第22話「それが愚かな行いであったとしても」
◆早苗◆
和葉と宮子より早く更衣を終えた早苗は、ひと足さきに練技室内へとやってきていた。視線を動かすまでもなく兄の居場所は把握している。
技能教練が始まるまでの残りわずかな時間、できるだけ長く兄のそばにいたかった。
「かーたぎーりさんっ」
歩き始めた早苗を、小走りでやってきた女の子ふたりが呼びとめた。
滲む苛立ちを仕事意識でぬり固める。
「夏木くんのとこ行くの?」
「うん」
「ぐ。自分で聞いておいてなんだけど、真っ直ぐすぎて妬ま、眩しいわ!」
――確か、最初に声をかけてきた上品そうな子が諏訪香織さんで、もう一人の元気な子が山崎志乃さん。
もともと全員の顔と名前は一致させてある。加えてなかなかに目立つふたりだ。早苗には現地で得たそれ以外の情報も、簡単に思い浮かべることができた
「諏訪さんと山崎さんもペアでしたよね?」
記憶を探り、あわせて個人情報も呼びだす。
度数は五七・七と七六・一。
「おお。あたしたちになんて興味ないのかと、ちょっと寂しく思っていたら」
「ルキアスさんとお話しするので忙しいかなって」
「志乃、ばっちり見られてるわよ」
少し意地悪そうな笑み。嫌味はない。
こんな表情をするのかとひとつ記憶。
「あたしにはルーク君は落とせそうにないのよーっ! なので片桐さんに慰めてもらおうかと思って」
「えっと、がんばってください?」
「ほらほら、困っちゃってるでしょう。あのね、わたしたち少し心配していたのよ」
諏訪はさり気なく辺りをうかがっている。続く山崎の声も辺りをはばかるかのよう。
「近藤って重篤患者じゃない。浅野はあのとおりだからなに言っても仕方ないし、弄って楽しんでいるのかも分からないけど、結構危ないよ?」
それは至極当然の言葉だった。
しかしそれゆえに誰も口にしない。すべては自己責任、自業自得なのだ。
だから早苗は少し驚いていた。
「今朝も発作起こしたらしいの。下限まではまだ少しは余裕あるけれど、余裕があるからって蝕変をひき起こさないわけでもないし」
「ありがとうございます。でも――」
近づく気配に視線を向ける。信頼を込めて。
「俺も付いているから大丈夫だ」
「っ! こ、怖びっくりしたぁ!」
「こらこら」
「驚かせたか、悪いな」
兄さんは怖くなんかありませんと、早苗は心のなかだけで反論する。
「こいつ馬鹿なんで。浅野があんな奴だろ、近藤が不憫でならないんだと」
勝手に話を進めてしまうユウゼイに、早苗は視線だけで抗議。けれど自分ではなんと答えるのかと問われても、とっさに言葉がでてこない。
「そっか。なら止めない。あれは確かにそう思っちゃうのも納得できるし」
「でも気をつけてね。夏木くん、しっかり守ってあげなきゃだめだよ?」
「二人も気にしてくれてありがとうな」
「いいってことよ」
「それじゃあまたね」
ふたりが立ち去った後も、その答えは見つからないままだった。
「優しいですね」
ぽつりともらす。苛立ちは自然と消えていた。
「それだけに救いがない」
ユウゼイの言葉に早苗は視線を落とす。
この都市に留まるかぎり救いはない。ではどこに行けばあるというのだろうか。
諸行無常。どんな安寧も幸福もたやすく崩れ去る。ならば初めからそんなもの求めなければいいのではないか。
「私、馬鹿じゃないです」
「分かってる」
無理だ。自分には無理だ。
早苗は思う。
刹那の幸福であっても、希望であっても、それを捨てるなんてとてもできない。失うことを恐れて、踏みだせなくなるのは嫌だ。それではこれまで生きてきた自分はなんなのか。
そうだ。あの日、自分はそんな後悔とともに生きることを誓ったのではなかったか。
おもてを上げ、兄を見る。
「ばっ、馬鹿じゃ駄目ですか?」
「馬鹿でもいいさ」
見下ろす瞳はすべてを受け止めるように温かく、常にも増して優しく見えた。




