼイへの鬱憤。垂れる愚図の口上を、しかしすでにユウゼイは聞いてはいなかった。

 意識の向く先は宮子の足もと。そこに突如として生じた半径三メートルの円形、正体不明の真衣領域(サンクチュアリ)

 傲然と、いつもの嘲りを唇で象り宮子は告げる。


『精々怪我をしないことね。前戯で退場なんて笑ってあげないわよ』


 真衣の円がまるで流体のように波打つ。

 寸前、早苗の検見が別働隊の配置完了の合図とともに、監察官のレスをとらえていた。

 攻撃の開始を告げる文言はなかばから断たれる。認識に生じる空隙。真衣領域はその一瞬で泡状に膨れ上がる。

 爆発を思わせる膨張速度でユウゼイたち四人を飲み込んだ直後、黒色の真衣が弾けた。


 黒の雨滴があたり一帯に降り注ぐ。

 巻き起こる絶叫。それはあたかも地獄の再現だった。

 壁や床のいたるところで真衣が泡立つ。光学迷彩の剥がれた増援部隊が計十六、真衣の侵食に身を悶えさせる。


 喫驚は寒心に塗り潰された。

 爆心地から宮子ら三人の姿が消えたことに、気づいた者がどれだけいるだろう。真衣の外殻に覆われたユウゼイの姿を、認めた者がどれだけいるだろう。


「連鎖なんて御行儀の良いものではないな」


 ため息交じりの独白を置き去りに、ユウゼイは床を蹴る。そして次の瞬間には、その姿は感染と発症の狭間でのたうつ一団のなかにあった。

 真衣化により強度を減じた床材が、踏み込みの接地圧に耐えきれず一拍遅れで陥没する。

 そして巻き上がる血霧と血飛沫。

 ユウゼイの進路上にいた歩兵八人が、肉塊となって四散した。

 瞬間的に時速二百キロメートルを叩き出した、五百キログラム超の衝角突撃。到底人体の、たとえサイボーグ(義体)化を施していようと、耐え得る代物ではなかった。


 四肢で地を噛む。接地面を瞬間的に同化し、慣性を捻じ伏せる強引な方向転換。猛烈な遠心力が装衣の擬似筋繊維を各所で引き千切るも、ユウゼイはそれをほぼ同速で修復していく。

 その身体が再び地から放たれた。


 時速百キロメートルを上回る初速。次の標的を軌道上にすえ、立て続けに地を蹴る。

 くり返される刹那の同化と剥離。真衣の肢体が生み出す膂力をいっさいのロスなく速度へと変換する。

 二十メートルの距離をコンマ数秒で疾駆。

 禍々しい鋭角、右肩から垂直に突き出た一メートルの大杭が、膝を着く兵士の身体をとらえる。

 重機関銃(五十口径)により撃ち出される弾丸の、およそ三十倍にも及ぶ衝撃。ライフル徹甲弾(AP)に抗する稜江製のボディアーマーが、布切れを思わせるたやすさで穿孔、そして皮を肉を骨を破り抉り貫く。


 生じる音は砕けるより爆ぜるに近い。

 歪な造形、表面の凹凸が速度と質量を効果的に破壊の力へと転化させていく。

 哀れな犠牲者の体内で、解放されたエネルギーが行き場を求めて荒れ狂い、人体を内側から粉砕する。

 胸部に突き立てられた衝角は、その一撃で四肢を分断し、頭蓋の半ばまでを磨り潰した。


 感染以上発症未満の罹患者を、活動停止に追い込むために狙うべき場所は二つ。変性部位と、脳髄だ。

 確実だが所在の不明な変性部位の破壊に対し、所在は明確だが進行の程度次第では不確実な脳髄の破壊。

 ユウゼイの衝角突撃はそんな細かな条件を無視して確実に死をもたらす、力技であった。


 ユウゼイの足は緩まない。残骸が後方へと流れるころには、すでに次の獲物を牙の先に定めていた。

 舞い散る血潮。断末魔の声はあげる暇すら与えられない。

 時間にして十秒足らず。苦鳴が途絶えおとずれる音の空白。二十四いた歩兵は一人として生きてはおらず、どころか、原形を留めているものすらない有様であった。


 轟音――立て続けの重苦しい銃声が静寂を撃ち破る。


 西側主道より合流した動甲冑、損害の少なかった後続の二個分隊による重機関銃の掃射だった。

 毎分四百発、銃口初速秒速九百二十六メートルで吐き出される死が、ユウゼイを亡き者にしようと通りを吹き荒れる。


 捕縛という当初の目的を失念した、生存本能に突き動かされての恐慌。日頃の訓練が隊の統率を維持したようだが、視野は酷く狭窄している。

 その布陣は都市戦の基本を大きく逸脱し、威を示すべく横に広く展開したまま動いてはいなかった。


 火器管制プログラムによる予測(偏差)射撃が空を穿つ。

 膨大な蓄積データと支援AIの演算を凌駕する、ユウゼイの常軌を逸した回避運動。

 秒速五十メートルという遅々とした挙動でありながら、真衣の広大かつ精密な知覚と直感で、高速の弾丸の間隙を縫い奔る。


 蝕変により擱座した動甲冑との交錯。

 味方識別により火器管制プログラムが人の意思(マニュアル)による動作選択を求め、実際に行動へと移すまでにわずかなラグ生じる。

 装備(システム)に頼りすぎた機械兵士に、往々にして見られる免れ得ぬ欠陥。発覚してなお今日にいたるまで是正されぬのは、管理され画一化された兵士への需要と、なによりも欠陥が欠陥足りえぬ現実がそこに横たわっているからだ。


 だがユウゼイを前にその機械と生体がもたらす思考の摩擦は、文字通り致命的なものとなる。常人では隙とも言えぬ一瞬に、ユウゼイは攻撃へと転じた。

 動甲冑の陰から飛び出すと同時、装甲として用意した真衣の大部分を八本の槍に変換し切り離す。

 分離した二十五キログラムの真衣槍が、秒速七十メートルで前方に展開する動甲冑を急襲する。


 擁するエネルギー量は五十口径弾のたかだか三倍。動甲冑(RSS三)の胸部装甲を貫き完全に機能停止にいたららしめるには、いささか心許ない。

 だがそれは、飛翔体が数値通りのただの金属塊であった場合の話である。


 真衣可干渉総量(指数)の著しく低いユウゼイには、宮子のような物量に任せた飽和攻撃を仕掛ける力はない。空間ごと真衣化し遠隔干渉する離れ業とは、悲しいかな無縁であるのだ。

 しかし、ユウゼイには無力ゆえに磨き上げた高度な戦闘技術があった。


 寸刻に重ねられた判断に兵士達の行動は遅滞した。否、ユウゼイがそうさせたのだ。

 回避に成功したのは八機中、わずか二機。回避に失敗した六機が動きを止める。

 弾着の衝撃が抗侵食被膜を破断、積層装甲を瞬く間に真衣化し内部へと浸透を始めていた。逃げ場のない密閉空間を真衣は満たす。騎手に蝕害となる以外の末路はなかった。


 急激な蝕変に呑まれつつある一機の外部スピーカーから、苦悶がもれ聞こえる。

 轟く銃声に混じったか細い声。

 だが兵士達の過敏になった意識はそのかすかな響きを拾いあげる。五機の注意が逸れ、傍らで生じつつある蝕害(サーフェナイリス)に縫い止められた。

 銃口が水平に動き蝕害の核と成り果てた僚機を指向する。常であれば獲物と認識される蝕害は、一度人の制御を抜け出したとき、刷り込まれた恐怖を呼び起こす。

 いまだ味方識別信号を発する動甲冑もあったであろう。だが、恐怖が引き金を引かせた。


 ユウゼイの迎撃を継続したのは四機のみ。

 向かい来る銃弾の密度は低く、もはやユウゼイの歩みを妨げるだけの力はなかった。



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