第17話「罪と後悔の連環」
◆ユウゼイ◆
養父にひき取られて一月が経過したころ、早苗の罹患が判明した。
その変化はあまりにもゆるやかだった。常に隣にあったユウゼイはもちろん、養父として日々顔をあわせていた、さらに言えば草野大学の吾破病研究第一人者でもあった譲二すら、早苗の変化には気づけなかった。
きっかけとなったのは、ユウゼイが日々用いていた安定化装置のメンテナンスだった。
装置に、色調変異と思しき現象が確認されたのだ。
色調変異――それは真衣のもつ特性のひとつである。
真衣は物質の在り方を歪める。その作用はときに、光の反射率にまでおよぶことがあった。
物質の真衣化にともなう現象としては、頻繁に発生するもので、個体により定まった変動率をしめす。簡単に言うと、真衣が特定の色味を帯びるのである。
当初疑われたのは、ユウゼイの病状の変化だ。しかしそれは、報を受けた譲二によって間もなく否定された。
この一件、色調変異などというありぶれた症例ではなかったのである。
早苗の身に、周辺に生じたかすかな白化。それは人々の認識をもぬり替え、受動的な気づきを阻害する作用を秘めていた。記録された過去の映像、そのなかの早苗の姿すら白ませる異常現象。
気づくことができたのは僥倖と言えよう。
精密な検査がくり返され、そして非常に珍しい薄半と呼ばれる吾破病の症状と認定された。
薄半とは慢性化したきわめて軽度の半症で、実質的影響の低いとされるものをしめして使われる。この『実質的影響の低いとされるもの』というのがみそで、言い換えればなんだかよくわからないが安全そうもの、なのである。
感染経路は不明。しかし誰もがその経路を予想しため息をもらした。当人たちがそのことに思いいたらぬはずもない。ことユウゼイを襲った衝撃は果てしなかった。
ひき取られた当初は、ユウゼイも早苗から距離を置こうと試みていた。だが早苗がそれを嫌がり、ユウゼイ自身が安定化装置と訓練により半症の押さえ込みに成功したことで、その当初の意志は薄れていった。
そばにいることによって得られる、早苗を守っているという実感。
それは幼い罪悪感に縛られたユウゼイにとって、例えようのない甘美な誘惑であったのだ。
我欲の結末としてはいささか気が利きすぎているかもしれない。
ユウゼイは守ると誓い繋いだその手で、守るべき相手を己のいる奈落の底へと引きずり落としてしまったから。己が身を案じてくれた小さな女の子を、己が手で汚したのだから。
もはやユウゼイには早苗にすがるしか道はなかった。赦され得ぬ罪を抱え、それでもそばにいさせてくれと。こんな自分に償わさせてくれと。
そして頽れ咽ぶユウゼイを優しく抱きしめ、早苗はこう言ったのだ。
「わたしお兄ちゃんを苦しめてばっかりです。それなのに、そばにいたいって思ってしまうわたしを、どうか赦さないでください」
声を忍ばせ、涙を流しながら。
以来ふたりの口上にその話がのぼることはなく、兄妹として傍らに在り続けている。本当は互いにどんな思いを抱いているのかなんて、とっくに分かっていた。ただ自分が自分を赦せないのだ。
永遠に訪れることのない赦し。
だがユウゼイにはそれでよかった。ユウゼイにとっては背負った罪を手放すことにこそ、言い知れぬ恐怖を感じるのだ。
それからの二年は穏やかな日々が続いた。
早々に度数七五・〇を数えたユウゼイには、草野大学環京からの外出許可が特例でおりていた。早苗も評価対象外として制限を受けなかった。
人としての上等な暮らしだったのだと、今になって痛感する。
感謝をしめしたい相手は既にこの世に亡い。そう、奪われたのだ。あの五年前に起きた史上最悪の蝕災テロによって。なにもかも。平穏も。人としての生きる道も。
分類Aサーフェナイリス、通称蝕災。
顕現により副次的に生じる量子的不安定空間に巻き込まれ、早苗は半症を発現させた。




