第24話「各々の立つ場所」
◆ユウゼイ◆
身体の中心目がけて突きだしたミスリル製ナイフ。刃を、宮子が右掌に重ねた黒色の真衣で左体側に流す。
刹那の接触は装衣練技の個室に、金属同士のぶつかる甲高い音を響かせる。
高硬度のミスリル刀身が、その表面をわずかに削り取り軌道に黒色の砕片を散らす。
右へずらされる重心。ユウゼイは尾部の水平運動で、さらに右側へと重心を飛ばした。
下方から急襲する黒くぬれた宮子の左手は、傾いだ右肩をかすめ上方へと抜ける。無防備な宮子の胴へ右旋回からの尾部の横薙ぎ。長い射程をもつ真衣の鞭。避ける余地など残してはいない。
かすかに宮子の身が沈むも、回避行動には入らなかった。足もとからのびた帯状の黒に衝突、弾かれる。
反動をユウゼイは尾部の一時的切断で回避。真衣崩壊を始める尾部を旋回の勢いを殺すことなく左手でつかみ取る。尾部の慣性をそのままに後方への跳躍。伸び上がった帯が寸前にユウゼイが踏みきった床を撃ち抜いた。
空中で真衣の形態を再構成し着地する。前方への踏み込みを、尾部先端による床打ちで加速。床面で反転強襲してくる黒帯を紙一重で避け、その影に潜み肉薄する宮子に左真衣刃からの右下段刺突。
必殺の一撃はその喉もと、薄皮一枚切り裂く手前で静止する。
「三連敗。いや、ガトウの件もあわせれば四連敗か」
差しのべられた宮子の右手。その袖口から覗く黒銀の煌きが、ユウゼイの右眼前に迫っていた。
宮子への奇襲もこれが三度目。ただの一度も有効打を与えられてはいない。
もっとも先の二回も今回も、殺すことをその目的としておこなったわけではない。目的の成果は十分に得られていた。
単純な戦闘の勝敗で言えば四敗だが、実質的には三勝しているとも言える。
だがこの場でのユウゼイは、忌々しげに顔を歪めることで、その無意味な戦闘の結果に固執して見せた。ただ、ここにも少し工夫はいる。
「三敗一引き分けではなくて」
切先が皮膚を傷つけるのも構わず宮子が疑問をはさむ。
実際のところ戦闘だけで見ればユウゼイは宮子に完敗している。そのことに忸怩たる思いがないと言えば嘘になるだろう。観測が目的とはいえそこに妥協はいっさいない。だというのにこの有様だ。
いま見え隠れしているユウゼイの感情もまた、真実と言えるのかもしれない。
「ここまであからさまに手加減されて、引き分けを誇るほど耄碌しちゃいない」
装衣教練の課外。外部からもち込める真衣総量は、実戦時の運用量に比べればたかが知れている。室内の抗侵蝕コンクリートに痕跡を残さず真衣化できるという、尋常ではない武器をもつ宮子は、だが教練用に設定された真衣素材のみを用いてユウゼイに対抗してみせたのだ。
懐疑を宮子は口にする。
「それはおかしいわね。手を抜いているのは確かだけれど、もしそれでわたしが負けようものなら、あなたは容赦なくわたしを殺すのではないの?」
「ならやはり四連敗だな」
昨日までであれば殺していたかもしれない。だが爆弾が明確化してなお、そういった行動に踏みきるのだとすれば、それはあまりにも愚かであろう。
それにしても。いまの宮子の問いに感じた妙な作為はなんだろうか。
こちらの攻撃意図に勘づき始めている可能性はあるが、戦闘時の挙動から見て確証をもってはいまい。
「やっと本気を出してきたと思ったのに、殺す気はないなんて。いったいどういう心境の変化なのかしら」
「それを俺に聞くかよ。誰よりもよく理解しているおまえが」
「さてなんのことかしら。思いあたる節が多すぎて、はっきりと言ってくれないとわたしには分からないわ」
宮子はとぼける。
互いの意図は言わずもがなだった。だがどちらも明言は避けている。宮子の言葉にはユウゼイの口で語らせたいとする思惑がありありと見てとれた。
どこまでも自分優位でいたがる女だと、内心毒づく。
だがいい、乗ってやる。ユウゼイはそこらに落ちている義憤と、妹への罪悪感で自身をぬり固め、仮初の正義感を形作る。
「なぜ和葉を選んだ。あれは憎悪を他人に向けるよりも、絶望への悲嘆に自らを曇らせる類の人間だろう」
「思ったよりもよく見ているのね。妹ちゃんを守るという理由があるもの、ふふ。当然のことよね。可哀想な和葉。あなたの興味は本当のところなにひとつ、あの子には向けられていないというのに。ぜんぶ妹ちゃんの、いえあなた自身のため、なのよね」
宮子が喉を震わせるたび、切先がより深く肌を傷つける。
「悪意に染まりきることもできない哀れな小娘に、なにをさせる」
意図せず声のトーンが落ちた。
「させる? わたしが? ふふふ、わたしはなにも強いたりなんかしないわ。ただあの子がしたいようにさせてあげているだけなのよ。それをまるでわたしが悪役みたいな口振りで。都合が悪くなるとすぐそうやって答えをすり替えるのは、あなたの悪い癖よ?」
――すり替えている、俺が?
思わず自問するユウゼイ。だが即座に自身が宮子の術中にはまりかけていると気づく。思わせぶりなことを口にして煙に巻くのは宮子の常套手段だ。
案の定、ユウゼイの空白に逡巡を見出したのであろう、宮子の唇が弧を描いている。
「和葉にそう思い込ませているだけだろう。発端が何であれそこへ誘導したのはおまえだ」
「もしここでわたしがはいそうですと答えたら、あなたはどうするのかしら。違うでしょう、あなたが聞きたいのはそうじゃない。フリのつもりが本当に偽善者にでもなってしまったのかしら」
重篤患者に同情だなんてと、以前にあったやりとりを思い出す。
まったく、知れば否が応でも変わる。感情移入でもしていたか。馴れあいに過ぎたものだ。
「このままおまえの首をかき切ってやりたいよ」
「してくれないの? それは残念だわ」
そのまま振りぬけば相打ちであっただろうが、真衣の形状変化と腕部の伸張、初動で勝るのは宮子の方だ。
滴る雫が足もとに赤を散らしていく。
「でも……そうね。あなたがカーラに入るというのなら、教えてあげてもいいわよ」
「俺が構成員に?」
鼻で笑う。
「どうやったらその発想が出てくるのか教えて欲しいね」
「あら、実現性のある提案よ。あなたこそ、感情に任せて頭から否定していないで考えてみたの? わたしがついていてあげる。あなたもあなたの大切な妹ちゃんもみんな守ってあげるわ。わたしにはそれを為すだけの力があるもの。あなたにとっても悪い話ではないでしょう?」
ははっと乾いた笑いに喉がひりつく。
「お断りだね。おまえひとりの気まぐれで生かされ殺されるなんてのは、生き方のなかでも最悪の部類だ。逆に聞こう」
そこでわずかに言葉を迷ったユウゼイだったが、結局最後まで言い切った。
「俺の飼い主様はおまえをご所望だ」
まさか理灯の妄言を実行に移す日が来るとは。ユウゼイは最低の気分だった。理灯には愚痴でも言ってやらねば晴れそうにない。
宮子が確かめるように眼を眇める。
「嬉しいお誘いだけれど、お話しにならないわね」
「初めから分かりきっていたこと」
各々が組織に求める役割は違う。
「どうかしら。思考を放棄すると死に追いつかれてしまうわよ」
「俺達を呼び込もうなんてのはしょせんおまえの道楽だ」
「否定しないわ。だって、わたしはただ自分が気持ちいいからこうしているのだもの」
するりと突きつけられていた刃先が袖口に消え、宮子が一歩身を引いた。
「お誘いのお礼に伝えておいて」
真衣を排脱しナイフを鞘へと収めるユウゼイに、宮子が無造作に近づきささやく。
「あの子はとっておきの蝕災兵士。わたしの可愛いお人形さん。大切な玩具に悪戯されたら、温厚なわたしでも怒ってしまうかもしれないわ」
もたらされた言葉は機密に属する情報。
身構えるのも忘れて胡乱な眼を宮子へ向ける。
「疑問が表情に出ているわよ。ふふ、それがあなたの限界」
胸もとを細い指先で突かれる。
屈辱がちりちりとその指の先で暴れた。
「これ以上、結果の分かりきっている駆け引きなんてしても仕方がないでしょう。だってあなたは妹ちゃんの命を天秤に賭けられもしないもの。けれどあなたの飼い主には懸命であってもらわないと。でなければあなたを見逃している意味がなくなってしまうわ。わたし、思い通りにならないことって嫌いなの。それに、ねえ。分かるでしょう。この方がおもしろくなりそうですものね」
見上げる目もとに小さく笑みを残して宮子が身を翻す。話すべきことは話したから、ほかの連中に気づかれるまえに帰れということだろう。
上機嫌なその背とは対照的にユウゼイの肩は落ちる。
言い返すことのかなわぬ己が身の不足に、ユウゼイは打ちのめされていた。
お情けで与えられた情報に、途方もない敗北感を感じる。そう感じることすらも、宮子は計算ずくでやっているに違いない。ユウゼイの浅薄な計略もなにもかもが見抜かれているのではないかという不安と絶望感。
収穫は十二分にあったというのに。
「……いつかおまえを殺してやる」
「楽しみにしているわ」
ユウゼイの虚勢に、律儀にも宮子は答えた。先の言葉から一転。嘲弄の気配は消えている。
嗤ってくれればいいものを。
悔しさを押し殺し、ユウゼイは練技室を後にした。