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第26話「嵐を前に」

◆早苗◆


「しつこいなあんたらも」


 兄のさして大きくもない声を、早苗の耳はしっかりと聞き分ける。

 (ターミナル)前に配された緑園(グリーンスペース)。その一画で長椅子(ベンチ)に背を預ける兄のまえに、防疫局の制服を纏った三十前後の男の姿があった。

 恥も外聞もなく、ひと回りも年下の兄を相手にぺこぺこと(へつら)っている。


 早苗が兄から離れたことが契機となったのだろう。

 ちらちらと接触の機会をうかがっていた相手が、ようやく動きを見せた。


「何度も言っているが、俺は久遠研究室の所有物だ。決定権は俺にはない。仕事を頼みたければ理灯に話を通してくれないか」


 早苗は売店の自動人形(店員)から再生樹脂(BP)製のボトルを受けとると、普段よりゆっくりとした歩調で兄のもとへともどる。

 対する男の潜めた声が聞きとれた。

 今は兄と結んでいるから、同期すれば聴覚を共有することは可能なのだが。ちらりと兄の表情をうかがう。退屈、徒労、期待外れ。

 こちらの方が早苗の性には合っていた。ゆるめていた歩みを早める。


「――再三要請はしているのですよ。ですが」

「ですがもなにもあるものかよ。それがあんたらの仕事だろ。本職のあんたらがハイと言わせられないものを、使われる立場の俺がどうやってハイと言わせるのさ。折り入って話があると言うから聞いてみれば、中身は先の連中とまるで変わっちゃいない。これ以上は時間の無駄だろう。連れももどってきた、もう帰ってくれ」


 助かると視線で応えた兄が、早苗の帰還を口実に男を追い払った。

 男が離れたのを肉眼と電視野で確かめながら、手にした飲み物の一方を兄に渡し、早苗は無声通信(レス)で問いかける。


『兄さん、今のは……』

『待ちかねていた稜江派の交渉人だ。内容は糞みたいなものだったけどな。昨日からこれで三回目。尻に火がついた、どころか全身に回りつつあるらしい』


 面白くもなさそうに兄は応える。

 事実面白くないし、面倒くさいだけ。


 今日、早苗は兄とともに第十三環構の非学院区域に出ていた。もちろん正規の手続きを踏んだうえでのことだ。行動は稜江派にも筒抜け。ゆえにと言っていいものか。学院を出てからずっと、稜江派の防疫局員が入れ替わり立ち代りふたりを尾行(つけ)ていた。

 問題があるわけではない。問題がないからこそ問題だった。それが早苗たちが学院から出てきた目的の半分なのだ。どれだけ鬱陶しくても、まくことはできない。


『仕掛けてくるでしょうか』

『でなければ本部を空けた甲斐がない』


 目的の半分、それは戦力の分散にあった。稜江派の、ではない。久遠研究室の、である。

 あえて本部を手薄にすることで相手の暴発を誘う。そんな意地の悪い目論見。


『警戒は怠るなよ。往来のただなかで銃撃戦、なんて馬鹿ことはしてこないと思うが』

『ふふっ、下準備は万全です!』


 懸念をしめすユウゼイに、早苗は悪戯っぽく笑いかける。

 ふたりのいる駅前、それから今日立ち寄る予定の建物、経路そのすべてに早苗の眼は行き届いている。電脳の魔女(ウィッチ)手製のツール()を振るう特級ハッカー(ウィザード)をまえに、都市の自律型防壁なんて幼児が組んだ防壁とさしたる違いもありはしない。


 相手の動きが筒抜けであるがゆえに、早苗の感じる鬱陶しさも倍化するのではあったが。

 そして気がかりもある。それが目的のもう半分だった。


『でも……和葉さんたちを巻き込むのは、やっぱり気が進みません』

『そうは言ってもな。誘ってきたのは宮子の方だ。八束の現状や俺たちの立場を理解できないほど眼は曇っちゃいないだろう。こういう状況だからこそ、和葉を学院の外に連れ出すことができるのかもしれない。もとより二度目は考えていないだろうからな』


 ふたりは和葉と宮子との待ち合わせのため、駅前(ここ)にやって来ていた。

 ろくでもない一日になるだろう。それでも、和葉たっての希望とあっては無下にすることもできなかった。

 せめて安定域(グリーン)並みの日常を。

 早苗とて宮子の言葉を信用しているわけではない。けれど、和葉にそれくらいはしてあげたいと思った。


『そう、ですね』


 思考ノイズがレスに色濃く出る。

 宮子がそばについていれば、和葉の安全は保たれるだろう。しかし、と。早苗はどうしても考えてしまうのだ。


  ◆◆◆


 前日。早苗には兄とともに連絡会に先んじて招集がかけられていた。

 場所は久遠研究室が作戦本部として使用している研究室。


 理灯によって集められたのは、早苗と兄のほかに荒木義徳、佐久間ルキアス、三上彩の三人。いずれも久遠研究室の中核を成す実働部の面々だった。

 理灯の首輪型拡張端末(ウェア)から伸びる五本の有機コードが、思い思いの場所に立ち座る皆の首筋へと続いている。早苗はいつものように引っ張ってきた椅子を兄の隣に並べていた。


『稜江によるカーラの拠点制圧は順調に進んでいるみたいだね』

『ええ。ですが彼我の損害比を考えれば、とても戦果などと呼べるものではありません。先刻の襲撃では外部から連れてきた等級AAをひとり犠牲にしたようです』


 送付された資料に眼を通しながらのルキアスの発言に、荒木は同意とともに留意すべき情報をつけ加えていく。共有状態にある原本(オリジナル)に、荒木の言葉を反映する形で情報を付与されたフィルタが被せられる。


『襲われたのではなく、襲わせたと見るべきだな』

『彼らとてそれを理解していないわけでもないでしょうが、情報戦で後手にまわっていてはほかに手の講じようもないのでしょう』


 稜江に対し数ではるかに劣るカーラ。一見すると戦術レベルでの敗北を重ねているカーラだったが、個々の戦闘レベルでは快勝とも言える戦果をあげ続けていた。

 これはすべて、都市戦という限定された環境がもたらした勝利である。


 都市戦において大量破壊兵器(CBRNE)の使用はご法度だ。こと(Nuclear)爆発物 (Explosive)に対するとり決めは厳格極まりない。

 人口・建造物の超密集地帯である都市構造体(コンプラクチャ)。建造物の崩壊が都市構造に与える影響は計り知れない。コンプラクチャそのものの運営に支障をきたす可能性もある。

 もちろん、都市の設計段階であるていどの対策は練られているはずだった。けれど莫大な質量のもたらす衝撃ほど、人の手に余るものはない。損害を減らす術は求められても、なくす術などはなから考えられてはいないのだ。


 ただ例外はある。日本国内で言えば国軍はその代表だろう。国軍には国内の有事に際し、都市戦の了解を越えた作戦行動が認められている。

 だからこそ、特区には軍の介入を許さないという密約も存在するのだろう。


 そんな雑多な思惑から、都市戦は地味な削り合いが中心になる。そしてそんな戦場では、歩兵個々の戦闘能力と、なにより情報がものを言う。

 カーラはこの環境を維持するうえで欠かすことのできない情報を、常に制していた。


『稜江は、蝕災条規を拡大解釈した都市区画の破壊許可を委員会に打診したみたい。却下されたけれどね。粛清の噂にすっかり怖気づいちゃって、委員会の親稜江派もこうなってしまっては終わりだわ。これで大勢は決したようなものよねえ』

『粛清の噂、か』


 その噂なら早苗も耳にしていた。理灯から粛清に関する詳細な情報をうけ取って間もないタイミングだったので、強く印象に残っている。


『残念ながらあたしじゃないわよん』

『知ってる。目先の目的のためにカーラに眼をつけられるような、近視眼的なマネをするような奴だったら、もとから組んでなんていないさ』


 口振りとは裏腹に、兄の声にはかすかな安堵が滲んでいる。その不安は早苗にもよく分かった。

 そして続いた言葉が与えられた希望を打ち砕く。


『偶然に真実へとたどり着いてしまった、拝金主義な情報屋たちは御愁傷様ね』


 遊ばれているとも言う。


『……なにかやったんだな』


 ため息こそついていないが、声には呆れが混じっていた。


『ただカーラの策に便乗させてもらっただけよー』

『噂なんてものは、大なり小なり歪んで伝わるのが常ですからね』


 理灯の言葉に続け、眼鏡の弦を押さえる荒木。

 思うに、ふたりは戯れ半分で劇毒をまき散らしたのだろう。大人は、というかこのふたりは本当に怖い。お陰で早苗たちが助かっている部分も大きいのだが。

 胸中でため息ひとつ。

 そして早苗は自身にとっての最重要案件を口にした。


『稜江は兄さんに、カーラの拠点攻撃への参加を求めているんですよね』

『都市区画の破壊許可が下りないのですから、稜江は歩兵主体の戦闘を続けるほかありません。特区の秩序を乱せば、ほかの企業に口実を与えることになってしまいますからね。そして力押しでカーラの防衛を突破する場合、今後も等級AAの犠牲が想定されます。しかし稜江はこの等級AAの損失にひどく臆病なようでしてね。いかにしてこの犠牲を外部に肩代わりさせるか、それが私たちが八束へ派遣された真相でしょう』

『ユウちゃんをそんな特攻紛いの作戦に参加なんてさせませーん』


 荒木の丁寧な解説を、理灯が端的な言葉で締めくくる。それは早苗が求めていた答えでもあるのだが。


『でも理灯先生。天下の稜江様が、わたしたちみたいな小粒の我侭を、いつまでも間抜け面を晒したまま見逃しているとは思えないのですけれど』


 彩の疑問に早苗は小さく首肯し同意をしめす。必要なのは上辺だけの理想ではなく、中身をともなう現実なのだ。


『だからこうして実働部の皆に集まってもらったのよん』


 相変わらず軽い調子の理灯。万全に万全を期したうえでの余裕、なのだろうが。


『稜江の援軍として八束に呼びつけられたとはいえ、私たちが防疫局員であることには変わりませんからね。稜江が我々に圧力をかけるためには、防疫局内部を経由する必要があるんです』


 国内に、自治を許された広大な社領区、東海コンプラクチャを有する稜江代府(ドミナートル)。彼らですら、仮にも東側屈指の大国である日本という国家そのものを敵にまわすことはできない。

 西側と同義の超大陸企業体ルイオラ・インダストリィとの経済戦争に参加するには、東側と称される日本、ムーラダーラ大洋協定圏、ヴィエーク連邦、環華連合からなる経済(の傘)は必要不可欠なのである。


 ゆえに国家にも勝る大資本たる稜江代府も、日本国内にあっては日本国内のルールに従うほかはない。従うことを望まないのであれば、ルールを作る側へとまわらねばならないのである。

 もっともこれまで多くの制度をその資金力から都合のいい形に作りかえてきた稜江に、そんな説教じみた言葉は不用であろう。


 そして稜江にも不可能はある。

 その最たるものがこの利権の塊と化した吾破特区であった。


『警戒すべきは内部に巣食う稜江派に限定される、というわけだね』

『そうなります。恐らく明日、明後日。遅くとも明々後日までにはなんらかの実力行使があると考えられます』


 しかしそれを待つつもりは、理灯と荒木にはないのだろう。早苗は確信する。

 情報こそが久遠研究室の最大の武器なのだ。それを活かさないわけがない。

 横目で兄をうかがえば、渋面を深めるのが見てとれた。


『折角の機会だから、きれいに掃除をしてしまおうかと思うのよ。金に眼がくらんだ草野の凡俗たちも、それで目が覚めるでしょうし』


 案の定、理灯の口から過激な発言が飛び出す。

 真っ先に食いついたのはルキアスだった。


『それはつまり、本来の仕事ができるということかな?』


 喜悦を隠そうともしない。


『ええ、存分に暴れてもらうわよん。はいこれ、今回の作戦』


 電視野(デスクトップ)に表示される送信可否(リクエスト)に許可をしめす。


 組織内での権力闘争ほど面倒なものはないというのが、早苗の一貫した考えだった。電視野上で資料を確認しつつ再び兄へと視線を向ければ、こちらをうかがう眼差しとぶつかる。

 似たようなことを考えていたのだろう。厄介だが仕方ないとでも言いたげに口もとを歪めて見せる兄に、早苗は苦笑と肩をすくめることで同意をしめした。


『こういうのを待っていたんだよ。とても楽しみだね』


 資料に粗方眼を通し終えたころ、そんな言葉をこぼしたのはほかでもないルキアスだ。

 ちっとも楽しくなんてありませんよ! そう叫びたくなる気持ちを早苗はぐっとこらえる。

 代わりに口にしたのは確認の言葉だ。


『明日、こちらから仕掛けるんですね』

『そうよ。あちらさんに仕掛けさせるの。詳細を説明するわね』


 可能不可能で言えば可能であるに違いない作戦。

 しかし乗り気にはなれない内容であるのも事実だった。


 作戦会議が終わり部屋へ帰り着いてしばらくすると、宮子からふたり宛に通信が入った。

 明日、和葉を学院の外に連れ出すからつき合って欲しいと。


 そして日は変わり、折りしも学院が休みである今日。稜江派が行動を起こすまでの長くはないであろう時間を和葉たちと過ごすべく、早苗は兄とともに、そのふたりの到着をどこか落ち着かない心持ちで待っているのであった。





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