第28話「欺き続けたものは」
◆早苗◆
服飾や携帯機器の店を賑やかし、第十三環構中央ビルの展望食堂で昼食をすませた早苗たちは、和葉の希望で金属細工の専門店を訪れていた。ただし裏口から。
店を選ぶ決め手となったのは、買うならミスリル細工にしておくべきよ、という宮子の言葉だった。後に、ほかのものだと蝕害から切り出すのに手間だわ、なんて余計なひと言がつけ加えられていたが。
「アザミ、これちょっと高すぎじゃないでしょうか」
案内された特別室に陳列される、装飾品の数々。安物を意味する識飾の表示価格に、和葉が宮子へと耳打ちをしているのが聞こえた。
和葉の驚きは当然のものだろう。一般的な貴金属製品に比べ安物でも二桁、高いものはそれこそ三桁四桁違っているのだ。
こうした鉱物価格と民生品の価格との乖離は、なにもミスリルにかぎったことではない。サーフェナイリス由来物質全般に言えることであった。
一次利用に膨大な制約の課せられたこれら物質は、その権利を買えるだけの資金を有した集団間の固定化された販路こそがすべてだ。外部へと流出する道は、そのことごとくが潰されてきた経緯を持つ。
規制のひとつである『指定産業への限定利用』に関する諸法も、参入の幅を大きくせばめる要因となっていた。
宝飾としての利用も当然規制されるべきものの対象だ。だが世の中にはこうした店はいくらでもある。企業へと多額の賄賂を贈り、二次利用というていで製品へと加工する。さらには宝飾として売買などされない。どころか、そんな物は存在しないとされるのが普通だ。
そこではまた金が動く。必然、末端価格は高騰する。それでもこうして買い求める罹患者は後を絶たない。
基底現実に対する興味の薄れていた和葉に、社会の底部の裏事情まで精通しろと言うのは無茶な話である。
「わたしが出すから値段は気にしなくていいのよ。どうせわたしの手もとに返ってくる物だもの」
ここへ案内したのは宮子だ。そうした事情を知らないとは思えない。なのにそんな残酷な言い方をする宮子に、早苗は憤りを禁じ得なかった。
「それじゃあ、アザミからのプレゼントだと思って、気兼ねなく選ばせてもらいます」
悪意で練られた宮子の言葉すらも、和葉は好意的に解釈しようとする。
ほかに自分にできることはないのか。以前口にした夢とはなんなのだろう。早苗は答えの出ない思索に焦りを募らせる。もう残された時間はそれほどないのだ。
仮想空間の私的領域に展開された情報を、半没入の電脳知覚で確認する。各所に設置した観測点からの情報に見られる変化は、組織的な行動の兆候をしめしている。
ユウゼイも突発的な状況の変化にいつでも対応できるよう、二箇所にある扉に意識を向けているようであった。
和葉を眼で追う早苗に、宮子からの通話要請が届く。
『慌しくなる前に、あなたには聞いておきたいことがあったの』
それは今おかれた状況を指しているのか、あるいは別の状況を暗にしめしているのか。
宮子のことであるから、早苗にはその双方という線が濃厚に思える。
『たとえこれが宮子さんとの最後の会話になるとしても、私には話しておきたいことなんてありません』
『酷いわ。わたし、あなたのためを想ってお兄さんに打ち明けたのに』
駅の一件であるとすぐに察しがついた。あの場で奇妙なほど素直にひき下がったと思えば、こんなタイミングでの通信。まったく神経を逆なでにするのが無駄に上手い。
『頼んでもいないことを勝手にやっておいて、押しつけがましい人ですね』
『そんなこと言って。わたしがそうすると踏んで、あのときは話を続けさせたのではないの。変えたいと思っているのはあなたじゃない。お腹のなかは真っ黒。ねえ、思う通りにことが運んだ気分はどう?』
そして人の機微を察するのも。
『なんのことか分かりませんね』
早苗は情報誤差を平らにならしたレスを送る。
これ見よがしなため息が背後から聞こえた。
『あの兄あってこの妹ありと見るべきなのかしら。それとも、こんな妹だから兄がああなってしまったのかしら』
『お好きなように想像してくれて構いませんよ。どうせ、宮子さんには関係のないことですから』
『和葉のことを言い訳に使っているのに、それはあんまりじゃないかしら』
自分たちの過去について、十分に調べて分析をしている。
早苗は言い訳にしていた事実を否定するつもりはなかった。だが踏み込むことを決めた今、それを言い訳だけですますつもりもなかった。
『宮子さんがそう思うのであれば、そうなのかもしれませんね。別に私はそれで困ったりしませんし。どうぞご自由に。真っ当であろうとする兄さんと違って、私は根っこから捻くれた卑怯者ですから』
『あら。あなたのお兄様は、あなたにその真っ当であって欲しいと願っているようにも見えたけれど』
『だから、私は踏み外さずにいられるんじゃないですか』
自然と笑みがもれる。
それにしてもと、早苗は思う。宮子は自分たちのことを本当によく見ていた。
和葉が宮子に信頼をおく理由も、なんとなくだが分かってしまう。自分なんていう不確かなものをたったひとりで抱えて生きる、それはとても寂しいことだ。まして誰にも知られぬまま死ぬなんて。
ふたりが本当はどんな間柄なのかなんて、早苗には分からない。察しのいい方だと、早苗は自身を分析している。けど、分からないのだ。目に見えないなにかがそこにあるのは感じられる。でもそれより先はさっぱり。
だからこそ、和葉たちの関係は見ていて悲しい。
早苗にとっては、見えるそのままがふたりだった。
兄と自分との間にある歪んだ繋がりも、普通の人にはまず気づけないだろう。それを知れば、自分たちを見る目は変わるに違いない。
けれど誰も気づけないのだ。だから自分たちは、ただ仲睦まじい兄妹でしかなかった。
宗司も理灯も、本当のところなんて知らない。兄ですら気づいていなかったほどだ。
『つまらない話をしましょう』
宮子に聞かせてどうなるものでもない。聞かせるべきではないかもしれない。それでも、今をおいて話す機会など訪れないかもしれない。
そう思うと、言葉は自然と続いた。
『私達はテロにあってから一度、互い以外のすべてを捨てているんです。兄さんは後になって手放したものに気づいて、後悔をしたんだと思います。私も再びそれを手にしたとき、捨てたものがなんであったのか、その本当の意味を理解しました。けど、私は違うんです。兄さんのためであれば、また捨てることにためらいなんてないんです。私はあの人に、それだけのものを背負わせてしまったんですから。でも――』
話を混ぜっ返すのが好きそうな宮子だったが、思いもよらず沈黙を保っていた。
送られてくる情報誤差には、先をうながすような色さえ漂って見える。
『兄さんがそう望んでくれるから。背負っていいと言ってくれるから。私は今の甘い私でいられるんです。たとえそれが、本当は私のためでなかったとしても』
言ってしまった。
宮子が本心に気づいているからとはいえ、迂闊過ぎるのではないだろうか。甘さが骨の髄まで染みているのかもしれない。それはそれでちょっと不味い。
傾く心を叩きなおすべく、別の本音で結論を濁した。
『つまり、兄さんを困らせていいのは私だけということです!』
実際言葉にしてみると、思いのほか筋は通っているようにも感じられるから不思議だ。
『とんだブラコン狂い。重い女は嫌われてしまうわよ』
『確かに重い女では嫌われてしまうでしょうね。けど重い妹には需要があるんですよ』
宮子の揶揄にも、早苗は微塵の動揺すら見せない。
『兄さんのことをなんと言おうと、私の心をどれだけ踏み荒らそうと、宮子さんの思うようにはなりません。私はもう決めていますから』
『それでも否定はしないのね』
言いきる早苗を宮子がくすりと笑う。
いくら言葉を並べ立てたところで事実は覆らない。自身で口にすることのためらわれる言葉を、早苗は宮子に肩代わりさせた。
ユウゼイのああした弱さを早苗は否定しない。けれど変わってくれたらと願うのは、身勝手な自分の我が儘だと知っていても、偽りようのない本心であった。
宮子が自分たちの関係に波紋を散らすまでは、それでも今が続くだけで十分なのだとそう思い込んでいた。けれどユウゼイの弱さを嘲る宮子を眼にしたとき、即座にその利用法を考えている自分に、早苗は気づいてしまったのだ。
否定できるはずもない。ここまで来て、本当の気持ちを裏切るなんてこと。
あえて言葉にするのだから、そんなもの宮子にはとっくにお見通しだろう。いまさら口にする必要もない。
早苗はただ沈黙を返す。
『ねえ早苗ちゃん。もしわたしがあなたをカーラに誘ったら、あなたはどうするかしら?』
『この会話の流れから、どうしてそんな話に行き着くのか理解に苦しみます』
思わずため息。
脈絡のない問い。けれど、これはそれ以前のオハナシ。
『少なくとも、宮子さんが否定を期待する誘いに乗るほど、盲ではありませんよ』
『あら、気がまわらないことをしたわね。ふふふ、でも』
やけに楽しげな宮子の情報誤差。どうやらただ拒否するのが正解だったらしい。
余計なことを口走ったと反省する。
『本当に欲しくなってしまったかもしれないわ』
『それは悪いことをしました。兄さんが望んでいないのに、私がイエスと答えるわけないじゃないですか』
そんな気のない会話を続けていると、和葉の宮子を呼ぶ声が部屋に響く。
『同情なんて、あの子は求めていないわよ』
宮子は最後にそれだけを告げると、手招きする和葉のもとへと向かった。
「これに決めました」
「へぇ、あなたにぴったりな泥臭い意匠の首飾りね。ふふ、似合っているわよ」
「アザミにそう言って貰えて嬉しいです。実は私もそう思っていたんです」
そんなどこかずれたやり取りが聞こえてくる。
和葉の浮かべるはにかんだ笑みには、一点の曇りすら見出すことはできない。やはり、と。早苗は思う。自分がこれまで抱いてきた憂慮は、まったくの見当違いだったのではないか。
ふたりの間の隠された信頼。それを確かめなければならない。
でもどうやって?
支払いをすませたふたりがやってくる。和葉の顔は澄み渡る空のように晴れやかだ。
口にする言葉が和葉を曇らせてしまうのではないか。ためらいが早苗からその機会を奪い去った。
収集される膨大な情報。走らせていた解析ツールが、この一週間ですっかり見慣れた人物を弾きだす。
ほんの数秒の瞑目。そのわずかな時間で最期を飲み込むと、防疫局稜江派の識別が被せられた少女のデータを兄へと送付する。
戦いの序曲は、その最初の一音を奏でようとしていた。




