第31話「鐘が鳴り、宴は始まりを告げる」
◆ユウゼイ◆
「では、そのまま大人しく我々の指示に従ってもらおうか。稲葉ユウゼイ執行官」
早苗の指示した地点、時間丁度にその言葉は発せられた。
懐から引き抜き構えられた大口径の自動拳銃が、五メートルの距離でユウゼイの体幹を照準する。
不活弾頭の耐久範囲内での最大火力。しかし、度数九十九への抑止力としてはいささか役者不足であろう。
『会話ログを経路三‐八八六‐四七で本部に送っておいてくれ』
その外側から向けられる二十二の自動小銃を真衣知覚の隅に、前線指揮官と思しき眼前の監察官へと、窮屈な軍属の作法でユウゼイは応じる。
「監察官殿、申し訳ありませんが私は飼い主の命で作戦行動中です。今ここで監察官殿の指示に従っては、作戦に支障をきたす恐れがあります」
「その命令は無効だ、執行官。久遠監察官は五課の機密情報への不正アクセスで拘束された。貴官の関与も疑われている、同道願おうか」
四十一歳、軍では中尉相当の塚原孝信監察官は威圧的に宣った。
歯に衣着せぬ言い方をすれば、本部は制圧したから抵抗は無駄だということだ。
合わせて電子証書を見せられる。発行元の署名に五課執行部は含まれていないが、手続き上これで通らないでもない。正規の偽造証書というわけだ。
ユウゼイは電視野を一瞥し切り返す。
「この場合、私には五課のデータベースにて事実確認が許可されているはずです。しかしどうも先ほどからサガラとの接続が上手くいかない。困ったものです」
真実であるが、同時に偽りだった。
周辺区画に通信妨害が施されているのは確かだが、そんなものはもとより想定ずみ。ユウゼイたちは別口で回線を確保していた。
監察官の言葉が虚構であることなど、口にした一秒後には判明しているのだ。
「現在八束で通信障害が発生しているらしい。復旧にはまだ時間がかかる見込みだ」
まるで己の与り知らぬ事柄であるかのごとく、監察官は語る。
表向き通信設備の緊急メンテナンスを装っている事実すら伏せた応対に、続く言葉をユウゼイはたやく想像することができた。
「であるからこそ――」
「であれば。監察官殿には復旧まで、この場で私とともにお待ちいただくほかありませんね」
監察官の瞼がぴくりと痙攣する。思惑を潰されたことへの憤懣だろうか。
言葉を遮られたことに対しての反応であれば噴飯ものだ。
『なら、関係のないわたしたちはこのあたりで失礼させていただこうかしら』
監察官の黙考に滑り込むかたちで宮子から無声通信が届いた。
なおも執拗に同行を求める監察官への口実を練りつつ、ユウゼイは電脳上で悪態をつく。
『だろうとは思っていた。肝心の場面を前にケツまくりやがって』
『そうです。そんなこと言わず、ふたりを助けてあげたらどうですか?』
援護射撃は予想の外から、複数人への通信共有というかたちでもたらされた。
『面倒事を起こすのは好きよ。でも、面倒事に巻き込まれるのは御免だとは思わない?』
『でもアザミって私以外に友達いないじゃないですか。ダメですよ。経緯はどうあれ、縁は大切にしないと。折角ここまで親しくなったのに、もったいないです』
『これはまた非科学的なことを言い始めたわね。とうとう宗教に手をだしてしまったの?』
『なんでも、救世主の名前は浅野宮子って言うらしいですよ』
電脳上で交わされる、基底の状況を失念した能天気な会話。
しかしながらユウゼイが気にかかったのは、やり取りそのものではなかった。
『……聞いていたのか』
『ごめんなさい。盗み聞きは良くないと思ったんですけど』
申し訳なさが情報誤差となって滲む。
『常接しているのだから、それくらい考慮して然るべきだと思うの』
どこからという問いをユウゼイは飲み込む。たとえ和葉が宮子との会話すべてを聞いていたとして、どうだと言うのだ。今となっては瑣末な問題であった。
沈黙を肯定的にうけ取ったのか、宮子はそれ以上の追求をしてこない。が、すぐにそれは別の理由からであると考えを改める。
稜江派の通信に、ユウゼイにとって看過することのできない発言が含まれていたのである。
『動きましたね。どうも、私たちを使って兄さんを強請る腹積もりみたいです』
空間図上に映し出された包囲網は縮小し、後詰めの一部が域内に展開し始めていた。
通信では不測の事態に対応するため、などと迂遠な言い回しをしているが、要はユウゼイが攻勢に出た場合の保険ということだ。
『確認している。糞犬が、こちらが手を出さないことで過信したか』
ユウゼイの無声通信は苛立ちの情報誤差で荒れている。その意識の向く先では、伸展した部隊の内、騎兵一個分隊が不可視化迷彩を起動させ真っ直ぐこの場所を目指していた。
防疫局は準軍事組織としての性質を色濃く有するが、厳密には軍隊ではない。
軍とほぼ同一の兵科を採ってはいるが、蝕害の掃除という業務の性質上、防疫局の構成兵科は執行官たる装衣歩兵に著しく僻する傾向にある。
草野自警団との抗争から対人戦闘部隊を多数堅持する草野でさえ、運用思想の中核に、装衣をおいた編制で使役されるのが常だ。
しかし、稜江派ではどうも事情が違うらしい。
騎兵。一般名称で言えば強化外骨格。軍隊式には動甲冑と呼ばれる三メートルの機械装束を駆るこの兵科は、近代戦、こと都市戦にあっては、対歩兵で絶大な殲滅能力を有している。
それは防疫局に求められる以上の、過剰な対人戦闘能力だ。
本来であればユウゼイの敵ではない。だが、様々な制約を課せられた上での相対となれば事情は変わってくる。
――殺っちまうか。
意識になかば自動的に湧きだすのは、単純明快な解決法。
主導権さえ握れれば殲滅はたやすい。けれどそんな刹那の思考を、早苗の無声通信が断ち切った。
『兄さん』
嗜めるような情報誤差が、その意図を言葉にせずとも如実に訴えかけていた。
ふたりのつき合いは長い。この状況でユウゼイがなにを考えるかなんてこと、早苗にはお見通しなのだ。
そしてそれはユウゼイにしても同じだった。
『分かっている』
『……却下ですよ?』
思いもせぬ言葉だったに違いない。
信じてよいのか、肯定的な戸惑いのなかに、ユウゼイは幾許かの寂寥を嗅ぎとる。
この作戦、ユウゼイたち久遠研究室の面々は、理灯から交戦許可の通達があるまで先制攻撃を禁じられていた。
先に口火を切ったのがどちらかという事実は、戦術に増して戦略の上で大きな意味をもつ。吹けば飛ぶ組織規模でしかない久遠研究室には、末端の行動にすら戦略的意義が求められていた。
もっとも、例外はある。
今迎えようとしている状況が、まさにその例外に当てはまっていた。
ユウゼイが理灯に協力する、最大にして唯一の理由である早苗。その安全が保障できない場合はこのかぎりでないと、理灯本人からユウゼイ裁量での行動を認められている。
早苗が言っているのはこの例外の行使についてだ。
常であれば行使を正当化し行動に移すユウゼイが、早苗の忠告を呑んだ。その意味はふたりにとって決して小さくはない。
『ああ』
口にしてなおゆるがぬ決意を確かめ、ユウゼイは肯定を重ねる。
『いやいやいや、なんなんですかこの妙な間は! 兄さんは私を納得させたいんですか、そうじゃないんですかっ』
『悪いな。どうも俺自身整理がついていないらしい』
もしこの場でユウゼイが実力行使に出たとて大勢に影響はない。記録を書き換えてしまえばすむ話ではあるのだ。
予め交戦区域が設定されているのも、入念な準備を施していればこそ。それゆえの例外の容認。
だが、真実に勝る安全性などあろうものか。
末端が凡愚であれその背後には大企業稜江が控えている。特級ハッカーを多数擁する怪物をまえに、懸念材料は極力排除するのが理性と合理が導きだす必然たる答えだ。
これまでユウゼイを後押ししてきた盲目的な信念は、意味を剥落させた。我欲と妄執をその身から切り分けられたユウゼイには、己の欲する欺瞞が手に取るように分かる。
それでも、殺してしまえばいいという心の動きまでを否定することは出来なかった。
ユウゼイにはそれこそが辿り着くべき答えの一端に思える。
言葉にしてしまえば簡単なこと。要するに、有象無象が早苗を害そうとすることが、ユウゼイには甚だ気に食わないのだ。
『ま、信用……いや。安心しろ、察してはいるつもりだ』
言いかけた言葉をユウゼイは訂正する。
早苗もまた宮子になにかを言われたのかもしれない。レスに混じる情報誤差に、ユウゼイは早苗の当惑を見ていた。
早苗の寂寞がどんな感情に根ざしたものであるのか、気づけぬほど鈍くはない。
ユウゼイの不義理を、胸のうちで別の感情で補い納得させていたのだと思うと、不甲斐ない己への苛立ちは一層募る。
信用しろなどと、互いの信頼に水をさすような言葉はいらない。
言外のユウゼイの想いを酌みとったのか、続く早苗の無声通信はその意味するところに比してはるかに軽かった。
『……むぅ、追求したいのは山々なんですが、そう悠長なことも言っていられませんか』
騎兵分隊は交差路を曲がって目と鼻の先。
その瞬間を待ちかねたかのように、監察官は粘ついた声をあげる。
「穏便に事をすませようと言う、我々の厚意を無駄にしたな。残念だよ、稲葉ユウゼイ執行官」
最後の一音が発せられると同時。輪走からの制動音を響かせ、光学明細を解除した八機の動甲冑が姿を現した。
搭乗者の電脳にインストールされた火器管制プログラムの精緻な動作制御が、その手に保持された重機関銃の照準を、一分の狂いなくユウゼイ、早苗、そして宮子と和葉へ振り分けている。
「……!」
ユウゼイは思いいたった事実に慌てた。
『宮子待て!』
『残念。もう少し遅ければ蝕害連鎖を見れたのに』
その言葉が真実か否かは分からない。宮子とて正体が露見する危険を、刹那の感情で冒すとは思えない。
しかしあるいはと、宮子にはそう思わせるだけのものがあった。
ユウゼイの真衣知覚には、薄く広がる気体真衣が映っている。
いまだ届かぬ理灯からの連絡が、途端に憂慮すべき事態となってユウゼイの意識を食んだ。
「監察官殿の舌は滑らかによく動きますね。指揮官であるための素養というやつでしょうか。まるで私が命令違反を犯している気分になってしまいますよ」
監察官とのやり取りを続けながら、ユウゼイは早苗へとレスを送る。
『どう見る』
『理灯さんにしては遅いですね。稜江派に感づかれたという可能性は?』
『それなら手札として使ってくるだろう』
表沙汰になれば派閥の立場を悪くさせるこんな強攻策、用いるまでもない。その事実でユウゼイたちにゆさぶりをかければよいのだ。
「それで、これはどういうことなのか説明していただけるのでしょうか?」
「お仲間が血肉の塊になるのは見たくないだろう?」
あまりに直接的な表現。間髪を置かず宮子にレスを送ったユウゼイだったが、意味深な笑みをしめす情報誤差が返ってきただけだった。
冷や汗が止まらない。
『五課の老いぼれ連中が日和ったと見るべき……、違うな。あの女、奴らが日和ることを知っていて放置したな』
自然、ユウゼイの情報誤差は荒くなる。
出る前の格下でも油断するなとの理灯の言葉は、この状況を見越してのことだったのだろう。
現実は格上の気紛れに慄くという、最悪に最低をこね合わせた状況が待っていたわけだが。
「随分と手荒な方法を選んだものですね」
「我々としてもこういったやり方は本意ではないのだ。罹患者風情と取引など冗談にしても質が悪い」
『……逃げ道を用意させた上でこちらの要求を呑ませる、ということですか』
『ああ、恐らく次への布石だろう』
向ける相手を持たぬ矛先が、苛立たしげに震えていた。
あまつさえ眼前には権威を笠に銃口をユウゼイへと向ける、いけ好かない差別主義者。もとより久遠研究室の人間でもない宮子を制止するのが、馬鹿馬鹿しくもなってくる。
「飼い主が居なければただ駆除されるのを待つだけの害獣が。思い上がるな」
「監察官殿に言われるまでもなくよく理解していますよ」
そんな糞尿塗れの腐れ真理。ユウゼイは心のうちでつけ加える。
「ですから――」
言葉を募ることでなおも行動を先延ばしにしかけた矢先。特有の呼び出しが電脳に響き、予め組み込まれたプログラムが強制的に回線を繋いだ。
『本部(HQ)より研究室各員に伝達』
聞こえてきたのは普段の飄々とした仮面を剥ぎ取った、理灯の冷徹な指揮官の導き。
ユウゼイが共犯者と認める女の狂気だった。




