第25話「呪縛(おもいで)」
◆ユウゼイ◆
秋津由依という少女を端的に言い表すとしたら、図太いという言葉をおいてほかにない。
あるいは永山であれば、図々しいと口にするかもしれない。概ねにおいて両者の意図しているものは同じだ。
防疫局に籍を置き、学院に入院してより一年のこと。ユウゼイたち三人が築いた砦にずかずかと踏み込んできた少女は、その高く堅固な壁をたったひとりで壊してしまったのだから。
恭順――永山が力を誇示し罹患者共同体『草野自警団』が憲政を振るうこの草野であっても、学院からその言葉は消えない。
だからこそ、と答える人間もいるだろう。折衝と妥協によりもたらされる、相互理解の終着点。
絶大な力を保持していようと、それによってすべてを欲しいままにすることはできない。してはならないということを、ユウゼイたちはサシナの首魁である設楽宗司に教え込まれていた。安定のためにあえて一歩引いてやるのだと。
その一方で宗司はこうも嘯く。抑圧こそがサシナを磐石にするのだと。
理解はしていた。ユウゼイは勉強を怠らなかったし、永山はそういったことには異常なまでに鼻が利く。早苗にしても二部生とは思えない視野をもっていた。
しかし理性と感情は別物だ。
不満の矛先はおのずと近くの者へと向けられる。鬱屈した感情は本来向けられるべき学院というシステムではなく、似た境遇を持つであろう院生へと。
唯々諾々と支配に屈した無力な罹患者。今の境遇への不満も露にできない連中と、ユウゼイたちは彼らを侮蔑の眼差しで見つめていた。生きることを放棄したのだと、一方的に決めつけていた。
彼らに生きる意味を押しつけ、為さないのではなく為せないのだと、そんな簡単な現実に気づくことすらできず。
ユウゼイたちはどこまでも異分子であった。
そんな三人組に由依は話しかけてきた。御堂永山先輩にお願いがあって来ましたと、屈託のない笑みを浮かべながら。
このとき、ユウゼイの心中に去来した驚愕は、今なお鮮明に思い出せる。思わず早苗と互い顔を見合ったことは、よく覚えている。
永山を指名した由依は、自身の名を告げると永山の隻眼を正面から見据え、気後れすることなく言い募る。
「あたしに制衣のコツを教えてください」
腰から九十度。
そして右脚全体におよぶ半症を見たユウゼイは、個人情報を一瞥し、眼前の少女が長くないことを悟る。度数二九・二だったのだ。二五・〇との間に、もはや猶予と呼べるようなものはない。
「そんなの、あたりの誰でもいいから捕まえて聞けばいいだろ。誰だっておまえよりは上手くやれるよ」
真衣再処理施設行きが明日にでも決まりそうなこの少女の願いを、永山は素気無く断る。
「でも、誰よりも上手くやれるのは御堂先輩ですよね」
顔をあげた由依がずいと距離を詰める。
思いがけずユウゼイの口の端が歪む。
早くも不機嫌を漂わせる永山相手に、どこまでやれるのかと興味が湧いたのだ。
「だから先輩にお願いしたいんです」
「嫌だ。面倒くさい」
「面倒な頼みであることは重々承知です。ですがそこをどうかお願いします」
「うるさい雌ガキだな。次言ったら殺すぞ?」
だが、永山の沸点はユウゼイの想像以上に低かった。丸くなったと感じていたのだが、どうやらそれは身内に対してだけだったらしい。
それでも手より先に言葉が出るようになったあたり、やはり丸くなったと言えるのだろうか。
とはいえ、見世物もここで終いらしい。
滲み始めた永山の殺気に、期待は萎む。だが――。
「分かりました。今日はもう言いません。……ところで、ご一緒させて頂くのは構いませんよね?」
由依の反応はユウゼイの思い描いたどれとも異なっていた。
そこに失意はない。そして続いた言葉はユウゼイと早苗に向けられたもの。
「あんた二部だろ?」
永山がなにかを口にするより先に、ユウゼイは声をはさむ。
「大丈夫です。どうせこのまま死ぬなら、学科なんて受けても意味ないですから!」
前向きなのか後ろ向きなのか、よく分からない奴だった。
ユウゼイは面白そうというそれだけの理由で、由依の同行を許諾する。それから半日、消灯で自室へと引きあげるまでの間、由依はユウゼイたちの後をついてまわった。会話の相手は専ら早苗が務めていたが。
当初不快感を隠そうともしなかった永山は、案の定すぐにそれも飽きた様子で、最終的には由依を無視して勝手気ままに振舞っていた。
終始、誰も真衣化した右脚に気を使うようなことはしなかった。
まともに動かない足で、よくついてきたものだと思う。弱音ひとつ洩らさなかったのにも、ユウゼイは秘かに感心していた。
そんなこんなで出会った翌日。再び永山の前にやってきた由依は、あたしに制衣のコツを教えてくださいと頭を下げるのであった。
断られても諦めるということをしなかった。永山の怒気にも果敢に立ち向かう由依を、危なくなればユウゼイがそれとなくフォローする。見慣れているはずの永山の苛立ちが妙に新鮮で、それを見ることに楽しさを感じていた。そしてユウゼイもいつしか、永山が折れることを密かに期待するようになっていった。
そうした日々がしばらく続き――由依は二五・〇を踏み越えた。
永山と由依の間でどんなやり取りが交わされたのか、その場に居合わせなかったユウゼイと早苗に、詳しいことは分からない。永山が調律をほどこし、真衣に全身を蝕まれつつある由依を救った。それだけが事実として残り、そして。
誰に憚ることもなく由依は永山の隣にいるようになった。永山は由依のことを邪険にしていたが、無理に追い払おうとはしなくなっていた。永山に制衣の指導を受けるようになっても二部の授業はすっぽかしてばかりで、早苗まで三部の授業に潜り込んでいる時間の方が多くなっていた。
必死に今を生きようとする由依。その言動が、テロ以降すっかり錆つかせてしまっていた早苗の笑みに、再び輝きをとり戻させつつあることをユウゼイは気づいていた。そう気づくユウゼイ自身が変わり始めていた。
由依の半症はゆっくりとではあるが改善されていった。
右脚の形が人に近づくにつれ、永山の心もまた人に近づいていくような。それまでであれば思いも寄らないであろう非現実的な妄想までもユウゼイは想い抱く。
相変わらず無愛想な態度はそのままだが、由依を邪険にもしなくなっていく永山。半症が消えるころにはすっかり丸め込まれ、もうどちらが年上かも分からない。もとからの豪胆さで永山の意見に口をはさんでは、論理と感情の双方で説き伏せることもしばしば。そしてそれはユウゼイや早苗にも向けられた。
蝕災テロ以降、早苗とふたり生き残るためだけに奔り続けてきた日々。そこにあったのは感情ではなく論理だった。だから互いに向ける想いだけ残して心を殺し、世界を閉ざした。
それでは駄目なのだと。立ち止まり振り返る時間をくれた。
ただ在るというだけでなく今の意味を考える。そうでなければ生きている甲斐がないではないか。
そう。早苗のためにも、と。
だが終わりは唐突に訪れる。
由依が蝕害を引き起こし、草野の執行官の手で駆除された。
ユウゼイが駆けつけた時には、由依の亡骸の傍らで永山が呆然とたたずんでいた。執行官の姿はなく、溶融した抗侵蝕コンクリートの穴が四つ点在しているばかり。
永山はユウゼイになにも語ろうとはしなかった。
間もなく永山が草野から姿を消す。
そして四日後のこと。突如として福岡都市構造体に姿を現した永山は、これを壊滅させた。
間もなく軍の特殊部隊が派遣され、都市は制圧される。以来、永山の行方は知れない。軍に討たれたのだと、風の噂は伝えていた。




